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2023年2月25日 (土)

 ナロードニキと革命の間で クープリン『 モロフ 』  

Kuprin-4   

 

 

 大正末年、月刊《 文藝市場 》の夏季倍大号、“ 世界魔窟小説集 ”に掲載された大泉黒石の《 唐妓の死 》の中で、帰郷した長崎の中学時代の旧友であった髭男が、長崎の凋落ぶりをこう零して見せる。

 

 

 「 門司や神戸にお株を奪られちまった。夢は破れた。奴等の中には、廓( =唐人廓、つまり娼館じゃなくて、中国人居住区 )を棄てて本国へ引揚げるのもあれば、門司や神戸に移り行くものもあって、一人へり、二人へり、たった十幾年があいだに、亡びかけたる廓は、日に月に刻々と亡びつつ、今や廃墟も同然。」

 

 

 そして、

 

 「 おい。君はクウプリンの『 黒い霧 』 (チヨルヌイ・ツウマン) を読んだろう ? ぺテルスブルグの街路に悪臭もった黒い霧が、蛯のように、のた打ちまわり触れる人をバタバタ打斃すというのだ。その蛯が、そォら、この街の空にも這いまわっている ! 見えるかい ? あの唐楼のあいだから、朦々と渦をまいて湧きあがる鼠色の烟(けむり)を !」

 

 

 ロシアの19世紀末から20世紀前半に、途中、ロシア革命→ボルシェヴィキ=ソ連の動乱で、欧州を転々とし、結局スターリン政権下のソ連に戻ってしまう紆余曲折を余儀なくされたものの、ロシア人の間じゃ、ポピュラーな人気作家だったクープリン。
 
 アレクサンドル・イヴァーノヴィチ・クープリン ( クプリーン )。Alexander Kuprin。

 

 この黒石の短編に触れる迄、元々ロシア文学や作家に疎いのもあって、まったく未知の作家だった。
 母子家庭→施設という鬱屈した少年時代を送った後、トルコとの露土戦争にロシアが勝利したのに触発され、幼年学校→士官学校→軍隊という方途に進んだものの、やがて軍隊に批判的になり、除隊後、ロシア南部を放浪し、様々な職業にも就き、キエフで新聞社に入社してから、軍隊時代に既にあっちこっちに執筆していた小説家としての道に邁進することに。
 少年期的トラウマや半生を概観するにクープリンの、大泉黒石との相似性に思い至り、クープリンからの影響も垣間見えてしまいそう。

 

 

 そもそも我が国に、ロシア文学が最初に紹介されたのは、 ツルゲーネフ『あひヾき』(『猟人日記』の一部)を二葉亭四迷が、徳富蘇峰の始めた雑誌 《 国民之友 》 に、明治二十一年(1888年 )7月~8月に発表したのが嚆矢のようで、それから23年後、明治四十四年に、昇曙夢( のぼりしょむ )によって、《 露国現代代表的作家六人集 》 ( 籾山書店 ) の中の一人として、クープリの 《 閑人 》 が、恐らく初めて紹介されたクープリンの作品。 その翌年、大正元年に、代表作の一つ、 《 決闘 》 が、同じく昇曙夢の翻訳で、博文館からようやく単行本として登場。

 

 

 トルストイやゴーリキーに評価され、チェーホフやブーニンなんかと親交があったという。
 軍隊に対する批判でセンセーショナルな作品 《 決闘 》 や、売春をテーマにした当時物議を醸したという長編小説 《 魔窟 》 等が代表作。
 同時代の作家ブーニン、アンドレーエフなんかと同様殆んど未知・未読、ネットの古書や国会図書館蔵書で調べて初めて、代表作らしい作品は一応戦前戦後を通じてそれなりに出されているのが分かったが、やはり、アンドレーエフなんかと同様、マイナーな扱いのようだ。
 この大正九年、天祐社から出された 《 クープリン傑作集 》 、昇曙夢が監修している。
 黒石より一時代前の、奄美出身の、洗礼を受けたキリスト教神学校出の明治のロシア語翻訳家で、戦後も暫く活躍していた、当時のロシア文学の第一人者であった昇曙夢。日露戦争時、ロシア兵捕虜達を慰問したという。
 そういえば、黒石のお膝元、ロシア海軍基地と休息所があった長崎・稲佐でロシア将兵相手のホテルやレストランを経営していたロシア語の堪能な道永エイも、捕虜達幾千人もの世話をしたという。中国人・ロシア人・ポルトガル人・オランダ人と、確かに長崎はコスモポリタンな町ではあった。

 

 

 トルストイがアンドレーエフよりクープリンの方に重きをおいて評価していたという昇曙夢のクープリンに対する評も、

 

 「 今のロシアの文学は概して郷土芸術の範囲を脱して広く世界的に交渉しているだけに、だんだんロシアらしい匂いと色彩が薄れかかっている。此間に立って独りロシア文学の約束たり特色たる写実主義を踏襲し発展して祖国の実生活に忠実な観察を向けているのがクープリンである。他の作家等が神秘主義や象徴主義に堕して、空想若しくは観照の世界に、概念的な、抽象的な題材を取り扱っている中で、クープリンは独り現実生活の委曲に注意を怠らない。」

 

 クープリンの芸術思想 《 露国現代の思潮及文学 》 著・昇曙夢 新潮社( 大正4年 )

 

 

 件の 《 黒い霧 》 "Black Mist" は、1905年(明治三十八年 )に発表された短編らしいけれど、残念ながら日本じゃ翻訳・紹介されてないようで、黒石の描き方じゃ、ハリウッド映画にもなったスティーブン・キングの 《 ミスト 》 を想起させるSFホラー物なのかも。 創元推理文庫の《 ロシア・ソビエトSF傑作集 》 の中に 《 液体太陽 》 Zhidkoe Solnise なる短編があるようで、その可能性も高いが、どうだろう。
 翻訳出版されてないとすると、黒石、ロシア語原書か英語版で読んだのだろう。
 如何にも邦訳物が前提とされているかのような描写の仕方が、何とも小憎らしい黒石風ではある。
 因みに、ネット見ると、溝口健二監督・映画 《 祇園の姉妹 》 の原作が、クープリンの娼館を題材にした代表作 《 魔窟 》 の翻案物の可能性を問うていたブログ記事もあって、その真偽はともかく、それなりにはクープリンも知られた存在だったという訳だ。
 

 

Kupin-2

 

 

 で、 大正九年の《 クープリン傑作集 》 の中の冒頭の短編 《 モロク 》 Moloch( 1896年 )だけど、モロクとは、古代中東で崇められた血塗られた神で、子供( 幼児 )達を生贄とする人身供犠を伴い、あるいは、生贄の子供達を捧げる投入口のある牛頭半身のブロンズ像を指すという。
 早い話、燔祭。
 旧約聖書の、アブラハムが、ヤハウェに求められて息子イサクを人身御供として差し出すエピソードでも有名だけど、何故か当事者のヤハウェじゃなく、使いの天子が止に入るって些か牽強付会的な整合性を計ろうとしているのが見え透いた神学的手管はともかく、それ以前の時代での人身供犠の慣例を示唆するものでもある。

 

 

 時代はナロードニキ運動とロシア革命の間、絶対専制ツアーリズム下での近代化=資本主義的勃興期。
 1890年代にはいると、国家主導の重工業化と外国資本導入してのシベリア鉄道建設等の国内開発が始まり、疲弊した農村から多くの農民が低賃金の出稼労働者として都市になだれ込んだ。
 その基幹としての鉄鋼産業、とある製鉄工場群の暗々鬱々とした仄昏い夜明けから物語ははじまる。

 

 「 仕事日の始まったのを報 ( しら ) せる製鉄所の号笛 ( ふえ ) が長牽いて鳴った。力強い、嗄がれた綿々たるその響は、まるで地中から出て来たかのように思われた。そして土地の表面に沿うて、低く拡がった。雨の多い八月の日の曇った暁は、号笛の響に、悲哀と、威嚇との、厳酷な気分を添えた。」

 

 

 仄昏いロシアの大地に黙々と農奴の群れが駆り出される如く、それも骨の髄まで有害物質で冒し続ける暗煙立ち籠める工場群に、灰色の労働者達が希望も萎え日々の糧を求めて寄り集まって来る。

 

 

 技師・アンドレイ・イリイーチ・ボブロフAndrey Bobrovは、最近、不眠症に悩まされていた。 心身の疲弊著しく、昨夜もだいぶ更けてから、不安な、神経質な夢の内に微睡んだのが、夜明け前の一層頽然(ぐったり)と重苦しい目覚めとなり、朝までジリジリと時間が来るのを待ち続ける。この苦痛から逃れようとして、すっかりモルヒネに頼り切り、耽溺してしまうことを忌避して、何とかモルヒネから離れようと意思するようになっていた。  
 号笛が響渡ると、朝食代わりの紅茶をガブガブと飲み干した。 

 

 

 「 七時になった時、油布製の外套を着てボブロフは家を出ていった。多くの神経質の人のように彼は毎朝非常に気分が悪かった。身体は惰く、恰も誰かが外から強く圧続けてでもいるかのように、眼の中に酷い疼痛を感じた。口の中には変な味覚があった。しかし、彼が近頃覚えた所の心的煩悶は、何物よりも酷く彼を苦しめた。・・・・・・彼の製鉄所での勤務は、毎日ますます厭嫌され、殆んど恐怖までなっていた。」

 

 

 ナイーブなボブロフは、製鉄・溶鉱炉なんかの暴々(あらあら)しい仕事は肌にあわず、教授やデスクワークの方こそ望ましかったものの、母親の意思を尊重した結果、それこそのっぴきならぬ袋小路に追い詰められてしまっていた。
 ふと、時代も国も違うけど、元総理・安倍晋三を手製の水平二連銃で銃撃した山上徹也の自殺した父親も、確か、元々学者肌で、嫁(山上の母親)の父親の土建屋で技師・現場監督として働いていたのが、やはり肌に合わず、現実的不如意と底無しのストレスに苦悶・呻吟し、鬱病とアルコールに耽溺していたらしいのを想い出した。この青年ボブロフ、山上徹也の父親とは又別様な帰趨を辿ることになる。

 

 

 「 ボブロフは小丘の上に登った。彼のすぐ脚下には、広大な五十平方里の上に撒散らかされた工場のパノラマが展開した。これは赤い煉瓦で作った、燻ぶった煙突が空中に高く林立している、都会らしい都会であった。市全体が硫黄と、鉄屑との臭気で一杯になっていた。耳を聾するような絶えない永久の響きで一杯になっていた。」

 

 

 最前の早朝の工場の号笛のシーンとこの小丘からの工場群のパノラマ図こそ、
黒石の《 唐妓の死 》で援用された、触れた人間達を次から次へと斃してゆく黒い霧の権化のような蛯が具現する毒々しい墨を刷いた如くの仄昏い陰鬱世界そのもの。
 が、其処で展開されるボブロフの暗澹の淵へと下降してゆく物語に、杳として掴むことの不可(でき)ない不器用な恋愛が色を添えはするものの、これが下降へと脚を滑らせてゆく動因にもなってゆく奈落譚。

 

 

 タイトルにもなっている“ モロフ ”の初出場面に触れると。
 
 
 「 彼等の仕事は、昼夜間断なく、石炭を焚口に投げ込むことだった。時々、音を立てて円い鋳鉄の弁が開いた。その時釜は響と叫声を立てて明るくなった。そしてキラキラと白く光った激浪のような火煙が迸出た。絶えず裸体になって火にやけた労働者の身体は炭埃の交った空気を吸って黒くなっていた。それがために酷く腰が曲がり、手肘も脊髄も凸出していた。痩せた鉤のような両腕は、スコップに石炭を一杯になるよう集めた。」

 

 

 「 ボブロフには、火夫達のこの果てしもない労働の中に一種の残酷な、人間のする事ではないようなものがあるのを感じられた。ある不可思議な力が、彼等の生涯をこの開いた口の方へ縛り付け、死の恐怖の下に押え付け、そして此の食わしても食わしても食足りない貪食の怪物を、養わしめているかのように思われた。

 

『 何が君達のモロフを養っているかを見給え!』
                                   」
   

 

 突如、背後から聞こえた、ボブロフの親友・ドクトルのその言葉に、ボブロフは吃驚し、慄いてしまう。
 溶鉱炉=人身御供を呑み込む牛頭のブロンズ像(モロフ)、労働者=生贄の人間のアナロジー。要するに、企業・権力の生贄に過ぎない人間=労働者達。

 

 当時の革命前のロシアは、漸く資本主義が勃興し、シベリヤ鉄道や製鉄業が成長し始めた頃で、その低賃金労働者達の多くは、疲弊した農村から流入した出稼労働者達、つまり農民達ですらあった。
 時代は前後するが、1905年、首府サンクトペテルブルグでの 《 血の日曜日事件 》 を発端とする第一次革命が勃発。農民暴動とストライキが多発し、国家権力や軍隊、工場所有者や銀行家等のブルジョワ等に対する暗殺も頻発した。
 ボブロフの破壊・サボタージュ行為は、時代を先取りしたものなのか、それとも既にそんな事件がロシア中で起き始めていたのだろうか。

 

 
 工場の監督・ジネーンコの娘ニーナを恋慕していたボブロフ。
 ニーナもボブロフには好意をもっていて、互いに一緒になる算段ではあったのが、ペテルブルグからやって来た経営者・クワシニーン、列車で到着した時から、ニーナに眼をつけ、周到にジネーンコの家族に近づいてゆき、唐突にボブロフの同僚・スウエジエーフスキィを支配人に取り立て、ペテルブルグに赴く事を告げると同時に併せて、傀儡スウエジエーフスキィとニーナの結婚をも。
 クワシニーンの狡智に長けた所作なのだろう。

 

 

 三百キロ離れたベーシェン谷での会社主宰のクワシニーン歓迎会のピクニック会場で、クワシニーンがスウエジエーフスキィとニーナの結婚を披瀝した正にその時、溶鉱炉はじめ工場群で、労働者達による暴動の発生の急報が入り、一同大パニック。
 クワシニーンはじめ会社幹部や従業員、そしてその家族達が慌てて取って返す混沌の最中、ボブロフは、投げられた石で頭部を負傷し、血塗れになって工場群まで戻ってくる。
 ありとあらゆる煩悶がせめぎ合い、人影のない工場で、一人ボブロフは、ある行動に出た。咄嗟な所作ではあったけれど。
 溶鉱炉の蒸気缶を空焚きして爆発させようと・・・

 

 

 その結果は描かれないものの、かつて英国の十九世紀初期の労働者達が争議の一つの手段として行使したラッダイト( 機械破壊運動 )。
 ボブロフの場合、たった一人での様々な契機の綯交ぜになった情念的発露。
 尤も、ボブロフは、労働者というより、技師・エンジニアで、給与も労働者より数倍も得ていたことに引け目を覚えていたぐらい。革命後、ボルシェビキ・スターリン体制に入ってからは、特権化しテクノクラートと呼ばれるようになる階級。勿論そこじゃ、彼のような存在は粛清されてしまったろうが。

 

 

この鬱々と煮え切らない主人公・ボブロフの短編、発表された十九世紀末はともかく、ロシア革命後は、ボルシェビキ・スターリン体制下じゃ、公式マルクス主義的に、プチ・ブル的産物の一言で断罪されたのだろう。文革中国なら、下手すると“ 毒草 ”と指弾され、追及集会の壇上に引き摺り出されたに違いない。

 

 

 《 クープリン傑作集 》 訳・栗林貞一 監修・昇曙夢 天祐社 大正九年

 

 

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