瓦礫の中の一瞬のゆらぎ 小城之春
丁度一年前の十一月、中国女優・葦偉ウェイ・ウェイが101歳で亡くなったという。
当方には余り馴染みのない女優だけど、中国映画的には、時代を越えた歴史的刻印の一片とされる監督・費穆 フゥエイ・ムー《 小城之春 》( 1948年 )の主演女優として知る人ぞ知る存在のようだ。
費穆といえば、文革四人組の紅色皇后・江青が、まだ上海で舞台女優をしていた頃、脇役として出演した李莉莉・主演《 狼山喋血記 》(1936年)の監督として記憶にあって、戦後、中華人民共和国が建国された1949年に、香港で病死した。なまじ長生きしてたら、江青の毒牙にかかって、投獄・獄死のお決まりの帰趨が待っていたのかも知れない。
中国から日本軍を追い払い、蒋介石・国民党と毛沢東・共産党の国共内戦が日増しに熾烈を極め始めようとする1946年を時代背景とし、没落した旧地主の長年の戦乱で半壊となり、母屋すらなくなってしまったままの屋敷を舞台にした、しかし、当時の新時代社会建設という躍進いよいよ著しい時代の風潮・熱に、一見水を差すような悶々鬱々とした内向的な雰囲気が、映画制作当時(1948年)のとくに左翼評論家から、時代的要請と乖離する、明るい展望のない、没落階級的産物として指弾・批判されてしまった。
映画自体は、1948年制作で、国共内戦も当初の兵力と米国の全面支援を受けたりの圧倒的優位にあった蒋介石・国民党、自らの政治的無能と腐敗・汚職の蔓延( あの旧日本軍参謀・辻正信すら、蒋介石の捕虜となっていた短期間その腐敗性を眼の当りにして唾棄していたぐらい )で、すっかり敗退の一途を辿り始めた時節。
多年の反日抗戦戦争もようやく終止符を打ち、それでも国共内戦が次第に熾烈なものとなってゆく最中、打ち棄てられたような廃残的旧地主の殆んど廃屋で、それでも破壊から免れた中庭に面した何室かでの生活を営みつづけていた戴( ダイ )一家。
地主・戴礼言は肺を病み、再建の力も一向に甦ることもなく、日々朝早く町に買い物に出掛ける嫁・周玉紋が貰って来る薬で辛うじて生き延びているかの如く。
結婚して8年、病を得て6年、自身の結核菌拡散を厭ってか、嫁とも妹・戴秀とも距離を保ち、言葉数も少ない夫・礼言を、嫁・周玉紋は神経病と断じる。
古い廃墟と化した城壁の小路を、朝早、一人、買物の往復の毎日の玉紋。
小高い城壁跡を買い物籠を下げてトボトボと通っている時が、雑念に囚われることもなく、まるで別世界にいるような忘我の愉悦の一時。
すっかり凋落してしまった没落地主の名だけの屋敷に戻ると、肺病を口実に、家族との接触を出来るだけ避けるように瓦礫の花園で、かつての栄華に思いを致しているのか、一人、物思いに耽るばかりの夫・礼言の姿が、崩れた塀の瓦礫の上に垣間見える。屋敷には、昔から礼言に使えている召使いの老黄が居て、食事の世話も一手に引き受けていて、玉紋はもっぱら刺繍に日々を消尽してゆくばかり。女学校に通っている礼言の妹・戴秀だけが、一人、溌溂として毎日を送っていた。
そんな長年の戦乱に病み疲弊した一家の下へ、突然、礼言の古い友人・章志忱が訪れる。医師でもある章志忱、礼言の友人であったが、何よりも礼言の妻・玉紋のかつての恋人でもあった。妹・戴秀すら、子供の頃親しくしていたのだった。やがて、戴秀の章志忱への懐(なつ)き様に、礼言は彼女を章志忱に嫁がせようと思うようになる。
唐突な章志忱の来訪は、淀んだ水溜りに小石が飛び込んできた如く、波紋を起こし、淀みの中の閉鎖的秩序を大きくゆらがせてしまう。
玉紋、次第にかつての潰えた恋慕の念が蘇ってくる。
気怠い閉塞的な毎日に倦むばかりで一向に未来の希望すら視えてこない現実から、盲目的に抜け出そうとする衝動に駆られたのであろうか。逢う度に、だんだんと赤裸々になってくる玉紋に、最初は伏されていた章志忱の恋情も蘇り呼応しようとするが、病んだ旧友・礼言のこともあって、気後れしてしまう。
妹・戴秀の誕生日の一家水入らずの夜宴の後、夜も更けてから、酔いも手伝ってか、身づくろいした玉紋が訪れる。
一線を越えようとするが、章志忱、反射的に拒絶してしまう。
翌日、自身の不甲斐なさと妻・玉紋を助けようと、礼言、自殺未遂に走る。
舞い上がっていた澱土が、やがて沈澱し、元の平穏さをとり戻すように、翌朝、何事もなかったかのように章志忱を送り出す。
一歩一歩踏みしめるように覚束ない足取りで、杖をつきながら礼言が城壁の小径を昇ってゆくと、買い物から戻ってきていた玉紋が城壁の上に佇んでいる。やがて、二人並び遠くを指差す玉紋の和んだシルエットが象徴的なエンディングとなる。
( かつて恋人どうしだった二人。)
そもそもの映画の発端は、抗日戦争とその集結、それに続く蒋介石・国民党と毛沢東・中国共産党との覇権闘争・革命運動の内戦うちつづく1947年に上海に戻ってきたばかりで失業中の李天済に、彼の師であった白塵と呉祖光が映画の脚本執筆を促しあれこれ援助したりして出来上がったものを、上海の映画会社・文華影業公司の監督・曹禺に見せ、更に曹禺が、経営者の呉性栽に推薦したところから始まる。
当初のタイトルは、《 苦恋 》。
後、《 迷失的愛情 》に改変し、最後に、《 小城之春 》に落ち着いた。
ところが、曹禺、自身の撮影作品で手一杯で、翌1948年初頭、社長・呉性栽が費穆に脚本を見せると、費穆は二つ返事で快諾。何よりも、李天済にとっても費穆は憧れの存在だった。
脚本検討のため、二人ははじめて顔を合わせた。
さっそく、脚本を手にした監督・費穆、にやりと笑い、一節吟じてみせた。
「 墻内秋千墻外道,墻外行人,墻内佳人笑,笑漸不聞声漸悄,多情却被无情悩 」
墻=壁・囲い。 秋千=ブランコ。 佳人=麗人。 漸不聞=だんだんと聞えなくなる。 多情=情が深い。感情豊か。 无( 無 )情=冷淡。つれない。
李天済、声もなかったという。
つまり、費穆が詠った北宋の詩人・蘇軾の《蝶恋花》のこの一節は、李天済がこの脚本制作のためのインスピレーションを獲た当のもので、一読で費穆に喝破されてしまったという訳だ。
費穆、単刀直入に、ともかく場面が多すぎると、三分の一に削ると言い出した。 李天済、すんなり肯ったということらしいけど、実際の撮影にあたっては、脚本が改編される毎に李天済、怒ったらしい。そもそも費穆、脚本を叩き台以上にはみてないのか、毎回、紙切れに書いたものを手渡していたとも。( 葦偉談 )
当時、費穆、梅蘭芳と共働の中国最初のカラーフィルム映画、京劇芸術片《 生死恨 》の撮影が待っていて、忙しい中での撮影だったようだ。
うち続く戦乱で破壊された古い城壁や旧民家などの多い上海・松江でロケが行なわれ、六月九日にはクランク・アップ。秋には上映がはじまり、赤字になる事もなく、それなりの興行成績はあげていたらしい。
( 玉紋、夜更けに章を訪れるために身づくろいする。ハンカチーフやスカーフをあれこれ微妙なニュアンスを醸すように使っている。)
《 小城之春 》に関する中国のブログ見てみると、少なからずに、「 発乎情止乎礼 」なるフレーズが散見され、当時の葦偉に費穆がよく口にしていた言葉という。
儒教の経典の一つ《 詩経 》=毛詩大序の一節。
故変風発乎情,止乎礼義。発乎情,民之性也 ; 止乎礼義,先王之沢也。
この場合の「乎」は前置詞。止乎(=于)=とどまる。「沢」=恩恵。
変風は『詩経』中の、世が乱れた時代の詩。
《 百度百科 》じゃ、こうも認められている。
発乎情:人的情感在男女之間産生。
止乎礼:就是受礼節的約束。
つまるところ、礼節を知るってことに尽きるのだろうが、この映画においては反語的に解釈するむきもあって、中国語や儒教的素養の覚束ない当方的にはもう一つ曖昧さを免れ得ない。
日中戦争下の爆撃うち続く臨時政府首府・重慶を舞台にした巴金の《 友情の絆 》( 原題 : 還魂草 1942年 ) とは同じ閉塞的状況下であっても随分と趣きが異なってて、戦火が遠いらしい地方都市郊外の古い城壁のある一角での物語ってことで、多分に長閑な雰囲気の中での物語展開ではある。
制作当時は、時局を何と心得ておるか的に散々な批判・指弾で、結局お蔵入りってことで、久しく人眼に触れることもなかったのが、1983年イタリアで上映され、翌年、ようやく中国でも上映されることとなったという。
そういえば、監督の費穆、伝説の女優・阮玲玉ルアン・リンユイ主演の映画二本撮っていたのを思い出した。《 城市之夜 》 (1933年)、《 香雪海 》 (1934年)。
《 小城之春 》 監督・費穆 (1948年 )文華影業公司
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