ラシャムジャ。
1977年アムド、青海湖の南東100キロ、黄河上流の海南チベット族自治州貴徳県生れのチベット人作家。
青海省といえば、チベットだけど湖と緑の平原ってイメージがあり、海南州は、何と黄河最上流にある人造湖=竜羊峡湖に大型水力発電所があるんで有名らしい。
辮髪に似た三編髪を巻き厚手の着物を纏った遊牧民世界って既存ののんびりしたイメージも、時代とともにハイテク的意匠を纏うようになってきているようだ。
ラシャムジャって、この短編集で初めて知ったけど、チベット文学世界じゃ、世代的にも中堅どころで、若者に人気があるという。
彼も、漢語じゃなく、チベット語で書く作家で・・・と言うと妙な話なんだが、そこが少数民族的異和と悲哀ってところなんだろう。日本でも、アイヌ語や琉球語で小説を記めるってことがどんなに異和をその両極以内に居住する所謂日本人達に抱かせるか、ちょっと考えただけでも了解できよう。
陽光ってフレーズ、ラシャムジャは自身の術語のように駆使しているらしく、確かに積雪と砂礫の山岳世界、それも標高三~五千メートルの高地世界だと、陽光ももっと純粋で直截的に違いない。
巻頭のラサ川に連なる水路に架かったラル橋に屯する立ちんぼのチベットの青年達の生態を活写した《 路上の陽光 》。
その日の糧を獲るための仕事待ちの立ちんぼ。
かつて日本の大都市、山谷や釜ヶ崎、寿町等はじめ、高田の馬場でも斡旋ブローカーのトラック、後には白塗りのバンがやって来たりしていたのは有名だし、現在でもまだ細々と続いているようではあるらしい。
そんな彼等に、
「 ラサの陽光は容赦なく降り注いでくる。」
のだ。
貧しい出稼ぎ農民達を農民工、臨時日雇いなんかは零工と呼ぶらしいけど、チベット語じゃ何と呼ぶのだろうか。橋の上で、日がな一日、働き人を求めに来る依頼人・雇用主を只待つだけ。中にはすきっ腹で立ち続ける者も居るにちがいなく、そんな彼等に、強い陽射しがジリジリと照りつづける。
そんな中に、プンナムとラムゼーが居て、互いに好意を抱いているのだけど、まだ純な心性のチベット青年男女。とりわけ、プンナムは不器用。結局、現在のラサ事情の象徴の様なナイト・クラブ“ ノルサン・ナンマカン ”のオーナー=ジグメにラムゼーを取られてしまう。
青年は金もなけりゃ術もなく、四駆を転がす老獪な小金持ちには敵わない、というかつて寺山修司だったかが世の定式の如く掲げてみせた警句そのまま。

その続篇らしい《 眠れる川 》じゃ、二年の歳月が過ぎ、不器用な青年プンナムは、政府の脱貧困政策の一環として、人力車、いわゆるサイクル・リキシャ( 中国語 : 黄包車 )の技術と本体を貸与され、すっかりその軽快さ・爽快さに魅せられ、ラサ中を疾駆するスピード狂人力車夫と化していた。
しがない車夫であっても、折からのチベット観光年宜しくの内外観光客が溢れ返り、商売もそれなりに盛況で、携帯電話を駆使しながらのリキシャ稼業。
確かに、一昔前にラサに滞在してた時、燻すんだインドやベトナム・カンボジアのサイクル・リキシャと相違して、何か明るい色合いの、如何にも軽快に疾駆しているサイクル・リキシャを見かけ、妙に感心したのは確か。
カンボジアのプノンペンのサイクル・リキシャならぬバイク・タクシーの運転手が携帯電話片手に話しているのを目撃し驚いた記憶はあるけど、路上生活をしているのもいるサイクル・リキシャの運転手にはおよそ無縁な代物でまず見かけたことはない。やっぱり、中国の経済力、生活レベルのそれなりの高さの故なんだろう。
「『 いい子だから、しっかり勉強するのよ。このおじちゃんみたいに肉体労働をする羽目になったら大変だから。』子供のは親は説教をたれたが、すぐに自分の言葉の不適切さに気づいたかのように話題を変えて『 ラサの太陽ってほんときついわね 』と言った。」
今度はプンナム、眠れる川という奇妙な名の洗車場で働く娘ぺルヤンと純な恋仲になるが、疾駆中に携帯電話に眼をやった次の瞬間、黒いBMWの横っ腹に突っ込みリキシャは大破、頭からは鮮血が滴り落ち、BMWの運転席から、見覚えのある、あの“ ノルサン・ナンマカン ”のオーナー=ジグメが降りて来た。その後部座席には、誰あろう、あのラムゼーがふんぞりかえっていた・・・
四駆からBMWに乗用車が変わり、ジグメの商売が盛況なのが分かる。ラサの街の改革開放的ゆらぎ。1997年の賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の映画《 一瞬の夢( 小武 )》を彷彿とさせる。

そういえば、ラサはチベット人より漢人たちの数が多くなったという話は頻く聞くけど、あれは、新疆ウイグル自治区の省都・ウルムチの漢人とウイグル人の人口比の伝をチベットの省都・ラサにそのまま短絡させた一種のプロパガンダ的言辞に過ぎず、ラサの街に漢字の看板が溢れているのは、単に一攫千金をあてこんだ漢人の商売人達が蝟集しているだけのようで、漢人人口自体は全然少数らしい。
この短編集の中で、《 風に託す 》が、一番チベットらしい(?)作品で、チベットの、ある砂礫・礫山の連なった山間の秘められた神話って趣きが悪くない。
化身=トゥルクを扱ってて、転生者=輪廻転生、つまり、ダライ・ラマやパンチェン・ラマの転生( 制度 )にも繋がるテーマ。
ある砂礫の山々の連なった山間の、タンマル谷にひっそりと佇んだ鄙びた僧房、登場人物はそこの行者・ロブザン翁とぼくの二人、そして二人の間を繋ぐぼくの大叔父の行者スルツァの遠い記憶。ロブザン翁に言わせると大恩ある行者さま。何しろロブザン翁がまだ洟垂れた子供時分、仏教に縁( えにし )あるものとして見出してくれた大恩ある行者さまなのだから。
物語は、五十数年前の、突如吹き込んできたつむじ風に束ねてあった経文が黒ヤクの毛皮のテント中に舞い上がり、幼きロブザン翁が、近くの砂礫の小丘で小用中のスルツァの行者に叫ぶところから始まる。
洟をたらした幼きロブザンが散らばった経文を掻き集めてきたものを確かめると、順番通りに積みあげてあった。スルツァの行者は、これぞ縁と、ロブザンの父母にその旨伝えた。以降、ロブザンは仏道へ。
スルツァの行者に見出されたロブザン翁が仏道に進むことになって暫くして、五十八年の叛乱が起き、スルツァの行者は、ツァイダム盆地の収容所に連行され、十年も幽閉されることになった。ようやく解放されたものの、折からの文化大革命の批判闘争に巻き込まれ、反革命分子として吊るし上げられ、さんざんな暴力を揮われた。収容所時代の悪環境に胃を悪くし、その後、次第に胃の病が悪化し、スルツァ家の離れに閉じ籠ったまま、三十年前に静かに息を引取った。
「 当時、還俗させられたロブザンは、生産隊で放牧の任に就かされていていた。スルツァの行者は最後に僕の両親に『 人生は短く、ただ一陣の風が吹いたかのようだった。この意識も風のようなものだ。だからわしが死んだら、わしの体を風に託してほしい。』と言った。そうしてゆっくりと両手をあわせて法印を作ると、目をゆっくりと閉じた。」

結跏趺坐の姿勢で亡くなっていたスルツァの行者、主人公の両親はその宗教弾圧の真っ只中の時代であってみれば、反革命・封建主義的反動分子の罵声と怒号、批判と指弾の憂き目にあうのが必定、夜闇に乗じて、鳥葬場に遺体を運び、禿鷹に捧げる他なかった。
が、一向に禿鷹は舞い降りて来なかった。
一週間過ぎた。
このままだと土葬にするしかない。
そこで、ロブザン翁は、スルツァの行者の遺体に囁いた。
「もしあなたのお姿がこのまま変わらないなら、われわれはあなたさまを土葬する他ありません。」
と、突然、スルツァの行者の鼻から黄色い液体が流れ落ち、結跏趺坐の姿勢に硬直していた体が緩んだ。それを見透かしていたかのように、遠い山影から、禿鷹の群れが舞い上がり、やがて行者の遺体に群がった。
「 時とは目に見えない風のようなものだろうか。語り継がれているスルツァの老行者という人物は今やこの土地のどこへ消えたのかも姿も形も見えない。風が普段、山間を吹き抜けていくとき、はっきりとした跡は何一つ残してないように思えるけれど、遙か彼方へと消え去ったその風は何かを持ち去ったに違いない。」
「 ぼくは風を思い出した。ロブザン翁の前で静かに座っていると、再び姿の見えない風が思い出された。風のごときあの反乱、風の如きあの歳月。あの風は吹き荒れて、今やこの土地のあらゆるところから消え去ってしまった。風はいったいどれだけの混乱をひき起こしただろうか。少なくとも風はぼくの大おじを時の彼方へ連れ去って、今はもう姿も見えない。」
ロブザン翁、〈 ぼく 〉を大叔父・スルツァの行者の化身( トゥルク )、生まれ変わりと言いつづけ、他の村人たちも、あたかも生き写しでもあるかのようにスルツァの行者と呼んで憚ることがなかった。
観音菩薩の化身であるダライ・ラマや阿弥陀如来の化身であるパンチェン・ラマの転生だけじゃなく、現在でもチベットじゃ、化身・転生が草の根的に生きているようだ。
蓮華生パドゥマ・サンババやミラレパの化身・転生者なんて居るのだろうか。尤も、この日本列島にも、あれこれの転生者を自称する者後を絶たずって状況でもある。一緒くたにしてしまうと、チベット人達に叱られてしまうのか、それとも大らかに同列的に認知してしまうのか。
因みに、ロブザン翁は、〈 ぼく 〉のスルツァ家を賢者を輩出する家系と敬うのだが、現ダライ・ラマ14世( 本名=ラモ・ドゥンドゥプ )の家族は、ダライ・ラマ以前に既に、二人のリンポチェの化身・転生者を出していたという。チベットじゃ、そう珍しくもない事象なのか、それとも比喩なんだろうか。
ダライ・ラマは以前、シャンバラをもあわせて、所詮前時代的産物→迷信の類と言わんばかりだったのが、実のところ、欧米人向けの方便的言辞に過ぎなかったのか。彼等にゃ理解なんて出来ゃしないのだからと、もっともらしい言辞で煙にまいただけだったのか。
それでも、ダライ・ラマの政治的権能は放棄し、もっぱら宗教的権威として、輪廻転生制度は堅持してゆくようで、愈々きな臭くなってきたパンチェン・ラマの方もあわせて、チベットは杳として、安心立命世界には至れないようだ。
《 路上の陽光 》ラシャムジャ 訳・星泉 ( 書肆侃侃房 ) 2022年