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2017年11月13日 (月)

転向論的ゆらぎ 岩佐作太郎=秋山清  

Kokkaron
   


 門司港レトロには中国・大連から移築した二十世紀初頭ロシアが建てた東清鉄道汽船会社事務所木造三階建のレプリカ《 日中国際友好図書館 》があって、中国や韓国の書籍や中国語の大判の辞典も揃い重宝していた。初期の頃は、東南アジアの小説も申し訳程度だけど並んでいたのが、数年前に殆ど放出してしまったようで、完全に東アジアに絞った正に“東アジア図書館”。
 幾年か前、二階の奥に、平凡社の“東洋文庫”がずらり並んだ。
 アジアの古資料としては申し分ないだろう。
 最近、その草色のハードカバーを手に取って確かめていると、ふと《 共同研究 転向 》とあった。ページをめくると、見覚えのある名前が出てきた。大正時代のテロリスト集団“ギロチン社”の中浜鉄の生家の隣村生まれ、同じ大正・昭和のアナーキスト詩人・秋山清だった。
 中浜鉄が門司・柄杓田の産で、その隣の同じく漁村・今津が秋山の郷里。
 それも遠戚同士ってことで、何度か面識もあったという。
 因みに、秋山の言だと、中浜の柄杓田より今津の方が明らかに貧しかったってことだった。( 詳細はこのブログの《秋山清『目の記憶』》、《大正テロリスト・ギロチン社》(2014年)を参照 )
 

 戦後、しばらく、戦前の権力・軍部の対外戦争の挙国一致的キャンペーンへの協力およびその思想的変節=“転向”を非難・批判する動きが様々な分野で行われたという。戦前=戦争とその軍国主義体制への反省から発したもののようで、その一つの成果として《共同研究 転向》(思想の科学)編集・鶴見俊輔 があった。てっきり所謂社会主義者たちの思想的・運動的変容を指すのかと思っていたら、自由主義者なんかのもっと広範囲な人々を対象にしていたのでちょっと驚いてしまった。

 軍部統制の全国的挙国一致モードの真っただ中、徴兵されてない人々って、生活の幅も極端に狭くなり、到底意思(おも)うようには活動できなくなって、それでも僅かに例えば映画なんかで成瀬巳喜男のいよいよ戦争も押し迫った1939年(昭和14年)の《はたらく一家》、《まごころ》で挙国一致的記号を羅列はするけど、同時に自分たちの秘教めいた記号を埋め込んだりの一筋縄ではいかない風に作られたものもあった。
 
 映画・文学なんかは、まだ、そんな記号論的な術の余地が残されてはいたろうが、岩佐のような国家権力に対してもっとも先鋭な批判的・敵対的な政治的な運動の象徴的な存在だと、そのもっと早期から、1935年頃にはもう、一般にはあまり知られてないようだけど、日本全国でアナーキスト達数百人が逮捕される“農村青年社事件”と呼ばれた事件があって、権力に完全にその動きを封殺されてしまっていたようだ。
 殆どでっちあげ逮捕らしく、昨今も戦前権力と同質な自民党権力が戦後一貫してその成立を策してきた全体主義体制の常套=治安維持法=“共同謀議”的フレームアップ法体制化にうつつを抜かしているようだ。もっとも、国家権力って、そんな法がなくったって如何様にもデッチあげは出来るし、戦後も一貫してフレームアップ事件を起こし続けてきている。もう、やりたい放題。それでも、ある種の手合い(エスタブリッシュメントとも謂うらしい)は、この国が民主主義国=法治国家だとしたり顔や涼しい顔して喧伝して廻っている。戦前にも腐るほど列島中に跋扈していた類だ。正にバーチャル・デモクラシー世界。


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 岩佐作太郎って、戦前、明治末頃から戦後もしばらく活躍していて、大杉栄と並び称されるもう一方のアナキストの代表的存在だったらしいけど、風雲児・大杉栄に比して実直な岩佐作太郎の情報ってホント僅少。
 若くして米国に渡り、社会主義活動に目覚め、渡米した幸徳秋水とも交流を持ち、16年近く滞在。1910年に勃発した幸徳秋水たちが逮捕され12人が死刑、5人が獄死した《大逆事件》に抗議し、《 日本天皇及び属僚諸卿に与う 》なる公開状を日本政府に送り付けたのでも有名で、帰国後も、中国に渡って中国人アナーキストたちと交流をもったり、戦後も《 日本アナキスト連盟 》の全国委員長を務め、1967年没。
 この《 国家論大綱 》の巻頭に、刊行者の山本勝之助の記した岩佐の略歴がある。
 

 「 明治十二年( 一八七九年 )九月廿五日千葉に生まる。中央大学の前身東京法学院に学び、卒業後、漢学者山井幹六先生の塾に遊ぶ。又故三浦梧楼氏の処に寄食す。その頃、故神鞭知常氏の紹介で故近衛篤麿氏に接近し支那問題に働きかけるべく画策した。後渡米し渡米中のアナーキストとしての活躍は、余りにも有名なものである。日本の某大事件に対するサンフランシスコに於ける反抗演説会の演説は世界に喧伝されたものである。又米国を騒がした所謂「革命事件」の立役者でもあった。帰朝後は大杉、堺、荒畑、山川諸氏と共に社会運動の輝ける巨星であった。後昭和の初め中華民国の元老蔡元培、李石曾氏等の招聘に応じて渡支し、上海労働大学の設立に参画し、そこで革命史を講ず。済南事件後帰国し郷里に引退し今日に及ぶ。」

( 注 ) 三浦梧楼=元長州・騎兵隊出身だけど、山形有朋等の藩閥政治に批判的で、谷干城たちと反主流派を形成した軍人政治家。朝鮮国特命全権公使時代に起きた閔妃暗殺事件に連座したとされ投獄されてもいたようだ。


 岩佐の《 国家論大綱 》( 昭和12年2月=1937年 )って、たかだか20ページ弱の小冊子で発行所は《 亜細亜政策研究所 》となっている。山本が中心というより音頭をとって作ったのだろう。巻末に《 国策批判会論集 》の近刊予告があって、そこに山本や岩佐の《 支那について( 断想 )》、そして藤岡淳吉や矢部周の論文タイトルと名も連なっている。調べてみると、藤岡は草創期の共産党のメンバーらしく出版関係に拠点を置いていたのが、この頃“ 偽装転向 ”し、東条英機と拮抗したといわれる石原莞爾の本なんかを出版したりしてたのが、戦後は再び共産党に戻って出版事業に専念した人物。
 もう一人の矢部は、大杉栄と同時代の社会主義者から国家社会主義に変転した高畠素之の弟子らしく、この顔ぶれから、当時のエスタブリッシュメント=東条体制に批判的な位置関係にあったのが窺われる。
 因みに、岩佐に接近し、《 国家論大綱 》を書かせたといわれる発行人の山本勝之助も、元アナーキストだったのが、石原莞爾に魅せられて右翼サイドに思想的変転した人物らしい。


 この岩佐の《 国家論大綱 》、それ以前の岩佐が“ アナーキスト ”の頃には社会と国家とを峻別し、あくまで国家(=権力)は社会に寄生する本質的に異なるもの、敵対するものしてときっぱり否定していたのが、まずは社会的動物・社会的人間として、人間世界における社会の優位性を説く。


 「 人は社会的動物なり、社会は人よりも先在者なり」

 「 人々相寄り、相扶(たす)け、共にその自由を享楽し、発展を図ることは、これ本然の性である。この社会性を、集団心理を基調として、国家は生成し、もしくは樹立されたものである。」
 
 「 世に国家なく、法律なくば人々相食み、相殺し、相損い合うが如くいうものあるは大なる誤である。」


 とし、国家には二種あって、自然生成的国家と人為工作的国家があり、自然生成的国家を世界で唯一無二、日本だけの独自的存在性として提示し、他の国々、とりわけ欧米先進国をその典型とする人為工作的国家を対峙させる。
 
 自然生成的国家とは、「 統治者と被統治者との関係が、人間の社会性の、集団心理の上に自然に生成発展したるものであって、かの父と子との関係が自然に生成し、例え天地が転倒し太陽が西から出ることあろうとも、父が子となり、子が父となるが如きなく、その関係が絶対的なものであるように、絶対的であって、天壌と無窮溢れることなき国家を言うのである。」

註]天壌無窮溢(あふ)れることなき=戦前の超国家主義者たちの定型句。天孫降臨の際の天照大神の勅。未来永劫、栄えつづけるの意味。岩佐も、一つの時代的趨勢・皇国史観的体裁を整えるためのラベルとして多用している。


 それに対して、人為工作的国家とは、「 統治者と被統治者の関係が、人為の工作に由って樹立されたもの、詳言すれば、征服とか、契約とか乃至は偽瞞等々に由って人間の社会性の、集団心理の上に樹立された国家である。」
 つまり、「 昨日の統治者必ずしも今の統治者でなく、昨日の被統治者必ずしも今の被統治者でない。」
 「 統治者と被統治者の関係が相対的なるが故に、強は弱を排し、賢は愚に、徳不徳に代る、これ実に、人為工作的国家の常道である。」 


 この日本だけを特殊化した“ 唯一無二 ”等をはじめ当時の趨勢=皇国史観的国粋主義的なラベルを貼りまくって構築した自然生成的国家は、あくまで当時の天皇制国家を実像としていて、統治者と被統治者との関係が「 絶対的なるが故に、賢不賢、徳不徳、強弱等に依って統治者の代わることはない。統治者は千古、万古依然として統治者であり、被統治者は千古、万古被統治者であって、統治者となり得ないことは疑義を挟むことを許さない。」
 
 「 被統治者固(もと)より忠順統治者に絶対的に服従して居るべきが故に、統治者にして賢明、有徳なるに於ては、その国は無上の進化発展を遂げ、人民は鼓腹撃壌みなその徳に浴し、自由を享受することあるべきも、苟も上に立つもの尽忠の心に欠き、頑迷不霊、暴虐無道なるに於ては、その害悪の及ぶところ、人為的国家の比ではなかるべく、実に寒心すべきものがあろう。」


註]鼓腹撃壌( こふくげきじょう )=中国故事。善政がしかれ、太平の世を人民が謳歌する様。

註]苟も=いやしくも。

註]尽忠( じんちゅう )=君主や国家に忠義を尽くす。  

註]頑迷不霊( がんめいふれい )=頑固で道理を悟ることのない無知。


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 「 かかる場合に於ては、人為的国家にあっては湯武あり、クロムエルあるべく、特に人民は革命を以って応ずることがあるであろう。
  然るに、自然生成的国家にあっては、統治者は絶対の存在なるが故に、かゝることは夢想だもされ得ないところであるからである。」


註]湯武( とうぶ )=湯武放伐ともいう。中国の伝説で、夏王朝最後の王=暴君・桀王を殷(いん)の湯王が倒し、殷の暴君・紂(ちゅう)王を周の武王が倒し次の王朝を建てた。有徳の王が天子の座を有徳の者に譲る禅譲と真逆。


 「苟も上に立つもの尽忠の心に欠き」は、統治者=天皇だけど、それじゃ差障りがあるって訳で、権力の代行者としての統治者にすり替えている。すぐ前の“忠順統治者”が“忠順”で切れていれば別だけど、“忠順統治者”と一つの単語に繋がっているならそれであり、もっと後の箇所でその代行権力者を“当路者”(=重要な地位にある者。)としても明示している。
 当時だと、東条達軍部権力だろう。このパンフレットの発行者・山本や実態があったのかどうか定かじゃない《 亜細亜政策研究所 》周辺って、東条達と拮抗していたらしい石原莞爾サイドってことで、正に“君側の奸”=東条一派に対する指弾・批判って構図。
 ( この国家論のパンフレットが発行された前年勃発した《 二・二六事件 》の際、石原は東京警備司令部参謀として反乱軍鎮圧の先頭に立ち、天皇ヒロヒトに昭和6年の石原と板垣が画策した《 満州事変 》もあって訝られながらも一応の評価はされたらしいが、翌当年、つまりこのパンフが出た頃は、倒れた広田内閣の後任に推された穏健派・宇垣陸軍大将の組閣を、あくまで軍部主導の政治を目して流産させることを画策して奔走している最中、私見するところ、所詮石原莞爾も東条等と一つ穴のムジナ。おそらく、岩佐自身も冷めた眼で同様に視ていたろう。)


 これが、岩佐のこの国家論の基本構造ともいうべき反語的レトリック。
 先ず国家より社会の優先性・優越性を宣言しておいて、以降、幾ら国家に関して美辞麗句・賞賛宣揚をしてみせても意味を持たせない基本構造。(後出する右翼的農本主義者・権藤成卿の相似なこの論理に対する右翼達による批判は少なくなかった。)
 自然生成的国家の統治者=天皇を、絶対的統治者・天皇≒代行権力者と曖昧化しておいて、堂々と統治者=天皇を、「 賢不賢、徳不徳」、「 頑迷不霊、暴虐無道、その害悪の及ぶところ、人為的国家の比ではなかるべく、実に寒心すべきもの 」であっても金輪際統治者であり続け、被統治者は永遠にその苛政・苛斂誅求に甘んじ従順に堪え続けなければならないのに較べて、欧米等の人為工作的国家は、抑圧された人民達は起ち上がり革命等によって苛政・圧政権力を打ち倒し自分達の新しい社会を樹立すると説く。
 実に簡明な対照的比較論法とでもいうのか、一見欧米諸国( 人為工作的国家 )を否定・批判しているようにみせかけながら、日本=自然生成的国家の方が根本的に破綻し自壊してゆく矛盾・自滅的契機を内に予め孕んだ構造。正に、人民解放の革命へのアジテーションを、堂々とやってのけていたってことだ。
 言葉にすると大げさだけど、実際は驚くくらいに簡単明瞭過ぎて、偽装性の意味があまりあるとは思えず、よくこんなものが出版を許されたもんだと感心してしまう。非主流派であってもまだ石原莞爾が有力であった時節と、そもそもが岩佐に話を持って行った当事者でもあるらしい発行者の山本の政治的手腕の故なんだろうか。


 以上、岩佐作太郎の《 国家論大綱 》の簡単な概要をみてきた。
 次に秋山清のこの《 国家論大綱 》に対する言及・批判に触れてみる。
 

 「 大正の労働運動にアナルコ・サンジカリズムの勢力がある程度伸長した歴史をもっているアナキズム運動の流れの上に、満州事変、日支事変と第二次世界大戦のプログラムが進むにつれて、いち早く、殊にその指導的部分に思想的転向を表明するものの相次いだ事実は、革命思想としてのアナキズムが所謂アナキズムの陣営のなかにおいてさえも、意外に薄弱化にしか浸透していなかったということを示しているもののようである。 この研究は、二、三の著名なアナキストの動向によって、その歴史的必然と人間的必然との重なり合いによって表面化された転向の、よってきたるところをたずねようとするものである。」(p302)

 
 著名なアナキストとは、この《 共同研究 転向 》のアナーキストの章でもう一人取り上げられた詩人の萩原恭二郎や、当時農本主義志向に一層傾いていた石川三四郎等のことだろうが、“革命思想としてのアナキズム”の薄弱的浸透、つまりアナーキズムの根本把握と血肉化の脆弱さ故の、歴史的・人間的な必然的産物との断定。
 萩原と石川は取りあえず置くとして、かつては大杉栄の労働運動社に参画すらしていたもう一方の旗頭の岩佐作太郎にピタリ《 転向者 》としての照準を合わせ、アナーキスト詩人・秋山はこう続ける。

 「 ここで特に注意すべきは、転向した岩佐の国家観および道徳観の集約的表現と見られる『 自然生成的国家』という思考の背後に存在するものが、日本の特殊性、という観点に貫かれていることである。日本を特殊な国家と見ることで天皇の存在を許容し、大陸への侵攻に批判をさし控えるという、これは共産主義者の転向にも用いられた一つのケースである。」( P307 )


 「 岩佐は、これを地理的に、また歴史的に、日本について合理的に説明しようと努力しているようであるが、《 国家論大綱 》のこの理念は、極めて容易に岩佐の内部に、可なりに彼の若い時代から発酵しているかに推量されるものである」( P307 )


 「 いいかえれば、明治三十年代から在米国時代の社会主義活動以来、岩佐の約四十年間( 太平洋戦争まで )の国家権力とのたたかいの活動の歴史のなかに、その底流が見出されるかもしれない」( P308 )


 「 従来の彼の理論の観念的傾向と、《 生成的国家 》の説とが極めて近距離、等質的なものであったためと考えられる 」


 「 『 日本の盛衰は統治者の行蔵の如何にかかわる 』というに至れば、これは民衆の力による下からの革命の拒否である。統治者を天皇と見、天皇以外の支配階級を君側の奸と見ることによって、アナキスト岩佐の、反権力反支配階級との闘争ははそのまま彼の内部に生きつづけるごとき錯覚となり、隣にゆくような気軽さで、アナキスト岩佐は日本国家の称揚者となったのである。」(p319)


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 一見、秋山のこの岩佐の《 国家論 》に対する批判って、岩佐がこの論を発表した戦前当時に、傍から、つまりアナーキスト陣営からの批判として、岩佐の見え見えの“ 偽装転向 ”を手助けするカモフラージュとして認められた一文かと錯覚してしまうぐらい。
 が、実際は、戦後十年以上過ぎての批判論で、秋山も、岩佐のこの《 国家論 》が巧く出来ているとは認めながらも、「 排外的なすなわち日本主義と呼ばれる右翼的思考と全く区別ない主張を展開した 」と、けんもホロロ。
 秋山の、この岩佐に対する硬直というより頑なさは一体何処からきたものなのか。
 それは、例えば秋山のこのくだり。


 「 岩佐のこのような思想的転回と相伴う現象として、後進のアナキストの多数がこの前後から、全く岩佐と同様の歩調をもって右翼的な国家主義の地点に続々と移行していった事実がある。・・・・・・もっとも尖鋭な無政府主義の思想団体と自ら号し、革命にたいして個人的な創造的暴力を絶対視して革命的なアナルコ・サンジカリズムをさえ、その労働者組織を、権力発生の萌芽なりとして暴力的に排撃した黒色青年連盟員らが、日本の戦時体制に順応して、後には戦火の灰燼の中に“ 必勝革新運動 ”を唱えたり、または明治神宮あるいは二重橋前に早暁の礼拝に憂身( うきみ )をやつすようなみすぼらしい顛落を生じていった原因には、岩佐の転向の与えた刺激が大きかったという責任があるだろう 」(p322)


 「 所謂純正無政府主義を称した人びと、一切の革命のための組織 ── 労働組合、農民組合、あるいはそれらの職業別組合、さらにまた思想文化の団体にまで、反革命としてのその結成に反対しようとした観念的な思想体系は、戦時体制の下では生活の方途にすら混迷せざるを得なかったのである。日常生活に民衆の労働と勤勉を持たなかった人びとは、自主自立を根底とするアナキズムを自己内部からさえ喪失し、喪失したことによって、支配権力の元締めである天皇と天皇制とに、独自の解釈を加えることで、これを容認し、近づこうとしたのである。」(p323)

 
 上記に共通する秋山の思いと感情、それは次の当時の秋山の現実状況の把握に端的に現れている。

 「 第一次世界大戦後の労働組合の発達と社会主義の活性化の中では大杉栄を中心とする《 労働運動社 》の活動が、思想運動、労働運動におけるアナキズムの中心であったが、大杉の事後、大正末期にはギロチン事件等のテロリズムの発生となって、とかく労組等の組織活動を軽視する傾向がつよくなり、アナルコ・サンジカリズムがわが国のアナキズム運動の中心勢力であるという事情は、急速に変化しはじめた。
 昭和になってからはさらに、石川三四郎らも穏健なサンジかリズム的思考を非難されて、黒色青年連盟( 黒連 )や全国労働組合自由連合( 自連 )などの指導的位置には自然と岩佐作太郎が据えられる形となった。この間アナキズムが、労働運動においても文化運動においても影響力を弱めていった・・・」

 秋山は戦前・戦後もいわゆる岩佐達の所謂“ 純正無政府主義 ”と角逐し対峙した“ アナルコ・サンジカリズム ”系のポジションにあり続けたらしく、増々時代が閉塞してゆく中で純正派が、急進的な青年的ヒロイズムと一蹴されかねない切羽詰まった将来的展望の欠如した直接的暴力主義に傾斜してゆく過程で、秋山達アナルコ・サンジカリズム派を誹り排斥したという秋山の裏切られ切り捨てられたようなトラウマと怒り=呪詛の念、正にこの一点に、秋山の純正派の象徴=岩佐作太郎に対する論難は成り立っているように思えてしまう。
 当方、当時の純正=アナルコ・サンジカリストの角逐・争闘の具体的詳細はつまびらかにしないけれど、秋山をして、そこまで執拗に糾弾させた要因・契機が、彼の批判の論の中には他に見出されない。
 

「 世に国家なく、法律なくば人々相食み、相殺し、相損い合うが如くいうものあるは大なる誤である。国家は人間の社会性の、集団心理の上に生成し、もしくは樹立されたものであって、その成員をして人間としての完成を遂げしむることが、その使命である。・・・・・・
 国家が、その使命を閑却し、もしくは私の法を作り、私の欲を逞うし、人民の自由を奪うに於ては、人間社会は、こゝに醜悪、悲惨、残虐な修羅の巷となるであろう。」(《 国家論大綱 》5p)


 先ず国家より社会の優先性・優越性を宣言しておいて、以降、幾ら国家に関して美辞麗句・賞賛宣揚をしてみせても意味を持たせない基本構造。最初にそれを提示してみせるという、しかし、そんな恥ずかしいくらいに見え見えの単純な偽装性であっても、ともかく一応は、山本勝之助の手腕の故なのか検閲の網の目を通過でき出版されたのだけど、今度は欧米型の《 人為工作的国家 》を貶め指弾するように見せかけながら、その実、我が国固有・絶対的なものとして持ち上げた《 自然生成的国家 》を、現実状況をも媒介として、逆照射し、《 自然生成的国家 》=天皇制国家・大日本帝国を根底的に否定し批判するという逆説的手法を臆面もなく延々と展開してゆく。
 繰り言になるが、当方から見ると、よくもあんな石原莞爾すら東条に排斥されてしまうご時世に、かかる鉄面皮な、こう言って良ければ、空前絶後なスケルトン的偽装転向の金字塔《 国家論大綱 》を世に出せたものだとホトホト感心してしまう。

            
 補足すれば、これは秋山も指摘していることだけど、明治・大正・昭和の時代を通じて、所謂“右翼”的サイドに身を置き、“社稷”(しゃしょく=大地に根差した自治的村落共同体)の概念を基準にした“農本主義”を唱え、“五・一五事件”にも影響を及ぼしたといわれる権藤成卿の論に同調・触発されてはいるだろう。
 権藤は、甘粕等陸軍の大杉栄殺害およびそれに対する右翼サイドの同調的言動にかなり不快感を示したり、軍部の言論弾圧に“ファッショ”の語句を使って批判したりの、必ずしも全体主義的超国家主義者じゃなく、例えば、プロシアを規範にした明治国家を次のように批判した。

「社稷を離れたる国は、必ず尊己卑他の国にして、其民衆は権力者の奴隷となる」
 
 そして、岩佐が《 国家論大綱 》で援用した理念が、

 「 土ありて而(しか)る後民人あり、民人ありて而る後君長あり」

 あくまで主役は“民人”なのであって、天皇や権力は、良いとこ、二次的存在に過ぎない。勿論、この論に当時の右翼サイドからも、この理念に異を唱え批判する者も少なくなかったという。ともあれ、権藤の自治的農本主義に、岩佐が必ずしも近代主義一辺倒じゃないアナーキズム的共感を覚えたのは確かだろうし、転向的偽装に好個の論理と意匠を得れたってとこだろう。

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2017年10月29日 (日)

ミレニアム的動物愛護週間

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 中国・江西省チワン族自治区で、町興しの一環なのか、約二十年前から恒例の行事と化したらしい《 茘枝狗肉節(ライチ犬肉祭)》、地元の有名物産扱って訳か果物のライチと犬の肉を供するフェスティバルに、お決まりの西側( 欧米 )からの風当たりが、最近では中国国内や地元からすら強くなってきているという。
 ネットの写真見ると、店頭にずらり犬の丸焼きが吊るしてあって、尻尾までが焦んがりときつね色に焼かれ、これからクリスマスが近づくにつれ欧米や日本国内、否、中国の街角でもターキー(七面鳥)あるいはその代用としてのチキンが店頭に並べられるのと同様、行き交う人々の食欲をそそるのだろう。
   
 日本でも、つい最近まで、伝統食として誇ってきたクジラ、つまり鯨肉食に対して同様に、欧米からの非難・指弾のバッシング激しく、随分と国内の“何言ってやがる!”、“余計なお世話だ!”等の反発も喧しかったのだけど、その折にも、日本国内での犬肉食には、文化ではなく四国等の一地方的な慣習と決めつけ、鯨肉食とは別個の悪弊とばかり鯨肉食擁護派が貶めるのが大勢だった。
 しかし、かつて江戸時代初期頃は、冬になると江戸市中から犬の姿がなくなってしまうくらいに貪られていて、朝鮮半島から犬を食用として輸入までしていたというのだから、これって、何しろ幕府のお膝元、花のお江戸の冬の風物詩だったのだろうから、もう(食)文化の範疇ではなかろうか。 
犬肉食って、アジアだけじゃなく、ヨーロッパはじめ世界中で食べられてきたろうし、英国でも、狩猟の際に連れ歩く犬も、場合によっては、つまり遭難等の不慮の状況に陥った時の非常食としてのすこぶる現実的な役割を与えられていたらしい。愛犬家も糞もあったもんじゃない。さすが、ネアンデルタールの後裔だけのことはある。えっ、ネアンデルタールのDNAって日本人のDNAにもちゃんと含まれているって? ・・・でしょうね。
 

 と、思っていたら、犬だけじゃなく、猫の方も、ちゃんと江戸時代にゃ食されていたという。そもそも数が知れているのと、基本肉食は仏教的に禁忌という建前で、日常食って訳にはいかなかったろうと思っていたら、犬肉と同じく強壮剤的な意味合いや、黒猫の黒焼きなんかは喘息の薬としても珍重され、果てはこれは終戦直後の闇市にも出回って美味だったといわれる猫の“おでん”も江戸の庶民が舌鼓をうっていたという。現在なら、さしずめコンビニの四角いおでん鍋の一隅に人待ち顔で端座しているってことになろうか。
 それが、明治維新で、西洋文化とともに西洋食文化も輸入され、牛・豚・鶏等の《 食肉 》が大っぴらに大量に食され飼育されるようになって、それまでの季節的風物詩程度の特別食を担ってきた犬肉食・猫肉食が衰退していき、一部の地域や好事家に細々と嗜好されるだけになってしまったのだろう。


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 そういえば、以前、インドの最貧困州といわれたビハール州で、州政府の高官が、貧窮に業をにやしてか、ネズミ肉食をぶちあげたことがあったのを覚えている。
 要は、“ 貧乏人は、ネズミでも喰ってろ!”って訳だろうが。
 そこら辺の食堂から、レストラン、果ては高級ホテルにまでに、ネズミ肉のメニューを加えるように要請したらしいのだけど、基本は、動物性たんぱく質摂取の乏しい貧困層対策なんで、特定してネズミ肉食を求めると、さすがにヤバイと思っての平等的糊塗策の類。そもそも、中産階級や裕福な家庭の者が、ネズミなんて喰う訳もなく、十分に他の肉を贅沢に喰っているのだからその必要もない。
 もっとも、金持ち連中の中には、好事家や飽くなき嗜食家(グルメ)も居て、珍奇を極めようとする可能性もあろうが。
タイの貧困エリアといわれるイサーンの人々も、昔から乏しい動物性たんぱく質摂取という切羽詰まった必要性でネズミ肉食を続けてきていたらしけど、さすがに昨今イサーンの人々も、以前と違って、もっぱら酒やビールのつまみ・スナックとして喫食しているようにも見受けられる。


 以前、大泉黒石の戦時中の野草譚《 草の味 》の紹介の際、大日本帝国軍=皇軍の南方での人肉食、つまり食人についてちょっと触れたことがあった。
 映画《 野火 》の中で皇軍兵達の人肉への執着を、人肉に含まれる“塩分”が根拠と語っていたものの、実際には周辺の野生動物(の血液等)にも塩分は含まれているにもかかわらず、杳としてそんな痕跡もないのを現地人達に訝られ恐れられていたのだけど、遙かネアンデルタール人たちの共喰も昨今有名になって、はてさて、人間の食的性向って、いよいよそこはかとない業って想いが一層強くなってきた今日この頃。


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2017年10月15日 (日)

エイリアン : コヴェナント( 聖約 )  一つの存在論的な巨大な実験( =フラスコ )としての人類創生、それとも技術論的な開発としての人類繁殖? 

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 前作の《 プロメテウス 》(2012年)が、この《 エイリアン 》シリーズの新たな、それも本源的展開だったということで、今回、それなりに期待はしていたのが、スルリとかわされてしまった。
 製作者側の企図としては、今回の《 エイリアン : コヴェナント 》は、前回の《 プロメテウス 》の続編だけど、次回作《 エイリアン : アウェイクニング 》こそが、《 プロメテウス 》の直後にくる続編ってことで、今回のはその《 エイリアン : アウェイクニング 》の後に続く三つ目の物語らしい。

 そんなややこしい作りにしたためか、この《 エイリアン : コヴェナント 》、些か説明的に過ぎ、《 プロメテウス 》の未知の異世界を一歩一歩踏みしめてゆくスリリングさも薄れ、如何なる都合・技術的な問題があっての末の一つ飛ばし、あるいは結末の先取りか知らないけど、蠱惑的な謎というより思わせぶりな中途半端な代物に堕してしまった。続編を前提とした作品が往々にして陥る陥穽。  
 

 そもそもが、前作《 プロメテウス 》が、オリジナルの《 エイリアン 》(1979年)の前日譚として作られたもので、オリジナルの《 エイリアン 》の宇宙輸送船ノストロモ号が鉱物資源を積んで地球への帰途の途中、知的生命体らしき信号を発している小惑星へ会社命令による進路変更したことによる未知との遭遇=エイリアン禍に見舞われたのが西暦2122年、惑星探査船プロメテウス号が種の起源を解き明かす鍵となる惑星LV-223に降り立ったのが西暦2093年。

 つまりリプリー達が降り立った惑星LV-426で不気味に佇む巨大な宇宙船と化石化した異星人の姿に遭遇した年から29年も前に、既に同じ企業のプロメテウス号が別の惑星で異星人とその宇宙船、エイリアンとの遭遇を経験しその情報を得ていたということ。

 そして、今回の《 エイリアン : コヴェナント 》では、植民船コヴェナントが2,000人の入植者を目指す惑星オリガエ6に運んでゆく途中、ニュートリノの衝撃波を受けて故障し右往左往している最中、近くの、とある太陽系の第4惑星から知的生命体らしき信号が発信されているのを確認し、地球に近い環境故にとりあえずの探査が行われるのが、前回のプロメテウス号から11年後の2104年。
 そして、次回作、《 エイリアン : アウェイクニング 》が、その11年間の間の何処かって訳で、これだけ見ても何とも煩雑でややこしい。


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 オリジナルのエイリアン・シリーズの頃は、普通にSFホラー・スリラー映画ってとこだったのが、《 プロメテウス 》以降の新シリーズじゃ、人類の起源はじめ本源的なアプローチに西洋的神学を加味し、中々興味深い設定で、とりわけ今回は神学的ニュアンスが強くなっていよいよ面白くなってくるはずだったんだけど・・・。
 

 《 プロメテウス 》で、人類を作った異星人( =エンジニアとこの映画では呼ばれている )が、あたかもノアの大洪水での人類絶滅やソドムとゴモラを殲滅した神ヤハウェの如く、惑星LV-223から人類=地球の殲滅・破壊を企図していたのを、今回の《 エイリアン : コヴェナント 》では、彼等エンジニアの遺棄宇宙船に乗って、彼等の居住する惑星に赴き、上空から彼等エンジニア達が作った生物兵器をぶち撒いて住民たちを最後の一人まで殲滅し尽くしてしまったエピソードを、両作品に登場するアンドロイドのデヴィッドが回想するシーンがある。
 それが、かつて古代の死の都と化したソドムとゴモラもこうだったかと想わせる彼等が降り立ったその第四惑星の黒々と石化した無数の人型の遺物の意味だったという訳だけど、その辺の詳細が、次回作《 エイリアン : アウェイクニング 》で明かされるという流れなんだろう。


 そもそも何ゆえに、人類を作ったはずの異星人エンジニア達が、人類を絶滅することを選んだのだろうか。
 それは、前作《 プロメテウス 》の最後の方で、主人公の考古学者エリザベスの問、地球への帰還を拒絶し彼等エンジニア達の母星に進路をとった際に、アンドロイドのデヴィッドに零したセリフでもあった。てっきり、今作でその謎解きがなされるものと決めつけていたら、完全に肩透かしを喰らってしまったのだけど、この“何故に”( 人類殲滅 )ってのは、はっきり言って為にする類で、昨今の人間達の行状からして幾らでも推測がつく代物。

 要は、それが神=万能の唯一神であってようやく、何故に万能のはずの絶対神がそんな齟齬・矛盾の極みの破綻を来たす挙に出てしまったのか? という疑義も呈されるけど、それが異星人・宇宙人ならば、多少の程度の差こそあれ、所詮横並びの同じ生物ってことで、単なる試行錯誤的な恣意性を出るものじゃないという了解性の上での、デヴィッドの報復(?)あるいは人類絶滅の阻止としての先制攻撃だったのだろう。只、実際のところは、次作を待つ他はない。そう単純に推測されるような作りにはしない監督リドリー・スコットってところなんだろうから

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2017年9月13日 (水)

ポスト・ペロン的残影 キリング・ファミリー(2017)

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 比較的最近、中・南米の映画、何本かレンタルで観た。
 残念ながら、特に印象に残ってる作品はなかったけど、この今年度作品になっている《 キリング・ファミリー 》THE LOST BROTHER / El otro hermanoは、始めて観る余り縁のなかった国アルゼンチンの映画で、首都ブエノスアイレスから北へ遠く離れたある小さな町が舞台。
 観てると、ふと、前世紀の70、80年代あたりの物語かと思えるくらいにローカルな雰囲気だけど、携帯電話を普通に使っているんで、比較的最近の設定なんだろう。
 日本のサブタイトルが“殺しあう家族”。
 些か猟奇的ニュアンスを煽り過ぎてるけど、近代のコンキスタドール宜しく近代になって先住民や黒人・ガウチョたちを弾圧・排除して、ヨーロッパから膨大な数の(主にスペイン・イタリア)移民を入れて作りあげた白人国家たるアルゼンチンの、それでもラテン的な濃い家族的絆すら、現実のとめどなく浸蝕してくる物質主義に解体されてゆき、かつては世界でも有数の富裕国だった栄光の凋落がオーバーラップするように、旧く朽ちた木造家屋の仄明るい室内の板壁に刻印されたように黒々と凝血した血飛沫が静かにぬめっていたりする。


 キャッチ・コピーで、“悪”の権化と予め断罪された代理人ドゥアルテは、いかなる成り行きでかある普通の決して裕福じゃない家族( 実際には父親を中心にした二家族 )に接近し、彼の銭儲け=悪行に引き込みどっぷりと漬からせ、ついにはその家族のほとんどを細長い骨壺の中の死灰と化してしまう。
 

 この代理人ドゥアルテ、一体どんな職掌なのか曖昧で、ともかく銭儲けに抜け目なく、アルゼンチンの地方の小さな町の中で、ありとあらゆるチャンスを見出しては貪欲に狡猾にむさぼってゆく。
 最初は、一報を受けてブエノスアイレスからやってきたハビエルに、内縁の夫モリナに射殺された彼の母親と弟が安置された死体安置所に案内するモリナの代理人として現れる。散弾銃にでも射殺されたのか、原形をとどめぬ二人の屍に思わず嘔吐してしまう。手慣れた風のドゥアルテ、屍を見せる前に嘔吐用のバケツを手渡す周到ぶり。
 早速、当たり前のように、ハビエルに二人の死にからめた保険詐欺話を持ちかける。平然とした口調でリスク“ゼロ”をアピールし、まんまとハビエル話に乗せられてしまう。
 一切がビジネス・ライクなのだ。 
 ( 常に大型のオートマチック・ピストルを隠しながら。)


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 ハビエルの見知らぬ彼の母親の内縁の夫モリナも、母親と弟を殺害した後、自宅で自殺したという。モリナの妻と息子がまだ住んでいる家にも、ドゥアルテはハビエルを連れてゆく。モリナの嫁が銃で自殺した際に飛び散った大量の血糊を雑巾で拭いている最中だった。対面した両者に特別な感情的起伏も見られず、むしろ嫁さんが世間話の如く愚痴を漏らすぐらいに淡々とした一場。
 実は、モリナの家族、ドゥアルテを頭目とした営利誘拐に手を染めていたのが次第に明らかになってくるのだけど、映画じゃ描かれてないものの、どうも殺されたハビエルの家族そして自殺したといわれているモリナすらも、ドゥアルテに何らかの理由によって殺害された疑念が浮かび上がってくる。
 つまり、互いに殺しあった家族じゃなくて、代理人ドゥアルテに利用され尽くしたあげく彼の手によって殺された家族って可能性。
 只、最後に、ドゥアルテに命令されながらも、義理の兄であるハビエルを殺すことを拒絶し逆にドゥアルテに銃口を向け撃ったモリナの息子・ダニエルがドゥアルテに首を撃たれ瀕死に喘いでいる時、ハビエルはダニエルを見捨て死なさせてしまう。
 カインとアベルの旧約神話を想起させる。
 兄カインがやがてエデンの東を流浪することとなるように、ハビエルも営利誘拐や保険詐欺で得た血塗られた高額紙幣の束の収まった袋を手に隣国ブラジルに逃避行を決め込む。
 唯一生き残った主人公・ハビエルの前途も、しかし、暗澹として明るい兆しの予感すらないまま終幕。


 それにしても、ラテン・アメリカじゃ、やっぱり現在でも営利誘拐が利幅の大きな犯罪のようで、既に1980年代の政情不安なアルゼンチンで人々の耳目を集めた営利誘拐犯アルキメデス・プッチオ一家事件なんてあったらしい。プッチオ一家の残虐性とドゥアルテの残虐性の相似性。その伝でゆくと、モリナもドゥアルテに強いられたものであっても単なる誘拐どころか残虐な行為にまで手を染めていた可能性も考えられる。
 そういえば、南米最北のコロンビアの切羽詰まった閉塞状況の崩壊寸前の村を舞台にしたエべリオ・ロセーロの小説《 顔のない軍隊 》(作品社)で、村の四囲をすっかり左翼ゲリラや右翼自治組織、麻薬組織、政府軍に包囲され、四面楚歌の定年退職した元学校教師の年金生活者イスマエル爺さんも、自分の長年連れ添った嫁さんを人質誘拐グループに拉致されていた。毎月の年金も滞ることの多いしがない老齢年金生活者なんぞに、間違っても高額な身代金なんて払える訳もないにもかかわらず。
 そんな営利誘拐が日常的に発生しているラテン・アメリカじゃあるが、経済大国・先進国の頂点のはずの米国なんて年間誘拐事件百万件といわれている。その被害者の多くが子供たちというさもしさ。
 ドゥアルテって名前、確か独裁者ペロンの嫁さんエビータの長い本名の中にもあるけど、何か関連でもあるのだろうか。単なる偶然ならともかく、アルゼンチン事情に疎い当方にはさっぱり詳らかじゃない。

 
 《 キリング・ファミリー 》THE LOST BROTHER (2017)
監督・イスラエル・エイドリアン・カエターノ
制作 アルゼンチン・ウルグアイ・スペイン・フランス 

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2017年9月 3日 (日)

真夏のブードゥー=ゾンビー世界

 

 この数日朝晩少しは過ごし易くなってきたもののまだまだトロピカル・ランドと化した列島暑熱モードは続くのだろう。
 そんな30℃世界の只中のある昼間、家の裏庭に面した風呂場の天井を見上げると、あしながバチが二匹、天井灯の丸井プラスチックのカバーの横にとまっていた。
 何事かと思い、しばらく眺めていると、驚いたことに巣を作ろうとしていた。
 マジ?
 確かに昼間は空気が乾燥しているけど、夜になると湯気濛々でまずかろう。
 ハチや昆虫って、けっこうとんでもない場所に巣を作ったりしてて、リアルタイムな現在、それもかなり狭い限定された視野内しか認識できないようだ。( もっとも、人間の視野もそういうほど広くもないけれど )
 
  
 そういえば、家からかなり離れたところにあるスーパーの前の歩道脇の植え込みの下に、そこだけ黄土色の砂らしきものが少し盛り上がっているので、何なんだろうと、缶コーヒー片手にのぞき込んでみると、小さな穴が三っつ並んでいて、ヒョコヒョコと真ん中の穴から、黒い羽虫が一匹、後ろ向きのまま這い出てきた。
 すぐ“地バチ”という言葉が浮かんできた。
 が、これは間違いで、後で調べてみたら、地バチって黒スズメバチのことらしく、その穴から現れハチはもっと細っそりした体躯の黒アナバチだった。
 穴を掘ってその奥に巣を作るから、アナバチなんだろうが、見てると、同じ一匹のハチが出たり入ったりしているようだった。後ろ向きに出てくる毎に中の土砂を運んできて、穴口の前に後ろ足で蹴り出し、それがこんもり盛り上がって低い小山を作っている。周囲の黒土と明らかに土質が異なっているので一目瞭然。
 出入りしているのは専ら真ん中の穴だけ。
 これがこのアナバチの習性のようで、たいてい三個の穴を掘り、両側の二つは見せかけだけのダミーで、他の寄生昆虫の侵入を防ぐためだろうといわれているらしい。所用でで外出するときには一々真ん中の穴口を塞ぐという。
 キリギリス系の虫を刺し麻酔状態にしたまま捕らえ運んできて穴奥まで引きずり、そこで麻痺したキリギリス系虫の体内に直に卵を産み付けるという。
 殺さず仮死状態にしたまま、体内で孵化したアナバチの幼虫たちは、キリギリス系虫の体内の肉を食べて成長するって算段。殺してしまうと腐敗してしまうからなのだろうが、怖い話だ。でも、確か人間世にでも、採った魚を叩いて仮死状態にしたまま鮮度を保つって手法がなかったっけ。

 ところが、同じハチの種の中のコマユハチは、その生態から“ ブードゥー・ワスプ ”とも呼ばれ、キリギリス系じゃなく、イモムシに卵を産み付ける。
 イモムシの体内で孵化しイモムシの内部の肉や内臓を食べながら成長してゆくのは同じだけど、そのイモムシを決して殺すことはなく、成長しきった幼虫たちがイモムシの体外に出て蛹になってからも、体内をさんざ喰い破られ瀕死のはずのイモムシはまだ生きていて、面白いことに、そのイモムシは、今度は、蛹を襲おうとして接近してくる他の昆虫を追い払うようになるという。
 実はそのイモムシの体内には常に数匹の幼虫が残っていて、その故なのかともいわれているのが、イモムシの脳=行動をコントロールしているってことなんだけれど、それでブードゥー( イモムシの方はゾンビー )なのだ。ワスプは別に白人旦那たちとの関係を揶揄ってのワスプじゃなく、“ 狩りバチ ”の意味。
 でも、これは、ある種の鳥たちに、別種の鳥が自分の卵を紛らわせ、その鳥たちに育てさせるって手口に相似だし、本当は別種の卵にもかかわらず自分の卵と思ってずっと餌をやり外部の攻撃から身をもって守ろうとする本能的所作をつい想起してしまう。
 ここまでくると、ネコ=ネズミ=ネコの寄生の輪たる寄生中トキソプラズマのおぞましい世界まであと一歩。何しろ、感染したネズミがネコに食べられやすいように行動するようになるらしい。怖い、怖い。それがとっくに人間世界にも蔓延しているらしいので、もっと怖い話だ。

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2017年8月19日 (土)

 解かれた封印 《 ザ・マミー 呪われた砂漠の女王 》

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 早朝五時前のまだ暗い東の夜空四十度くらいの方向にオリオン座が三日月の下に小さく耀いていた。ゆらぐ赤色巨星ベテルギウスはまだ健在のようで、青白く瞬いているはずの下方のシリウスは、残念ながら定かでなかった。このシリウス、実は連星で、現在は地球並の大きさに縮まってしまったシリウスBの方はとっくに死に向かっている白色矮星という。
 
 《 ザ・マミー 呪われた砂漠の女王 》を、盆休みの昼の回で観た。
 久しぶりの映画館だけど、さすが盆だからか、トム・クルーズ主演って訳でか、雨上がり的な天候にもかかわらず館内はほとんど満員。
 you tubeの予告編のホラー風味に好奇心をくすぐられての運びで、考えて見りゃあ、“マミー”ってつまり“ミイラ”、漢字の“木乃伊”の方が感じが直截に表れている包帯ぐるりの動きの緩慢なキャラだったはず。初期のゾンビーたちが、ゆるゆるおぼつかない足取りだったのが、次第に時代の閉塞感・切迫感が増すにつれ、いつの間にか走り出し、人間より敏捷に疾駆する屍鬼に進化してしまったように、この《 ザ・マミー 》でも、女王ミイラは、昨今のホラー映画定番の如く、自在に走り飛び跳ねる正に魔物。


 予告編の女王の棺を積んだ輸送機の中での思わせぶりなシーンに、勝手にホーラブルな展開を逞しくしてしまってたのが、しかし、スクリーン上じゃ、ホーラブルとは些か趣きの異なったむしろ冒険アクション的展開。それもドタバタ風味まで加味され。
 これは好みじゃない。
 けど、席蹴ってしまうほどでもなく、持ち込みの缶コーヒーをチビチビ飲みながら、最後まで観てしまった。
 

 いずこの国・時代でも、権力争いの種は尽きまじとばかり、古代エジプトの宮廷内権力争奪的惨劇 ─── その怨嗟と呪詛、ふとした偶然から数千年の時を超えた現代にその封印を解かれてしまう。
 エジプト=ミイラ物の基本構図なのだろうけど、数百年のヴァンパイヤー(吸血鬼)物から、昨今流行のエイリアン物だともっと膨大な時間が上積みされ現代に甦る。
 古代の種子も、うまくやれば現代でも見事な花を咲かせるのだから、地底や海底の底深く結晶化した何億年の彼方から運ばれてきた一滴、一微粒子が封印を解かれ、禍々しいあるいは驚倒すべき遥か銀河からのパンドラの匣物語って、ミレニアム( 2000年代 )に入っていよいよ現代人の好奇心を掻き立てるようだ。


 さすが片方の主役たる王女アマネット、ぐるぐる包帯の下は朽ちたミイラ然とした老婆の態じやなく、生きたままミイラに封印された時の若々しい妖女そのものとして造形されていて、姿態も裸体シルエットも艶めかしく、前世紀の近未来世界造形映画の金字塔《 ブレード・ランナー 》(1982年)のレプリカント(サイボーグ娘)・プリスの剥き出しのエロティシズムとバイオレンス性を想起させる。
 以前どこかで見た覚えがあると思っていたら、ハリウッド・台湾合作ホラー映画《 ダブル・ビジョン 》(2002年)の妖女がやはり“双瞳”を備えていて不気味さ醸し出していた死霊とも生霊とも知れぬ人の精気を吸って生気を甦らせる妖魔アマネットの双瞳。二つ連なった金色の瞳、妖しくねめつけるその両の眼差しは、中々にエキゾチック。
 只、せっかくのエキゾチックな妖魔女も、端折った作りのためか、中途半端に了ってしまってた。
 砂漠の妖魔女の封印が解かれたのはロンドンだったけど、今週リアルに砂漠=中東の呪詛の封印が解かれたのはスペインでありヨーロッパ大陸だった。こっちの封印は植民地主義的帝国主義、十字軍遠征の頃の産物、あるいはもっと以前からの因縁的産物?


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2017年7月22日 (土)

真夜中の牛肉麺

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 先だって博多に行った際、キャナルシティーという商業コンプレックス・ビルのラーメン・コーナーで、“大明担々麺”の看板を見つけ入ってみた。
 但し、“ 重慶 ”と銘打ってあって、担々麺といえば四川料理のはずなのに・・・と怪訝に思いながらも、紅く映えた見栄えの良い一品に舌鼓をうった。激辛ってほどじゃなく、食べ易い。日本人向けにディフォルメしているんだろうか。

 かつて一度だけ四川の省都・成都を訪れた時、体調をくずし、咽喉の調子が悪かったのもあって、せっかくの辛さが面目の四川料理をあれこれ試食するって機会を逸してしまった。ふと通りかかった路地角の小さな担々麺屋のガラス棚の中に、実に簡素に、丼に山盛りになった麺と別の碗の濃いスープが並んでいるだけで、そのいかにも麻辣(ピリ辛)風に映えた赤黒いスープに、思わず咽喉の奥がピリピリしてきた記憶が甦ってきた。
 
 でも、それは四川の中心地・成都でのことで、そういえば、これも最近ちょっと散歩気分で地元の路線バスに長々乗って、めったに訪れることもなかった一応デパートもある、しかし、周辺の商店街は構えばかりですっかり廃れた、自民党半世紀支配の論理的帰結、所謂“アベノミクス”的帰結を絵にかいたようなくすんだその昼尚薄暗い商店街の奥で見つけた小さな中国食品屋の棚に陳列されていたインスタント・ラーメン二種、片方は有名な“康師傅(カンシフ) 牛肉面”、もう一方ははじめてお目にかかった“酸辣”(ホット&サワー)味の表示のある“重慶小面”、この“重慶小面”、発売元が躍進著しいらしい《四川・白家食品》なのだが、生産地が四川・成都となっていた。
 ( 因みにブログ見ると、十年くらい前、日清食品がこの白家食品の株を取得のため協議したことがあったようで、その後どうなったのだろう。)


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 そもそも重慶って、調べてみたら、元は四川省に属していたという。
 雲南や貴州の一部も。行政的区割りとして、四川省から直轄市として独立して重慶市(北海道くらいの広さ)となったに過ぎず、風土・食物まで変わった訳じゃない。
 四川は四川。
 もう二十年近く以前、二、三回ほど、列車の窓から重慶の町の姿を望み見たことがあった。
 内陸奥地の赤土の曠野の涯の、両側のクレパスのような長江と嘉陵江の濁流に臨んで屹立した正に異境都市然としていて、通る毎に、そんな地の果ての荒寥とした佇まいに、中国人=漢人たちのバイタリティーに感心したものだった。
 2002年の中国映画《 ションヤンの酒家 》を観て、重慶の街並みが結構近代化されているのが分かったけど、映画は旧い繁華街の再開発問題を背景に使っていて、それから既に15年も過っている現在、すっかり近代的な都市の景観を呈しているのだろう。


で、大明担々麺だけど、もう一つの売りメニューに、“四川・牛肉麺”があった。
 これも流行りのメニューのようで、最前の“ 康師傅 牛肉麺 ”はじめ結構色んなメーカーがインスタントの牛肉麺を出している。
 生の牛肉麺は、といえば、これまた相当旧いけど、ちょうど20年前、昆明から列車で2泊3日かけて上海に夜遅く到着し、定宿の《 黄浦飯店 》はさすがにチェック・インはできないだろうと、駅前のあっちこっちに現地の人々が、新聞紙やゴザを敷いて寝っ転がっていたのを見るにつけ、朝まで駅前で待つことにし、とりあえず夕食とばかり入った店が、中国のあっちこっちで見かけるようになっていた《 美国加州牛肉面大王 》だった。
 一番最初にその名を見たのは、確か敦煌観光の拠点の町・柳園の通りで、大道音楽芸人のパフォーマンスが行われていた近くに、オープン記念だったかの派手な看板が並んでいたのを思い出す。“加州”ってのが一体何のことか分からず、ひょっとして米国のカリフォルニアのことかなと推測しながらも、
 アメリカに拉麺なんかあったっけ?
と、それが牛肉麺といかなる関係があるのか理解できぬまま気にもとめなかった。
 さすが上海と云うべきなのか、その店は24時間営業の店だった。
 値段は当然少し高めだったけど、どんな麺料理なのか試してみたかったのもあって、くだんの牛肉麺をスプライトと一緒に注文。
 牛肉麺=6・5元   
 雪碧( スプライト )=5・0元   
 醤油系スープに麺、その上に、牛肉とレバーの角切り、香菜(パクチー)と刻み葱。
 普通の拉麺で辛くはなく、けっこう旨かった。
 深夜の上海駅前の光景を眺めながらすする牛肉麺はまた格別だった。
 
 この《 美国加州牛肉面大王 》、もう中国全土的チェーン店らしいのだが、《 李先生 》なる新看板と重複したりのややこしい商標トラブルに揺れているという。
 人民中国、いよいよ“改革開放”の波に乗って、絵にかいたような資本主義的トラブル全開ってところなんだろう


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1974年の紅い水蓮 シアター・プノンペン

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 カンボジア映画って、2001年の《バンコク・フィルム・フェスティバル》でのリティ・パ二ュ監督のドキュメンタリー映画“ザ・ランド・オブ・ワンダリング・ソウルズ”以来。
 バンコクからハノイまでのコンピューター回線だったかの地下埋設工事のプノンペン周辺の工事の光景を、その土地に埋もれたカンボジアの歴史を“digging”してゆくって寸法だったんだろう。暑熱のプノンペンの光景を、やたら冷房ガンガン効いたたった十人居るかいないかの客席で、長袖ジーンズシャツをTシャツの上に着こんで震えながら観ていた記憶ばかりが残っている。

 普通のカンボジア映画を観るのはこの《 シアター・プノンペン》が初めて。
 今回ネットでちょっと調べてみたら結構カンボジア映画作られていて、日本でも上映されていたらしい。
 今世紀初頭、というと何とも仰々しいが、2000年代に入る前後のプノンペンの映画館ってそれまで煤けたフランス植民地時代の旧い佇まいの文字通り古色蒼然とした廃墟でしかなかった。別の用途に使われていたり、表にポスターを貼りだして細々と営っているところもあった。只、上映映画って殆どがポルポト時代以前に作ったものなのか、あるいはタイから安く輸入した如何にも古めかしいホラー物ばかり。さすが、観る気にはならなかった。それでも、今世紀に入ってからは、メイン通りのモニボン通りに面した映画館が小綺麗にリニューアルし、大きな看板までかかげて“現代”ものらしき作品を上映するようにはなっていた。
 興味をひかれ、平日の昼間入ってみたら、まだ上映前で、男女の高校生ばかりが群れていて、さながら中学校の休み時間なみのはしゃぎよう。昼間のせいか、一般客はわずか。やがて始まった映画は、どうも様子が、プノンペン=カンボジアのものとは思われず、ポルポト以前の首都プノンペンが小パリと呼ばれていたのを考慮にいれたとしても、まるで雰囲気も地理も違う。やがてそれが、隣国タイの首都バンコクらしい、それもどうも1973年に軍政側と学生の衝突したいわゆる“血の日曜日”事件を扱った映画らしいのが分かり始めた。何のことはないタイの映画だった。でもそれが、ポルポト時代以前に輸入したフィルムなのかそれともそれ以降あるいは最近輸入したものなのかは定かでない。


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 この2014年制作の《 シアター・プノンペン》の舞台ともなった映画館もそんな廃墟然とした旧い建物で、場所的には、モニボンなんかのメインの通りじゃなく、むしろ奥まった路地に面したような薄暗い佇まい。2014年現在でのプノンペン設定なので、まだまだ似たり寄ったりの映画館事情なのだろう。
 もっとも、昨今は、プノンペンにも、場所は定かでないが、日本出資のイオンモールが出来、タイの映画会社メジャー・シネプレックスが入って、多数のスクリーンも備わり、3Dどころか最先端らしい4DX(匂いも風も、しまいにゃ水で濡れたりもする体験型らしい)まで揃えているという。

 暴走族の親玉ベスナと恋仲の女学生ソポンは、ある日、ちょっとしたトラブルからプノンペンの町中の煤けた古の映画館の中に一人紛れ込んでしまう。
 そこには、立ち退きを開発業者の手先から迫られながらも、頑なに拒否し、何とかかつてポルポト体制直前に作られた恋愛叙事詩映画《長い家路》の最後の部分last reelの欠落を補って上映したいと願っていたベチアという初老の支配人が一人住んでいた。
 実は、その映画の主演の女優こそ、ソポンの病気がちの母親だった。
 以前女優をやっていたとは生まれてこの方一度も聞いたこともなかったソポンは、残ったフィルムの欠落部分を補おうと、通っている大学の映画部の教授に協力を仰いだ。生徒たちを引き連れ教授は、傷んだフイルムを整備し、残りの欠落部分を、ソポンと暴走仲間から抜けたベスナに主演の恋人同士を演じさせ、ベチアの案内で、かつてそれが撮られた場所へとロケに向かう。

 ところが、母親が撮影に参加し、監督のはずだったベチアと四十年ぶりに対面すると、途端血相を変え、「この男は監督じゃなく、彼の弟よ!!」と吐き捨てて逃げ帰ってしまう。ベチアやソポンの母親、監督たちはポルポト体制下に連行された労働キャンプで、誰かの内通で正体(ポルポト体制下では、映画関係者も処刑の対象となっていた)がばれそうになり、取調室=拷問部屋に連れ込まれたベチアが、拷問の末か、兄が映画監督であることを白状し、監督は処刑されてしまっていたのだった。
 そもそもが、ソポンの母親と監督は恋仲にあったのだけど、その映画で、仮面をした村の男を演じた俳優であもあったベチアも、ソポンの母親に強い恋情を抱いていたのだった。今回の欠落部分も、実はちゃんと映写室に残っていて、思い余って欠落部分を自分の恋情を遂げるシナリオに書き換えて完成させようと企図したものだった。その上、ソポンの父親も、実は、このポルポト的惨禍に深くかかわっていたのだった。


 中国でも文革時代の頃の惨禍・惨劇さらに現在でもその力学が作用しているらしい政治的相克には、中々触れられたくない雰囲気だけど、カンボジアのポルポト体制下に行われた惨劇、その渦中に放り込まれた人々の芯奥の傷(トラウマ)は容易に癒えることの難しい事柄で、端(外人)が勝手に思うようには触れがたいもののようだ。ポルポト全体主義体制下の愛憎的残滓が、しかも尚現在にもそれが暗渠の底に鬱々と暗い流れを作っているカンボジア的今を、流行のミステリー仕立てにしてみせた小品。
 あの、タイとは一味違った赤土から発するカンボジアの熱気と土埃が嫌いじゃない僕にとって、あらゆる意味で、興味深い映画作品。


 欠落した部分(リール)のあるフィルムって、すぐに、中国文化大革命や、それ以前の反右派闘争=百花斉放百家争鳴的整風運動などの渦中である巻(リール)が紛失し更にフィルム構成が支離滅裂にされてしまった中国映画《 孤島天堂 》(1939年)を想起してしまう。
 中国・文革=カンボジア・ポルポト派的社会革命、両者を統べるものはマルクス主義的全体主義ってところなんだろうが、中国文革の方は映画や芸術など自体を否定している訳じゃなく、あくまで党=毛沢東の意に沿っていない反党的、反革命的つまり右派として指弾されてのパージ・弾圧なので、その辺がポルポト的機械的全体主義と相違するところだろう。
 反右派闘争と文革に通底とているのが諜報関係のトップ康生で、毛沢東・江青とつるんで多大な犠牲者を出してきた張本人。《 孤島天堂 》の改変や廃棄も彼なら可能だったろうが、推測の域を出ない。その康生とポルポトの影響の伝聞が時折見られるけど、直接の接触はなかったようだ。 


 《 シアター・プノンペン》the last reel

監督  ソト・クォーリーカー
脚本  イアン・マスターズ / ソト・クォーリーカー
制作  カンボジア(2014年) 

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2017年7月 8日 (土)

改革開放的顛末 《 山河ノスタルジー 》

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 久しぶりのジャ・ジャンクー(賈樟柯)。
 第一作《 小武 》(1997年)で、国策=“改革開放”の波に何とも不器用に乗ることもできず旧態依然に翻弄されるばかりの庶民、その典型=象徴たる主人公・小武の右往左往の果ての凋落の軌跡を、これ又、改革開放的人民中国を象徴するようなくすんだ佇まいの地方都市・汾陽(フェンヤン)を舞台に描いて見せた。
 古からの名水=名酒、中国最古のレンガ造りの塔=文峰塔と鉱物資源でそこそこ有名らしい人口十数万の、石炭鉱山の影響か煤けくすんだ町の佇まいに、改革開放的溌溂さ等とは無縁な、それでいてそれなりに旧態から抜け出ようとして選んだみみっちいスリ稼業から足を洗えず鬱々とした日々を送っていた小武の姿が違和感なく溶け合っていて、絶妙な世界感覚に感動ものだった。

 
今回の現題《山河故人》、物語の基本的流れは、“ 世界の果てまで中国人 ”という、改革開放以降世界中に利潤を求めて飛び出していった出稼ぎ・新移民と、そんな資金も伝手もない零細庶民の国内的出稼ぎ盲流(=民工潮) に分かたれていった二人の幼馴染の男達との愛憎とその結節点たる女(タオ)それぞれの軌跡。
 そして、海外雄飛(ニュージーランド)していった実業家( 張晋生 : ジンシェン )の息子(ダオラー)の父親との確執と、中国語を忘れてしまったために雇われた母親と同年齢の中国語教師( ミア )に対する思慕といったところ。
 
 今回変わってる点は、物語の後半のオーストラリアでの時間設定が2025年と未来になっているところ。使っているスケルトン・タイプのノートパソコンがそれらしさを醸し出していたけど、母国語たる中国語を忘れ話せなくなるって現象は、海外に移住した人民中国(大陸)の中国人達の新世代にやがて起こりえる事柄として捉えられたのだろうが、そん新世代の青年ダオラーは、しかし、心の奥底に母親=母国中国への憧憬が不明瞭なままゆらぎつづけるって設定。
 これは、以前同じ大国インドの映画なんかでも頻繁に取り上げられていたテーマで、例えば若い娘でなくても、やっぱりカーストはじめあれこれの封建的遺風や宗教的しがらみを厭ってまだ自由の利く海外での生活を手放そうとは中々しない女達。それでも、移住先の米国でNASAでの仕事も順調なのにもかかわらず、子供の頃育ったインドの郷里に一度里帰りをし、その郷里の人々の温かな人間関係と後進性に心を捉えられ、米国に戻っても、徐々にインドの郷里への思慕の念が高まってきてとうとう帰国を選んでしまうというシャールーク・カーン主演の《サワデス》(2004年)なんかその好個の例。


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 北京からそれほど隔たっていない山西省の小さな町フェンヤンの約20年後の現在の姿は如何、と画面に展開される街並を眺めると、もはや以前の炭鉱や鉱山の町ってくすんだイメージは薄れ、否、もはやしがないスリの小武の舞台としてではなく、1999年のディスコティックなプロローグで始まる学校教師・タオと二人の幼馴染の男達の舞台って趣きに撮られた光景が展開していた。
 もはや値段票のついた安っぽい背広やサングラス、ウンコ坐りにタバコをふかしたり大きなホーロー碗で昼飯をがっつくような世界じゃなく、スマホを片手にワインでも酌みかわしそうな雰囲気。それでも、タオの父親が死んだ際、別れた実業家の夫(ジンシェン)が再婚相手とともに住む上海から、タオとの息子(ダオラー)を葬式に列席させるため呼び寄せ、迎えに現れたのが空港で、えーっ、空港も出来たのか驚いたら、どうも隣の中都市・太源のエアバスも離着できる国際空港(ほとんど東アジア便のみ) だったようだ。


 冒頭、ペットショップ・ボーイズの“Go West”(1993年)の曲にあわせて踊るシーンがある。中国では、'90年代後半に流行ってたらしい。正に、改革開放のテーマ曲って趣き。そういえば、かつて中国・雲南の大理の現地人ご用達のカフェで見た香港のビヨンドの何ともぬるい曲を若い娘達が嬉々として聴いていたのも、西方世界からの自由の春風って趣きだったのだろうが、ぼくが持参していた中国ロック(揺滾)の旗手・崔健の“紅旗下的蛋”をかけて貰い、大きなスピーカーからハードなロックが流れ始めたら、怪訝な顔して娘達はぞろぞろと店を後にしていったのを思い出した。
 この曲、最後の場面でも、薄っすらと雪の積もったフェンヤンの郊外で、かつて皆と一緒ににぎやかに踊っていた頃を思い出しながら、タオが、一人踊りはじめるシーンにも使われていて、何とも物悲しい哀愁を帯びたエピローグ。


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 東風は西風を圧す、はずが、Go West!! 西へ行こう、孫悟空一行ならめざせ西方浄土だろうし、西側世界へ出て行ってばっちり(外貨を)稼いでこい! だと、北朝鮮風味になってしまうが、改革開放的盲流の世界への流出。ダオラーが母国語すら忘れてしまう2025年頃には、世界に溢れ席巻してしまうのだろうか。
 タオが強引に押しまくられて結婚してしまう実業家のジンシェンは、やがてタオと別れ息子のダオラーを連れてニュージーランドに移り住むけれど、もう一人の、タオに袖にされる控えめな性格の炭鉱労働者の梁子(リャンズ)は、タオから距離をとることを条件に彼(ジンシェン)が買収した梁子の働いている炭鉱のそれなりのポジションの申し出を蹴って、町を出てしまう。フェンヤンからさほど遠くない邯鄲(かんたん)の夢で有名な邯鄲の炭鉱に職を求め、その内出逢った娘と結婚し、労働環境の悪い中で働き過ぎたのか病に冒され、小さな子供を連れて、再びフェンヤンも戻ることとなる。さっそく梁子の嫁がタオの家を訪れ、涙ながらに梁子の重篤な病を打ち明け経済的援助を乞う。
 上海から海外へと雄飛していった実業家のジンシェンと対照的に、小武を思わせるようなうだつの上がらぬ旧態依然の一方の典型・盲流的鉱夫=梁子のこの凋落は、やはり、小武と同致な存在として設定されているのか。意固地的旧態依然の形象?

[注] 盲流は、基本、農民達が都市部に出稼ぎにゆくことを指す。農民は農村に縛られ、出稼ぎは違法行為らしい。
 革命を起こした割には都市部と農村部の住民の身分扱いに基本的な差別を設け現在まで続いていることからすると、あの人民中国革命って、所詮、都市部住民・労働者達のための革命に過ぎなかったということになってしまう。
 荘園領主に縛られていたかつてのタイの農民達とそれほど際立った違いはなく、昨今のタイの農民達の反-軍事政権的運動の過激化の根もそこらへんにあるんだろう。
 都市部の住民が国内や海外に出稼ぎや移住してゆく流れを、中国語独特の言い回しで何と言うのか定かでないので、敢えて盲流=民工(=農民)潮の流行言葉を使わさせてもらった。

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2017年6月24日 (土)

 ウブド的食彩

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 1998年の6月末から8月末までの約2ヶ月、長年観たかった本場のバリ・ダンスの堪能の毎日だった。且つ、いつも狭苦しい安宿ばかりだったバック・パッカーにとって、バリ・インドネシアの宿=ホテルの快適性は申し分ないものだった。
 例のジャカルタ暴動でインドネシア経済が、とりわけ国際的観光地バリはもろその影響を受け、散々な目にあってしまい、泊まったホテル(バンガロウ)もそれまで15000レアルだったのが、25000レアルに値上がりしていた。尤もそれでも約2ドルに過ぎず、2Fのテーブルと椅子の並んだバルコニー、広々とした調度まで付いたワンルームにバスタブのあるシャワー・ルームまで備わっていた。

 
 そこの一人っきりのスタッフ、バリじゃ定番の名前ワヤンが、毎朝、部屋代に含まれる簡単な朝食を運んできてくれるのだけど、他の宿はいざ知らず、そのパン・ケーキが中々巧かった。バンコクの定宿TT2ゲストハウスなんかとえらい違い。
 最初の朝が、ココナッツの果肉を細かく刻んだものがトッピングされたパンケーキ、フルーツ・サラダ、そしてジャワ・ティー(ポット)。
 2回目の朝は、フレンチ・トーストにパイナップルとパパイヤのサラダ。ジャワ・ティー。
 3回目は、オムレツののったトースト、フルーツ・サラダそしてジャワ・ティー。
 毎回メニユーを変えて運んできて呉れるサービスの良さ。
 それをバルコニーの竹製の椅子が向かい合わせに並んだテーブルで、青い実のたわわに実ったバナナの樹が幾本も立ち並んだ庭先、その向こうに拡がる田園風景をも眺めながら食べる朝食は、又格別だった。
 確かに、如何にも安くあがるバック・パッカー的心性に違いない。


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 一番最初にバリ・ウブドで喰ったバリ・インドネシア料理は、その宿から路地を通って出た大通りの向かいのチャンプルー屋風の小さな食堂(ワルン)。
 揚げ物が多く、好みじやないけど、とりあえず魚や揚げ豆腐その他をライスと一緒にオーダー。
 いわゆる“ナシ・チャンプルー”。(ナシ=ライス、つまり定食)
 味は辛目。まあ、こんなものかってところだった。
 一緒に、てっきり地元のコーラと感違いして頼んだボトルのジャワ・ティーは、微かに甘みのある飲みやすい代物で、日本なんかで売っているブラック・ティーとは丸で味が違う。何か加工してあるようだった。


 “カフェ・ラティ”Cafe Ratihでサテー(串焼き)を食べる。
 チキン・サテー、野菜、ライス。コーク。ビンタン・ビール(小瓶)。
 サテーは大きな瓜を半分に切ったような木製の容器の中に炭火を入れ、その上に殆ど焼けた串肉を並べたまま運んできた。後は客が好みで焼き上げるって寸法のようだった。量が少ないのにも拘わらず、そこまで手の込んだやり方するのか、と最初驚いてしまった。それをピーナッツ・ソースに漬けて食べるのだ。味は悪くないけど、ピーナッツ・ソースの味が強過ぎて、どうも今一つ納得がいかなかった。
 ビンタン・ビールは、最近じゃ、他のアジアン・ビール同様、日本でも簡単に手に入れられるようになって、時折飲んだりしてる。ピルスナーのパテント製品のようだ。
 同じマルチ・ビンタン社から、アップル&ライム味の“グリーンサンズ”GreenSands(330ml缶)という清涼飲料があって、特別美味い訳じゃないが、けっこう癖になる飲物で、ウブドの小さなコンビニや雑貨店の冷蔵棚から捜し出して買ったものだ。3750レアルと安く、“セブン・アップ”が見あたらずその代用品として重宝した。 


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 グンタ・ブアナ・サリの開演時間待ちで、カラ集会所の近くの“チプタ・ラサ”(ワルン)で夕食。
 アヤム・バカール(照り焼きチキン)にライス。
 何よりも、バナナの葉っぱの上にライスってのが気に入った。
 ネット見ると、けっこう評判の店だったようだ。 


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 バリといえば芸能の国ってイメージとチャラい若い娘たちの群れる場所ってイメージもあって、ジャカルタ暴動がなけりゃ、芸能村ウブドの通りにも若い娘たちで溢れていた(らしい)んだろうけど、その夏は、如何にもそんな娘たち向けの小ジャレた感じの店(レストラン・カフェ)の並んだ通りはひっそりとしていた。そんな店には今ひとつ入り辛い。けど、ある程度以上の規模の店はそれでも客はそれなりに多く、表のガラス・ケースにジャーマン・ブレッドも並んだ、価格も手ごろな“カサ・ルナ”には、何度か足を運んでみた。
 広めの店内に如何にも赤道直下風なトロピカル植物が生い茂っていて雰囲気が悪くない。
 ここのメニューで気に入ったのはフルーツ・ティーで、水道水を使ってそのまま作ったような色の悪い氷が多い中、ここのはちゃんとした製氷器で作ったような四角い透明度の高い氷を使っていて、パパイヤやパイナップルの切り身がいっぱい入った、ジュースとは又違った味わいが悪くない。それで2000レアルは安い。フルーツ・パイも悪くないけど、当方にはちょっと甘過ぎた。


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