則天武后的神都 洛陽( 1993年 )
机の抽斗を整理していると、ふと、中国の記念切手が出て来た。
横15センチの、1993年の刻印のある5元の《 龍門石窟 》の記念切手だった。
唐代の則天武后、即ち武則天肝入りの有名な奉先寺石仏群の横長に図像化されたもので、30年前の5元切手ってことだけど、現在だと、中国→日本の封書の料金。何処で買ったか記憶は定かじゃないけど、恐らく、当時の中国ではないことだけは間違いないだろう。
1993年といえば、丁度30年前の8月下旬に、奇しくも、古都・洛陽に、青海省・西寧から特快列車の硬座に乗って訪れていた。
大分前にも、洛陽滞在記はアップしていて、改めて確認してみると、掲載写真が余りに僅少。写真フォルダーには、フィルム全盛時代のコンパクト・カメラで撮ったものが、まだ結構残っていた。当時はアジアのフィルム事情は余り芳しい物じゃなく、殆んど日本からリュックに詰めて持って行ってたので、自ずから数に限度があり、そう気軽にポンポンと撮る訳にもいかず、甚だケチった撮り様になりがち。その割にゃ、イージーなスナップ写真ばかりで、自分の事乍ら呆れてしまう。そう考えると、デジカメは甚だ利便性抜群。その上、昨今は、4Kビデオカメラまである。
洛陽の夏は雨が多いらしく、洛陽の旧市街をほっついている最中に篠つき始めることが少なくなかった。バスはあっても、日数もなく状況が今一つ掴めてなく、もっぱら歩き、おまけに、昨今の如く、気軽に入れるマックなんかのファースト・フード屋も内陸の町だったせいか、まだまだ展開していなかった。だから、雨がパラつき始めるとうんざりしながら元来た道をホテルまでトボトボ戻ってゆく他なし。
最初に泊まった洛陽賓館は決まり切ったように朽ちていながら宿代(30元FEC)が高く、翌日には、喧騒極まりない洛陽駅前の一角のコンクリ造りの一般現地民向けのホテル《 一運服務楼 》の5階の、ファン、エア・コン、カラー・テレビ付きの3人部屋( 20人民元 )に移る。佇まい的には、色褪せ経年劣化した風合が中々の洛陽賓館、捨て難いもではあったものの、交通の便も含めて立地的に些か難があった。
《 一運服務楼 》は、昆明の《 昆湖賓館 ( 飯店 ) 》と同様、味気ないコンクリ造りで、昆湖の様に外人パッカーが泊まってる訳でもなく、殆んどが中国人客ばかり。それはそれで醍醐味なんだけど、やはり風情ってものが希薄なのは否めない。駅前にずらり蝟集した近郊観光地へ向かうミニ・バスやバンが、客引きのためラウドスピーカーでがなり立て続け騒々しいことしきり。それでも、夜になると嘘みたいに静かになった。
洛陽には、この時の一回限りの滞在。
歴史は古く、唐の頃には、かの女帝・武則天が武周朝を立て、都を長安から洛陽に移し、神都としたのこと。
何しろ旧市街も結構広く、雲南の省都・昆明の旧市街( とっくに再開発されごく一部が残るだけになってしまった )の数倍の規模ってところで、建物も幾百年以前のものが多いらしく、南大街・東大街の古い街並みは見もので、とても四、五日ぐらいじゃ廻り切れない。おまけに雨の多い季節ってこともあって、何としても今度こそはじっくり廻ってみたかった古都であった。
しかし、躍進著しい中国、当時まだ漂っていたのんびりした旧時的佇まいや残り香も、改革開放路線的に一掃されてしまった可能性大。youtubeで昨今の洛陽の街並み・景観を見てみると、今風なケバケバしい意匠ばかりが眼についてしまう。
ともあれ、これだけは実際に己自身が現地で自身の眼で確かめるしかあるまい。
( 当時、この手の、改革開放的露店は流行っていたようで、真紅の毛沢東バッヂや毛沢東語録が並べられた店も定番。)
ホテルの斜め前の身にミニバスやバン( 小公共汽車 )の溜場から81路のバスに乗って、龍門口まで。約一時間(1.4元)。そこから少し歩き、河岸に降りた所に入口があった。
入場料15FEC。
賓陽洞や、やっぱり武則天が傾注したという奉先寺石仏が圧巻。
因みに、駅前で出遭ったマネー・チェンジャーで換金。
$100=820人民元。( ウルムチじゃ850人民元。)
最近じや、洛陽・国際陸港(ターミナル)から、カザフスタンの首都・アルマトイ行きの国際貨物列車 《 中欧班列 》 が出ているという。他の中国内幾ヵ所からも同時に出発していて、折からのロシア=ウクライナの戦争で一層貨物量が増え、ウルムチ近辺等の悪天候も災いし、軌道幅の相違による貨物の積み替えで等で著しく手間取っての滞留が続いているらしい。
( 裏通りの長閑な光景。清朝以前からの洛陽的佇まいなんだろう。)
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