パガンのオアシス Lucky Seven Guest Hou
《 ラッキー・セブン・ゲストハウス 》のスタンプを押した小さな紙切れ、20 AUG 1995 と日付まで記していて、これはミャンマーはパガン(バガン)の平原に、11~13世紀に栄えたバガン王朝時代に建てられた数千の寺院・仏塔が立ち並ぶ一大仏教遺跡への入境パーミッション・チケットで、裏側に ADMISSION TICKET とある。
当時は、宿泊先のホテルで、強制的にこの10ドルを支払わさせられた記憶があって、ミャンマー入国(空港)の際にも、当時は中国と同様に、まだ外貨兌換券FECがあって、両替所で強制両替をしなくてはならなかった。
300米ドル=300FEC。10FEC札が30枚手渡された。
確か、再両替してくれないってことで、皆、滞在中に使い切らねばならず、貧乏たらしいバック・パッカー達も、彼等にとっては派手な散財する他なかった。
只、停電も多く、総じて夜闇の濃い風情の国では、それほど豪勢な散財をきこしめるものが殆んどなく、最終日近くに土産物を買い込むぐらいしかなかった。 因みに、2013年にFECは廃止されたらしい。
かつての旅行中に手にした雑品の類を放り込んでいた段ボールを漁っているうちに出て来たものだけど、も一つ、同じラッキーセブン・ゲストハウスの宿代( 最終日一括 )のレシートも出て来た。
二週間も滞在していた。
ここはオーナーの家に繋がっていて、そこの二十歳前後の娘ユミコNyu Mi Koと親戚の娘ワウワウWah Wahがともにチャーミングで、日本人パッカーに人気があるということだった。色白のユミコは眼の大きな美形で、ある日本人カメラマンが気に入って、彼女をモデルにして写真を撮っていたという。母親も含めて屈託のないフレンドリーな対応で、母屋にも普通に出入りすることが出来、居心地は悪くなかった。
もう一枚の寺院の写真のある紙っ切れは、バガンの遺跡群の中でも、まだ現役の有名寺院たるアーナンダ寺院の入場チケット。ミャンマー文字ばかりで、さっぱり取り付くシマもない。古過ぎて記憶の一片だに浮かんでこず、日付と日記を参照し、ネットで写真や文字をチェックして、ようやく確定出来た次第。ミャンマー文字って、タイ語ほど明瞭じゃなく、ややこし過ぎ手に余る。
恐らく川沿いの寺院の境内で拾った、純白のプルメリアの花が気に入って部屋に持って帰えり、備品のガラスの灰皿に水を満たし浮かべてみると、けっこうな風情。タイでもカンボジアでも、寺院によく咲いていた。
好きな花の一つだけど、日本国内じゃ、沖縄はいざ知らず、まずお目にかかれない、否、お目にかかれなかった。ところが、温暖化=トロピカル化し始めたこの日本列島でも、育つようになって、当方も今年の梅雨頃、苗木を裏庭に直植えにしたら、パパイヤほどではないけど、大きな葉っぱが縦横に繁茂し始め、二週間前、花芽が出始めた。
普通なら、もう後二週間ぐらいで蕾が見られるのだろうが、如何せん、もう十月の中旬。やがて寒気の季節に入る。
果たして、どうなのだろう。
普通に中は黄色の純白花が咲いてくれるのだろうか、それとも、タイム・アウトとばかり、しぼんでしまい、来年に持ち越すことになるのだろうか。
当時の参照のためネットで、1995年を調べてみると、一月前の七月に、アウン・サンスーチーが、軍政権力による六年近い軟禁から、やっと解除されたされたとある。
軟禁家にアメリカ人が泳いで渡ったとかいう不可解な事件もあったけど、21年後の2016年にとうとうミャンマーの権力の座に就くことになった。
尤も、軍部が睨みを利かした危うい代物でもあり、又、国家権力って基本、誰がその座に就こうが、革命でも起きないかぎり、権力構造から抜けれることもなく、精々が横並びのバーチャル政治以上に出ることもないのだから、陥るべくして陥った政治的陥穽と落魄。
英国の傀儡じゃないのなら、あくまで一民間人として活動するべきであった。
2021年には、軍部のクーデターが起り、軍部によって再び軟禁、刑務所収監。
国外難民110万人、国内難民180万人と云われている。
135の少数民族がいて、武装した少数民族も少なくなく、国境を接した中国南部絡みのトラブルもあるようで、なかなか予断を許さないミャンマーではある。我々が入国したのは、丁度ミャンマー旅行年で、比較的落ち着いた状況の頃だったのだろう。
ラッキーセブン・ゲストハウスは、名前を変えたのか、今はないようだ。
結構流行っていたゲストハウスだったので、もっと大きなホテルに成り変っているのかも。パキスタンはペシャワールにあった日本人パッカー御用達宿カイバル・ホテルも経営者の問題で白亜の銀行になってしまって久しい。
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