黒石「代官屋敷」と龍之介「煙草と悪魔」の相関性
前回、大正10年発刊 《 婦人界 》 4月号に掲載された大泉黒石の《 奇談・妓生物語 四百年余も生延びている不死身の朝鮮婦人 》と、その四年前の芥川龍之介の短編《 さまよえる猶太人 》(《 新潮 》六月号)との相関性に触れてみたが、その延長線上に、その前年の大正9年2月発刊の《 中央公論 》に発表された大泉黒石の《 代官屋敷 》が、やはり芥川龍之介の短編《 煙草と悪魔 》(大正五年十月発刊・第四次《 新思潮 》)との相関性が疑われ、何しろ宿縁の二人(もっぱら、黒石ファンから見て)の事とて、もう一度触れてみることにした。
《 煙草と悪魔 》の方が先に発表されていて、作品内では特に特定はされてないものの、日本列島で一番最初に煙草が栽培された地が舞台で、最初期の煙草栽培と云えば黒石にとって心のふるさとの感のある長崎・春徳寺近傍に附属する事柄( 少女時代の三輪子 )でもあって、当時黒石がどんな心象・目算の上で作品を企図したのか定かじゃないけど、煙草=春徳寺=少年時代の連関性の下に、煙草畑=蕗( ふき )畑への破壊( 衝動 )をネックに据えて《 代官屋敷 》が作品化されているのは、やはり興味を惹かれてしまう。
《 代官屋敷 》については、このブログの《 長崎異人少年不幸物語、あるいは明治・長崎怨恨譚 大泉黒石「代官屋敷」 》( 2020年1月 7日 )で既に紹介済みだけど、黒石の少年時代、明治末の時代相の下、異人の子としての確執と憤りを抒情的に描いた短編。
幼なじみであり許婚者でもありやがて妻ともなった美代( ここじゃ三輪子 ) の二人が、隣家の元長崎代官・高木(=神官)の邸に、庭に伸びた老楠の枝を伝って忍び込み、井戸の脇に供えてあった些か高価な菓子に見とれている内、高木に見つかり、黒石の家の玄関まで引きずられ、黒石の盲目の祖母の面前で、黒石たちが菓子を盗んだかのように散々厭味ったらしく罵られてしまう。
屈辱と憤懣やるかたない怒りに苛まれながらも老婆は、黒石たちが井戸に供えてあった菓子を盗んだのでも盗もうとしたのでもなかったのを確かめ、些かの安堵を覚えてから、詫びを入れるため、福砂屋とおぼしき和菓子屋まで黒石に菓子を買いにやらせる。
夜、そんな老婆の後姿や、三輪子が唆したのだろうと老婆が三輪子の手をつねり懸命に我慢する三輪子の姿が、少年なりに口惜しく、やがてどうにも我慢がならなくなって、夜闇に乗じて隣家に再び忍び込み、庭中に高々と茂った蕗の葉を、次から次へと無我夢中で斬り落としていった。
一方、芥川龍之介の《 煙草と悪魔 》といえば。
「 煙草( たばこ )は、本来、日本になかつた植物である。・・・・・そこで、この煙草は、誰の手で舶載されたかと云ふと、歴史家なら誰でも、葡萄牙( ポルトガル )人とか、西班牙( スペイン )人とか答へる。が、それは必ずしも唯一の答ではない。その外にまだ、もう一つ、伝説としての答が残つてゐる。それによると、煙草は、悪魔がどこからか持つて来たのださうである。そうして、その悪魔なるものは、天主教の伴天連( バテレン=神父 )か( 恐らくは、フランシス上人 )がはるばる日本へつれて来たのださうである。」
「 自分に云はせると、これはどうも、事実らしく思はれる。何故と云へば、南蛮の神が渡来すると同時に、南蛮の悪魔が渡来すると云ふ事は――西洋の善が輸入されると同時に、西洋の悪が輸入されると云ふ事は、至極、当然な事だからである。」
そして、物語に入る。
「 天文十八年、悪魔は、フランシス・ザヴイエルに伴てゐる伊留満( イルマン=平修道士 )の一人に化けて、長い海路を恙(つつが)なく、日本へやつて来た。」
マカオから入り込んできた悪魔の、ムルナウの映画《 ファウスト 》(1928年)の悪魔宜しくの描写があるけど、大正四年にゃ、まだ制作すら行なわれていず、オリジナルのゲーテの小説の方からの引用だろう。
天文十八年=1549年、ザビエルは鹿児島に上陸。
翌天文十九年には、平戸に赴くも、やがてコスメ・デ・トーレス神父を残し、宣教師フアン・フェルナンデスと伴に、山口、京都、大分と宣教に奔走した。二年後には、早々とインドに戻っていった。
煙草の伝来といえば、長崎・聖トードス・オス・サントス教会=春徳寺の隣接地にその栽培発祥地の碑があって、龍之介的にはともかく、黒石的には、この界隈は自身にとっての思春的揺籃の聖域の観なきにしもあらず。
只、平戸にも、勿論ザビエルの時節、煙草の種子伝来の地という碑があるらしく、龍之介、どっちを想定したのか、あるいはそんなリアリズム的設定には興味なかったのか。
殊勝らしくザビエルの後にくっついて一端の修道士を決め込んでいた悪魔であったが、唯一困ってしまったのが、ザビエルが日本列島に上陸してまだ日が浅く、切支丹に改宗した者が僅少に過ぎ、アンチ・キリストの悪魔として誑かすチャンスもなく、ただ徒に日々を過ごすばかり。悪魔閑居して不善すら行なえず、そこで耳穴から取り出した煙草の種子を、近所に借りた畑に撒いて煙草畑を作ることを思いついた。悪魔にしてはせっせと額に汗し、幾月もすると一面緑の大きな葉が茂り、薄紫色の漏斗形の花も咲き始めた。
そんなある日、ザビエルが伴の者を連れ遠方に出掛け留守番を任され、煙草の世話に余念なく汗を流していると、近傍の牛商人が一匹の黄牛( あめうし )を牽きながら通りかかった。
「 牛商人は、その花があまり、珍しいので、思はず足を止めながら、笠をぬいで、丁寧にその伊留満へ声をかけた。
――もし、お上人様、その花は何でございます。
伊留満は、ふりむいた。鼻の低い、眼の小さな、如何にも、人の好ささうな紅毛である。
・・・・・
――この名だけは、御気の毒ですが、人には教へられません。」
その牛商人は最近ザビエルの下で帰依したばかりの切支丹で、首に真鍮製の十字架が鈍く輝いていた。早速悪魔の手練手管に誑かされ、花の名前を当てるという賭け ―― 当てればこの薄紫の花の咲き綻んだ畑をそっくり進呈し、当てられなければ牛商人の身体と魂を貰い受ける ―― を、御主イエス・キリストの名において誓ってしまったのを後悔してももう遅かった。
三日後の刻限が迫る前夜、切羽詰まった牛商人、黄牛を一匹伴って件の伊留満の棲家へと赴いた。
「 もう伊留満も寝しづまつたと見えて、窓からもる灯さへない。丁度、月はあるが、ぼんやりと曇つた夜で、ひつそりした畑のそこここには、あの紫の花が、心ぼそくうす暗い中に、ほのめいてゐる。」
牛商人は苦肉の一計を謀った。
黄牛に思いっきり鞭を呉れ、眼前に広がった件の畑に追い遣った。
怒り猛った黄牛は柵を蹴破って微風に揺れる薄紫の花の園を踏みつぶし続け、あげく悪魔の棲家の壁板まで突っ込んでいった。さすがに目を覚ました悪魔、眠気眼に、窓の外を見遣って怒りの怒声をあげた。
「 ――この畜生、何だつて、己の煙草畑を荒らすのだ。」
結局、牛商人は勝ち、晴れて本邦初の煙草畑をまんまと手に入れることができた。
「 が、自分は、昔からこの伝説に、より深い意味がありはしないかと思つてゐる。何故と云へば、悪魔は、牛商人の肉体と霊魂とを、自分のものにする事は出来なかつたが、その代りに、煙草は、洽( あまね )く日本全国に、普及させる事が出来た。して見ると牛商人の救抜( 苦境から救い出す )が、一面堕落を伴つてゐるやうに、悪魔の失敗も、一面成功を伴つてゐはしないだらうか。悪魔は、ころんでも、ただは起きない。誘惑に勝つたと思ふ時にも、人間は存外、負けてゐる事がありはしないだらうか。」
伊留満に化けた悪魔が策謀した列島中の煙草の瀰漫、それを実際に流布してしまったのがこの牛商人ってことだけど、龍之介、端から煙草=悪と断じて物語を構築している。確か、龍之介、戦前の典型的なヘビー・スモーカー作家の一人であったはず。自ら、悪弊・悪癖と分かってても、止めずに止められず、しかし覚醒剤ほどの激越な禁断症状を呈する訳でもない、自らの魂を知らずの内に売り渡してしまっているような、そこはかとない白々と薄っすらとした中毒性、その狡猾さをも併せて、経験的にその悪魔性を認識してはいたのだろう。
そもそも既に明治中期には、煙草の有害性は指摘されていて、病室などでの喫煙は禁じられていたらしい。
で、この煙草畑を踏み潰すシーン、黒石の《 代官屋敷 》での隣家=代官屋敷の蕗畑の蕗を一本残らず斬り落とすシーンとの相似性だけど、第一に、他者、それも仇敵ともいえる許しがたい敵対者の領域=敷地への、明確な意思の下での隠密裏の侵入。第二は、静まり返った夜闇の真っ只中で、かなりな緊張と不安に囚われ乍らの行動。第三は、権勢のある敵対者への、直接的暴力ではない、ある種示威的なアピール。
只、《 代官屋敷 》の場合、異人的逆境における思春前の少年期的煩悶と抗いともいうべき幼なさの内に揺れ動く反逆的方途故に、二度、隣家の明治維新的凋落の象徴としての元・長崎代官→神官の朽ち果てた旧代官屋敷へ、夜陰に乗じて侵入する事となった。
「 裏庭へ出て、楠の枝にぶら下がり乍ら、代官屋敷に入った時、動悸が劇しく打っていた。
私は闇の底に、暫く、ぼんやりと立っていた。美しい星が、頭の上で輝いていた。港の沈みかけた黒い洋船に、青い灯がほとほとと光るのを、今晩に始めて見た。・・・・・蕗畑をさくさくと分て歩く度に、脛( はぎ )の丸く膨れた筋が、ぴくぴく攣( つ )るのを覚えた。井戸に近づく前に、五分間ばかり蕗畑の中で蹲( しゃが )んでいた。男の咳のような重苦しい音が聞ゆるような気がした。」
最初は、灯油容りのインク壺を片手に、星々ばかりが夜空に冷ややかに煌めく夜闇の中、神官・高木一家が住んでいる家屋も定かならず、息を殺し、手探りするように高く伸びた蕗を掻き分け、強張った脚を引きづるようにしてやっと井戸まで辿り着けた。が、肝心のインク壺を井戸の中に放り込むことが何度も試みようとしても、恐怖に囚われ萎えてしまう。それでも、最後の力を振り絞って何とか放り込め、それでも井戸の底から大きな水音が鳴り響いて来ると一目散に逃げ帰った。
が、やがて、インク壺にキャップをしたままであった可能性に思い至った。高木がその井戸水を飲んで悶絶する光景が脳裏に浮かび身も竦んでしまった後悔の念も併せて、一層怒りが込み上げ、二度目の侵入行に走ってしまう。
「 戸棚の中から、包丁を持ち出して、代官屋敷の蕗を切り尽くしたのは、その晩だった。始めから、二坪余りの蕗を悉く切ろうとは思わなかったが、一本切った包丁の刃は、夢のように次の一本をも倒していた。すくすくと薹( とう : 花茎 )を揃えて水々しく伸びている茎が、物音も立てずに倒れて行くのが、折り重なって波のように続いているのに気が附いた時には、ありだけの蕗は、私の前に横たわっていた。」
包丁片手の二度目、もう憎悪と怒りで燃え上がった復讐心の前には、恐れなど微塵も消し飛び、衝動に憑かれたように、不乱に包丁で薄明りにそよぐ蕗の群れを斬り倒しつづけるばかり。
“ 一本切った包丁の刃は、夢のように次の一本をも倒していた ” という描写は中々に意味深で、夢とあるからには先ずは否定的なものじゃなく、とはいえ、日常的感覚から微妙に逸脱・遊離した夢現つ的只中の行為・・・抑圧的閉塞的社会環境下での、虐げられた者の乾坤の一擲的カタルシスそのもの。
末期的資本主義ニッポンの破綻・崩落の昨今、列島のあちこちで発現する反社会的テロルとも謂うべく所謂無差別殺人者の心象風景にも通底するものなのか。 まだまだ大正デモクラシーの揺籃の内にあって、こんな表現が、それも設定が少年にもかかわらず・・・否、異人少年が包丁でサラサラと斬り倒しつづけたのはすくすく伸びた蕗でしかなかった。あくまで、虐げられた異人少年の鬱屈した内的衝動の産物というべき。
静寂な暗夜の慄きの只中ってことで、黒石少年の最初の井戸行のシーンは、やはりどうにも牛商人と黄牛のシーンとの相似性は如実なものであろう。包丁を手にした二度目は、黄牛の煙草畑の破壊に対応している。
勿論、龍之介の《 煙草と悪魔 》の方が先行の短編で、もっぱら黒石の方の問題となるんだけど、伊留満に化けた悪魔、代官から落魄した神官、どっちも神教がらみではあるが、神官・高木も、黒石少年には、何としてもデモーニッシュな存在でもあった。
煙草と蕗って、確かにどちらも葉も大きく茎丈も高く、人間と同じ位いに生長するところが相似。それが一面夜闇に仄かに微風にそよいでいる様は一種独特。でも、何故に、代官屋敷の庭に茂っていたのが、煙草でも紫陽花でもなく蕗なのか。
黒石の大正時代に、既に、花言葉ってあったらしい。
調べてみると、明治の初めに、とっくに西洋から輸入されていた。煙草の方はともかく、この《 代官屋敷 》の場合、絶妙に蕗である必然性があった。
蕗の花言葉には、「公正な裁き」、「真実は一つ」って意味があるという。
黒石少年が井戸端の供物菓子を盗んだと、神官・高木に決めつけられ、祖母に黒石少年どころか、祖母まで罵られ侮辱された屈辱と怨嗟に対しては、やはりそんな意味合いを含んだ蕗はそれ以上ないくらいに最適のものに違いない。
つまり、黒石が、単なる思いつきで偶然に蕗を選んだんじゃないってことだ。それ故の、蕗=元代官・神官高木のあからさまな虚偽に対する黒石少年の憤怒の一刀なのだろう。
これも、黒石、第四次《 新思潮 》に掲載された龍之介の短編《 煙草と悪魔 》を眼にはした上での所作なんだろう。尤も、この第四次《 新思潮 》、東京大学( 夏目漱石がまだ教鞭をとっていた頃 )の学生達の同人誌的色合いの強い文学誌で、龍之介と同輩の成瀬正一が編集・発行人となっていて、ひょっとして東京大学内だけの販売あるいは非売品的同人誌なのかと思ったら、巻末に“ 発売所 東京堂・一部十五銭 ”とあって、一般に開かれた雑誌らしいことが了解され、幾ら黒石でも非売品の同人誌をわざわざ手にするってのは考えにくく、一抹の不安も解消された。
本来なら、前作、龍之介の《 さまよえる猶太人 》との相似性に触れた《 奇談・妓生物語 四百年余も生延びている不死身の朝鮮婦人 》ともども、もう一歩踏み込んで漸く意味が成り立つこの龍之介の短編との相似的連関性論なんだろうが、今回はここでひとまず。
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