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2024年2月の3件の記事

2024年2月28日 (水)

旅先のキーホルダー パシュトンの雄 ( パキスタン )

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 これはもう趣味的に買ったものの最たるもので、好み的にはむしろ、彼ヘクマチアールと長年の敵対者・ライバルたるマスードなんだけど、リアル・タイム過ぎたのか、パキスタンに居るアフガニスタン人達の世界じゃ、多数派パシュトン(パターン人)の雄・ヘクマチアール人気が優勢のようで、あくまで少数派タジクのヒーロー=マスードの影は、所謂西側、アメリカナイズされた外人ツーリスト達の間でのみ後光が差していたのだろう。
 だから、マスードのグッズって殆んど目にしたこともない。
 同宿のパッカー達と、国境近くの町まで、ライフル携行したポリス付きでスズキ( 荷台を座席に改造したスズキの軽トラ )で赴いた際にも、近くの小さなチャイ屋の奥の壁に、彼ヘクマチアールの御真影が恭しく掲げられていた。あれは同じパシュトンとしてのプライドなのか、それとも処世的な免罪符だったのか。
 記憶に間違いなければ、長テーブルにハガキサイズの写真や他のグッズも並べられていたはず。

 

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 グルブッディーン・ヘクマティアール、ヘズベ・イスラーミー党の創始者であり、当方から見ると、ともかく年から年中、首都・カブールを包囲しロケット弾攻撃を繰り返してきた権力欲の強い男のイメージしかなかった。
 それでも、かつてはカブール大学の工業学部で学んだインテリでだったり、アフガニスタン・パキスタン両方に跨った独自の情報組織をもっていたという。

 

 北部同盟のジャミアテ・イスラミの最高指導者・ラバニ、ウズベク系のドスタム将軍、タジクのマスード等と熾烈な覇権抗争に明け暮れ、和議して首相のポストをあてがわれても、大統領じやないといわんばかりにすぐさま、カブールに猛攻を仕掛ける寸法で、やがて同じパシュトン系のタリバンが台頭すると、ヘクマチアールも追い出されてしまった。
 その後も、同じパシュトン系のタリバン、資金源豊富らしいアルカイダとも着かず離れずの鵺(ぬえ)的な、かつてのパシュトンの雄だった余力にものをいわせているようだけど、2021年にタリバンがカブール入りし権力を樹立した後の、2022年暮れ、カブールのモスク近くに居るところを爆弾攻撃され、危うく殺害されかかったという。
 ラバニ、マスード殺害され、ドスタムはトルコに逃れてても、どっこい彼ヘクマチアールは、まだカブールで生きていたのだ。

 

2024年2月17日 (土)

旅先のバッジ ( インド編 ) 

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 ガンガー( ガンジス河 )河畔の古都バナラシ、首都・ニューデリー、そして旧英国植民地の拠点=カルカッタ( コルカタ )、そしてラジャスターン沙漠の聖地プシュカル、当方がインドで長居した街々だけど、最短その三都市だけってこともあった。
 バック・パッカー達にとって、やっぱりインド行の白眉は悠久のガンガー( ガンジス河 )バナラシだろう。確かに、インドは何処を撮っても絵になるところで、インド中から集まったインド人巡礼達がガンガー河畔に蝟集し沐浴する姿は、日がな一日階段の石段に腰かけ眺めていても飽きない。そのガンガー河畔の沐浴所( ガート )の石段に坐っている外人客を狙ってか、色んな物売達が現れる。そんな中に、ヒンドゥー教の神々のバッジ売りがいる。ともかく安価なんでついあれこれ買ってしまって結構溜まってた。当時はまだ人に珍しがられ、やってしまって大部減ってしまった。
 バナラシならシヴァだけど、今回は小さな女神像、刻印がないので定かじゃない。川面と白象が背後に描かれてるのからして、シヴァの伴侶・女神パールバッティだろうか。ガンガー女神ってのも居るらしいのでそれかも知れないけど、白象はシヴァの定番らしく、やっぱしパールバッティかも。虎に乗ったドルガ-女神もエキゾチックで好きなんだけど、パールバティの変身ともいわれているらしい。

 

 

 

 グリーン地に銀色の、イランの国章にも似たシンボル=カンダが配された丸バッジは、ニューデリーだと思うが、ひょっとしてアムリートサルで買ったのかも知れない。
 
 ニューデリーは、本当は旧市街の方が面白そうだが、駅からはけっこう面倒感があって、真ん前のパハール・ガンディの安宿に泊まってた。古都バナラシもそうだったが、このパハール・ガンジも細路が縦横に走っていて、土産物屋やハンディークラフト屋、安宿等が狭くて仄暗い路地奥にも並んでいたりする。
 シーク教の本拠地アムリートサルに近い場所柄、シーク教のバッジや絵ハガキなんかも売っていて、頻く泊まっていたグリーン・ゲストハウスの経営者もシーク教徒で、ターバンを巻いていつもテレビで衛星放送のプロレスを観ていたのを思い出す。
 尤も、デリーにはシーク教徒はごく少数で、アムリートサルのある隣州パンジャブは半数近くがシーク教徒。シーク教徒全体数は、世界の宗教中、仏教に次いで五番目数千万人という。

 

 
 かつて本拠地アムリートサルの人民寺院でのインド国軍との衝突で多くの犠牲者を出し、その恨みを買って時のインディラ・ガンジー首相がシーク教徒に暗殺された事件もあったけど、普段は温厚らしく、成人のシーク教徒は顎髭を伸ばしターバンを巻き、さすがに一部だけど剣キルパーン( 長剣・短剣 )を身につけている男も居る。
 腰に長剣をぶら下げている民族って、シーク以外には当方が実際に見知っているのは、チベットのカム族、イエメン( 南部ではあまり見なかった )。チベットやイエメンの帯刀はあくまで男らしさの象徴のような代物に過ぎないけど、シークの場合は宗教的戒律にかかわる謂わば義務的なものらしく、海外で商売するシークも多いようで、その国々でトラブルになっているようだ。実際はインドでも、ふだん帯刀しているシークって、商売人やオートリキシャの運転手なんかでもそれ程居る訳じゃない。
 帯刀は時のインド権力によって殺害を含む弾圧を受け続けてきた歴史的教訓からっての武装化の遺物ってところのようだ。
 そういえば、インド独立運動の雄・バガット・シンもシークだった。社会主義者だったのもあってか、途中でシーク教から離脱した。非暴力直接行動のガンジーの対極の英国植民地主義に対するテロル等の暴力的直接行動で独立運動のもう一つの一翼を担った。映画が何度も作られている現在でも英雄の一人。

 

 それにしても、あれだけの暴圧と搾取に遭いながら、現在でも、旧宗主国の英国の主宰する英連邦、所謂コモンウェルスの一員で、分離独立したパキスタンと一緒にインドはありつづけているのだろうか。経済力的にはもうとっくに凌駕しているのだろうに。因みに、英連邦って現在参加国って56ヵ国にも上っているという。

 

2024年2月 7日 (水)

旅先のバッジ ( 中国編 ) 

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 国内の旅ではそれほどでもないけど、海外の旅じゃ、店頭に並んだ見慣れぬ果物や商品あるいは旅行者相手の記念グッズみたいなものに思わず好奇の眼がゆき、エキゾチックな雰囲気にチープな旅の醍醐味を満喫したりの、考えて見れば、何ともチープ、安上がりなパッカーではあった。
 遙かガンダーラやガンジスの河畔で、行き交う異貌の人々を眺め、あるいは夜空に日本列島と同じ三日月やオリオンを見上げながら、哲学的思惟に耽るなんて高踏とはずいぶんと乖離した通俗旅游となってしまって、日本でのあくせくをそのまま海外にまで引きづってしまった島国根性に、今更ながら愛想を尽かしてしまう。
 そんな旅先で見つけた留念的産物、その国独自の文化的シンボルともいえるバッジを並べてみた。

 

 

 三角と円の中国の宗教的バッジ。
 中国じゃ胸章と呼び、ここに並べた全部、一体何処で買ったのやら一片の記憶すら思い浮かばないけど、三角のは、少林寺で有名な河南省嵩山に行った際に買ったに違いない。
 余りに広くて、洛陽駅前から出ている地元民御用達のミニ観光バスだったので時間に制限があり、到底廻りきれず、広大な敷地内のあちこちに各高僧の高々と石墓がそびえていたのが印象に残っただけ。
 あれっ、ひょっとして、ジェット・リー、この頃、少林寺で修行してたんじゃ・・・等とミーハーに思いついたものの、そもそも彼は北京生れで北京の武術団体で学んでいたらしく、何よりも時代がもっと前だった。
 彼は北派拳法諸派の拳法を習得していたらしい。
 驚いたのは、彼はチベット仏教徒ってことで、そういえば、ラサ近郊の、チベット最古といわれるチベット仏教寺院サムイェ寺の建物の中に、少林寺の白衣殿・少林拳譜壁画に似た絵図があったのにも驚いた。チベット仏教と武術の取り合わせが余りにも違和だったからだ。

 

 

 

 丸いグリーンのバッジは、アラビア文字でイスラムのものなのは一目瞭然。
 真中のWに似た文字はアッラーを現す定型のようで、これは可成り省略されてて大抵はもっと色んな附随記号が美的に付いている。円周に沿った文字群の意味はさっぱり。イスラムの図像や旗は大抵グリーンを地にすることが多く、金色の裏側には《 清真記念 》とある。中国じゃイスラム=清真。

 

 

 これも一体全体何処で手に入れたのか・・・新疆ウイグル自治区は何度か訪れたけど、雲南にも州都・昆明なんかに清真・イスラム教徒は多く、独特の瓦塀に囲まれたモスクが街並みに溶け込んでいる。金髪・碧眼のウイグル系と些か異なるむしろ漢族系の相貌の回族も昆明はじめ中国中に分布している。中国には数千万人のイスラム教徒が居て、その半数が回族という。

 

 

 雲南省の古都・大理にも回族は少なくなく、清真寺=モスクも、道観と見間違うような造りの旧いものからコンクリの普通のものまであって、街角の伝統的な菓子屋も回族が営ってたりする。小商店の狭いウインドウの中に様々な種類の手作り菓子が並び、粉菓子のような食べる端からポロポロ零れ落ちるような如何にも素朴な、しかし昔ながらの味わいは嫌いじゃなかった。それこそ回族風味。
 そういえば、大都市・昆明の今はもうなくなった旧市街の、赤味の沸々滾る小碗の砂鍋米線の小店も、その隣の甘味屋も回族だった。当方にとって、昆明といえば、もう、その旧市街に尽きていた。再開発の一言で、綺麗さっぱり葬られ白亜のコンドミニアム群に変容してしまったが・・・

 

 

 

 棍仗様のものを構えた祭祀風の古装束舞人のバッジ、棍仗様のものを手にしているので、在来の民間の伝統的な祭祀のものじゃないのははっきりしている。これも何処で見つけたものだろう。
 ラサか、ひょっとすると隣国インドにダライ・ラマが亡命したダラムサラか西チベットとも呼ばれるラダックか。
 FREE TIBETのバッジならインド側だろうが、この祭祀舞踏風だからチベットでも売ってても不思議じゃない。ラダックのティクセ・ゴンパ(寺院)でオフ・シーズンに観た仮面舞踏は、オフなので殆んど外人旅行者は影も見なかったのが、この祭の数日間は、空路からなのか三脚とカメラを抱えた欧米人達が降って沸いたようだった。地元民ともども観客席は鈴なり。大きな仮面を被った僧侶たちが案外敏捷に舞ったりユーモラスに踊って見せたりで飽きることはなく、二日は観たと記憶している。
 

 

 

 

 

 

 

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