海峡風味 幕末的砲声の趨勢
相も変わらず、もう五月が面前に迫っているのに、ややこしい寒暖差につきまとわれつづけている今日この頃。
先だって、対岸の長州馬関=下関に海底トンネルを久しぶりに歩いて渡った。 早めの連休モードなのか、両サイドから歩いて渡る内外の観光客たちの姿が途切れることもなかったが、何故か若者の姿はなく、年輩ばかり。
エレベーターで昇ると、そこはもう歴史エピソードに溢れた壇ノ浦。
対岸の旧小笠原藩企救郡=門司港の佇まいが遠目にもよく認められ、直近の四国連合艦隊と長州藩との砲撃戦の時も、小笠原・幕府合同軍と高杉晋作麾下の奇兵隊等の諸隊=長州勢の長倉戦争の時も、互い両サイドから、よく見晴らかせたに違いない。
少し歩くと、所要時間五分程度の関門連絡フェリーの発着場があり、途中にも日清戦争での講和会議・調印が行なわれた〈 春帆楼 〉が黄色く佇んでいて、訪れた中国人観光客が大きな窓から、向うに流れるやがて玄界灘・東シナ海へと至る海峡を眺めながら、清帝国のあまりもの腐敗と旧弊的堕落・脆弱さ、狡猾な欧米列強とその尻馬に乗って赤い舌を出して見せる新参の大日本帝国等への鬱屈した屈辱を肴に飲むよく冷えたビールのほろ苦さは如何なものなんだろうと、束の間の歴史的感興に想いを馳せたり。
( 末広稲荷の狭い境内の端に並べられたかつての寄進石柱群 )
( 灯籠の残骸。正徳とある。約三百年前。十八世紀前半、享保の前。当時も賑わっていたのだろう。)
関門連絡フェリーの発着場=唐戸桟橋のある唐戸近辺は、かつては例えば江戸時代、北前船の重要拠点として、全国の大店の支店が軒を連ね繁華を極めていた。人が集まり富も溢れるとなると自然遊廓の類も蝟集し華美を競ったりするようになって、明治維新以降北前船の衰退とともに規模も縮小していったものの太平洋戦争で空襲で焼野ヶ原になるまでその繁華は続いたらしい。
その中心がかつての稲荷町で、現在でもその名残りに、朱い鳥居下の細路の石段わ登ってゆくと、同和時代創建の参詣の娼妓達の姿が絶えることのなかった〈 末広稲荷 〉が、その盛衰の象徴の如く、削り取れるだけすべて削り取られた正に祠一つのミニマムな態で小高い丘の頂上に鎮座している。
幾年過前に訪れた際はもっと朽ちた感じだったのが、些か小奇麗になっていて、観光的範疇に含まれているのか整備されたのだろう。現在の祠の姿から、かつてそれなりに広かった境内の姿を想像するのは、ポツンと小高いぶん、小首を傾げるしかなかった。
ここが遊廓の発祥の地だというエピソードもあるらしい。
そういえば、対岸の門司港にも、バナナの叩き売りから、焼きカレー発祥のプロパガンダが喧しいけれど、平安末期の源平の戦いで敗れた平氏・安徳天皇がらみの生き残った官女達がその当事者ってことで、安徳天皇を祀り、耳なし芳一=琵琶法師伝説でも有名な〈 阿弥陀寺 〉、明治維新政府の廃仏毀釈で廃され後釜に居座った〈 赤間神宮 〉で毎年模様される花魁道中も、この安徳天皇がらみってことで、他の花魁道中とは些か高飛車に一線を画しているようだ。
( 大同四年の創建という。嵯峨天皇が即位した809年。末広稲荷の縁起記 )
平氏=安徳天皇の女官伝説は、しかし、対岸の、唐戸・壇ノ浦の、関門海峡を挟んだ向かいの田野浦にもあって、その名も聖山という。
廃残の女官達が、源平の戦いのあった海峡やその周辺を一望に出来る小高い小山の頂きに、死滅していった一門の菩提を弔うために庵を結んだという。庵というからには出家し尼僧になったってことだから、遊女とは無縁。海峡を隔てて、それぞれの場所柄にあった活路を見出したのか、それぞれの女官の性情・性格にあった対照的な棲み分けを選んだのか。
( 稲荷入口から少し下った稲荷町界隈。かつては、昔懐かし名曲喫茶も、時代的凋落で廃業。食物屋に変貌。大きな旧いスピーカーなんかをそのまま置いているのだろうか。かつ丼屋には不似合いと思うが中に入ってないので不詳。)
田野浦も、北前船が停泊し、こっちはもっぱら帆船の補修等を担い、それなりに繁盛していて、当然に料理屋を兼ねた娼館も三軒あったという。こっちは船乗りたちのための娼館ってわけで、対岸のそれなりの格式のある娼妓・娼館とは相違して普通の娼妓・娼館と勝手に決め込んだりしてると、否、地元の子供たちに字を教えたり、場所柄、藩のお偉いさんたちも訪れたりし、その相手をすることもあるらしいってことで、やっぱしそこらの飯食女並みとは些か違って敷居も若干高いってエピソードもあるようだ。けど、船頭たち相手に高尚はちょっと鼻白みもので、店の高位の花魁もどきがってところだろう。何しろ、ここの遊女たちって、祠を建てたりや神社や寺に寄進したりするほどの財力もあったという。
そんな彼女たちの墓石が、現在、かなり離れた、関門海峡というよりもっと先の玄界灘を見晴るかすように、小山の中腹の高野山・地蔵寺の境内にずらり並んでいる。さすがに、観光客が押しよせたりすることはないものの、時折、苦海といわれた呻吟世界にあってもそれなりに気丈に活きたらしい女たちに、線香の一本も手向ける者もあるらしい。









