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2023年12月16日 (土)

惨影的重慶 巴金「友情の絆」

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 中国近代の代表的な作家、魯迅・老舎・茅盾等と同時代の巴金の作品を今回初めて読んでみた。
 発見と冒険の中国文学3《 リラの花散る頃 巴金短編集 》巴金( JICC出版局 )。
 タイトル作の、《 リラの花散る頃 》( 原題 : 丁香花下 ) 自体は、フランス留学時の経験を元に、帰国後上海で、処女作《 破滅 》発表の翌1930年の作品で、第一次世界大戦直後のフランスの片田舎を舞台にした反戦がテーマ。直截的なプロパガンダじゃない婉曲な筆致で描かれていて、数年後に書かれたと同じ展開構成の《 月夜 》(1933年) は、中国、のとある地方の些か幻想的な月下の川辺のミステリー風味が中々面白い。  
 
 
 短編《 月夜 》は、満月に照らし出された山間の麓の川辺いっぱい、紫の蓮華が咲き乱れた船着き場に、一艘、正に下流の汽船の港のある町に阿李の木船が出発する刻限にもかかわらず、常連の根生が一向に姿を見せなかった。やがて、一面紫蓮華の間から根生の死体が見つかり、どうも地元の郷紳くずれか悪徳地主一味に殺害されたらしいという月下のミステリー仕立て。
 静かな山間の月夜の、時代は今一つはっきりしないが、まだ革命前の、紫の蓮華に囲まれた船着き場の一光景から始まって、次第に常連客のしがない農民・根生に襲いかかった時代的不運が浮かび上がってくるストーリー展開は、幻想的夜景と暗澹とした政治という対比を旨く使った佳作で、中々スリリング。

 

 

 少し長めの中編に近い《 友情の絆 》( 原題 : 還魂草 1942年 ) は、日中戦争( 中国的には、抗日戦争 )たけなわの、大日本帝国・皇軍が、南京、漢口と次々に侵略占領し、最後の臨時首府・重慶に、陸・海軍、もっぱら海軍の爆撃機が長期に渡って爆撃しつづける時節の、重慶郊外の小さな町( 沙磁区 ) にある友人の書店の二階に間借りしていた小説家・黎( リー ) と、友人の娘とその友達の二人の少女、利莎と秦家鳳との親和的関係性をネックにした反戦小説。
 今度の小覇権国家イスラエルの、パレスチナ人への執拗なジェノサイドを彷彿とさせる大日本帝国軍の中国・重慶爆撃、ガザならぬ重慶の人々のあくなき生への意志を挫折させ屈服=馴致、つまり支配しようとする侵略者・権力主義者たちの狡猾・卑劣な意志への抵抗と告発。
 それは同時に、エピソードとして登場する事のなかった当時の侵略大日本帝国に対抗するための蒋介石・国民党と中国共産党との国共合作、とりわけ蒋介石・国民党の日本軍への不戦不和的な曖昧( 鵺 )性と腐敗的悪辣に対する憤りを内包したものでもあったらしい。国共合作期間中故に、国民党政府に対して表立った批判が出来なかったようだ。
 

 

 戦争中、中国全土で、約六千万人もの難民( 内、子供は二千万人)が生れたという。重慶には、臨時首府ということもあって、難民だけじゃなく、様々な政府機能が移って来て、なかんずく沙磁区には大学やらメディア等が集中した。
 盆地のせいで、夏は暑熱と蒸し暑さの酷暑に苛まれ、年間を通して曇天と降雨が多く、やたら霧が発生する日照時間も少ない都市だった。冬春の間は濃霧の頻度が高いため上空からも視界が悪過ぎて、日本軍の爆撃も五月以降に限られていたという。1938年~1941年の足掛け四年、爆撃は続いた。
 陸軍は山西省、海軍は湖北省の飛行場から出撃し、焼夷弾を多用したのもあって、無差別爆撃として海外から非難を受けていた。

 

 

 戦火を逃れ、中国大陸をあっちこっちと移動した果ての内陸奥地・重慶、そこが中々に尋常ならざる自然環境にあって、更に、全土から集まって来たかと思える難民の群れ故に、既存の家屋にも幾家族がひしめき、川沿はじめ空地すらあればたちまち違法家屋が立ち並んでしまう過密、そこに日本軍の爆撃機からの爆弾・焼夷弾が雨あられと降り注いでくる。
 一切が不如意な鬱々とした不安と焦燥の日々。
 底辺でその日の糧にも窮している着の身着のままの難民とは異なるいわゆる知識人に属する人々の周辺にスポットをあてたこの物語展開は、しかし、現在の日本・中国からの人々から観ても、歴史的時間的隔たりを余り覚えることもなくすんなりと共時的に了解できてしまう。巴金が欧州や日本留学で、モダーンな感覚が身についてしまってたからなのか。

 

 
 「 顔を上げてぼんやりと下の通りを眺めた。斜め向かいの百貨店のショーウィンドーに照り映える色とりどりの色彩が目に飛び込んできた。ふたつのまばゆいばかりのショーウィンドーには、上海から届く様々な贅沢品が陳列されている。身につければどんな女性をも美しく見せるであろうそれらの品物も、いまは敵軍の爆撃に破壊される町の店に寂しく並んで、この戦下の町の住民にその豪華さを誇っているにすぎない。」

 

 

 「 だがふたつのショーウィンドーに挟まれた店の入り口は、寂れるどころか、大勢の人が出入りしている。カウンターのなかにいる店員が商品を包んで客に渡しているのも見える。百貨店の隣は菓子店である。この町で一番繁盛している店とはいえないまでも、一番儲かっている店のうちには入る。ショーウィンドーにまばゆい明かりこそついていないが、毎朝ウィンドーのなかの板の上にパンや菓子が所狭しと並べられ、それが夜には何もない白い板がぽつんと残るだけである。一日じゅうたくさんの客がこの店にやって来ては、店員が忙しく品物を包むのを待っている。空襲を知らせる赤い球がひとつ竿にかけられたあとでも、この店では続々とやってくる客を追い返して避難の準備をするわけにはいかない。」

 

 

 「 しかし私の生活といっても、君には想像もできないだろうが、こんな細々したことが私の平凡な生活と切っても切れない関係にあり、日常生活の色どりなのだ。たとえばあの百貨店にしても、私はそこで利華の薬用石けんと三星の練り歯みがきを買うお得意だ。空襲警報の出た日には、防空壕に入る前か出たあとに、菓子店に入ってパンかビスケットを買う。いつもそば屋で朝食代わりに紅焼麺を食べる。友だちが市内からやってきたときは、いっしょに茶館かそば屋か豆腐鍋屋で時間をつぶす。」

 

1972

 ( 1972年8月 文革の最中、細君の蕭珊も批判・弾圧に晒され、体調を崩してか直腸癌で亡くなる。その葬儀の際の巴金。)

 

 鬱々とした果てしない戦火の下での、生活の色どり。
 人とはそんなものだろう。
 鬱々たる状況にあって、巴金は、自身の分身なんだろう一作家とその周辺の人々の日々の出来事や心模様を、遠方に在る知人・敏への手紙として淡々と記し続ける。
 後年、反右派闘争や文化大革命で、毛沢東や四人組に、決して共産党員になることもなかった無政府主義者としての面も併せて、批判・指弾されることとなる。早い話、後光に燦然と輝く東方江=毛沢東=共産党導く、明るい未来・明日への展望のない、不安と絶望のプチブル思想と決めつけての断罪。
 
 
 「 外は霧雨が降る晩春の寒々とした夜だ。壊れた瓦の隙間から天井板を通して絶えず滴り落ちてくる雨水が、寒さをいっそう募らせる。窓の外の街は深い眠りのさなかにあり、暗い夜が人々の疲れた心を癒している。」

 

 

 「 ここ数日なぜか私の忍耐もほとんど限界に達している。一日じゅう部屋に閉じこもっていると、まわりは散らかった室内や煙霧や石炭のにおいばかり、それに何日も続く曇天や霧雨や骨身にしみる寒さが加わり、まわりの世界にほかのものがないような気がしている。」

 

 

 「過去の記憶が鉄のかたまりのように頭に重くのしかかり、懐かしい思い出が針のように心に突き刺さる。血が霧のように頭に上ってきて、電灯の光さえ赤く見える。どこにも逃げ場がない。目を閉じれば、泥に埋まった足と少女の顔が現れる。夢のなかに安静を求めることはできず、こうして筆の助けを借りて苦しみを減らすしかない。」

 

 

 書店の一階には普通の料理店と蒸餃子等を売る料理店が入っていて、店の前の歩道に出している円形の大型コンロから、毎朝、バスの轟音が硝子のない窓から響きわたってきて目を覚まさられたと思ったら、たちまち朦々と石炭臭い熱気と蒸籠の蒸気が押し寄せ、更に蒸籠の蓋を開けると真っ白い白霧が一気に吹き上げて来る。さながら、部屋の中はボヤ地獄。たまらず、階下を駈け下りて洗顔という毎日。
 皆、遷都と難民事情の流動的混沌によって生み出されたもの。

 

 そんな辟易鬱々とした日毎から辛うじて救ってくれたのが、無邪気な年頃の二人の少女、利莎とその友だちの秦家鳳。いつも部屋に遊びに来てのあれこれの遣り取りの中で、復活草( 還魂草 )のエピソードが意味ありげに出てくる。
 自分の血で育てたその草で、死んだ友を再び生き返らせるという伝説のシダ草。
 九死還魂草とも呼ばれ、どんな極悪な環境の中でも生き延びる強靭な生命力ゆえに造られた説話なんだろうけど、終章の、27機もの日本軍の爆撃機による猛爆によって、件の書店の建物も瓦礫と化してしまい、利莎の友だち・秦家鳳が母親と一緒に死体となって発見された際、嘆き悲しむ利莎が藁にもすがる思いで救いを求めたのが、その還魂草だった。
 
 この短編のオリジナルのタイトルでもある還魂草、仲の良い秦家鳳の突然の死に必至で抗おうとした幼い利莎の慟哭の象徴でもあり、重慶から中国中、否、世界中の戦場で蔓延する嗚咽と慟哭の象徴なのだろう。

 

 

 1904年生まれの2005年没の百年間、中国現代史を生き延びてきた決して共産党員になることもなかった、それだけで巴金の強靭な意志のほどが知れるのと同時に、魯迅をはじめとする周囲の心強い理解者達の助力の賜物でもあったに違いない。

 

 

 《 リラの花散る頃 》 発見と冒険の中国文学 3 巴金 ( JICC出版局 )

 

 

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