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2025年5月の2件の記事

2025年5月31日 (土)

悪疫退散・無病息災的 端午節

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 ふと、日めくり農暦カレンダーを見ると、紅色印刷ページ、つまり中国農暦ゆえに、土日祭日は紅色ってわけなんだが、『 端午節 』と明記され、河岸に佇む屈原の絵があった。鬱然とも絶望ともつかぬ横顔を天に向け、河の向うには長い龍舟の姿が覗けている。
 今の日本の『 端午の節句 』は新暦=西暦の五月五日だけど、中国じゃ今日、五月三十一日が、農暦=旧暦五月五日。
 中国・戦国時代の三~四世紀の頃、国の現状に失意し、絶望し、五月五日に、長江の支流・汨羅江( べきらこう )に投身した屈原を、偲び祀ったという縁起伝説。日本じゃもっぱら厄除けの菖蒲→尚武=男児の日として独自に習俗化し、あまり屈原的因縁譚としての流布は見ない。
 日本と違って、中国本土およびそれ以外の中国人社会では、子供の日というより、ドラゴン・ボート・レース等大人の祭日でもあるようだ。 
 
 
 真中の農暦五月の五日の『 初五日 』と、中国の曜日、土曜日=『 星期六 』の太文字の間に、扇形の内に、『 十一入梅 』、『 初十芒種 』とある。他の同種の日めくりカレンダーには、これがないものもある。
 『 芒種 』とは、米・麦等の穀物を植える日のこと。
 尤も、中国北部じゃ、小麦の収穫の時期という。
 この数字の方の意味は当方には不詳。
 どちらも、入梅、芒種の日以前の期間に冠された数字(日にち?)で、『 入梅 』は、六月六日。『 芒種 』は、その前日の六月五日。その日の、同じ扇形の中には、「 今日17時57分芒種 」と明示されている。中国語的には、今日は「今天」だけど、これはあくまで会話的用法で、些か改まった用法として、中国でも「今日」は使われるようだ。只、時間まで正確に記しているのだけど、これは必ずしも一定してないようで、多少の幅があるようだ。

 

 因みに、この暦じゃ、明日、6月1日は、『 六一児童節 』となっている。
 日本の子供の日に相当するのだろう。国際児童日International Children’s Day。
世界の数割の国が共催しているらしい。

 

2025年5月13日 (火)

南端的一日行 微かに香る南国風味

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 先だって、連休の間の平日に、新幹線で終点の鹿児島まで行って来た。
 インドの最南端カニャークマリ同様、九州の最南端ってことで一度は見ておきたかったのだけど、日帰りのせわしない旅になってしまった。
 小倉→鹿児島中央まで、《 さくら 》で二時間弱。《 みずほ 》で一時間半。当方は、行きも帰りも《 さくら 》。


 久留米がこれまでの最南端行だったのが、一気に、熊本・鹿児島というかつての雄藩エリアへ。てっきり、久留米の次は佐賀かと思っていたら、いきなり熊本ってことで吃驚してしまった。そういえば、長崎も新幹線に拘って特急を廃止し煩雑な乗り換えを客に強いたりする愚挙に出、JRより高速バスの方がいよいよリーズナブルになってきた。尤も、将来は、博多から長崎まで新幹線が直通する計画ってことだが。
 やっぱし、トンネルが多いってのもあるけど、スピードが早すぎて、情緒も乏しく、あくまでピンポイント観光かビジネス御用達というべきか。揺れも微細どころか、筆記もまともに出来ない騒音も併せての昔ながら。最長二時間程度の九州新幹線にゃ、弁当やビュッフェも必要ない。
 

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 ( 水族館前バス停。連休の間の平日だったせいか、閑散としていた。 )

 

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 ( バス停の背後のくすんだ建物が桜島行フェリーターミナル。)

 

 あいにくの春霞のかかったような天候の下、とりあえず桜島ってことで、駅前から路線バスで桜島フェリー乗場のある〈 水族館前 〉へ。くすんだ感じの桜島フェリー・ターミナルの薄暗い階段を昇ってチケット売場に進む。「運賃後払い」の表示があり、そのまま改札を通ってデッキへ。対岸の桜島でのみの料金徴収。
 五層のフェリーに既に車両等も搭乗済みで、幾らもしないうちに出航。
 連休の間( はざま )の平日ってこともあってか、乗客は疎ら。韓国・中国・欧米そして日本人の比率も同じくらい。そういえば、乗って来た新幹線も、熊本で殆んど降り、鹿児島中央まではガラガラ状態だった。


 さっそく、錦江湾の向うに、初めて見る桜島の黒っぽくくすんだ山影が大きく聳えていて、イメージしてたものより横に拡がった巨大な異貌ともいうべきものだった。最初、上空全体に拡がった薄雲とばかり決めつけていたら、山塊頂上右側あたりから、やっはり薄っすらと噴煙が立ち昇っていたようだ。
 先月下旬に、活動中の南岳で、小さな噴火があったばかりという。 
 ここのフェリーは何隻も就航しているようで、つい、たった一隻でやり繰りしていた門司港=韓国の、たった半年の国際フェリーを思い出してしまった。その明瞭な差異=対岸の下関に昔から関釜フェリーがあるにもかかわらず、目先の利にばかりはやったさもしさに改めて日韓一億総ベンチャー時代の寒々とした帰趨を見る思いがした。

 それにしても、やがて接近ししてきた対岸のフェリー乗場近辺の佇まいは、かなり寂しいものだった。確かに、人口五千人にも満たない火山島であってみれば、仕方ないのだろう。大正大噴火までは、二万人が居住していたというのに。

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 ( フェリー・ターミナルのエントランス。チケット不用ですぐ乗れる。料金は桜島側で支払う。鹿児島側に戻る際も、桜島側で現金あるいはカードで支払ってから乗る。改札で直に現金を払うだけで、チケットはない。)

 

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 ( フェリーは千数百トンクラス。所要時間は十五分くらい。対岸の桜島にも別のフェリーが停泊していた。少し薄靄でもかかったかのような黒っぽい巨大な山塊の麓の岸壁に沿って、低い民家が並んでいたけど、余り活力が感じられなかった。)

 

 下船すると、早速に山影をもっと間近くで見ようと、林の間のアスファルト路をすたすた歩いて行ったものの、いよいよ林が深くなってくるばかり。かえって見ずらくなってきて、元来た方へ戻ることにした。
 途中、道路から少し入った木陰の向うに、民営・国民宿舎と記されたコンクリートの建物が覗けていて、昼尚仄暗い幽前とした雰囲気に、好奇心むき出して近づいてみると、果たして、廃墟のようだった。周りの関連施設(?)も同様、黒々と朽ち果てたその闇奥に幽鬼すら息を凝らしてじっとこちら側の様子を窺っている気配すら覚えてしまう。

 

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 ( 靄も大部薄れてきた桜島火山群。右側、活火山の南岳あたりから薄い噴煙が立ち昇っている。先月末に南岳で小さな噴火があったという。)

 

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 ( 私営・国民宿舎と記された建物は、近くで見ると、朽ち始めていて廃墟なのが分かった。左や奥の建物もくすみ、人の気配は感じられない。雑草も生い茂り、やがて、蔦の類が建物を蔽い始め、前のコンクリの駐車スペース繁茂した蔦類や雑草にすっかり覆われてしまい、かつてのアンコールワットの如く、密林の奥で静かに寝息を立てるばかりなのだろう。) 

 

 因みに、帰宅後、ネットでその国民宿舎をチェックしてみたら、サイトの痕跡ばかりで杳としてその実像に掠ることもなかった。只、「リーズナブルで温泉はとても気持ちの良い掛け流し」という唯一の滞在客のらしい印象記があっただけ。
 と言うことは、温泉風呂が備わっていたということになる。
 桜島火山直下の温泉なら客受けも好いだろうが、廃業したというのは、ひょっとして、その温泉が出なくなったという可能性も単純推論だけどありえよう。あるいは、定番の、小泉・安倍の薩長同盟による平成的末期資本主義的産物。安倍の根拠地・下関の凋落同様小泉のこの故地鹿児島でも・・・。

 

 さすがに歩き疲れ、鹿児島市内で昼食をとる予定だったのが、フェリー・ターミナル近くの、ローソンで食べる羽目に。ここのローソンは、ターミナル側に広い眺望窓のある広めのイートインがあり、桜島火山を眺めながら食べれるようになっていた。昼時でもあり、中国系・韓国系の観光客が入れ替わり立ち代わりテーブルに着いていた。わざわざ新幹線で鹿児島までやって来て、ローソンの弁当とは・・・。

 

 帰路、本当は、成瀬巳喜男の《 浮雲 》で、新興宗教団の資金を横領した主人公・高峰秀子が、愛人・森 雅之と一緒の逃避行の果てに、この鹿児島の波止場から連絡船に乗って遠い屋久島へと去ってゆくシーンの、モノクロであっても茫洋と仄昏さが印象的だったので、是非一度どんな港なのか確かめてみたかった。何しろ、急に思い立っての鹿児島行だったので、それが何処の港なのかも下調べすらできてなく、結局、確認できずじまい。
 尤も、半世紀以上も前の映画なので、もう当時の佇まいなんて一片だに残っているはずもなく、現地で貰った観光地図に、屋久島=宮之浦港行のフェリー乗場は二カ所載っていて、鹿児島本港南埠頭は一般フェリーで恐らくこっちだろうが、もう一つはその少し南側に下った種子島・屋久島行の高速フェリー乗場。
 
 さすが南方沖に、奄美・沖縄を控える鹿児島だけあって、市内に桜島も含めて四カ所も港がある。長崎同様路面電車が頻繁に走り、市内の、中心的繁華街・天文館周辺は、アーケード商店街が縦横に連なっていて、連休期間故なのか、結構観光客で溢れていた。全国的凋落・過疎化故、列島の辺境たる九州で繁華なのは博多だけなのは確かに違いないが、シャッター商店街にはまだほど遠く、その繁華な一角の唯一のデパートとなったらしい山形屋( やまがたじゃなく、やまかたと読む。 )の地階の食品売場で、ふと聞き慣れない言葉でおばさん達が会話しているのに気付いた。
 他県の者には理解不能の薩摩弁・・・否、鹿児島には、南方の奄美・沖縄の人々もやって来ているのを思い出した。尤も、どっちもてんでちんぷんかんぷんなのだから、とりつくしまもない。
 やたら目立っていた、夏には強烈な陽光に眩しく照り返っているのだろうレトロな白亜の大きな建物=南日本銀行と併せて、異国情緒・南国情緒が微かに漂う列島南端の街ではあった。

 

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 ( 鹿児島市内、天文館エリアからちょっと外れた昭和の佇まいそのままの易居町の寂れた一角。二枚とも。上は廃墟と化してしまっているけど、下のは、まだ頑張って操業中の店々。洋服店も昔日のままの姿そのまま。タイムスリップでもしたかの如く。じっくり、見て廻りたかったな~。)

 

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 ( レトロな造りの南日本銀行本店。そばで見ると可成り大きい。)

 

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