昭和的交遊録 金子光晴
久しぶりに金子光晴の本を読んだ。
《 回想の詩人たち 》( 冬樹社 )という短文ばかりを集めたもので、亡くなる一月前の消印のある〈 あとがき 〉のある最後の本ってことなのだが、消印の昭和五十年( 1975年 )六月一日は、最近、唐突な出現後病死した《 東アジア反日武装戦線・さそり 》メンバーの桐島聡や他のメンバーが、前年から日本中を震撼とさせた連続企業爆破事件を起こし、大量逮捕された翌月。
序にこうある。
「 青年は、観念の世界で、冒険する。他に冒険の場がないからであろう。青年の芸術の独走は、逆に今日の青年の貧しさを物語るもののようだ。こんなに芸術が抵抗なく世間に氾濫して、こんなに、芸術の喰い荒らされた時代を、僕はいままで見なかった。芸術に償われるようにおもい込むことのできた人の心が、みごとにしっぺ返しをうけて、そこもまた、他の世間とおなじ荒寥たる世界であることをしらされることになったのだ。
はたして、『 常識 』が、こういう事態にさしあわせて、なにかの役に立つことができるだろうか。今日のいちばん大きな常識、国家革命にでも、それをきいてみるよりほかしかたがあるまい。」
あくまで、詩・芸術の今日(当時)的あり様を論ずるなかでのフレーズだけど、いかにも時代性を如実に反映している。亡くなる一月前の、いわば遺言。
走馬燈の如くではなく、総じて淡々とした筆致で、光晴の周辺の詩人・作家達のところを光晴風に記してて、それほど親密ではなかったものの、光晴同様、関東大震災前にデビューし親密感はもっていたらしい稲垣足穂にも触れている。足穂の小説は初期の頃から読んでいたようだ。
「 坐るというよりも、蟠踞するといったかたちでいた。蟠竜軒といったほうがぴったりしそうだった。不幸を背負っている人の奥ふかい眼と、棲愴なくらさをともなって 」
褪せた風呂敷包みと尺八一貫の招かねざる客・辻潤が、真夜中、狸寝入りを決め込んだ足穂の布団をひっぺがし叩き起こした際のエピソードなんかの足穂のイメージとは、又些か異なる。いわんや異優・殿山泰司の、戦中での送別会での足穂の言行不一致的パノラマに驚天的に心酔した際の足穂とは・・・それでもやはり、ポツンと一人薄日射す陋屋に佇ずんだ足穂が一瞬のぞかせる仄昏い相貌なのかも知れぬ。
その、大正の風雲児・大杉栄に奪われた愛妻・伊藤野枝からのラブ・レターを秘された宝玉の如く風呂敷包に隠し常に肌身離さず帯同し、生きるかて( 酒精 )獲得のための門付け尺八一貫の辻潤にも触れている。
辻潤の死に際のうなぎのエピソードは光晴に拠るもののようで、敗戦( 終戦 )前年に亡くなった辻潤とは、更にその前年、自由ヶ丘のアパートに居た辻潤と頻繁に行き来していたという。
歳は喰ってても、なかなかいろ男だったと述懐している。
辻の枯れたような風貌の写真を思い出すにつけ、も一つピンとこないが、写真はあくまで写真で、おまけに白黒なので、実際には意外に肌の艶も良かったりするのだろうか。
光晴が牛込余丁町に居た頃、アナキスト詩人・秋山清( 当時のペンネームは、局清)と初めて会ったという。
秋山は母子家庭で、郷里に母一人残しておくのは不憫と懸念したのか、それとも魔都ともいわれた帝都・東京の西も東もわからない秋山一人じゃどうも心もとないと母親の方が上京して来たのか忘れたが、中野・上高田の広い空き地にあったという乞食部落近辺で山羊を飼いながら母子二人で住むこととなった。
作家となって喰えるようになるまで被差別部落で屠殺業に勤しみ日毎牛の鮮血に塗れていた大泉黒石といい、乞食部落の住民と親しくしていた秋山母子といい、社会の底辺の人々とざっくばらんに融け混んで生活していたのだけど、小説家の黒石はそれをあけすけに小説の題材にして憚ることもなく、否、むしろ顕示し後にはそれ自体として言及した作品すらあったのに較べて、詩人の秋山は、詩作や詩・文学雑誌等での評論の方が勝っていて、そんなエピソードに触れるチャンスなど無かったのだろう。
戦前はそれほど近しくはなかったものの、戦後になって、詩誌《 コスモス 》を一緒にやるようになってから次第に親しくなっていったようだ。たとえば、秋山の作品についても、
「 うっかりしていると、他のガラクタとみわけがつかないでいる。十年もすると、やっとその重味がわかってきて、ゆるぎなく人をおしつけるといった風なのだ。そして、もううごかないのだ。秋山清については、僕には、まだわからない面がたくさんある。彼はそのものズバリのようでもありながら、煙幕をはっている。気の弱さや、人間的な割りきれないものがたくさんあって、そのためにある危険さを感じさせながら、根本は狂っていないという感じなのだ。 」
光晴が遠のいた後も、秋山は詩誌《 コスモス 》を精力的に継続しつづけ、通巻101号( ~1989年 )まで発行し、その最終巻は前年に亡くなった彼秋山清の追悼号となった。
この光晴の回想が出た昭和五十年には、まだ秋山清は活躍していて、光晴はこう記している。
「 また戦争でもはじまることになれば、一緒の危険にさらされて、はげましあわねばならない味方でもある。」
その光晴、この回想集のあとがきを書き終えた一月後、気管支喘息による心不全で自宅で逝去。
《 回想の詩人たち 》金子光晴( 冬樹社 ) 1975年(昭和50年)発行
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