« 炎夏の精霊的跋扈 | トップページ |  ラオス・ルアンパバン 旅先の一枚 »

2023年9月17日 (日)

 『 奇談・妓生物語 四百年余も生延びている不死身の朝鮮婦人 』大泉黒石

Rk

 

 《 俺の自叙傳 》 ( 月刊・中央公論 ) で一躍スターダムに昇って二年後の大正10年(1921年)、金港堂発刊 《 婦人界 》 4月号に、 《 俺の自叙傳 》 の本来のタイトル並みに長い 《 奇談・妓生物語 四百年余も生延びている不死身の朝鮮婦人 》 なるタイトルの短編を発表していた。
 妓生(キーセン)という嘗ての朝鮮時代の官妓の名と、“ 四百年余も生延び ” というフレーズに記憶があって、ひょっとてし、以前このブログでも、[ 恨(ハン)的転生 大泉黒石《 不死身 》]( 2015年9月 )のタイトルで紹介した大正14年2月、新作社発行の短編集《 黒石怪奇物語集 》の中の《 不死身 》の、プロトタイプなのか、と早速ページをくってみると、・・・果たして、これもか!と思わず拍子抜けしてしまった。
 まったく同じ!
 違ってるのは、タイトルと「以下の日記は、その時『私』と云う小説家とこの妓生李桂花との対話を記したものである。」の後に、河出文庫版のだと、空白に「*」が附されているのが、この 《 婦人界 》 版だと、唐突に 「二」 と章名が附されているぐらい。因みに、冒頭のタイトルの後には、しかし、一章にあたる 「一」 の印字は見られない。

 

    
 つまり、これが《 不死身 》のオリジナルということなんだろう。
 戦前の仮名遣いの、当時ならまだリアルタイムですらある植民地時代の朝鮮・平壌の大同江を臨む牡丹台に佇むある寺院の墓地で、訪れた神秘主義者たる作家に、一人の香華( こうげ )売りの女性が切々と語るおどろおどろしくも悲哀に満ちた奇談を、再度読み直しているうち、前回はもっぱらストーリーばかりを辿ってしまって、迂闊にも、可成りな( 勿論、あくまで当方にとっての )課題群を見逃していたのが分かってきた。

 

 

 時代は秀吉が文禄・慶長の二度にわたる朝鮮に対する侵略戦争、いわゆる朝鮮征伐に端を発して、大日本帝国の朝鮮統治時代の頃。
 周囲の反対を押し切って、武将・金応瑞の部下・鄭申と一緒になった桂花だったが、秀吉軍が撤退し、新しい朝廷ができると、前朝廷の旧臣は召し抱えられず、桂花ももはや妓生稼業に就くこともできず、夫は慣れぬ肉体労働で第一子・鄭文が二歳になったばかりの頃衰弱の果てに亡くなった。
 当時は女には禁じられていた労働に就くため、男装し、否、いっそ男として、忘れ形見・鄭文を育て上げる至難の路を歩むことになった。
 が、やがて、孝行息子・鄭文は、十八歳で朝廷の士太夫の試験に一発で、それも第一席で合格し官史となった。まさかそんなに早く官史の道に入るとは想像だにしていなかった桂花、偽りの生活の破綻に苦渋する暇もなく、夫・鄭申の屍を移し、その棺の中に母親としての死装束のまま入って舌を噛み切って自死を遂げた。是非、士大夫の報告をと、初めて訪れた母親の棺の中の二十年近く眠っていたはずの母親の屍の新鮮さに驚きはしたのだろうが、家に戻ると、育ててくれた父親( 桂花 )の出奔の置手紙・・・。
 死ぬと寝棺に入れられ、二十年過つと骸だけ埋めて土饅頭で蔽う、という朝鮮半島の伝統なのか、殯(もがり)=復葬( 草墳→本葬 )の風習をネックにした、しかし、些か強引な筋運びだけれど、母の慈愛というものへの黒石の憧憬の形象化ってところで、当方は嫌いではない短編。

 

 

 因みに、草墳は野外での殯葬で、藁等で蔽うもので庶民的葬方。
 鄭申家は一応下級であっても官僚の家柄なので、棺を安置した殯宮形式に準じたものなのか。そもそも殯期間ってそんなに長期にわたるものじゃないようで、黒石が当時どんな情報に依拠あるいは典拠にしたものか定かでない。勿論、創作上の都合による設定の可能性大。

 

  
 今回、当方の迂闊さに気づかされたのは、桂花がアッラー神の使いによって自殺行為の禁忌に触れたために永遠に死ぬことの出来ぬ存在にされ、百歳になると三十三歳に戻ってしまう不運を嘆いた際、その奇怪な運命を、この作家は猜疑するすることもなく、むしろすんなり了解してしまった。
 

 

 「いや、私は思い当たる事がある。それは昔『 卑怯者のカタフイラス 』と綽名された役所の門番があったのです。基督が猶太人に捕えられて知事ピラトの前に引かれ・・・・・猶太人は基督に十字架を背負わせて門を連れて出たのです。その時、門番のカタフイラスが、卑怯者と見なされて居るのが口惜しさに、この時顔を立てようと考えて無法にも拳を固め乍ら基督の腕を打って『 早く行け! 早く行け!』と急き立てるのです。」

 

 

 「基督が十字架の重みに堪え兼ねて、一足行っては休み一足行っては休みするとカタフイラスはまた『 急げ急げ!、何を愚図愚図するのだ!』と怒鳴ったのです。基督は振り返って『 俺は今に休むことが出来る。お前は俺が今一度此世に戻るまで、休むことが出来ないだろう!』と云ったのです。これは基督受難の日でした。だから、門番は子が死んでも孫が死んでも、依然として自分一人生きのこって、基督の戻りを待っているのです。・・・」

 

 

 「 私は或時、聖アルバンス寺僧マテオ・パリスの年代記を読んだら、そんな記録が残っていたのです。あなたの物語りも解りました。」

 

 

 “ 世界は幾変遷を重ねたか知らないが、カタフイラスは今だに地球の上を遍歴している ”ってのは、いわゆる【 さまよえるユダヤ人 】の定説。
 念のため【 さまよえるユダヤ人 】をネットで検索してみると、ふと芥川龍之介の名が出て来た・・・龍之介に《 さまよえる猶太人 》なる短編があったのだ。龍之介に詳しければ皆知ってる事柄なんだろうが、当方はさにあらず。青天の霹靂といえばオーバーだが、ひたすら驚くばかり。その龍之介だと、こうなる。

 

 

 「 一度負った呪は、世界滅却の日が来るまで、解かれない 」

 

 

 龍之介の短編《 さまよえる猶太人 》は、小説というより論考の態で、先ず、「 基督教国にはどこにでも、《 さまよえる猶太人 》の伝説が残っている。」
から始まる。
 黒石はカタフイラスと呼んでいるものの、十字架を抱えたイエスを打擲( ちょうちゃく )した人物の名は説話・書物によって色々らしく、カルタフィルスもあれば、龍之介は洗礼名のヨセフを使っている。 
 十三世紀以降世界中のあちこちで、そのさまよえる猶太人が出没した、大僧正が会ったとかいう出没的エピソードを羅列するのだが、それらを記録した文献の一番古いのが、黒石も触れていたマシウ・パリスの編纂したセント・アルバンスの修道院の年代記、と記している。
 Matthew Paris, "Chronica Majora" 13世紀英国。
そして、龍之介はこの短編では触れてないけど、パリスは、さまよえるユダヤ人がイエスを侮辱したのは彼が三十歳の時で、百歳になると三十歳に戻ってしまうというエピソードを記しているようだ。
 

 

Rk-2_20230917111801

 

 

 この相似性に当方も些か面喰った。
 芥川龍之介の《 さまよえる猶太人 》が発表されたのが、大正六年(1917年 )の《 新潮 》六月号。
 黒石の 《 奇談・妓生物語 四百年余も生延びている不死身の朝鮮婦人 》 は、四年後の、大正十年(1921年)の 《 婦人界 》 四月号。
 黒石が一躍売れっ子作家になったのが大正八年発行《 中央公論 》九月号掲載の《 幕末武士と露国農夫の血を享けた私の自叙伝 》で、以降、大御所・芥川龍之介や佐藤春夫達に、《 中央公論 》の純文学派的牙城(?)【 創作欄 】を巡って、村松梢風・田中貢太郎等【 説苑欄 】専属の大衆文学派と一括され疎まれてしまう成り行きがあり、その感情的確執をとりあえず置くとしても、単に、龍之介も黒石も同じパリスの英語原本を読んだに過ぎないと済ましてしまうには、その関連性が如実過ぎてしまう。
 勿論、この場合、龍之介の《 さまよえる猶太人 》はまだ黒石が新潮社からデビューする前の作品なので、実質的にはもっぱら誹られっぱなしの感のあった新人・黒石における何らかの意図を含んだ関連性、形象化の可能性を想起するのは穿ち視過ぎだろうか。 

 

 更に、龍之介自身が予てから抱いていた二つの疑問を明らかにする。

 

 

 「第一の疑問は、全く事実上の問題である。《 さまよえる猶太人 》は、ほとんどあらゆる基督キリスト教国に、姿を現した。それなら、彼は日本にも渡来した事がありはしないか。」

 

 

 「デルブロオのビブリオテエク・オリアンタアルを見ると、《 さまよえる猶太人 》は、十六世紀の初期に当って、ファディラの率いるアラビアの騎兵が、エルヴァンの市(まち)を陥れた時に、その陣中に現れて、Allah akubar( 神は大いなるかな )の祈祷を、ファディラと共にしたと云う事が書いてある。すでに彼は、《 東方 》にさえ、その足跡を止めている。」

 

 “Bibliotheque Orientale ”( 1697 ) Barthelemy D'Herbelot

 

 

 このファディラに関してはネットで検索してもかすりもしないし、当方も、イスラム軍を率いて第3回十字軍と戦ったサラディーンはさすがに知ってるが、十二世紀末の事だし、まったく不詳。
 それはともかく、さまよえる猶太人が、「アッラー・アクバル」と唱えたってところ・・・桂花が棺の中で舌を噛み切って自死した際、微かな意識の下、棺の外で「 アラー・アクバー」と叫ぶ声が聞え、やがて棺の中の桂花の面前に、一人の鬼神教の法衣に身を包んだ老人が顕れ、自らアラーの使者と称し、自殺という教義的禁忌を犯した罰として、永遠の不死を申し渡す。
  
ヨセフ ← キリスト
さまよえる猶太人 = ファディラ( イスラム軍 )
桂花 ← 鬼神教(イスラム)・アッラーの使者

 

 ヨセフ・桂花、どちらも禁忌を犯しての罰としての不死の宿命を負わされてしまった存在だけど、ヨセフ=さまよえる猶太人が、イスラム軍首領・ファディラとアッラーを讃える聖句を唱えたってことで、これはアンチ・キリスト、つまりキリスト教的には悪魔・鬼神的所作。
 龍之介のヨセフは、しかし、これが一筋縄ではいかない感じの如何にも意味あり気な存在で、亡くなった自分の兄に似た眼差しのキリストに妙な既視感的親愛の念を抱いてて、

 

 「 片手に子供を抱きながら、片手に『 人の子 』の肩を捕えて 」

 

 

 あたかも宗教画の一場面でも念頭にしながら描いているかの如く、更に、件の呪句を彼に呟やいて去ってゆくキリストを拝跪するように涙を浮かべ、

 

 

 「 御主を磔柱( はりき )にかけた罪は、それがしひとりが負うたようなものでござる。但し罰をうければこそ、贖いもあると云う次第ゆえ、やがて御主の救抜 ( 苦境から救い出すこと ) を蒙るのも、それがしひとりにきわまりました。罪を罪と知るものには、総じて罰と贖いとが、ひとつに天から下るものでござる。」

 

 

 その物語的関連性はともかく、このヨセフと、その面前のキリストの眼差しに似た亡くなった兄って、普通キリスト教神学世界的には、やっぱし、イエス・キリストにヨルダン川で洗礼した預言者・ヨハネのことではなかろうか。
 キリストの母・マリアの方の縁戚・エリザベータの息子が預言者ヨハネで、キリストの義(従)兄にあたる。キリスト教絵画じゃ、幼い二人の頬もくっつかんばかりに視合う親和的構図は枚挙にいとまがないくらいだが、ヘロデ王・ヘロデヤ妃によって斬首された預言者・ヨハネの面影を、これから斬首ならぬ磔刑に処されに赴くキリストに視るこのヨセフって、一体いかなる存在性・役割を、龍之介に与えられたのだろう。

 

Rk-3

  ( 牡丹台から大同江を望む )

 

 

 文末に触れられているその原形が“ 馬太( マタイ )伝の第十六章二十八節と馬可( マルコ )伝の第九章一節 ”とにあると云う《 ヨハネの福音書 》の二十一章に、ペテロが晩餐の折、イエスに、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と尋ねたイエスの愛した者のところを確かめようとすると、

 

 

 「イエスはペテロに言われた。『 わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。』」

 

 

 「 そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。」

 

 

 イエスの意図は別の所に在ったというヨハネの解釈がその後に続くのだけど、それはともかく、“ 死なない弟子 ”説話が“ さまよえる猶太人 ”説話に変容・発展していったらしい。

 


  ファディラとアンチ・キリスト的呪句を唱えた “ さまよえる猶太人 ” の悪魔性 → 鬼神教 ( イスラム ) というシンボリックな変容って、龍之介にとっては単にアンチ・キリスト的な存在だけど、黒石的にはおよそ居そうにもない朝鮮におけるイスラム教( 信者 )を敢えて立てたのは、 “ 三・一 ” 朝鮮独立運動を基軸にした既に流布的なキリスト教( 信者 )の韜晦的変換に過ぎないのだろう。どちらかというと保守的らしい( 元々が国定教科書の出版会社だった )女性誌だからもあって、エキゾチシズム的効果も併せての演出に違いない。
 そもそも、桂花に邪性は見られず、むしろ母性的慈愛からの規範的超出、いわば鬼子母神的悲惨・悲哀の形象化。これって、この短編の出た前年、大正9年に雑誌《 中央公論 》に発表された《 黄夫人の手 》で、黄夫人が、自分の生来の窃盗癖を厭って方神に、自分の一人息子が同じ癖に苦悶の人生を送ることのないようにと二十一歳以上生いきないよう誓願を立てた鬼子母神的慈愛と相似。

 

 

 さまよえるユダヤ人カタフイラスの不死説話、マシュー・パリスの写本=龍之介は触れてない百歳になると三十歳に戻ってしまう説話、 パリスから四世紀後に著されたデルブロオの《 ビブリオテエク・オリアンタアル 》中の“ アッラー・アクバル ”の聖句(呪句)。
 この三つの共通項、とりわけアンチ・キリスト的イスラム的聖句が、マシュー・パリスの書の中にエピソードとして含まれていないのなら、あるいは黒石がデルブロオの書を眼にしてないならば、明らかに黒石がこの恐らく読んだのだろう龍之介のこの短編から、想を得たに違いない。
 牡丹台の黒い甍の遙か西方の彼方から暗雲の如く飛来してきた無数の飛蝗( イナゴ )の如く、悪魔・悪霊・鬼神教という紫煙奇香漂うエキゾチックな異貌の妖しい変容が、実は、予め呪われたさまよえる猶太人の、アンチ・キリスト的呪句に縁ったものであったとは。いよいよゆらめく沙漠の《 エクソシスト 》世界の顕現だ。

 

 

 黒石って雑誌《 中央公論 》でデビューしてからこそ龍之介等にあれこれ難癖をつけられるようになったものの、それ以前は、結構龍之介の作品を読んでいたのではないか、それも、そこから作品作りの色々を学んでいたのではないか、と想えるようになってきた。( まあ、それは龍之介以外の作家のもってことに落ちついてしまう定式ではあるが。)
 というのも、龍之介、黒石のテリトリーとも謂うべき長崎・切支丹を題材にした短編もかなり出しているのを今回知って、一層その観が強くなってきたからだ。互いに相似な傾向性故の、良くも悪くも互いを意識するようになっていった中での、龍之介の不快と憤りだったのかも。
 黒石的には、好個の題材・エピソードの提供者に過ぎなかったのかも知れない。龍之介の難癖に、えっ、小説的創作ってそんなものだっけ ? と困惑しつつも、生活的圧力がいよいよ両肩に蔽いかぶさって、遮二無二に題材捜しに明け暮れる日々。
  

 

 この母性的慈愛に対する黒石の憧憬の形象化ともいえる作品、そもそもが女性雑誌を前提としていたって分かって納得出来た。
 当時の植民地・朝鮮を舞台に、秀吉時代の朝鮮侵略をうまく怪奇性を駆使し物語化してて、後年、太平洋戦争もいよいよ大詰めの時節、《 ひな鷲若鷲 》( 昭和十九年 )で裏ストーリーともいうべき植民地・朝鮮および出稼ぎ朝鮮人=帰化人=皇民化的虚偽を核に、一億総決戦的惨憺を、米軍の本土総爆撃前の風前的楽天主義の仮構世界構築に発展させることになる。

 

« 炎夏の精霊的跋扈 | トップページ |  ラオス・ルアンパバン 旅先の一枚 »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

2026年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

フォト

  • フォト蔵

昆明・旧市街

逍遙遊片

  • 20070702100005
    三千世界の逍遙遊片
本コンテンツをご覧になるには、Flash Playerプラグインが必要です。FlashのWebサイトよりインストールしてください。

上海の弁護士・公認会計士・税理士