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2023年3月25日 (土)

 明末夢境の記録 董説

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 《西遊記》 第61回 " 孫行者三調芭蕉扇 " の後を受けた 《 西遊補 》 ( 邦題 ・ 鏡の国の孫悟空 ) を弱冠20歳で書いたといわれる明末の作家・董説( とうえつ )、確かに、己が夢境が作り出した鏡界世界で四苦八苦する悟空の姿って未だ薄明の夜の明けぬ前に視る悪夢めいた心地、それは又、当の若き董説の不如意な夢境世界でもあるのだろう。
 董説、14歳で生員 ( 科挙の初歩的資格 ) となって、年齢は定かでないが、彼が師事していた張溥( ちょうふ )の影響でか、明朝の定番、宦官的“ 東廠 ”に抗する“ 東林党 ”の後を受けた小東林ともいわれる“ 復社 ”に参加していたという。イメージ的に、《 龍門客桟 》 宜しくの斬った張ったよりも、もっと熾烈な政治的権謀術数を極めた血の相克って趣きだったよう ・・・・ 若き董説も憂き身をやつしていたのだろうか。
 大臣やらすらも加わった中堅官僚層の参加者の東林党に対して、小東林とも呼ばれる復社は、総じて下級の郷紳や董説がそうであるような科挙進士にもなれてない生員達がその構成員。しかし、時代の波に乗って、その頭目とも称せられる張溥が、構成員を進士にするため、かなり強引な手管を使ってたりしたという。復社の卓越した連絡・情報網故に、“ 雖家居,遙執朝柄 ” 、地方にあっても、遙か中央の政治に影響を及ぼし、熾烈な政争・抗争の力学的帰結なのか、幾人をも厄殺し権勢を誇ってきた張溥、呉昌時に毒殺されたというエピソードもあるらしい。

 

 

 董説は自身は、都迄赴き進士試験を受け、落ちたという。
 憤慨し、形式主義的な八股文での考試じゃ、真の人材は発掘できないどころか、むしろ殺してしまうと指弾した。同時期に発表された《 西游補 》( 邦題・鏡の国の孫悟空 )にも、その憤懣の反映されたエピソードが窺える。
 “ 夢道人 ”と自称するくらいに、むしろ、意識的に夢を観ることに腐心した董説の嗜夢、実はそれは、父親・董斯張からの影響 ( 遺伝とも ) ともいわれ、董斯張も原文・書籍そのものは紛失しているらしい 《 夢歴 》 という著作すらあったという。董斯張は若い頃、肺を病み、病弱だったようで、自ら“痩居士”と自嘲し、もっぱら屋敷での読書耽溺、多数の著作をも残した文人だった。
 ある種の中国文人の中の一つの嗜好、部屋中に山水画を掛け、それを愛でながらその山水境に揺蕩う臥遊三昧、父・董斯張は肺病に病み、息子の董説は神経を病んでの病臥的産物なのだろう。

 

 

 それは又、明末という一つの時代の終焉と、北方からの侵略勢力・清の台頭という中国支配的趨勢における、各地で頻発しつづける暴動・叛乱勢力がやがて一大勢力となった農民反乱軍、とりわけ李自成率いる順軍等も含めての、正に血で血を洗う幾重にも絡んだ相克的戦乱の真っ只中で、絶望と不安の淵に呑み込まれまいと、蒼白の文人達のなけなしの自己回復的営為だったに違いない。
 何しろ、末期明朝は、清軍にではなく、農民反乱軍の李自成率いる順軍によって倒されてしまった。順軍に北京に攻め込まれた皇帝・崇禎は、為すすべもなく紫禁城内の木で縊死という惨憺。その李自成も、半年も過たないうちに、清軍に敗北し、逃げた先の農民達に殺害されたという。
 董説の居地、浙江・湖州でも、湖州府城攻防で南明軍 ( 崇禎の従兄弟・福王が逃げた先で立ち上げた。たった一年の命脈。) と清軍が激戦。
 正に“ 血流成河,堆屍如山 ”的修羅の巷。
 因みに、この太湖に面した蘇州と杭州に隣接する湖州、旧称は、戦国時代の楚の名宰相・春申君黄歇(こうあつ)の居城の名だった《 下菰城 》。

 

 

 雨と鐘の音を聴くことや舟旅、そして夢を見ることを好んだという董説。
 太湖や川・運河が縦横に走った水郷でもある湖州であってみれば、雨音や遠くの寺院の梵鐘の音が潤みを帯び独特な響となるのだろうし、中国中網羅された水路を小舟や屋形船・帆船でゆったりと旅するのも、遙か紀元前戦国時代からの醍醐味、あるいは水墨画的あるいは仙境的情緒には違いない。
 尤も、董説、親の董斯張の代で没落し、かなりの窮乏生活を余儀なくされていたって話もあって、余裕しゃくしゃくの御曹司生活って訳でもなかったろうから、果たして実際は如何なる態のものであったろうか。

 

 

 明末・崇禎16年( 1643年 )、董説23歳の時、《 昭陽夢史 》を著す。
 同年、《 夢社 》なるものまで結成し、やがて参加構成員に自ら観た夢の詳細を記録させたものを分類し編纂。《 征夢篇 》を著す。
 
 清兵跋扈する戸外へは余り出る事をしなかった董説、反清復明的武装闘争にこそ関わらなかったものの、遺民 ( 旧明朝の官僚・文士・武人 ) 達の一つの根拠地であった隣接する蘇州・霊岩山寺へは、出家僧を装って頻繁に出入りし、そこの南岳和尚と親しくしてたらしい。南岳和尚が清軍に捕縛された折、躊躇うことなく和尚救援に奔走し、遺民達の尊敬を集めたともいう。
 家塀の内側で悶々鬱々の慚愧的日々の最中の、嗜夢的生活。
 董説が酒を嗜んでいたのかどうか、酔生夢死とはも一つ異なる夢境三昧。酒精的朦朧ではない正に“ 幻影宗師 ”的夢境覚醒。

 

 

  《 鏡の国の孫悟空 》 ( 西遊補 )の訳者・大平桂一が、ネットに《 昭陽夢史 》所載の31片の夢を 《 董説の見た夢の記録 (一) 》のタイトルの下に紹介している。
 やはり興味を惹くのは、中国文人の伝統的嗜好ともいうべき、仙境・桃源郷と日常生活的場における唐突なその異境世界への開口と誘い、いわゆる壺中天系のエピソード。これは、しかし、創作物語じゃなく、あくまで不如意な夢中譚ってところがミソ。
 明末の中国文人の潜在意識の儚い束の間のゆらめき。
 それも一つの時代の終焉と動乱の真っ只中でのそれは、もっと緊張と不安の色濃い悪夢めいたものかと、董説の31片の夢を一瞥してみると、果たして、敢えて生々しいものは削除して、逍遥夢の網羅。
 上記したように、董説、自房の四囲の壁面に気に入りの山水画軸をずらりと吊るし、あるいは香を焚き紫煙漂よわせての、つまりグッド・トリップへ向けての効果的演出装置万端の上での耽夢境世界ってところで、日常的疲弊・呻吟の果ての悪夢的微睡なぞは、やっぱし文人的嗜みからは外れてしまうようだ。当方的には、その両方の明末的夢境の有様、つまり当時の人々の内的世界の実相を確かめてはみたい。
 

 

 董説の自序では頭上に流れる白雲の、その変幻変容・千変万化の妙に、憧憬の念すら吐露している。
 確かに、浮雲といえば、嘗て滞在した、雲南・長江上流の金沙江奥深い虎跳峡の安宿の、濁流沿いの窓外に、屹立した山水の一断崖を間近に見上げると、仙人的隠屋とはこんな場所に作られるのだろうとすんなり了解できてしまう岩壁上の緑樹茂れる小空間、そして岩盤のクレパスのような切れ込んだ仄昏く奥深い渓谷から、不定形な白雲が長々と、これぞ白龍生成の玄妙とばかり、下に激流を望みながら悠然と蛇行し流れてゆく姿には見惚れるしかなかったが、幾百年以前の中国ならば何をか況や。
 

 

 天から字が降って来る冒頭の夢、一篇の帰去来の辞《 帰去来兮辞 》を認めた漢字だったのだけど、陶淵明といえば、桃源郷記《 桃花源記 》でも有名で、董説の夢境世界に通底する系統。
 主人公が、長者の屋敷で黒衣の客が見入っていた山水画の中に吸い込まれてゆく《 走入画図 》は、確かに、物語として面白い。
 山水世界の、とある老竹の垣根のある広い屋敷に到ると、そこの主人に恭しく出迎えられ、あげく、紫色の箋紙に揮毫すら求められ、「蒼山白雲」と認めた次の刹那、元の長者の屋敷に戻ってしまった。黒衣の客が相変わらず拡げた山水画に見入っていて、唐突な成り行きに面喰い、暫し茫然としているうち、微睡から醒めてしまった。一連の不可解さも、すべて夢境世界の紡ぎ出したものと、ようやく了解できた。
 

 

 上記の《 走入画図 》 じゃ、平面的な山水画から中のリアルな三次元世界への移入だけど、次の《 甕嶽 》は、あくまで現実世界における唐突に開示された異世界を覗き見るという、旧時の“ 覗きからくり ”やもうそこまで来ている3D高精度モニター世界があくまでバーチャルでしかないのに比して、本物の現実的異世界ってところで、中々に面白い。
 ある高楼の何処かに置かれた甕、子供が入れるくらいの大甕じやなく、酒でも要れてあるような小さめの甕から、白い靄が湧き出ていて、覗き込むと、大きな峯が聳え、他の峰々と連なっていて、その間を川が激しく水飛沫を上げて滔々と流れていた。山肌に緑の木々や寺院・道観が転点々と佇み、川を遡ったり下ったり小舟に乗った豆粒ほどの人々の姿や交わす声々までの鮮明さに、わが眼を疑った。
 夢というものは総じて曖昧・朦朧とした体験世界だけど、峰々の連なりが覗けているってからには、それなりの奥行が了解されるものの、その辺りは言及されず、あくまで甕自体の壁面が空間的限界なのか、それとも何処までも四囲が拡がっているのか、不確かなまま。
 その覗けた異境世界には、ここでは分け入ることは出来ないようだけど、それにしてもその細緻な山水世界のリアリティーたるや新鮮・爽快。
 

 

 《 入竹中 》「 竹に入る 」は、慧可断臂( えかだんぴ )、つまり少林寺で達磨に教えを乞うために慧可が己が片腕を切断したという禅宗における求道的故事に、影響を受けたものだろう。そういえば、董説が足繁く通った霊岩山寺も禅宗だった。
 報国寺とある。
 日本にも禅宗・密教系の報国寺があるけど、ここではまず禅宗だろう。
 報国寺に赴くと、片腕を切断した一人の僧が仏像佇む仏座の前に寝っ転がって、片手で竹を持っていた。
 その僧に竹の中に入れと云われ、すかさず竹の中に入っていった。
 すると、そこは別世界。
 雲や靄が朦々と溢れるばかりの真っ白い異境。
 さながら、昨今のホラー映画の舞台設定そのまま。
 しばらく歩いていると、陽が差してきて、地面を夥しい蟻達がせわしなく動き廻り、水辺の古樹に白い花が咲いているのも見え始めた。
 その内、人影も現れ、皆見知った顔ばかり。
 只、そのいづれも、とっくに亡くなった知人ばかりだった。普通なら、そこで、その白靄世界が、幽世(かくりよ)かと猜疑するのが、何しろ夢中であってみれば、意識の端にも上ることなく、どんどんと先へ進むばかり。やがて、子供の頃に論語を習った趙長先生に出遭った。昔と変わりなく、前日の深酒の酒精が抜け切れずにいるのか、「顔が赤いだろう」と屈託がない。
 趙長先生と別れ、元来た道を戻ってゆくと、元の竹を手にした僧の堂に出た。
 が、僧が再び竹の中に入れと云うので、躊躇うことなく再び入ってみると、さっきとは丸で景観が変わっていた。天を抜かんばかりに伸びた巨大な藤の古木が四方八方枝を伸ばしているばかり。慌てて戻ってくると、僧が今度は自分も入ってみようと云ったところで、目が醒めてしまった。

 

 

 片腕僧の手にしていた竹って、しかし、リアルに考えると、数十センチくらいの少し太めの竹なのか、もっと長いのか、あるいは細い竹なのか、あるいはひょっとして枝の伸びた竹笹なのか、判然としない。記述がないからだけど、常識的に太めの切竹が了解される。そして、その竹の切口が、竹中異境世界への出入口に違いないと断じたくなるものの、その実、それも不明で、実際の夢の過程が随分と捨象・編集され過ぎていて、竹の中に入るという概念ばかりが先行し、その具体的な姿・様態が抜け落ちている・・・・・・でも、それが夢境世界の理屈じゃない潜在意識的ダイナミズムなのだろう。

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