神と悪魔に翻弄された男の流離譚 ファウスト ( 映画 )
100年彼方の痕跡と消息 ・ ・ ・ サイレント映画とは、さながらアカシック・レコードを想わせるおどろおどろしさ。
もっともらしく云えばそんなところだろうか。
そのモノクロ世界独特のダイナミズムに感嘆させられたのは、カール・TH・ドライヤー監督の 《 裁かるるジャンヌ 》 ( 1928年 ) だった。
黒石 ( + 溝口健二 ) の 《 血と霊 》 (1923年 ) のからみで観ることになったドイツ表現主義派の金字塔の一つといわれる ロベルト・ヴィ―ネ監督の 《 カリガリ博士のキャビネット 》 ( 1918年 ) も、古色蒼然のはずが、書割的セットもさることながら、その後の映画世界で踏襲され尽くす手法的オリジンに目から鱗が落ちることしきり。
で、F.W.ムルナウだけど、1923年に 《 吸血鬼ノスフェラトゥ 》 、1924年には《 最後の人 》、そしてハリウッドに招聘されて大西洋を渡る直前の1926年にはこの 《 ファウスト 》 と有名作が目白押し。 《 ファウスト 》 の日本公開は、2年後の昭和3年。 《 最後の人 》 は、当時の第一次世界大戦敗戦後のワイマール体制下での社会派的作品だけど、《 吸血鬼ノスフェラトゥ 》 とこの 《 ファウスト 》 はともに怪奇映画。この時代、怪奇映画の有名作が目白押しで、時代の抑鬱的雰囲気と怪奇もの( 映画 )は密接な関係にあるってのはもう定式のようだ。
《 ファウスト 》 といえばゲーテだろう。
彼より以前、16世紀後半シェークスピアの同時代人のクリストファー・マーロウの 《 フォースタス博士の悲劇 》 と、旧約聖書 《 ヨブ記 》 を基にした創作という。
《 ヨブ記 》 で、神が、ヨブの信仰を試すために、悪魔にヨブの生命以外の何を奪っても許される権利を与え、悪魔はヨブから家族、財産、はては彼の健康まで奪い続けてゆくってエピソード、これは旧約聖書世界=唯一神宗教の根幹ともいうべきもので、就中アブラハムの自身の息子すらヤハウェに生贄として差し出したエピソードは白眉。
いわゆる、〈 試し 〉 って奴だ。
一切万物の創造の神=絶対的唯一神を立てた割には、この地上に、ありとあらゆる悪が蔓延し、禍いや惨劇が絶える事がない事実の、唯一絶対神的全能性の正当化・神学的事情説明には、もうこれ以上ない装置であり、いわゆる文明化された人類のかなり以前から発明された機智ってことで感心する他ない。
プロローグの、暗雲立ち込める頭上はるか、3人の死神らしき異形が馬に乗って疾駆する場面。
ゲーテの 《 ファウスト 》だと、 〈天上の序曲〉 として3人の天使、ラファエル、ガブリエル、ミカエルが現れ、主(=神)の天地創造を褒め讃え、以来万物が不変の荘厳さに光り輝いていることを賛美するらしい。
この転倒・変容の意味は定かでないものの、おどろおどろしい映画的な意表を衝くインパクトって演出的効果は認めざるをえない。
やがて光芒に照らし出されて死神達は霧消し、暗黒から立ち現れた風 ( ふう ) の黒装束のメフィストが姿を現す。光芒の中からも大翼を拡げた大天使が純白の装束で現れ、些か唐突に、下界の、世間の名望と使命感に溢れた誠実なファウスト博士を名指す。錬金術師に過ぎないとメフィストが嘲笑すると、大天使、もしファウストがメフィストの軍門に下れば、地球はお前の物だ、と賭けを持ち出す。メフィスト、思わずほくそ笑みを浮かべ、肯う。
中世末の、とあるドイツの小さな町のカーニバルの情景。
《 カリガリ博士のキャビネット 》 も同様の設定だけど、時代も下って都会的な近代の香り漂うホレステンヴァルの町の方が、も少し大きい。
その小さな町を、メフィストの巨大な影が蔽うと、たちまち道化師からその禍の連鎖が始まってしまう。
黒死病だ!
・・・黒死病(ペスト)と魔女狩りの業火と死臭立ち込める暗々澹とした中世末であった。
同じムルナウの 《 吸血鬼ノスフェラトゥ 》 でも、予めネズミを封じ込めた数個の棺桶を主人公の住む町に送りつけ、たちまち街中に禍々しいペスト蔓延の災厄の巷と化してしまったノスフェラトゥは、さながら逆パイド・パイパー。ネズミでも子供達でもなく、多くの住民達の生命を、闇々と黄泉の淵へと連れ去っていった。
ファウストの町もあっという間に黒死病が蔓延し住民の半数近くの葬列が町中を埋め尽くす。
何とか住民達を救わんとあらゆる試行錯誤の特効薬を作ってはみたものの、誰一人として助けることも出来ず、ファウストは、絶望の淵で己が無能に、神の沈黙と不能に激怒し、聖書や学術本を次から次へと火の中に放り込んだ。
と、一冊、地獄の霊力によって万能の力を獲る術を記した本がこれ見よがしに炎の中で頁を開いた。藁をも掴む思いで丘の上で試してみると・・・。
果たして、地獄からの使者が現れ、早速念願の特効薬を作り、死にゆく者達に飲ませると、沈み込もうとした黄泉の縁からむっくりと起き上がった。
たちどころに、救いを求める群れが次から次へと押し寄せた。
その中に一人、横たわった娘が居て、ファウストが近寄って見ると、あろうことか、娘は胸の上にしっかと十字架を堅持しているではないか。
思わずファウストは後ずさった。
近寄ろうとして、十字架の放つ霊力に、もはや悪魔=地獄世界の霊力に満たされた身体が磁石の反作用の如く、いっかな歩み寄れない。周囲に蝟集した住民達が、そのファウストの不可解な反応に猜疑し、やがて恐れをなし、仰け反った。
ファウストは、悪魔と結託しているぞ!
住民達は、手に手に石ころを拾い、ファウストに投げつけた。
ファウストは、ともかく、逃げ他なかった。
黒死病に斃れてゆく人々を救うために、悪魔に己の魂まで売ることを約して獲得した特効薬だったにもかかわらず・・・絶望し、自棄になったファウスト、毒薬を呷ろうとする。
と、メフィストがそれを阻止した。
自死されると賭けが成り立たなくなってしまうからだ。
幼子をあやすように、鏡に若々しい青年時のファウストの姿を映し出してみせる。ファウスト、たちまち絶望の淵から、一切をかなぐり捨て、己が若さを求め、満喫する方途へと直走ってしまう。
メフィストに唆されて二人して空を飛びアルプス越え、イタリアの絶世美女・パルマ侯爵夫人を誑かしたり享楽三昧に耽溺するも、本末転倒の本、あるいは肝心のそこに到るプロセスを欠落捨象した末=享楽をしか体得しようとしない故の陥穽=虚しさに囚われるばかり。
で、ふと思い立った帰郷、そこの復活祭(イースター)で出逢った無垢な娘グレートヒェンに一目惚れしたものの、彼女の兄を殺害した濡れ衣を着せられ、あろうことか婚前交渉の咎でグレートヒェンも晒しものにされてしまう。あげく、ファウストの子を産み、路頭に迷い、誰も助けてくれる者もない雪積の夜、雪に埋もれ、産れたばかりの子を飢えと寒さで死なせてしまう。
今度は嬰児殺しの咎で、火刑を宣告される。
高々と積まれた薪の燃え上がる炎の中、もはや本来の老人の姿に戻されたファウスト、最愛のグレートヒェンの下へ駆け寄り謝罪の念を伝え、やがて伴に紅蓮のに包まれて、二人は、法悦・至福の極致で昇天してゆく。
カール・Th・ドライヤーの 《 裁かるるジャンヌ 》 ( 1928年 ) で、同じ焚刑の火焔燃え盛る真っ只中で文字通り身を焼焦がしながらの神と一体化の陶然・恍惚のオルレアンの聖処女ジャンヌ・ダルクとは趣きの異なる、しかし、元はともに普通の中世の無垢な娘でしかなかった二人の随分と隔たった悲惨劇的末路ではある。
ゲーテの 《 ファウスト 》 だと、この後に第二部が続くらしい。
冒頭の暗雲の間を疾駆する馬上の3人の死鬼か死神めいた風貌に興味をもって一見することになったのだけど、時代がまだ映画の草創期ってことで、些か人形劇風な死神達の造作がユーモラスですらあった。
それでも、当時の観客をおどろおどろしく鳥肌立てさせたのかどうか、ミレニアムの我々の感覚だけで決めつけようもない。尤も、この作品、間違ってもホラーじゃないので、畏怖感の有無は余り意味はないけれど、確かに、導入としてのインパクトはあったに違いない。
この映画、とりわけヒロインのカミルラ・ホルン演じる純真無垢な乙女・グレートヒェンの、白塗りのエスタ・エクマン演じる若きファウストに対する心模様や世間につまはじきにされ一人身になった悲哀なんかコンパクトにだけど結構丁寧に描かれているのには、些か驚いてしまった。ムルナウの技の冴えってやつだろうか。
尤も、最初、悪魔に魂を売った男!という通俗的フレーズが頭にあって、もっとドラマチックな悪魔とのやりとり、自らの苦悩との相克劇的な展開を期待していたら、悪辣というよりも狡猾さを前面に出したのか、艶々した派手な黒いビロードの衣裳をなびかせた小太りしたエミール・ヤニングス演ずるメフィストが、もつぱらコミカルにシニカルさを演じているため、総じて軽妙。
それでも、終わり頃の、悲哀溢れるグレートヒェンの惨憺劇が、やっぱし映画的に盛り上がり、引き締めている。
YOUTUBEで、ムルナウのUFA時代の 《 吸血鬼ノスフェラトゥ 》 、 この 《 ファウスト 》 、 《 最後の人 》 の三作を通して観せて貰ったけど、 いずれも中々に面白く一度映画館の大きなスクリーンで観てみたい。
監督・F.W.ムルナウ
脚本・ハンス・カイザー
撮影・カール・ホフマン
ファウスト エスタ・エクマン
メフィストフェレス エミール・ヤニングス
グレートヒェン カミルラ・ホルン
制作 ウーファ UFA
ドイツ本国公開1926年 日本公開1928年( 昭和3年 )
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