大正末的阿片宿痾物語 「心癌狂」大泉黒石
鬱屈した青年期の黒石を投影したかのようなデティールに満ちた小品で、プロローグに明治維新以降じりじりと国際貿易港として凋落の一途を辿っていた長崎に替わり、愈々国際航路網を充実させつつあった門司港を選んだ珍しさもあって一読した次第。
プロローグの舞台の山と海辺が迫った小さな半島の港湾都市門司港の清滝、迫った山裾に蝟集した民家の佇まいって、正に坂と石段の町・長崎に似ている。
黒石と門司港の係わりって、地元紙《 九州日報 》( 宮崎滔天や夢野久作も在籍してたらしい )の門司支局長・河村杏盃と親交があったぐらいしか知らないけど、彼との係わりで多少ともこの港町の概要は把握していたようだ。
時代的趨勢ともいうべく大陸へ大陸へと草木も靡く喧しい時節の只中で、《 心癌狂 》なるいわくあり気な命名の数奇な物語の端緒として、確かに門司港はふさわしい象徴的存在であり得たかも知れない。
長崎の中学時代だったか、思春の頃か、黒石が長崎港で投身自殺を試みたって逸話( 黒石自身の言 )からしても、鬱々悶々とした思春・青年期的蹉跌の程が知れようというものだけど、主人公というより狂言廻しというべき青年・佐々山扇吉、将来、政治の世界での活躍を望み東京遊学を夢見ていた中学生という履歴は、若き黒石も同様に政治家的野心を抱いていたってことを意味するのだろうか。
ここじゃインフルエンザとあって、恐らく1918年(大正7年)から世界中に蔓延し、日本列島だけでも、40万人も死亡したスペイン風邪だろう流行り病に罹って、長年門司港の税関吏を勤めていた扇吉の父親が亡くなり、その野望も潰え去ってしまう。
( 清滝の嘗ての繁華街に迫る麓の現在の姿。旅館・料亭の類が立ち並んでいたようで、藤原新也の実家の旅館もこの一角にあった。)
中学を卒業すると父の伝手でか、門司港の税関に勤めるようになる。
一年もする内、陽気だった青年は、センチメンタルな運命論者に変貌。鬱々とした日々を送っていた。
「堪えられぬ寂しさを慰めるために絵筆に親しむこともある。小説に読み耽ることもある。創ることもある。」
ここら辺りは若き黒石そのまま。
絵筆に親しむどころか、夜店で自作を売ってたり、小説懸賞を狙って投稿したりってのも、この伝で行けば、抑鬱的窮迫的状況からの生々しいなけなしの投企的所作ってことになる。
不如意な税関での「腰弁」的日毎の空虚と諦念、そんな灰色の日々の只中で、住まう清滝の斜面に民家の蝟集した一帯の一軒から赤々と火焔の燃え上がる火災が起き、様子を見にいった先で、一人の美麗な娘と出遭う。
弓削( ゆげ )那美子という地元の女学校を中退し家事に専念し一人者の老いた父親を支える思春真っ只中の娘で、互いに因縁の赤い糸で結ばれることとなる。
( 嘗ての土蔵があるので民家だろうが、それにしては大きな大正・昭和初期の風情を残している建物。赤レンガ塀が中々情緒がある。ここは家の背後の一角。)
「 緋色の帯、白いネルの着物の襟を、ギラギラ光る石の留針できちんと挟み留め・・・・・ 扇吉より二つ年下なんだが、利巧な肌合いの、世故に通じた彼女の話っ振り聞き惚れていた扇吉は、しかし、そんなに貧乏な彼女に、この小瀟洒とした身づくり。宝石の留針。安くない髪飾。」
薄給の地元の工場勤めの父親の娘にしては、と些かの違和を覚えつつも、そこは年頃の娘、多少の無理はしても揃えるもんだろうと扇吉は了解してしまう。が、豈図らんや“ 違和 ”通りに、那美子の家の経済性から不合理な装身具は、しがない工場勤めの父親が“ 無理 ”をして一人娘に買い揃えたものであった。
「 妾( わたし )なんか何処でどうなるやら、明日の運命は解りませんけど、貴郎( あなた )のことは死ぬまで忘れないわ。また逢って話しましょうよ。ね。」
片親どうし似た境涯の二人は急接近してゆく。
「 草叢に人目を避けて秘々と語り、涙を零し、溜息をつき、顔を見合い笑う!或る日は和布刈( めかり )の浜へ。或る日は清滝の山へ。」
扇吉は、もうそれしかないように、那美子に求婚した・・・が、彼女は、苦悶の影を浮かべるばかりで、頷くことはなかった。
翌晩、約束の時間過ぎても現れぬ那美子に矢も楯もたまらず、扇吉は彼女の家を尋ねた。ところが、しんとして人の気配もない。一枚の折紙だけが、勝手口にこれ見よがしに挟み込んであった。
「 思いがけぬ事ながら家庭の都合で父と一緒にこの街を去ることになりました。・・・・・・妾は貴郎のお考えとは丸で違った賤しいつまらぬ女です。必ずめぐり来ねばならぬ行末の悲嘆を知り乍ら、妾は貴郎の愛情に身を任せていました。あゝ恐ろしい。これは神様が二人のために下すった機会です。どうか今日限り妾のことをお忘れ下さい。これが妾たちの運命だったのです。」
( 海が迫り山稜も迫った狭い平野部の門司港の街で、その山裾・斜面に蝟集した清滝の町は、長崎の例えば黒石が好んで小説の舞台にする寺院群の背後の斜面に密集した寺町に似た佇まいで、坂道や石段が多く、末期資本主義的凋落で空家・廃屋が点々とし、自然蘇生ともいうべく青々とした緑が繁茂するのも同じ。)
突然の那美子の失踪。
扇吉は信じられず、その後一年もの間、門司港の町の端から端を捜しまくった。 やがて扇吉の長病の母親も亡くなり、天涯孤独の身になった彼は、税関を辞め、心機一転、身一つで上京し、神田のさる大学の政治部に通い始めた。
働きながらの苦学生活は幾らも続かず、政治家の夢を断念し、浅草の観音劇場に出ていた劇団に転がり込んだ。
観音劇場といえば、辻潤や黒石なんかの文士劇でも有名な時代の寵児的存在でもあったが、やがて野放図な環境に染まり酒色に溺れ、一座から一座へ、大震災で東京から出、列島中巡り歩き早三年の月日が過ぎてしまった。挙句、最果ての玄界灘・黄海を越えて、大連へ。
そこの寄り集まり所帯の劇団に加わり、更に足を延ばし、長春の活動写真館( 映画館 )で喜劇を二週間ぶっ通したのが運の尽き、借金ばかりが残ってしまった。
長春公演言い出しっぺの責任もあって、団員たちは大連に戻り、一人扇吉が居残って負債の整理の大役を決め込んだのはいいが、初めての地ということもあって、すっかり八方塞りの万事休す。
「 町から町へ放浪の。昨日は暮れて今日はまた。落る夕陽にションボリと。わたしゃ寂しい旅烏。」
口癖のオペラ小唄を呟きながら、薄い浴衣に兵児帯一丁の姿で扇吉は、南大門から北大門へ、冷え冷えとした黄昏時の何処でどう間違えたのかいっかな繁華な通りに行き着かず、愈々埃っぽい路地裏に分け入ってしまった。
「めくれた甃の凹みには汚水がたまっている。湿っぽい地べたには黴臭いボロ屑や芥がこびりついている。消えゆく微光は此の陰鬱なるものゝ上に青白く流れている。これはどうだ! 朝から晩まで幾十万の支那人が、泣き笑い罵り戯れる姦しい城内の真ン中に、化石のような此の沈黙の路次とは!」
その時、頭上から赤い更紗紙をひねったものが舞い落ちてきた。
訝りながら拡げて見ると、日本紙幣の十円札。
その十円札に、針で孔けた小さな穴が無数にあり、日本語の依頼文であった。
「今夜八時までにあなたの身につけている着物を娘々廟まで届けて下さい」
面倒にも思えたけれど、根が素直な扇吉は、南大門を下りって約束の娘々廟の石ころだらけの境内に端座した石狗の台の上に腰掛けて待っことにした。森閑とした暗闇の向うに、やがて、微かな絹擦れと伴に褂子( 中国風上着。恐らく旗袍ではない。 )に褌子( 中国式ズボン )を履いた女が姿を現した。
暗がりで女の相貌も不明なまま、女は着替え、扇吉も梔子の花のような甘ったるい香りの漂う女の服に着替えさせられることに。女が危殆に瀕しているのを察し、今後が気になってしまった。
「 サア。その当てはないんですけど、此の街には居られませんから、一と先ずハルピンに出て、西伯利亜( シベリア )でも入ろうかと思って。」
と彼女が言いかけると、
「 ハルピンから西伯利亜へ? 」
扇吉は驚いて叫ぶように、
「 容易じゃない! いや、こいつはああそうですかと、聞き流す訳にはいきませんや。ね。御婦人、金も知恵もない旅役者だが、どんなお力添えも出来ないもんでもない。躓く石の縁。日本人同志だ。お差支えなければそうまでして逃げなくちゃならぬその事情とやらを伺いたいものですね。」
と乗り出した。
( ともかく山裾なので、斜面地を補正するための石垣が多い。石垣の上に長屋風に民家が連なる一角も。)
( 細路に連なる空家・廃屋ばかりが連なった路地裏。アベノミクス以来、生活している民家の方がポツリポツリの惨状。)
日本で製薬工場に勤めていた女の父親( 三造 )が、知人の満州長春の城内福来店胡同の華昌号百貨店のオーナー宦小琦( かん・しょうき )に唆され、阿片の密貿易に係わるようになった。工場から阿片の原料たるモルフィンをくすね缶詰に封入するという手口。
ある日それが彼女にバレ、止めて呉れと泣きつく娘に金輪際手を切ると断言したものの、背に腹は代えられず一層大胆になって、とうとう司直の手入れを受ける羽目に。
「 彼は勤め先の製薬工場から密かにモルフィンを偸み出しては魚類の缶詰につきまぜ、実に巧みに宦小琦のところに送っていた。」
「 モルフィンの誤魔化しは薄々発覚し、ついにその筋の耳に入った。阿片密売の嫌疑で家宅捜索を受けた三造親子」
父娘は夜逃げした。
「 その日の夜。二人は玄海の波にゆられていた。逃亡者親子は大連埠頭の連絡列車で長春に着くと、真っすぐ北大門から福来店胡同に向かった。」
「 百貨店華昌号の商牌は炒油に咽ぶような菓餅店と八角灯をぶらさげた鐘表舗の間にあった。」
二人は、宦小琦に狗皮李胡同の路地裏にある彼の屋敷・満州風の二階家に匿われた。廊下で、訝しそうに睨めつける天鵞絨の褂子を纏った中年の女=宦の妻=芝芬( チー・フェン )と出会い、宛がわれた部屋は、じめっとした鉄格子の嵌った小部屋だった。幾らもしない内に、父親が宦の部屋ですすめられた茶で頓死。
「長い間の貧苦・犯罪・恐怖・心痛に疲れのぼせて亀裂だらけの頭は、宦小琦のついでくれた一杯のお茶に破壊されて了った。」
芝芬に疎まれ、福来店胡同の百貨店に移って働くことに。
それから三年後の夏。
妻の芝芬が手提げ金庫を持って家出した、と宦は云い、一緒になることを求めてきた。天涯孤独・孤立無援の娘に選択の余地はなかった。
白蘭と名を変えた。
初夜に宦が竹パイプで阿片を吸って見せると、娘・白蘭は是非止めて呉れと歎願し、宦は肯った。
ところが、翌朝、白蘭は自身の裸体を姿見で見て驚いた。
「 彼女の腹から腰へ、真白い皮膚のところどころに、指で抓ったように思われる醜い蒼ずんだ斑点がついている。帳の外に飛び出して、姿見のまえに立ち、体をひねり、よくよく見た彼女の腰から後ろ剄にも同じ斑点跨ぐように脚を拡げてみた内股にも!」
身に覚えのない傷や痣ができていた。
宦に訴えると、驚いて見せたものの、食当たりのせいだろうと嘯くばかり。
それから五、六日過ぎても痣は減るどころか増えて来て、姿見に映る自身の容色すら衰え、気力も萎えているのだった。これは不味いと、気分転換も併せて、入浴を思い立った。中国の封建主義的遺制で、部屋の中で大盥で身体を洗うしか出来なかったので、従業員が出払った隙に洗藻室に忍び込み、入浴しようとして忍んでゆくと、ドアは打ち付けてあって閉鎖されていた。
ふと、鍵穴から、中を覗いてみると、人影が見えた。
何と、変わり果てた芝芬の姿だった。
実は、白蘭の身体の痣は宦の仕業だった。
同衾して吸う阿片に彼女も間接喫煙してしまい、深い睡眠に入って、感覚がなくなって幾ら宦にいたぶられても分からないのを、端から計算済みだったのだ。芝芬も最初同じ目にあってきたのだと白蘭に教え諭した。
阿片中毒の瘧( おこり )を切り抜けるためだという。
「 瘧を切りぬけるために、一度買った娼婢にしてやったようなことを、毎夜々々、妾にしていたのよ。そこへお前さんが現れた。」
実は、宦小琦の宿痾ともいうべき奇癖には機縁があったという。
「 十二三の頃から阿片の味を覚えて、男と関係する時は、それを喫いながら打ったり抓ったりして貰わないと納まらぬという劫の深い女がこの街の娼家にいるのよ。琦( 宦小琦 )が阿片を喫い習ったのはその女で」
それが宿痾( 病みつき )になったのだ。
「 一と思いに殺しでもすりゃあいいんだ。そんな度胸がないのが、少し可哀相と思うのか、こんな洗藻室に押し込みやがったのさ。呪い殺しても足りないくらいの淫虐症め! 妾の思惑に違いはない。どんな巧い事言って瞞したか、到頭お前さんを妾の後釜に引きずり込んで、相変わらず狂人の真似をしているんだね。」
一刻も早く宦のこの屋敷から逃げ、ハルピンの伝家甸にいる芝芬の姉を頼れという芝芬の最後通牒に、四面楚歌の白蘭は、十円札に針で穴を孔ける挙に賭ける他なかった。来る日も来る日も、窓下の路地を通る日本人を待ち続けた。そして・・・
扇吉はハルピンの方角に女一人で赴くのは危険だから、その芝芬のことはそのまま捨て置いて、大連迄送ってゆくから、ともかく帰国し故郷に戻るべきと諭そうとするが、白蘭は、頑として帰国を拒み続けた。
「 丁度、妾の父の悪事が発覚しかける頃、妾には、心から愛し合った男の方がございまして、その方と結婚の約束まで致いたしました。勿論、父は知らないのです。・・・・・そもそもの初めから不幸な恋だったのです。もしも父の秘密がその方の耳に入ったなら! あゝ! 恐ろしい。妾は犯罪人の娘ではありませんか。正直で真っすぐなあの方は、屹度、妾を棄てなさるに違いない!」
大部以前、恋仲に遭った男性が生真面目で、犯罪人の娘である白蘭はそのことをその男に打ち明けるべきか迷っいた最中での司直の捜索開始で、こっそり故郷から逃げ出し長春に辿り着いた末路故、再び郷里には戻れない、と白蘭は嘆き、更に何よりも大連から日本に戻ろうとすると、国際航路の日本側の港の税関で真っ先に発見されてしまうのだ、と絶句する。
なぜなら、その男は、そこの税関吏なのだから。
「 あゝ! この身の成れの果を、その方の夢に見られるのさえ苦痛なのに、何でそれに堪えられましょう?・・・・・・その街に足を踏み入れない先に、波止場の税関の荷物検査場で、妾は顔を見られるでしょう? といえば、貴郎には、その街が門司だと御推量なさるに違いない。そうでございます。妾の心に住むその人というのは門司の税関に勤めているのです!」
( 同じ清滝でも、表通りに面した一角じゃ、お屋敷風味な建物もある。)
大正末といえば、この国が、すっかり欧米列強と張り合うべき帝国主義国家群の一員気取りでいよいよ本格的に大陸侵略に走る前哨ともいうべき時節だったのだろう、以前は大英帝国の代名詞の如く世界史に燦然とし白色矮星的光芒を放ち続けていた“ 阿片 ”的強奪、その利権構造にもいち早く参入し、愈々大英帝国へ肉薄し凌駕せんと官民挙げての攻勢に拍車がかかった時期であった。
「 所で、満州の商人には、そんな手合いが幾らもあるが、この宦小琦、表面は堅気の旦那に見えても、裏を覗くと阿片の密輸入者であったのだ。」
ここでは敢えて“ 商人 ”とだけ韜晦しているけど、例えば、大正八年暮の深夜、大連駅で、阿片満杯のトランクを運び込もうとして、偶然に摘発されたものの( 日本の )民政署長によってもみ消されてしまった。そもそもそのトランク、大連海関(税関)と大連駅貨物検査所を無検査で通過していた曰くつき。それも前・樺太長官だった民政党議員( 作家・三島由紀夫の祖父 )が貰い受けるものだった。
そして翌大正九年末、民政署の絡んだ阿片がらみの涜職(汚職)事件が摘発され、前年の阿片トランク事件ともども一大疑獄事件として、海を隔てた日本中を騒がせた。
あるいは、阿片王と呼ばれ巨万の富を成し大連市長にもなった石本鏆太郎のような存在もあって、“ 満州帝国 ”以前に、満州はすっかり阿片植民地と化していたという訳だ。政治家・役人・軍人達の跳梁跋扈、日本商人も、中国・満人の商人も、件の涜職事件の被告・日本民政署幹部が恐喝した元警察官であり飲食店経営の傍ら阿片密売をやっていた朝鮮人も、皆一攫千金を企んで、この租借地=新興開拓地に群がり集まって来ていた。
しかし、それにしても、“ 日本・モルヒネ→長春 ”という図式はどうなんだろう。普通、罌粟( ケシ )→阿片→モルヒネ→ヘロイン( コカインすら既に流行っていたらしい )の順だろうから、長春・阿片→日本・モルフィンが妥当と思われるのだが。
ここじゃ、あくまで“ ある大きな町 ”=門司港に設定しているけど、門司港に製薬会社があったって話寡聞にして聞かない。
実際には、阿片=大阪なんだろう。
かつて大阪には広大な罌粟畑が拡がる一大阿片産地だったという。
無論、大阪には、昔から大手の製薬会社・工場も何軒もあって、それを前提としたら、阿片よりも効き目が強いらしいモルフィン=モルヒネを、長春に密輸するって別に違和はない。
とまれ、黒石的には、日本=満州の阿片を基軸にした数奇な機縁譚であり、淫虐的宿痾=猟奇性として彩られた阿片的惨劇。
正に、心癌狂。
後年、《 白鬼来 阿片戦争はかく戦われた 》( 大新社 昭和17年 )において、阿片問題を、時世に乗っかって逆手に取り、中国版テロリスト群像の態をとりながら、阿片=侵略戦争の実相を垣間見せた。
軍というものは、とかく鎮痛剤としてのモルヒネを必需とする。
そして原料たる阿片で現地民達( 中国・満人 )を利用し、スポイルし、略奪してきた皇軍=大日本帝国軍( +企業 )。
かつて、イランを陸路パキスタンから入って横断した際、ある街でイラン人家庭に一週間近く滞在したことがあった。普通の中産階級の家で、当方を招き入れたのはそこの息子、前年か前々年終結したイラン・イラク戦争に従軍中に、背骨を負傷し、退役後も一向に背中の苦痛が治らいようだった。何処の国でもそうらしい病院の呉れるモルヒネは量が決まっていて、到底実際の苦痛に間に合わず、しかたなく、オピュウム( 阿片 )を吸っていた。違法なんだろうが、他にも山ほど同じ戦場の負傷者達が居てのネットワークかの伝手で入手できるのだろう。そういえば、イラン=ペルシャって阿片やハッシシの源郷だった。
大連=門司港って、当時の定番コース。
終着港は神戸・大阪。
門司港同様、大連も満州の玄関口的港湾都市で、内陸の長春まで鉄路一本。
当時は、簡単な普段着で、朝鮮ともどもに往復したりもしていたようで、何も黒石の分身たる扇吉が零落した旅役者だからって訳だけでもない。とはいえ、設定はもう寒々とした季節、やっぱし素寒貧故の薄衣一枚ってところか。
( 何しろ狭い平野部なので、民家も山裾を越え中腹に迫っている。そういえば、趣きも全然違うが、昨今話題のシリア、首都ダマスカスの背後の赤い砂礫の山にも、民家がそれこそびっしりと蝟集していて、はるか旧約聖書時代からのあれこれ曰くつきばかりの佇まいは、現地であってのみ堪能できる歴史的時間。)
これは黒石ならではの拘りなんだろう、長春の宦小琦を頼って訪れた繁華な福来店胡同にある百貨店華昌号、そこから東に二、三町ほど離れた物寂しい裏町狗皮李胡同にある満州風の陰気な壁に塗り囲まれた宦の二階建ての自宅。
当時の地図でも、西三道街(+東三道街)と西四道街(+東二道街)の上下二街路に挟まれた、それぞれ向かい合うように端に垂直に走る左端の狗皮李胡同、右端の福来店胡同。
この狗皮李胡同、中国へ定住した西アジア系の人々と混淆したイスラム系中国人=回族の居住地で、当時は社会的地位が低くかったようで、もっぱら屠畜や皮革( 主に馬具 )産業に従事していたことによる命名のようだ。現在は使われていない胡同名。
黒石に、中国で底辺的な存在に貶められていた回族居住エリアという認識があったのかどうかさだかじゃないけれど、朝鮮が舞台の《 不死身 》では怪奇譚的風味として悪魔教なる修辞まで駆使してイスラム神を登場させていた。大正の頃ならイスラムは既にそれなりの情報は得られていただろうから、単に異教的なエキゾチシズムとして配置したのだろうが、この長春・狗皮李胡同では、甃( 敷石。敷瓦。)もすり減った古風な灰色の塗壁ばかりが連なる遺棄されたような落魄した場末小路の如く描かれているばかりで、宗教臭は皆無。イスラムの民=回族を想わせる一句も見出せない。
これって、長崎のあちこち土塀も崩れ落ちた落魄と異臭の漂う中国人廓( くるわ )を髣髴させなくもない。
門司港の山裾に拡がる小さな町・清滝の一角で、那美子=白蘭と扇吉が出遭い、淡い恋仲になるのだけど、黒石はやっぱり、そこでも、彼の幼い頃からの許嫁=妻である美代を想定しトレースするように、両者ともの、黒石と美代がそうだった如く、早くからの片親的家族・生活という基礎的環境の執拗な反復を試みつづける。黒石的言説による黒石自身の父親の遠地における病死を投影するように、扇吉の父親の世界的パンデミック=スペイン風邪による罹患死、更に物語展開の起点に、那美子の父親の阿片絡みの罪過故の失踪と不審死を据える。
つまりは、抗おうとしては流され翻弄される薄幸的命運の連鎖的起伏。
そして、那美子は芝芬のハルピンに住む姉の所に赴くのか、それとも扇吉と伴に大連に向かうのか、その帰趨が未完の向うに、やがて訪れる昭和の昏い靄の如くゆらめくばかり。
《 心癌狂 》黒石怪奇物語集 ( 新作社 ) 大正14年2月
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