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2018年1月20日 (土)

七彩のアジア的幻視 ? 《 シャンバラの道 》 ニコライ・レーリッヒ

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 シャンバラ関係の定番とも謂うべきニコライ・レーリッヒの《 シャンバラの道 》(1996年)、眼を通してみると、シャンバラの探求書というより、1920年代( 大正後期~昭和初期 )のチベット=東洋文明に関するレーリッヒの著作を集めたアンソロジーってとこで、シャンバラに言及したのは一部。どころか、レーリッヒ、当時のチベット仏教の現状にかなり辛辣な言及をしていて、それはそれでリアルで興味深い。
 

 レーリッヒとその家族がチベット=アジアを旅したのは1920年代で、英国(インド)・ロシア・中国・米国・日本等の列強がそれぞれの己が利益と侵略的野望のためにチベットを篭絡し浸蝕し、ダライ・ラマ13世、パンチェン・ラマ ( タシ・ラマ ) 9世たちが遁走・奔走に明け暮れる正に混沌の坩堝。
 いやでも命がけの、否、何人もの犠牲者すら出しての過酷なチベット=シャンバラ探求行となってしまった。厳しい自然的環境の故というより、専ら当時のチベットに蔓延していた頽廃と政治的な無能・悪辣の故。
 実際にチベットに入ってレーリッヒが何よりも一番驚いたのが、チベット僧( =ラマ僧 )たちの無能と堕落だったようだ。

 
「 あるラマは雪雲を阻んで、雪を解かしてやろうと申し出た。この気象上の現象がごく手ごろな値段で手に入るという ── すべてひっくるめて二アメリカ・ドルだ。わたしたちはそれをのんだ。ラマは骨の笛を吹き、まじないの言葉を大声で叫んだ。が、彼はなかなかの商売人で、私たちにその二ドル分のご大層な領収書をよこした。私たちはまたとない好奇心でそれを取っておいた。雪は降りつづき、さらに寒さが厳しくなっていたが、それはどうでもよいことだった。このタントラ行者はくじけなかった。彼は自分の黒い天幕の上に紙の風車のようなものを取り付けて、ひと晩中、人間の骨でできたらっぱを吹き鳴らしていた・・・。」


 「 ダライ・ラマから特別な信任を得ているあるラマ僧の外交官は、私たちがある僧院に灯明の油代として一〇〇ナルサンを寄進したことを聞いて、にわかに怒り出した。彼は言った。『 いいですか、ここの僧侶はあなた方の金を自分で着服してしまい、けっして灯明に火をともすなんてことはしませんよ。聖像に明かりを供えたいのでしたら、この私から油をお買いなさい』」
 

 「 中央チベット、シェーカル地方で、数人のラマが近づいてくるが、そこで聞かれるのは祈りではなく、市場(バザール)を訪ねたことがある者にはおなじみのあの言葉だ。驚くなかれ、市場の乞食の『 バクシーシ(お恵みを)』という言葉をきわめてはっきりと聞き取ることができる。このラマの口から聞かれる『 バクシーシ』という言葉には、何ともがっかりさせられる。こういった大勢の役立たずやろくでなしは、いったいどこからやって来るのだろうか?」


 「 というわけで、すべての有害で無知な条件を排除したときに、チベットにおいてはより高い教えへの意識ある崇敬は、その多くが人里離れた場所で隠遁生活を送る、少数の人びとによってなされいることがわかる。チベット人たち自身が、仏陀の光明の教えは、チベットでは浄化される必要があると言っている。
 ・・・・・ダライ・ラマの命令が、ラマの城壁を越えても大いに価値があるのだと考えるなら、それは間違っている。私たちはこれ見よがしな、何もかもひっくるめた、ダライ・ラマの政府が発行した旅券を持っていたが、まさに私たちの目の前で、人びとは自分たちの支配者の命令を実行することを拒絶した。『 私たちはデワシュン(政府)のことは知らないのですよ』と長老は言った。そして各地のゾン(注:チベットの行政的宗教的及び軍事的拠点ともいうべき城砦 : シガツェのが有名らしいが最近再建されたもので、むしろブータンに本来の姿で残っているという)の官史たちは、自分たちが恥ずかしげもなく要求した袖の下がどれだけ気前よく払われたかに応じて、それぞれがその旅券の内容を勝手に解釈する方法を編み出しているにすぎない。」


 「 ・・・・・・チベット高地の部族ホル人は、自分たちをラサのチベット人といっしょにしないでほしいと私たちに頼んだものだった。アムド出身の人びとやカムに住む人たちは、つねに自分たちはラサの人間と違うのだと強調する。
 ・・・・・ラサ以外の、これらすべての人たちは、きわめてあからさまにラサの官史に対立したことを語る。シャンバラからの新たな支配者が、数えきれないほどの兵士を引き連れてやって来て、ラサを打ち破り、その城塞の内部に正義を確立するという予言を、彼らは引き合いに出す。これも同じ人々から聞かされたことだが、タンジェリンの僧院に端を発する予言によれば、現在のダライ・ラマは十三世にして最後の支配者と呼ばれているということだ。また、ほかのいくつかの僧院から流された予言では、真の教えはチベットを離れて、その発祥の地であるボーディガヤに再び戻るということだ。」


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 首都ラサはあたかも頽落した伏魔殿の様相すら呈していたかの如く。けれど、更にレーリッヒの癇に障ったのが、チベットに仏教以前からあった土着の宗教といわれていた《 ボン教 》であった。


 「 しかし、民衆のかなりの部分が、仏陀をまったく拒絶し、完全に独自な守護者と導き手を主張するボン・ポ、『 黒教 』に属していることを忘れてはならない。彼らは公然とすべての仏教徒たちを敵とみなし、ダライ・ラマを宗教的な力を持たないたんなる世俗の支配者としてしか認めていない。これらの人びとはきわめて強情であり、仏教徒もラマ教徒も自分たちの寺院に入ることを許さない。彼らの儀式では、あらゆるものが逆向きにされる。
 ・・・・・・彼らの間では、もっとも低いたぐいのシャーマン教、黒魔術などが実践されている。まるで中世にいるような錯覚に陥る。」


 当方も以前、ダライ・ラマと亡命政府の居地ダラムサラに滞在した折、ボン教徒を自認する学生に遭ったことがあった。他のチベット仏教徒の学生たちと一緒に、これからのチベットのありようを模索していた普通に明るい人見知りしないタイプの学生で、ボン教はチベット仏教と共存している口吻だったけど、後にも先にも当方が実際に接した唯一のボン教徒であった。
 レーリッヒが訪れた当時は、まだ、チベット文化一般、いわんやチベットの宗教の研究レベルなんて低く、時代的制約というべきレーリッヒのボン教観であって、ボン教自体は結構その始原は古く、古代中央アジアってことらしく、チベット仏教の最古二ンマ派とも互いに影響し合っていたともいい、幾年も滞在していた訳でもない所詮一外人旅行者に過ぎないレーリッヒたちが、アニミズム的所作の毒々しさに幻惑させられ、チベット僧=役人たちの低劣な行状に辟易し、あげくレーリッヒ一行は彼等のために幾人もの犠牲者すら出さされてしまっていたという状況故に、勢い厭わしいものに観えてしまったのだろう。そんな悪しきアニミズム的産物を一刀両断に一蹴し、創造的進化=シャンバラの御旗を高々と掲げてみせる。


 「 仏陀の誓約を守ることには高い責任が課せられる。迫りくる啓発されしマイトレーヤ( 弥勒菩薩 )の再来の予言のなかに、創造的進化に向けた足がかりを見ることができる。シャンバラの偉大な概念は、人に間断ない知識の蓄積を求め、啓発された労働、そして広範な理解力を求める。この気高い理解のどこに、最下位のシャーマニズムや呪物崇拝が入り込む余地があるだろうか? 」


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 シャンバラ自体に触れているのは、「 ラマよ、シャンバラについて教えてください!」から始まる表題作の第一章《 輝きを放つシャンバラ 》だけど、もはや流布したシャンバラを語る上での定番と化したエピソード・言説のオリジナルの出所がここなので、逆倒した表現をすれば、特に目新しさはない。
 

 「 私は高き魂が、すでに準備が整えられているならば、シャンバラへと呼び招く声である『 カリギヤ 』の叫びを聞くことを知っています。私たちはどのタシ・ラマ( パンチェン・ラマ =ダライ・ラマと並ぶチベット仏教指導者 : この時代に既に中国権力との係わりが強かったようだ )がシャンバラを訪れたのかを知っています。私たちは大僧正タイシャンの『 シャンバラへの赤き道』という本のことを知っています。・・・・・・」


 そのレーリッヒの問に、ラマはこう答える。


 「 大シャンバラは海を越えたはるか彼方にある。それは広大なる天上的な領域だ。私たちのいる地上とはまったくかかわっていない。何ゆえに、どうしてこの世の人びとがそれに興味を持たねばならないのか?・・・・・・」


 「 ラマ、私たちは偉大なるシャンバラのことを知っています。私たちはそれが実際には言葉にできない領域であることを知っています。が、私たちはまた実在する地上のシャンバラについても知っているのです。身分の高いラマがシャンバラに行った話や、その途中では、まさしくこの世の風景を目にしたという話も聞いています。
 ・・・・・それどころか、私たち自身が、シャンバラの三つの前哨地のひとつである白い国境哨所を見たのです。ですから、どうか私に天なるシャンバラについてだけでなく、地上のそれについてもお聞かせください。」
 
 更に、

 「 ラマよ、いまだに地上のシャンバラが、旅人たちによって発見されないでいるのはどうしてなんでしょうか ? 地図の上にはすでに多くの探検家の足跡がしるされています。すべての高みはすでに征服されて、すべての渓谷や川は踏査されてしまったように思われます。」


 「 まことに、地中には多くの黄金があり、山々には多くのダイヤモンドやルビーがあり、あらゆる者がそれらを喉から手が出るほど欲しがっている ! じつに多くの人びとが、それらを見つけようとしている !
 ・・・・・・多くの者たちが、呼ばれてもいないのに、シャンバラに至達しようとした。彼らのうちの多くが永遠にこの世から消えてしまった。ごくわずかな者だけが、神聖な土地に到着したが、それはほかならぬ彼らにカルマの用意ができていたからだ 」


 「 法を侮ってはいけない ! 熱烈な労働のなかで、シャンバラの使者があなたのもとを訪れるのを待つがよい。彼が絶えざる達成のただ中に現れるのを。力強い声が『 カリギヤ ! 』と叫ぶのを待つことだ。そのときは安全に、このすばらしい事柄のなかへと入ってゆけるだろう。むなしい好奇心は誠実な学習へと、高き原理を日々の生活に適用してゆくことへと変容されなければならない」


 「 カーラチャクラに明らかにされているものとは何か ? そこには禁忌というものがあるのだろうか ? いいや、高雅な教えは建設的なことしか示さない。そういったものなのだ。この高き力がすべての人類に差し出されている。元素の自然力を人類のために使う方法が、きわめて科学的に説き明かされている。『 最短の道はシャンバラにある、カーラチャクラにある』と言われているが、それは勝ち取られるものが達成不可能な理想なのではなく、誠実で勤勉な努力によって、ここで、このまさに地上で、このまさに生において達成されうるものであることを意味している。これがシャンバラの教えだ。まことに、だれもがそれを達成しうる。まことに、だれもが『 カリギヤ ! 』の叫びを耳にすることができる。」


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 もはや、現ダライ・ラマ14世ですら、シャンバラってこの世に実在するものではなく、あくまで方便と公言する時代であってみれば、残るのは我が内なるシャンバラ探求あるいは嘗てのもはや失われた理想郷跡の考古学的探求ってところだろうか。そもそも、このレーリッヒもそうだけど既存のシャンバラ志向って、基本賢人政治。その本質はファッシズム=全体主義。そんなものは御免こうむりたいものだ。
 むしろいっそ樹立されるべき人類的理想郷として探求・建設してゆくものとしてのシャンバラ、それこそが今日的な在りようではなかろうか。 
 かつて尊師・麻原彰晃率いる《 オーム真理教 》もシャンバラに言及していたけれど、如何なる現実的力学によってか、インドからチベットに仏教をもたらしたといわれる蓮華生パドマ・サンバヴァの“ ボア ”の概念やミラレパ的カルマを援用したような所謂《 ハルマゲドン 》( 世界最終戦争 )の果てに幻視した彼らの王国とは、果たして、七彩に輝くものだったろうか。

共にダライ・ラマ十三世( 現在のは十四世 )と係りがあったらしい同時代人の同じロシア(アルメニア)出身の神秘主義的思想家グルジエフとは、神秘主義的思想活動の他に、グルジエフが舞踏・作曲、レーリッヒが絵画・音楽舞台美術に特異性を発揮してて、随分と肌合いが違う。只、レーリッヒの方が、ノーベル平和賞候補に挙げられたり、ソ連からロシアに変転する頃活躍した大統領ゴルバチョフにも高く評価されたりの紛う方ないエスタブリッシュメント的存在だったのは意外。でも、考えてみれば、既に1913年、ニジンスキーが振付けをしたストラビンスキーの《 春の祭典 》のパリ初演の際、舞台美術を任されるほどの著名人だったのだから、別に不思議なことではないだろう。 


 学研版の田中真知の《 理想郷シャンバラ 》(1984年)のリファレンス的ポジションは、尚も不動のままってところのようだけど、30年以上も過ぎているのに中々これを越える《 シャンバラ 》論の決定版って出てこないってのも残念。そもそも学研の、ジュニア世代を対象とした“ ムー・シリーズ ”の一冊なんだから、いくら田中真知がかっちり作った労作であったしても、こうも越えるものが出現しないってのも情けない情況には違いない。


 《 シャンバラの道 》ニコライ・レーリッヒ
           訳 : 澤西康史 ( 中央アート出版 )1996年

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2017年12月31日 (日)

 ラビットの誘う不気味な世界 《 魔女 》The Witch

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 1620年、英国プリマスから、英国・国教会に否を唱え、自分達の宗教世界を実現せんと清教徒ピューリタン一行が、草創期の米国植民地に到着してから十年後、1630年の、とある東海岸北部のニューイングランドの入植地にある集会所での会衆シーンから映画は始まる。
 その入植共同体の責任者から、正に、その教団=共同体からの追放の宣告を受けようとする一家の家長は、尚も頑なに神の摂理に沿わない旨を根拠にその教団=共同体を指弾した。
 解る人たちにはその場面のあれこれで了解できてしまうのだろうけれど、英国キリスト教なんぞにてんで知識のない当方には、単純に画面でこれ見よがしに描かれたもの以上の理解は不可で、そもそも、その共同体がピューリタンのものなのかどうなのかも定かでなく、もしそうだったらその一家は体制内改革派のピューリタンを批判する分離派ってことになるけど、ひょっとしてその共同体の方が分離派で一家はピューリタンだったってこともあり得る。あるいはもっと別様の異端派なのか。その辺のところが特に明示されてないので甚だ曖昧なまま、しかし、物語はどんどん進行してゆく。
 結局、一家は追放されてしまう。
 やがて、こんもりと茂った森と対峙するように彼らの家があった。
 一見、前途洋洋、漸く手に入れた自分達だけの新たな生活に浮かれているようにさえ見えてしまう。が、自給自足の、他に助けてくれる者もない自分達の力だけで一切を作り出し賄ってゆかねばならない生活に、やがて疲れと焦り=不安めいたものにじわじわと捕らわれ始めてゆく。メイフラワー号には、ピューリタンとは別個に植民地建設に必要な経験と力量を備えた男達が乗り込んでいたけれど、そもそも追放された一家は一般の信者家族でしかなく、ゼロからの開拓をそれも一家族でだけで完成できるほどの力量も経験も乏しかった。さっそくその破綻があっちこっちで燻り始めていた。


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 そんな矢先、庭先で、長女トマシンが乳児をあやしている内、忽然と乳児が姿を消してしまった。ほんの一瞬間のタイム・ラグの間隙を衝くように。
 トマシンは、すぐ真ん前に拡がった森の中を必死に捜し廻った。
 ( 乳児は森の奥深く隠れ住む魔女にさらわれ、殺害され、魔女はその血を自分の裸体(からだ)中に塗りたくった。)
  
 夜半、経済的に窮してトマシンを出てきた共同体のある家に奉公に出そうと両親が相談しているのを盗み聞きしたトマシンと弟のケイレブが、ひょっとして森に仕掛けた罠にかかっているかも知れない獲物を採りに向かう。もし獲物がかかっていればそれを食料にするか売るかして家計の助けになるから。そして、獲物がどんどん獲れるようになってゆけば・・・。ところがトマシンとはぐれてしまったケイレブが、件の魔女の手管にかかってしまう。
 物語の終わり近くで初潮を迎えるトマシンが15才、姉のトマシンのふくらみ始めた胸元が妙に気になってしまうケイレブが12才くらいの思春の頃。この森の魔女に、というよりも、トマシンとは相違して大きく成熟しはちきれんばかりの魔女の胸のふくらみに吸い寄せられるように、若いケイレブに舌なめずりして瞳を輝かせた魔女の肉厚な唇に簡単に絡め獲られてしまう。中近世のキリスト教と異教世界、暴力とエロス=処女って世界、ふとベルイマンの《 処女の泉 》を想起してしまった。

 やがて素っ裸のままのケイレブが転がり戻って来た。

 土間に寝かされたケイレブ、うわ言の果てにのけぞって法悦の笑みを浮かべ死んでしまう。夭逝を悼んで皆で祈りを捧げようとすると、小さな双子達が聖句を唱えるのを忌むように騒ぎ立てはじめ、あげく、乳児が居なくなったのもケイレブが失踪しこんな無残な死に至ったのもトマシンが魔女だからよ、と彼女を指弾する。トマシンも負けじと、二人は飼っている黒い雄山羊といつも話しをしているとか、乳児が居なくなった際も女が連れ去ってゆくのを見えたという訳で、双子達こそが魔女と言い返す。
 が、次第に、状況はトマシンに魔女の烙印を押すことに。
 父親は双子と一緒にトマシンを納屋に閉じ込める。


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 翌朝、外に出た父親は、壊された納屋の下の二匹の白山羊の屍と起き出したばかりのトマシンの姿に呆然とする。と、突然、黒山羊の大きな角が彼の腹部を激しく突き刺した。更に再び、とどめを刺すように突進し、父親は積み上げた薪の下に倒れこみ二度と起き上がることはなかった。父親の様子を間近で確かめようとしたトマシンを、今度は長男ケイレブを失ったことで平衡感覚を失った母親が襲い掛かる。堪えられなくなって、トマシン、傍にあった小鉈で馬乗りになった母親に反撃する。
 二回、三回。
 トマシンの顔や胸に母親の頭から流れ落ちた血が滴り落ちる。

 ラスト・・・森の奥の、裸体の魔女たちの供宴(サバト)に、一糸まとわないトマシンも加わってゆく。やがて、頭上高く飛び回り始めた魔女達に少し遅れて、トマシンもゆっくりと昇りだす。・・・


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 当時、魔女や悪魔崇拝者達が、幼児を喰ったり、“洗礼前の子供の脂肪”を身体に塗ると飛行能力がつくとかいう風説が流布していたようだ。事ある毎に現れる黒ウサギや大きな角を生やした雄山羊も、キリスト教以前の異教の匂いをプンプンさせたアンチ・キリスト的な悪魔の化身の如く登場していて、《 不思議の国のアリス 》的な“不可思議な世界”って訳で面白いのだけど、意外とあっさりとした描き方をしている。
 “ニュー”ならぬオリジナルのイングランドの森ならば、異教的森羅万象ってことなんだろうが、何しろ、遙か大西洋を二カ月以上もかけて渡ってきた新大陸、つまり先住民=ネイティヴ・アメリカン達の森って訳で、果たしてあの森の中に棲んでいた魔女は何者なんだろうか。ネイティヴ達(あるいは先祖の霊)の呪いにかかってしまったのか、それとも、本国の異端的因縁すらも帆船で運んできたのだろうか。
 
 それにしても、巡航ミサイル国産化に呼応するような、最近の“ 日馬富士暴行事件”での、それまで聞いた風な良識的デモクラット的言説・主義を決め込んでいた連中が、まるで申し合わせたかのようなマスコミ総動員の、そんな見せかけをかなぐり捨て、いとも容易に自らの正体を臆面もなく晒しはじめた余りにこれ見よがしな展開の、戦前もこうだったかと想わせる排外主義的熱波って、苦笑することすらできぬ正に亡国的金字塔ってとこだったけれど、“ 神の導いてくれた新大陸 ”の錦の御旗を掲げて、さっそくの先住民達に対する略奪と虐殺の惨劇の上に建てられた神々しいばかりの清教徒的構築物=アメリカ、それがいよいよ底なしに、他の惑星にすらその触手を伸ばそうとしているミレニアム=新時代ってとこなんだろう。


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2017年12月16日 (土)

 長崎パノラマ綺談 大泉黒石《 血と霊 》のカルマ的痕跡を巡って

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 ( 唐人屋敷跡に佇む土神堂。福徳正神ともいうらしく、土地の守護神。)


 本当は平日の方が良かったのだけど、諸般の事情で、やっぱり日曜日ってことになって、絵に描いたように、初めての長崎の路面電車に乗り込んだら、びっしりな密度で押し合いへし合い。その上、ネットで事前にチェックしておいた、どこまで乗っても一律100円が、乗ってから120円に値上がってるのに気づき、おまけに両替不可のニュアンスの張り紙までしてあって、ポケットにゃきっかり100円玉1枚。慌ててしまったが、普通に運転席の脇の料金箱に両替機が併設してあって、難なく下車できた。そもそもが長崎駅前の幅の狭い路面電車ホームが既に満員でルートマップなんて確かめる暇もなく、それでも歩ける距離内って観念があったので、ともかく二、三駅先で降りることにした。

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 ( 長崎JR駅前。人口比な小じんまりとした駅舎。隣接した商業コンプレックス・ビル"アミュ・プラザ"の一階のフロアーの大半を占めているファースト・フード屋やスターバックスは、日曜のせいで超満員。外にはレストランの類はあっても、喫茶店を捜すのも一苦労。その一階に全部が集約されているようだ。)


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  ( 路面電車停車場"西浜町アーケード前" 向側が築町、川の手前が浜町。ゆったり乗ってみたかったが、日曜だったので混んでてそれもならず。ここは日本中のかつての電車両が走っててユニーク。)


 大泉黒石+溝口健二の日活映画《 血と霊 》(大正12年)の原作の舞台となった篭町が先ず第一の目的地で、まっすぐ出島の旧オランダ商館跡の高い塀沿いに歩いてゆくと、中国人観光客ばかりが蝟集した一角の前に、派手な色彩の中国人街が一本奥まで伸びていた。さすがもう少し、周辺にも中国商店でも並んでいるだろうとの期待はきっぱり断ち切られ、その一本の中華街だけ。まあ、人口比でいけばそんなものだろう。中華料理屋と数軒の中国雑貨店が両側に立ち並んでいるのだけど、客の殆どが中国人、わざわざ海を越えてやってきた中国観光客が自国の料理や物産(意外と彼等には珍しいものもあるみたいだったけど)などに今更どうしようというのだろうと思ってしまうが・・・当方、こんなところで中華料理を、まさか中国の巷間の砂鍋米線なんかがある訳もなく、食べようなんて気毛頭なく、さっそく中国雑貨店を物色してみた。どうにも皆一様に狭く大した品もなく、安価なパッキングされた中華饅頭を五、六種購入。
 そこを通り抜け、福建通り=唐人屋敷通りと南下してゆくと、片側に唐人屋敷跡の看板のある脇に《 土神堂 》が小さく静かに横たわっていて、中は猫が一匹心地よさそうに昼寝している以外人影もなく、京都の辻裏の薄暗がりにポツンと佇む小さな祠(ほこら)と似た雰囲気が気に入った。門を入ってすぐ石橋があり、その奥にはもう祠堂が立ち塞がっていて、実に簡素。かつて、中国から渡って来た人々が普請して建てたものを、原爆後、市が再建したという。


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 ( 新町の中華街は本当にこの一本の通りだけ。黒石の頃の中国人街としての賑わいと比べようもないのだろう。二月の灯会ランタンフェスティバルぐらいしか中国情緒を感じられないのだろうか。まぁ、人によっては結構満足できるのだろうが。当日は、日本人客より中国人観光客の方が圧倒的に多かった。)


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 ( 何軒かある中国雑貨と安手の中国菓子を売っている店。"人民幣"レンミンビーも使えるような声も聞こえた。久し振りに聞いたフレーズ。中国人のおばさん達があれこれ固まって駄弁りながら物色していた。若い中国娘達は、そんなに大声で喋ったりせず、普通。)


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 ( 中華街の通りから少し離れた唐人街跡にポツンと佇んだ土神堂。奥の祠堂から入口門の方を望む。両側に僅かだけど茂った樹木のせいもあって、昼尚静謐な佇まい。)

 その土神堂の唐人屋敷通りを隔てたまん前に、《 あっ、チャンポン 》なる長崎名物の大きなチャンポンの看板を立てた麺屋があった。是非一度本場長崎でチャンポンを食べてみたかったのでさっそく入ってみた。
 中は普通の麺屋の佇まい。
 もちろん、レギュラーの“チャンポン”だけの注文。皿の真ん中に具材がこんもりと盛り上げてあって、小さくカットした海鮮・野菜がいっぱい。味は悪くない。700円。
 只、当方としては、かつて喰ったことのあるリンガーハット以来の食べ易いチャンポンとは別種の生皮のつきのままのエビの、エグイくらいに強い風味が記憶にあって、あれこそ本来のワイルドな本場長崎の味と勝手に決め込んでいたこともあって、本来の野趣を、都会的な口当たりの良さで封じ込んでしまってる感も否めず、も一つ納得できぬまま。
本当の幻の長崎チャンポンになってしまった。
 後でネットで調べてみたら、この店は、元々博多で流行っている店のようで、それが故郷の長崎に戻って来ての比較的最近の出店という。写真確かめてみると、ちゃんと“長崎店”と記してあって、余生を生まれ育った長崎で店をやりながら過ごそうというのだろう。篭町の方向を店の女性に尋ねた際、わざわざ厨房から姿を現した親父さんは人の好さの現れた衒った感じのない年配の人だった。


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 ( 土神堂をすぐ脇のフルーツ屋の角を折れた路地にある銭湯。三星って、福星・禄星・寿星、つまり道教的至福の三要素のことらしい。華美とはいかないけど、中国的異国情緒って訳で悪くはない。これは男湯の方で、女湯の方には、万年善徳為良範とある。)


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 ( 中新町の坂道=路地と石段の果ての頂上近くの旧い民家。入り組んだ路地が迷路のように続いていて小旅行にはもってこい。もっと先へ登ってゆくと、車道のある通りに出、ミッション系の海星系列の広い学校敷地が向かい側に佇んでいる。 )


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 ( 中新町の坂の上の通り。大袈裟に言えば、尾根の上の通りからの市内の俯瞰。反対側の海側を一望する場所も近くにあったが今回は端折って次回に持ち越し。)


 その後、さっさと大徳寺(跡)に向かわず、唐人屋敷通りから、十人町の路地に分け入ってしまい、トボトボと十年来でガタのきたデジカメ片手に長崎の地形的特性たる坂路をあてどなく辿りつづけた。石段に継ぐ石段。比較的新しい建物から旧式民家、列島中瀰漫しつづける朽ちた空家・廃屋。中国臭を漂わせた民家って殆ど見かけなかった。一体どのくらいの中国系の人々が住んでいるのだろう。大半が、神戸・横浜に移っていったのだろうか。丘の上まで至ると、中新町の表示があった。左手下方に海が覗け、右側に上って来た篭町はじめ長崎市内が俯瞰できた。
 70年以上前、その500メートル上空で原爆の閃光と圧倒的なきのこ雲が上空高く盛り上がり、遠く九州の真反対の大分県の海沿の町からも、阿蘇山越しにだろうそのきのこ雲が目撃されたという。
 つまり、基本、市内の多くの旧い建物は大半が廃されてしまったということで、当然、明治・大正の頃の姿をしか前提としてない黒石の作品世界、とりわけ大正時代の《 血と霊 》に描かれた長崎の街の雰囲気なんて望むべくもないってことは前提であっても、やはりその頃の痕跡を何処か一片でも確認できればってのが人の性ってところだろう。


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 ( 思案橋方面から大徳寺(跡)下の通りを坂上に向かう。人通りもまばらな静かな坂路。杉貞子もこの通りを、未だ鳳雲泰との数奇な出遇いが待ち構えているとは露知らず、紅い耳飾りを持って、篭町へ向かったのだろう。)


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 ( 坂上から大徳寺下の通りをのぞむ。石垣下に、楠稲荷神社へと昇る石段が覗けている。)

 
 「 すると、乳母は目を丸くして『 滅相もないことを仰有る、あなたさま、この夜ふけに、それだけはおやめになりませんと、途中で、又どんな奴に出会わないとも限りません。』と言いながら、主人( 杉貞子 )の無鉄砲を叱るように押し止めました。で、その夜のことはそれで、翌る朝早く耳環をもって、宝石屋とか細工商の多い籠町と云う支那人街に近い巷に出かけるつもりなのが、訪問者のために妨げられ、昼間近になって、やっと外に出られたのでした。行きがけ、一寸、魚町の展覧会へ顔を出し、そこから電車で、山の口と云う終点まで行くと、大徳寺の下を、一丁ほど歩けば、西洋人や支那人が、いつも賑やかに往来している港一の、繁華な通りに出るのです。その辺一帯が籠街なのでした。
 ・・・杉貞子が訪ねた宝石屋は、そこから五六軒目の、大徳寺坂下にあった。」


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 ( 石垣上の楠稲荷神社へ至る途中。左上に大きく曲ねった大楠の枝が見える。石段を登り切った向うに老舗《 菊水 》のくすんだ佇まいが。)

 

 母親から受け継いだ禍々しい血、宝石に対する狂的なまでの異常な執着に如何とも抗し難く自らの自滅の路をひた走りつづける宝石商・鳳雲泰とは露知らぬ画家・杉貞子が、雲泰の弟子・牛島秀夫から自宅に届けられた“楊妃の瞳”と呼ばれる紅いダイアモンドの耳飾りを、“貰う理由がない”と持ち主を捜し出し返却しようと籠町に向かう途中の道筋を、実際は如何なる雰囲気と佇まいなのかを、辿ることによって、当時黒石がイメージしていたものの幾許かでも体感してみようと思い立った長崎行なんだけど、ちょっと気負い過ぎた割には、のっけからルート外の中新町までの路地徘徊で些か疲労気味。
 それでも、路面電車の“思案橋”駅から下ってきた十字路の福砂屋本店横の路地をまっすぐ行くと、片側が石垣の 崖(当時だとひょっとして両側が上からと下からの崖かも)になっていて、確かに大正の頃だと夜にはガス灯の街燈の仄暗い明かりぐらいだろうから、物寂しさなんて通り越して、自分の影にすら怯えかねない怖い怖い坂路だったに違いない。片側の崖上に、地名の故(もと)である大徳寺の境内が拡がっているはずなのだけど、実際には、大正の当時も、黒石の生まれ育った頃も、とっくに明治維新の頃の、恐らく廃仏毀釈によってだろう廃寺となっていたらしく、既に現在と同様、“跡”であった。当然、維新政府がやらかした天皇制的策動なので、全国の少なからずの寺院が神社にすげ替えられてしまっていて、ここも現在、樹齢800年の楠の大木が聳える神社と公園になっている。
 その楠、“ 大徳寺の大楠 ”の名で現地じゃ流布しているらしく、その崖上の崖に面した一角に一軒旧い佇まいの木造民家があって、それが当地の老舗《 菊水 》。明治の創業というから黒石の生まれ育った時分にも商いをしていたはず。“大徳寺焼餅”という福岡・大宰府の名物らしい梅ヶ枝餅と同系の焼餅を作り売っていて、そこを中心に下側から大徳寺=大楠神社に昇る石段の上に覆い被さっている大楠と、《 菊水 》からも一つ上に石段を登った公園に大きく聳えた大楠って、後で帰宅してネットを見て気づいたのだけど、どうも両方とも“樹齢800年”と銘打っていて、一本だけじゃなく、大徳寺(跡)の境内に聳えている複数の大楠の総称として“大徳寺の大楠”って訳のようだ。
 さっそく、その老夫婦が金属プレートで1個づつ焼いている大徳寺焼餅を、一人前4個=700円なので2個=350円買い、かつて黒石もその境内で舌鼓をうったのかも知れないすぐ脇の神社公園のベンチに坐り、大きく伸びた大楠を見上げながら食べてみた。普通の饅頭より一回り大きく、白い薄皮の下にびっしりと甘さを適度に抑えたこし餡が詰まっていて、2個とも平らげてしまった。


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 ( 明治創業の“大徳寺焼餅”の老舗《 菊水 》。老夫婦が忙しそうに、数は少ないものの切れ目なく現れる客の注文に応じて金属プレートで焼き続けていた。色々主人も工夫しているんだろうけど、やはり昨今の妙に作ったのとは別様の純朴な昔風味が芳醇さすらを感じさせる。黒石も少年時代には食べたのだろうが、さすがに貞子や鳳雲泰の処を飛び出した牛島が空腹を紛らわせるために一つの焼餅わ貪るってシーンは描かれていなかった。)


 大徳寺(跡)=神社から崖下の細い通りに降りる石段があり、細い通りはそのまま真っすぐ行くと崖になったカーブを曲がって現在ではマンションで行き止まりのようだが、その神社への参道の石段をその件の細い通りから更に下ると、崖下一帯に拡がる篭町に至る。貞子が最初に訪れた宝石屋もその辺りってことになる。
 そして、その辺から50メートルほど先には銅座川が流れていて、川向うは銅座町。鳳雲泰の宝石店と細工場が在ったのはその一角に違いない。


 「 (鳳雲泰の)店の裏は、あの濁った銅座河岸です。河岸の道路に面して、焼杉の黒塀がございますでしょう? あれが表口から庭つづきになった細工場で、そこには支那人の職人が仕事をしています ── 亀甲を磨いたり、石を切ったり、金を熔かして ── 奇妙な生活は細工場の中に始まったのです。」


 
 魚町の美術クラブの絵画展覧室に立ち寄った杉貞子に、そのクラブの頭目たる老画家が声を掛け、懐から夕刊を取り出して昨夜の連続殺人事件の記事の部分を指し示した。


 「 昨夜も、下町の天満宮と裁判所のある石垣の下で演ぜられました。石垣と云うよりも城壁と云った方が適当かも知れない。そこは百年も前に、南蛮の行政を司る役所があった。その時の建物が今そっくり裁判所となっています。昼間は、その近くの公設市場に荷を運ぶ百姓達や買い出し人で雑鬧( ざっとう )するが、日がくれると、奇妙に森閑となる場所でした。その城壁の下に、一人の若い女が、心臓を刳りぬかれ、沙( すな )を掴んで俯向けに倒れていた事や、それもやはり例の殺人狂の仕業だろうと云うことなどが毒々しい文句で新聞の半面を埋めていました。」


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 ( かつての裁判所のあった現在も法務省関係の建物が頭上に聳えている石垣下の通り。築町・賑町の市場等が軒を連ねている。 )

 
 現在も、銅座から中島川を越えると市場なんかの並ぶ築(つき)町のすぐ向うに、高い石垣の上に法務省関係のビルが建ち並んだ万才町が連なっている。天満宮(注1)の方は戦後すぐ近くの賑(にぎわい)町に移っている。法務関係の敷地とその天満宮跡地(現在は法務関係敷地)の間に、かつて色々な事件の舞台にもなったらしい“大音寺坂” ( 天満坂 ) と呼ばれる些か広目の石段があって、“喧嘩坂”とも呼ばれる由縁を記した案内ボードも立っている。築町・賑町の辺りは市場なんかが並んだ長崎市の台所とすら称されている一帯らしいけど、残念ながら、その日は日曜だったので殆どシャッターが降りていてその雑踏は確認できなかった。


「 ただ、彼女は心の中に、不思議な耳環の行きかがりから、彼等が潔白である事実を掴みとることさえ出来るならば、と、それを願うのでした。裁判所は、前にもお話したように、下町の石垣の上にあります。杉貞子は、中川べりから車を駆りました。会わせてくれるかどうかと心配していたが、幸いに、彼女の社会的な名声を知っている係りの役人は、彼女の願いを聞き届けてくれました。杉貞子は暗い部屋の中で単独に、そして初めて、不思議な男と会いました。」


 この石垣崖下の狭い通りはかなり寂れた感じで、夜になると当時と同様に森閑としてしまうのかも知れない。
 夜も更け静まり返ったその通りで、ある若い女性が鳳雲泰の鋭利な刃物で殺害され、その崖上の裁判所施設に、犯人と間違われ捕らわれた雲泰の愛弟子・牛島秀夫が幽閉されるという随分とメリハリが利いた成り行きだけど、その面会室で、貞子は、牛島の驚くべき隠された秘密を滔々と明かされることとなる。
 殺害された鳳雲泰が、母親の宝石に対する異常な執着性の血を受け継ぎ、客が買った宝石を取り戻すため夜な夜な殺人行に直(ひた)走り続け、とうとう白人の客から返り討ちに合って斃れてしまったという血塗られた物語であった。
 この母親の血は、しかし、作者・黒石に拠ると、代々の遺伝子的にというよりも、彼女の美意識が次第に研ぎ澄まされた果ての、夫によって殺害されるという衝撃で、まだ幼かった雲泰に憑依し、血の中に溶け込んでいったという胎内感応の敷衍というイマジネーティブな発想と論理によって構築されたカルマ的怪奇譚。


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 ( 築町の角にある老舗の海産物問屋・小野原本店。安政六年=1691年の創業で、大正時代に現在地に移り火災に強いらしい現在の建物を建て、原爆にも堪えて今に至っているという。)


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 ( 芸者で有名な丸山。現在もその名残が点々と残っている。当然、坂道・石段の路地ってのが風情。)


 蛇足だけど、この界隈の立体駐車場で、幾年か前、少年(中一)による、猟奇的というより、屈折した少年期的リビドー的発露とも謂うべき幼児を裸にして刃物で傷つけ最後に屋上から投げ落とし殺害するという陰惨な事件が起きていたのを、ネットを見ていて、改めて思い出した。
 そういえば、長崎で、もっと猟奇的というより社会的閉塞を絵に描いたような病的な女子高生(高一)の事件もあった。典型的なエリート家庭で、睡眠中の父親をバットで殴り、同級生を殺し解剖したってので随分と騒がれた事件だった。元々解剖に興味があったらしいけど、医学部や生物学志望という訳じゃなかったようだ。如何ともし難い哀れさばかりが募る少年・青少年の屈折的蹉跌。
 けれど、この鳳雲泰の殺人衝動を基準にしてみると、この女子高生、それらしき口吻を洩らしてはいなかったはず( だから金輪際無かったとは断じれないのが問題だが )で、もっと端的に、これはネットで再確認しようとしたらもう詳細どころか、事件の存在も意図的に消去されているみたいで、被疑者が精神疾患を疑われていたせいかも知れないけど、1985年(昭和60年)に山口県下関で、“ 宇宙人の声がした”あるいは“ 宇宙人に命令された”と供述した被疑者の農業従事者が、自分の母親を日本刀で殺害し更に通行人に斬りつけたいわゆる無差別殺人事件、記憶が曖昧になって他の同様の事件での被疑者の供述と混同しているかも知れない。
 “宇宙人”じゃなくて“神”だったかも。
 1999年9月29日に下関駅構内で起きた無差別殺人事件とは別で、こっちは被疑者がそんな口吻を洩らしたって話はなかったようだ。
 宇宙人・神の声あるいは命令が、一体、どのくらいの圧倒的な威力をもって、被疑者たちの心身に影響を及ぼしたのか、あるいはもっと直截に云うと、その凶行に走らせたのか、知る由もない当方だけど、その微妙な、もっともリアルなデティールを、司法・警察なんぞがちゃんと追及・精査するって先ず期待できないだろうから、現代の語り部たる作家なんかに、たとえば田中慎弥あたりに期待したいものだ。

 【注1】因みに、天正年間に日本人切支丹によって創建され、切支丹弾圧まで建っていたキリスト教会が壊されて後、大音寺が建立されたものの幾らもしない内に他へ移転し、大部過った享保の頃、その跡に坂上天満宮(坂上神社)が建てられたという。
 

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2017年11月25日 (土)

 アンドロイドは叛乱する? ブレード・ランナー2049

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 映画自体は35年ぶりの続編で、映画の世界じゃ30年後の西暦2049年のロサンジェルスの街って設定なんだけど、海外での商業的評判が今一つ芳しくないって風評、予告編の凡庸さ、更に同じリドリー・スコットの《 エイリアン・コヴェナント 》も今一つだったのもあって、こりゃ余り期待できないのかものモヤモヤをひきずりながら、平日の人影も疎らな回を観てみた。只、平日の割にゃ、珍しく( 恐らく )週末の封切り日と同じだろう箱(劇場)で、十分に映像的・音響的迫力が効いていたのは幸いで、やっぱりスペクタクルものは広い箱じゃないと意味がないなと今更のように思い知らされた。

 結局、《 ブレード・ランナー 》って、近未来世界ってとこでのロスの街のイマジネーティヴな世界の創出ってことに尽きる。そこであってこそ、そんなに遠くない将来の象徴たるロボットより一歩先のアンドロイド(=人造人間 : 映画中での製品名はレプリカント)も活きてくる。1982年に公開されたオリジナル《 ブレード・ランナー 》は、正にそこにおいて世界の耳目を集めたんだけど、果たして、広めの劇場で観ることができたのも幸いしてか、オリジナルを凌駕するようなイマジネイティヴ=クリエーティヴな未来世界構築は見られなかったものの、オリジナルと違和を感じさせない程度の敷衍的光景は悪くはなかった。
 映画の中じゃ30年の月日が過っていて、オリジナルだと街中の巨大なオーロラビジョンに“強力わかもと”を手にした日本髪の女の微笑みが印象的だったの比べ、今回のは主人公に語りかける小さなビルなら跨ぎかねないくらい巨大な全裸のジョイという娘のホログラム的姿態が立体的+エロスってところで進化したのだろう。
 あるいは、老デッカードの隠れていたラスヴェガスの古い建物の中に備わった、遙か以前の遺物として設定されたステージ上のプレスリーやジューク・ボックスの中で歌うシナトラのホログラムともども、近未来性を際立たせるための小道具としては面白い。


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 オリジナルじゃ、宇宙植民地から逃げてきたレプリカント叛乱組織の圧倒的な強さをみせるリーダー、ルトガー・ハウアー扮するロイ・バッティと、逃亡レプリカントを抹殺するロス市警の捜査官リック・デッカード(ハリソン・フォード)との死闘と寿命間近かな人間的な生を求め延命を獲ようと足掻くレプリカント達が漂わせる悲哀が、ヴァンゲリスの奏でるシンセサイダーに増幅され中々に味わい深かかったけど、今回の《 ブレード・ランナー 2049 》じゃ、同じくロス市警の捜査官K(ライアン・ゴズリング)が、自身の記憶に埋め込まれた子供の頃の断片的記憶を機縁にして、ラスベガスの旧い館に隠れているデッカードと精密なレプリカントだったレイチェルとの間に出来た、ひょっとして実の息子かも知れないと想い込む様になってゆくのだけど、遂には、あくまで権力を欺くためのデッカードや叛乱レプリカント達の手の込んだ攪乱策だったことかが明らかになる。こっちは、情緒たっぷりって風情じゃなく、Kの勘違いが独り歩きしてゆく様がもう一つしっくりこないまま展開してゆく。後半になって唐突に現れた叛乱レプリカントの存在が余りに宙ぶらりんなまま、Kのバッティと同様の寿命切れで静かに終焉してしまう態は、いかにも次作を匂わせる。
 ひょっとして、オリジナルの《 ブレード・ランナー 》世界が仮構された来る2019年に、続編が発表がされるのだろうか。

 それにしても、リドリー・スコット、《 エイリアン 》ともども、アンドロイドに随分と執着している。
 "技術の独り歩き"ってすぐれて今日的な命題とともに、人間的な、あまりに人間的なアンドロイドたちの人間の業にも似た転輪し続ける炎によって、逆に人間達の真相をあぶり出すって寸法なのだろう。
 

《 ブレード・ランナー 2049 》(2017年)
 制作 リドリー・スコット  監督 ドゥニ・ビルヌーブ (米国)


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2017年11月13日 (月)

転向論的ゆらぎ 岩佐作太郎=秋山清  

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 門司港レトロには中国・大連から移築した二十世紀初頭ロシアが建てた東清鉄道汽船会社事務所木造三階建のレプリカ《 日中国際友好図書館 》があって、中国や韓国の書籍や中国語の大判の辞典も揃い重宝していた。初期の頃は、東南アジアの小説も申し訳程度だけど並んでいたのが、数年前に殆ど放出してしまったようで、完全に東アジアに絞った正に“東アジア図書館”。
 幾年か前、二階の奥に、平凡社の“東洋文庫”がずらり並んだ。
 アジアの古資料としては申し分ないだろう。
 最近、その草色のハードカバーを手に取って確かめていると、ふと《 共同研究 転向 》とあった。ページをめくると、見覚えのある名前が出てきた。大正時代のテロリスト集団“ギロチン社”の中浜鉄の生家の隣村生まれ、同じ大正・昭和のアナーキスト詩人・秋山清だった。
 中浜鉄が門司・柄杓田の産で、その隣の同じく漁村・今津が秋山の郷里。
 それも遠戚同士ってことで、何度か面識もあったという。
 因みに、秋山の言だと、中浜の柄杓田より今津の方が明らかに貧しかったってことだった。( 詳細はこのブログの《秋山清『目の記憶』》、《大正テロリスト・ギロチン社》(2014年)を参照 )
 

 戦後、しばらく、戦前の権力・軍部の対外戦争の挙国一致的キャンペーンへの協力およびその思想的変節=“転向”を非難・批判する動きが様々な分野で行われたという。戦前=戦争とその軍国主義体制への反省から発したもののようで、その一つの成果として《共同研究 転向》(思想の科学)編集・鶴見俊輔 があった。てっきり所謂社会主義者たちの思想的・運動的変容を指すのかと思っていたら、自由主義者なんかのもっと広範囲な人々を対象にしていたのでちょっと驚いてしまった。

 軍部統制の全国的挙国一致モードの真っただ中、徴兵されてない人々って、生活の幅も極端に狭くなり、到底意思(おも)うようには活動できなくなって、それでも僅かに例えば映画なんかで成瀬巳喜男のいよいよ戦争も押し迫った1939年(昭和14年)の《はたらく一家》、《まごころ》で挙国一致的記号を羅列はするけど、同時に自分たちの秘教めいた記号を埋め込んだりの一筋縄ではいかない風に作られたものもあった。
 
 映画・文学なんかは、まだ、そんな記号論的な術の余地が残されてはいたろうが、岩佐のような国家権力に対してもっとも先鋭な批判的・敵対的な政治的な運動の象徴的な存在だと、そのもっと早期から、1935年頃にはもう、一般にはあまり知られてないようだけど、日本全国でアナーキスト達数百人が逮捕される“農村青年社事件”と呼ばれた事件があって、権力に完全にその動きを封殺されてしまっていたようだ。
 殆どでっちあげ逮捕らしく、昨今も戦前権力と同質な自民党権力が戦後一貫してその成立を策してきた全体主義体制の常套=治安維持法=“共同謀議”的フレームアップ法体制化にうつつを抜かしているようだ。もっとも、国家権力って、そんな法がなくったって如何様にもデッチあげは出来るし、戦後も一貫してフレームアップ事件を起こし続けてきている。もう、やりたい放題。それでも、ある種の手合い(エスタブリッシュメントとも謂うらしい)は、この国が民主主義国=法治国家だとしたり顔や涼しい顔して喧伝して廻っている。戦前にも腐るほど列島中に跋扈していた類だ。正にバーチャル・デモクラシー世界。


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 岩佐作太郎って、戦前、明治末頃から戦後もしばらく活躍していて、大杉栄と並び称されるもう一方のアナキストの代表的存在だったらしいけど、風雲児・大杉栄に比して実直な岩佐作太郎の情報ってホント僅少。
 若くして米国に渡り、社会主義活動に目覚め、渡米した幸徳秋水とも交流を持ち、16年近く滞在。1910年に勃発した幸徳秋水たちが逮捕され12人が死刑、5人が獄死した《大逆事件》に抗議し、《 日本天皇及び属僚諸卿に与う 》なる公開状を日本政府に送り付けたのでも有名で、帰国後も、中国に渡って中国人アナーキストたちと交流をもったり、戦後も《 日本アナキスト連盟 》の全国委員長を務め、1967年没。
 この《 国家論大綱 》の巻頭に、刊行者の山本勝之助の記した岩佐の略歴がある。
 

 「 明治十二年( 一八七九年 )九月廿五日千葉に生まる。中央大学の前身東京法学院に学び、卒業後、漢学者山井幹六先生の塾に遊ぶ。又故三浦梧楼氏の処に寄食す。その頃、故神鞭知常氏の紹介で故近衛篤麿氏に接近し支那問題に働きかけるべく画策した。後渡米し渡米中のアナーキストとしての活躍は、余りにも有名なものである。日本の某大事件に対するサンフランシスコに於ける反抗演説会の演説は世界に喧伝されたものである。又米国を騒がした所謂「革命事件」の立役者でもあった。帰朝後は大杉、堺、荒畑、山川諸氏と共に社会運動の輝ける巨星であった。後昭和の初め中華民国の元老蔡元培、李石曾氏等の招聘に応じて渡支し、上海労働大学の設立に参画し、そこで革命史を講ず。済南事件後帰国し郷里に引退し今日に及ぶ。」

( 注 ) 三浦梧楼=元長州・騎兵隊出身だけど、山形有朋等の藩閥政治に批判的で、谷干城たちと反主流派を形成した軍人政治家。朝鮮国特命全権公使時代に起きた閔妃暗殺事件に連座したとされ投獄されてもいたようだ。


 岩佐の《 国家論大綱 》( 昭和12年2月=1937年 )って、たかだか20ページ弱の小冊子で発行所は《 亜細亜政策研究所 》となっている。山本が中心というより音頭をとって作ったのだろう。巻末に《 国策批判会論集 》の近刊予告があって、そこに山本や岩佐の《 支那について( 断想 )》、そして藤岡淳吉や矢部周の論文タイトルと名も連なっている。調べてみると、藤岡は草創期の共産党のメンバーらしく出版関係に拠点を置いていたのが、この頃“ 偽装転向 ”し、東条英機と拮抗したといわれる石原莞爾の本なんかを出版したりしてたのが、戦後は再び共産党に戻って出版事業に専念した人物。
 もう一人の矢部は、大杉栄と同時代の社会主義者から国家社会主義に変転した高畠素之の弟子らしく、この顔ぶれから、当時のエスタブリッシュメント=東条体制に批判的な位置関係にあったのが窺われる。
 因みに、岩佐に接近し、《 国家論大綱 》を書かせたといわれる発行人の山本勝之助も、元アナーキストだったのが、石原莞爾に魅せられて右翼サイドに思想的変転した人物らしい。


 この岩佐の《 国家論大綱 》、それ以前の岩佐が“ アナーキスト ”の頃には社会と国家とを峻別し、あくまで国家(=権力)は社会に寄生する本質的に異なるもの、敵対するものしてときっぱり否定していたのが、まずは社会的動物・社会的人間として、人間世界における社会の優位性を説く。


 「 人は社会的動物なり、社会は人よりも先在者なり」

 「 人々相寄り、相扶(たす)け、共にその自由を享楽し、発展を図ることは、これ本然の性である。この社会性を、集団心理を基調として、国家は生成し、もしくは樹立されたものである。」
 
 「 世に国家なく、法律なくば人々相食み、相殺し、相損い合うが如くいうものあるは大なる誤である。」


 とし、国家には二種あって、自然生成的国家と人為工作的国家があり、自然生成的国家を世界で唯一無二、日本だけの独自的存在性として提示し、他の国々、とりわけ欧米先進国をその典型とする人為工作的国家を対峙させる。
 
 自然生成的国家とは、「 統治者と被統治者との関係が、人間の社会性の、集団心理の上に自然に生成発展したるものであって、かの父と子との関係が自然に生成し、例え天地が転倒し太陽が西から出ることあろうとも、父が子となり、子が父となるが如きなく、その関係が絶対的なものであるように、絶対的であって、天壌と無窮溢れることなき国家を言うのである。」

註]天壌無窮溢(あふ)れることなき=戦前の超国家主義者たちの定型句。天孫降臨の際の天照大神の勅。未来永劫、栄えつづけるの意味。岩佐も、一つの時代的趨勢・皇国史観的体裁を整えるためのラベルとして多用している。


 それに対して、人為工作的国家とは、「 統治者と被統治者の関係が、人為の工作に由って樹立されたもの、詳言すれば、征服とか、契約とか乃至は偽瞞等々に由って人間の社会性の、集団心理の上に樹立された国家である。」
 つまり、「 昨日の統治者必ずしも今の統治者でなく、昨日の被統治者必ずしも今の被統治者でない。」
 「 統治者と被統治者の関係が相対的なるが故に、強は弱を排し、賢は愚に、徳不徳に代る、これ実に、人為工作的国家の常道である。」 


 この日本だけを特殊化した“ 唯一無二 ”等をはじめ当時の趨勢=皇国史観的国粋主義的なラベルを貼りまくって構築した自然生成的国家は、あくまで当時の天皇制国家を実像としていて、統治者と被統治者との関係が「 絶対的なるが故に、賢不賢、徳不徳、強弱等に依って統治者の代わることはない。統治者は千古、万古依然として統治者であり、被統治者は千古、万古被統治者であって、統治者となり得ないことは疑義を挟むことを許さない。」
 
 「 被統治者固(もと)より忠順統治者に絶対的に服従して居るべきが故に、統治者にして賢明、有徳なるに於ては、その国は無上の進化発展を遂げ、人民は鼓腹撃壌みなその徳に浴し、自由を享受することあるべきも、苟も上に立つもの尽忠の心に欠き、頑迷不霊、暴虐無道なるに於ては、その害悪の及ぶところ、人為的国家の比ではなかるべく、実に寒心すべきものがあろう。」


註]鼓腹撃壌( こふくげきじょう )=中国故事。善政がしかれ、太平の世を人民が謳歌する様。

註]苟も=いやしくも。

註]尽忠( じんちゅう )=君主や国家に忠義を尽くす。  

註]頑迷不霊( がんめいふれい )=頑固で道理を悟ることのない無知。


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 「 かかる場合に於ては、人為的国家にあっては湯武あり、クロムエルあるべく、特に人民は革命を以って応ずることがあるであろう。
  然るに、自然生成的国家にあっては、統治者は絶対の存在なるが故に、かゝることは夢想だもされ得ないところであるからである。」


註]湯武( とうぶ )=湯武放伐ともいう。中国の伝説で、夏王朝最後の王=暴君・桀王を殷(いん)の湯王が倒し、殷の暴君・紂(ちゅう)王を周の武王が倒し次の王朝を建てた。有徳の王が天子の座を有徳の者に譲る禅譲と真逆。


 「苟も上に立つもの尽忠の心に欠き」は、統治者=天皇だけど、それじゃ差障りがあるって訳で、権力の代行者としての統治者にすり替えている。すぐ前の“忠順統治者”が“忠順”で切れていれば別だけど、“忠順統治者”と一つの単語に繋がっているならそれであり、もっと後の箇所でその代行権力者を“当路者”(=重要な地位にある者。)としても明示している。
 当時だと、東条達軍部権力だろう。このパンフレットの発行者・山本や実態があったのかどうか定かじゃない《 亜細亜政策研究所 》周辺って、東条達と拮抗していたらしい石原莞爾サイドってことで、正に“君側の奸”=東条一派に対する指弾・批判って構図。
 ( この国家論のパンフレットが発行された前年勃発した《 二・二六事件 》の際、石原は東京警備司令部参謀として反乱軍鎮圧の先頭に立ち、天皇ヒロヒトに昭和6年の石原と板垣が画策した《 満州事変 》もあって訝られながらも一応の評価はされたらしいが、翌当年、つまりこのパンフが出た頃は、倒れた広田内閣の後任に推された穏健派・宇垣陸軍大将の組閣を、あくまで軍部主導の政治を目して流産させることを画策して奔走している最中、私見するところ、所詮石原莞爾も東条等と一つ穴のムジナ。おそらく、岩佐自身も冷めた眼で同様に視ていたろう。)


 これが、岩佐のこの国家論の基本構造ともいうべき反語的レトリック。
 先ず国家より社会の優先性・優越性を宣言しておいて、以降、幾ら国家に関して美辞麗句・賞賛宣揚をしてみせても意味を持たせない基本構造。(後出する右翼的農本主義者・権藤成卿の相似なこの論理に対する右翼達による批判は少なくなかった。)
 自然生成的国家の統治者=天皇を、絶対的統治者・天皇≒代行権力者と曖昧化しておいて、堂々と統治者=天皇を、「 賢不賢、徳不徳」、「 頑迷不霊、暴虐無道、その害悪の及ぶところ、人為的国家の比ではなかるべく、実に寒心すべきもの 」であっても金輪際統治者であり続け、被統治者は永遠にその苛政・苛斂誅求に甘んじ従順に堪え続けなければならないのに較べて、欧米等の人為工作的国家は、抑圧された人民達は起ち上がり革命等によって苛政・圧政権力を打ち倒し自分達の新しい社会を樹立すると説く。
 実に簡明な対照的比較論法とでもいうのか、一見欧米諸国( 人為工作的国家 )を否定・批判しているようにみせかけながら、日本=自然生成的国家の方が根本的に破綻し自壊してゆく矛盾・自滅的契機を内に予め孕んだ構造。正に、人民解放の革命へのアジテーションを、堂々とやってのけていたってことだ。
 言葉にすると大げさだけど、実際は驚くくらいに簡単明瞭過ぎて、偽装性の意味があまりあるとは思えず、よくこんなものが出版を許されたもんだと感心してしまう。非主流派であってもまだ石原莞爾が有力であった時節と、そもそもが岩佐に話を持って行った当事者でもあるらしい発行者の山本の政治的手腕の故なんだろうか。


 以上、岩佐作太郎の《 国家論大綱 》の簡単な概要をみてきた。
 次に秋山清のこの《 国家論大綱 》に対する言及・批判に触れてみる。
 

 「 大正の労働運動にアナルコ・サンジカリズムの勢力がある程度伸長した歴史をもっているアナキズム運動の流れの上に、満州事変、日支事変と第二次世界大戦のプログラムが進むにつれて、いち早く、殊にその指導的部分に思想的転向を表明するものの相次いだ事実は、革命思想としてのアナキズムが所謂アナキズムの陣営のなかにおいてさえも、意外に薄弱化にしか浸透していなかったということを示しているもののようである。 この研究は、二、三の著名なアナキストの動向によって、その歴史的必然と人間的必然との重なり合いによって表面化された転向の、よってきたるところをたずねようとするものである。」(p302)

 
 著名なアナキストとは、この《 共同研究 転向 》のアナーキストの章でもう一人取り上げられた詩人の萩原恭二郎や、当時農本主義志向に一層傾いていた石川三四郎等のことだろうが、“革命思想としてのアナキズム”の薄弱的浸透、つまりアナーキズムの根本把握と血肉化の脆弱さ故の、歴史的・人間的な必然的産物との断定。
 萩原と石川は取りあえず置くとして、かつては大杉栄の労働運動社に参画すらしていたもう一方の旗頭の岩佐作太郎にピタリ《 転向者 》としての照準を合わせ、アナーキスト詩人・秋山はこう続ける。

 「 ここで特に注意すべきは、転向した岩佐の国家観および道徳観の集約的表現と見られる『 自然生成的国家』という思考の背後に存在するものが、日本の特殊性、という観点に貫かれていることである。日本を特殊な国家と見ることで天皇の存在を許容し、大陸への侵攻に批判をさし控えるという、これは共産主義者の転向にも用いられた一つのケースである。」( P307 )


 「 岩佐は、これを地理的に、また歴史的に、日本について合理的に説明しようと努力しているようであるが、《 国家論大綱 》のこの理念は、極めて容易に岩佐の内部に、可なりに彼の若い時代から発酵しているかに推量されるものである」( P307 )


 「 いいかえれば、明治三十年代から在米国時代の社会主義活動以来、岩佐の約四十年間( 太平洋戦争まで )の国家権力とのたたかいの活動の歴史のなかに、その底流が見出されるかもしれない」( P308 )


 「 従来の彼の理論の観念的傾向と、《 生成的国家 》の説とが極めて近距離、等質的なものであったためと考えられる 」


 「 『 日本の盛衰は統治者の行蔵の如何にかかわる 』というに至れば、これは民衆の力による下からの革命の拒否である。統治者を天皇と見、天皇以外の支配階級を君側の奸と見ることによって、アナキスト岩佐の、反権力反支配階級との闘争ははそのまま彼の内部に生きつづけるごとき錯覚となり、隣にゆくような気軽さで、アナキスト岩佐は日本国家の称揚者となったのである。」(p319)


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 一見、秋山のこの岩佐の《 国家論 》に対する批判って、岩佐がこの論を発表した戦前当時に、傍から、つまりアナーキスト陣営からの批判として、岩佐の見え見えの“ 偽装転向 ”を手助けするカモフラージュとして認められた一文かと錯覚してしまうぐらい。
 が、実際は、戦後十年以上過ぎての批判論で、秋山も、岩佐のこの《 国家論 》が巧く出来ているとは認めながらも、「 排外的なすなわち日本主義と呼ばれる右翼的思考と全く区別ない主張を展開した 」と、けんもホロロ。
 秋山の、この岩佐に対する硬直というより頑なさは一体何処からきたものなのか。
 それは、例えば秋山のこのくだり。


 「 岩佐のこのような思想的転回と相伴う現象として、後進のアナキストの多数がこの前後から、全く岩佐と同様の歩調をもって右翼的な国家主義の地点に続々と移行していった事実がある。・・・・・・もっとも尖鋭な無政府主義の思想団体と自ら号し、革命にたいして個人的な創造的暴力を絶対視して革命的なアナルコ・サンジカリズムをさえ、その労働者組織を、権力発生の萌芽なりとして暴力的に排撃した黒色青年連盟員らが、日本の戦時体制に順応して、後には戦火の灰燼の中に“ 必勝革新運動 ”を唱えたり、または明治神宮あるいは二重橋前に早暁の礼拝に憂身( うきみ )をやつすようなみすぼらしい顛落を生じていった原因には、岩佐の転向の与えた刺激が大きかったという責任があるだろう 」(p322)


 「 所謂純正無政府主義を称した人びと、一切の革命のための組織 ── 労働組合、農民組合、あるいはそれらの職業別組合、さらにまた思想文化の団体にまで、反革命としてのその結成に反対しようとした観念的な思想体系は、戦時体制の下では生活の方途にすら混迷せざるを得なかったのである。日常生活に民衆の労働と勤勉を持たなかった人びとは、自主自立を根底とするアナキズムを自己内部からさえ喪失し、喪失したことによって、支配権力の元締めである天皇と天皇制とに、独自の解釈を加えることで、これを容認し、近づこうとしたのである。」(p323)

 
 上記に共通する秋山の思いと感情、それは次の当時の秋山の現実状況の把握に端的に現れている。

 「 第一次世界大戦後の労働組合の発達と社会主義の活性化の中では大杉栄を中心とする《 労働運動社 》の活動が、思想運動、労働運動におけるアナキズムの中心であったが、大杉の事後、大正末期にはギロチン事件等のテロリズムの発生となって、とかく労組等の組織活動を軽視する傾向がつよくなり、アナルコ・サンジカリズムがわが国のアナキズム運動の中心勢力であるという事情は、急速に変化しはじめた。
 昭和になってからはさらに、石川三四郎らも穏健なサンジかリズム的思考を非難されて、黒色青年連盟( 黒連 )や全国労働組合自由連合( 自連 )などの指導的位置には自然と岩佐作太郎が据えられる形となった。この間アナキズムが、労働運動においても文化運動においても影響力を弱めていった・・・」

 秋山は戦前・戦後もいわゆる岩佐達の所謂“ 純正無政府主義 ”と角逐し対峙した“ アナルコ・サンジカリズム ”系のポジションにあり続けたらしく、増々時代が閉塞してゆく中で純正派が、急進的な青年的ヒロイズムと一蹴されかねない切羽詰まった将来的展望の欠如した直接的暴力主義に傾斜してゆく過程で、秋山達アナルコ・サンジカリズム派を誹り排斥したという秋山の裏切られ切り捨てられたようなトラウマと怒り=呪詛の念、正にこの一点に、秋山の純正派の象徴=岩佐作太郎に対する論難は成り立っているように思えてしまう。
 当方、当時の純正=アナルコ・サンジカリストの角逐・争闘の具体的詳細はつまびらかにしないけれど、秋山をして、そこまで執拗に糾弾させた要因・契機が、彼の批判の論の中には他に見出されない。
 

「 世に国家なく、法律なくば人々相食み、相殺し、相損い合うが如くいうものあるは大なる誤である。国家は人間の社会性の、集団心理の上に生成し、もしくは樹立されたものであって、その成員をして人間としての完成を遂げしむることが、その使命である。・・・・・・
 国家が、その使命を閑却し、もしくは私の法を作り、私の欲を逞うし、人民の自由を奪うに於ては、人間社会は、こゝに醜悪、悲惨、残虐な修羅の巷となるであろう。」(《 国家論大綱 》5p)


 先ず国家より社会の優先性・優越性を宣言しておいて、以降、幾ら国家に関して美辞麗句・賞賛宣揚をしてみせても意味を持たせない基本構造。最初にそれを提示してみせるという、しかし、そんな恥ずかしいくらいに見え見えの単純な偽装性であっても、ともかく一応は、山本勝之助の手腕の故なのか検閲の網の目を通過でき出版されたのだけど、今度は欧米型の《 人為工作的国家 》を貶め指弾するように見せかけながら、その実、我が国固有・絶対的なものとして持ち上げた《 自然生成的国家 》を、現実状況をも媒介として、逆照射し、《 自然生成的国家 》=天皇制国家・大日本帝国を根底的に否定し批判するという逆説的手法を臆面もなく延々と展開してゆく。
 繰り言になるが、当方から見ると、よくもあんな石原莞爾すら東条に排斥されてしまうご時世に、かかる鉄面皮な、こう言って良ければ、空前絶後なスケルトン的偽装転向の金字塔《 国家論大綱 》を世に出せたものだとホトホト感心してしまう。

            
 補足すれば、これは秋山も指摘していることだけど、明治・大正・昭和の時代を通じて、所謂“右翼”的サイドに身を置き、“社稷”(しゃしょく=大地に根差した自治的村落共同体)の概念を基準にした“農本主義”を唱え、“五・一五事件”にも影響を及ぼしたといわれる権藤成卿の論に同調・触発されてはいるだろう。
 権藤は、甘粕等陸軍の大杉栄殺害およびそれに対する右翼サイドの同調的言動にかなり不快感を示したり、軍部の言論弾圧に“ファッショ”の語句を使って批判したりの、必ずしも全体主義的超国家主義者じゃなく、例えば、プロシアを規範にした明治国家を次のように批判した。

「社稷を離れたる国は、必ず尊己卑他の国にして、其民衆は権力者の奴隷となる」
 
 そして、岩佐が《 国家論大綱 》で援用した理念が、

 「 土ありて而(しか)る後民人あり、民人ありて而る後君長あり」

 あくまで主役は“民人”なのであって、天皇や権力は、良いとこ、二次的存在に過ぎない。勿論、この論に当時の右翼サイドからも、この理念に異を唱え批判する者も少なくなかったという。ともあれ、権藤の自治的農本主義に、岩佐が必ずしも近代主義一辺倒じゃないアナーキズム的共感を覚えたのは確かだろうし、転向的偽装に好個の論理と意匠を得れたってとこだろう。

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2017年10月15日 (日)

エイリアン : コヴェナント( 聖約 )  一つの存在論的な巨大な実験( =フラスコ )としての人類創生、それとも技術論的な開発としての人類繁殖? 

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 前作の《 プロメテウス 》(2012年)が、この《 エイリアン 》シリーズの新たな、それも本源的展開だったということで、今回、それなりに期待はしていたのが、スルリとかわされてしまった。
 製作者側の企図としては、今回の《 エイリアン : コヴェナント 》は、前回の《 プロメテウス 》の続編だけど、次回作《 エイリアン : アウェイクニング 》こそが、《 プロメテウス 》の直後にくる続編ってことで、今回のはその《 エイリアン : アウェイクニング 》の後に続く三つ目の物語らしい。

 そんなややこしい作りにしたためか、この《 エイリアン : コヴェナント 》、些か説明的に過ぎ、《 プロメテウス 》の未知の異世界を一歩一歩踏みしめてゆくスリリングさも薄れ、如何なる都合・技術的な問題があっての末の一つ飛ばし、あるいは結末の先取りか知らないけど、蠱惑的な謎というより思わせぶりな中途半端な代物に堕してしまった。続編を前提とした作品が往々にして陥る陥穽。  
 

 そもそもが、前作《 プロメテウス 》が、オリジナルの《 エイリアン 》(1979年)の前日譚として作られたもので、オリジナルの《 エイリアン 》の宇宙輸送船ノストロモ号が鉱物資源を積んで地球への帰途の途中、知的生命体らしき信号を発している小惑星へ会社命令による進路変更したことによる未知との遭遇=エイリアン禍に見舞われたのが西暦2122年、惑星探査船プロメテウス号が種の起源を解き明かす鍵となる惑星LV-223に降り立ったのが西暦2093年。

 つまりリプリー達が降り立った惑星LV-426で不気味に佇む巨大な宇宙船と化石化した異星人の姿に遭遇した年から29年も前に、既に同じ企業のプロメテウス号が別の惑星で異星人とその宇宙船、エイリアンとの遭遇を経験しその情報を得ていたということ。

 そして、今回の《 エイリアン : コヴェナント 》では、植民船コヴェナントが2,000人の入植者を目指す惑星オリガエ6に運んでゆく途中、ニュートリノの衝撃波を受けて故障し右往左往している最中、近くの、とある太陽系の第4惑星から知的生命体らしき信号が発信されているのを確認し、地球に近い環境故にとりあえずの探査が行われるのが、前回のプロメテウス号から11年後の2104年。
 そして、次回作、《 エイリアン : アウェイクニング 》が、その11年間の間の何処かって訳で、これだけ見ても何とも煩雑でややこしい。


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 オリジナルのエイリアン・シリーズの頃は、普通にSFホラー・スリラー映画ってとこだったのが、《 プロメテウス 》以降の新シリーズじゃ、人類の起源はじめ本源的なアプローチに西洋的神学を加味し、中々興味深い設定で、とりわけ今回は神学的ニュアンスが強くなっていよいよ面白くなってくるはずだったんだけど・・・。
 

 《 プロメテウス 》で、人類を作った異星人( =エンジニアとこの映画では呼ばれている )が、あたかもノアの大洪水での人類絶滅やソドムとゴモラを殲滅した神ヤハウェの如く、惑星LV-223から人類=地球の殲滅・破壊を企図していたのを、今回の《 エイリアン : コヴェナント 》では、彼等エンジニアの遺棄宇宙船に乗って、彼等の居住する惑星に赴き、上空から彼等エンジニア達が作った生物兵器をぶち撒いて住民たちを最後の一人まで殲滅し尽くしてしまったエピソードを、両作品に登場するアンドロイドのデヴィッドが回想するシーンがある。
 それが、かつて古代の死の都と化したソドムとゴモラもこうだったかと想わせる彼等が降り立ったその第四惑星の黒々と石化した無数の人型の遺物の意味だったという訳だけど、その辺の詳細が、次回作《 エイリアン : アウェイクニング 》で明かされるという流れなんだろう。


 そもそも何ゆえに、人類を作ったはずの異星人エンジニア達が、人類を絶滅することを選んだのだろうか。
 それは、前作《 プロメテウス 》の最後の方で、主人公の考古学者エリザベスの問、地球への帰還を拒絶し彼等エンジニア達の母星に進路をとった際に、アンドロイドのデヴィッドに零したセリフでもあった。てっきり、今作でその謎解きがなされるものと決めつけていたら、完全に肩透かしを喰らってしまったのだけど、この“何故に”( 人類殲滅 )ってのは、はっきり言って為にする類で、昨今の人間達の行状からして幾らでも推測がつく代物。

 要は、それが神=万能の唯一神であってようやく、何故に万能のはずの絶対神がそんな齟齬・矛盾の極みの破綻を来たす挙に出てしまったのか? という疑義も呈されるけど、それが異星人・宇宙人ならば、多少の程度の差こそあれ、所詮横並びの同じ生物ってことで、単なる試行錯誤的な恣意性を出るものじゃないという了解性の上での、デヴィッドの報復(?)あるいは人類絶滅の阻止としての先制攻撃だったのだろう。只、実際のところは、次作を待つ他はない。そう単純に推測されるような作りにはしない監督リドリー・スコットってところなんだろうから

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2017年9月13日 (水)

ポスト・ペロン的残影 キリング・ファミリー(2017)

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 比較的最近、中・南米の映画、何本かレンタルで観た。
 残念ながら、特に印象に残ってる作品はなかったけど、この今年度作品になっている《 キリング・ファミリー 》THE LOST BROTHER / El otro hermanoは、始めて観る余り縁のなかった国アルゼンチンの映画で、首都ブエノスアイレスから北へ遠く離れたある小さな町が舞台。
 観てると、ふと、前世紀の70、80年代あたりの物語かと思えるくらいにローカルな雰囲気だけど、携帯電話を普通に使っているんで、比較的最近の設定なんだろう。
 日本のサブタイトルが“殺しあう家族”。
 些か猟奇的ニュアンスを煽り過ぎてるけど、近代のコンキスタドール宜しく近代になって先住民や黒人・ガウチョたちを弾圧・排除して、ヨーロッパから膨大な数の(主にスペイン・イタリア)移民を入れて作りあげた白人国家たるアルゼンチンの、それでもラテン的な濃い家族的絆すら、現実のとめどなく浸蝕してくる物質主義に解体されてゆき、かつては世界でも有数の富裕国だった栄光の凋落がオーバーラップするように、旧く朽ちた木造家屋の仄明るい室内の板壁に刻印されたように黒々と凝血した血飛沫が静かにぬめっていたりする。


 キャッチ・コピーで、“悪”の権化と予め断罪された代理人ドゥアルテは、いかなる成り行きでかある普通の決して裕福じゃない家族( 実際には父親を中心にした二家族 )に接近し、彼の銭儲け=悪行に引き込みどっぷりと漬からせ、ついにはその家族のほとんどを細長い骨壺の中の死灰と化してしまう。
 

 この代理人ドゥアルテ、一体どんな職掌なのか曖昧で、ともかく銭儲けに抜け目なく、アルゼンチンの地方の小さな町の中で、ありとあらゆるチャンスを見出しては貪欲に狡猾にむさぼってゆく。
 最初は、一報を受けてブエノスアイレスからやってきたハビエルに、内縁の夫モリナに射殺された彼の母親と弟が安置された死体安置所に案内するモリナの代理人として現れる。散弾銃にでも射殺されたのか、原形をとどめぬ二人の屍に思わず嘔吐してしまう。手慣れた風のドゥアルテ、屍を見せる前に嘔吐用のバケツを手渡す周到ぶり。
 早速、当たり前のように、ハビエルに二人の死にからめた保険詐欺話を持ちかける。平然とした口調でリスク“ゼロ”をアピールし、まんまとハビエル話に乗せられてしまう。
 一切がビジネス・ライクなのだ。 
 ( 常に大型のオートマチック・ピストルを隠しながら。)


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 ハビエルの見知らぬ彼の母親の内縁の夫モリナも、母親と弟を殺害した後、自宅で自殺したという。モリナの妻と息子がまだ住んでいる家にも、ドゥアルテはハビエルを連れてゆく。モリナの嫁が銃で自殺した際に飛び散った大量の血糊を雑巾で拭いている最中だった。対面した両者に特別な感情的起伏も見られず、むしろ嫁さんが世間話の如く愚痴を漏らすぐらいに淡々とした一場。
 実は、モリナの家族、ドゥアルテを頭目とした営利誘拐に手を染めていたのが次第に明らかになってくるのだけど、映画じゃ描かれてないものの、どうも殺されたハビエルの家族そして自殺したといわれているモリナすらも、ドゥアルテに何らかの理由によって殺害された疑念が浮かび上がってくる。
 つまり、互いに殺しあった家族じゃなくて、代理人ドゥアルテに利用され尽くしたあげく彼の手によって殺された家族って可能性。
 只、最後に、ドゥアルテに命令されながらも、義理の兄であるハビエルを殺すことを拒絶し逆にドゥアルテに銃口を向け撃ったモリナの息子・ダニエルがドゥアルテに首を撃たれ瀕死に喘いでいる時、ハビエルはダニエルを見捨て死なさせてしまう。
 カインとアベルの旧約神話を想起させる。
 兄カインがやがてエデンの東を流浪することとなるように、ハビエルも営利誘拐や保険詐欺で得た血塗られた高額紙幣の束の収まった袋を手に隣国ブラジルに逃避行を決め込む。
 唯一生き残った主人公・ハビエルの前途も、しかし、暗澹として明るい兆しの予感すらないまま終幕。


 それにしても、ラテン・アメリカじゃ、やっぱり現在でも営利誘拐が利幅の大きな犯罪のようで、既に1980年代の政情不安なアルゼンチンで人々の耳目を集めた営利誘拐犯アルキメデス・プッチオ一家事件なんてあったらしい。プッチオ一家の残虐性とドゥアルテの残虐性の相似性。その伝でゆくと、モリナもドゥアルテに強いられたものであっても単なる誘拐どころか残虐な行為にまで手を染めていた可能性も考えられる。
 そういえば、南米最北のコロンビアの切羽詰まった閉塞状況の崩壊寸前の村を舞台にしたエべリオ・ロセーロの小説《 顔のない軍隊 》(作品社)で、村の四囲をすっかり左翼ゲリラや右翼自治組織、麻薬組織、政府軍に包囲され、四面楚歌の定年退職した元学校教師の年金生活者イスマエル爺さんも、自分の長年連れ添った嫁さんを人質誘拐グループに拉致されていた。毎月の年金も滞ることの多いしがない老齢年金生活者なんぞに、間違っても高額な身代金なんて払える訳もないにもかかわらず。
 そんな営利誘拐が日常的に発生しているラテン・アメリカじゃあるが、経済大国・先進国の頂点のはずの米国なんて年間誘拐事件百万件といわれている。その被害者の多くが子供たちというさもしさ。
 ドゥアルテって名前、確か独裁者ペロンの嫁さんエビータの長い本名の中にもあるけど、何か関連でもあるのだろうか。単なる偶然ならともかく、アルゼンチン事情に疎い当方にはさっぱり詳らかじゃない。

 
 《 キリング・ファミリー 》THE LOST BROTHER (2017)
監督・イスラエル・エイドリアン・カエターノ
制作 アルゼンチン・ウルグアイ・スペイン・フランス 

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2017年9月 3日 (日)

真夏のブードゥー=ゾンビー世界

 

 この数日朝晩少しは過ごし易くなってきたもののまだまだトロピカル・ランドと化した列島暑熱モードは続くのだろう。
 そんな30℃世界の只中のある昼間、家の裏庭に面した風呂場の天井を見上げると、あしながバチが二匹、天井灯の丸井プラスチックのカバーの横にとまっていた。
 何事かと思い、しばらく眺めていると、驚いたことに巣を作ろうとしていた。
 マジ?
 確かに昼間は空気が乾燥しているけど、夜になると湯気濛々でまずかろう。
 ハチや昆虫って、けっこうとんでもない場所に巣を作ったりしてて、リアルタイムな現在、それもかなり狭い限定された視野内しか認識できないようだ。( もっとも、人間の視野もそういうほど広くもないけれど )
 
  
 そういえば、家からかなり離れたところにあるスーパーの前の歩道脇の植え込みの下に、そこだけ黄土色の砂らしきものが少し盛り上がっているので、何なんだろうと、缶コーヒー片手にのぞき込んでみると、小さな穴が三っつ並んでいて、ヒョコヒョコと真ん中の穴から、黒い羽虫が一匹、後ろ向きのまま這い出てきた。
 すぐ“地バチ”という言葉が浮かんできた。
 が、これは間違いで、後で調べてみたら、地バチって黒スズメバチのことらしく、その穴から現れハチはもっと細っそりした体躯の黒アナバチだった。
 穴を掘ってその奥に巣を作るから、アナバチなんだろうが、見てると、同じ一匹のハチが出たり入ったりしているようだった。後ろ向きに出てくる毎に中の土砂を運んできて、穴口の前に後ろ足で蹴り出し、それがこんもり盛り上がって低い小山を作っている。周囲の黒土と明らかに土質が異なっているので一目瞭然。
 出入りしているのは専ら真ん中の穴だけ。
 これがこのアナバチの習性のようで、たいてい三個の穴を掘り、両側の二つは見せかけだけのダミーで、他の寄生昆虫の侵入を防ぐためだろうといわれているらしい。所用でで外出するときには一々真ん中の穴口を塞ぐという。
 キリギリス系の虫を刺し麻酔状態にしたまま捕らえ運んできて穴奥まで引きずり、そこで麻痺したキリギリス系虫の体内に直に卵を産み付けるという。
 殺さず仮死状態にしたまま、体内で孵化したアナバチの幼虫たちは、キリギリス系虫の体内の肉を食べて成長するって算段。殺してしまうと腐敗してしまうからなのだろうが、怖い話だ。でも、確か人間世界でも、採った魚を叩いて仮死状態にしたまま鮮度を保つって手法がなかったっけ。

 ところが、同じハチの種の中のコマユハチは、その生態から“ ブードゥー・ワスプ ”とも呼ばれ、キリギリス系じゃなく、イモムシに卵を産み付ける。
 イモムシの体内で孵化しイモムシの内部の肉や内臓を食べながら成長してゆくのは同じだけど、そのイモムシを決して殺すことはなく、成長しきった幼虫たちがイモムシの体外に出て蛹になってからも、体内をさんざ喰い破られ瀕死のはずのイモムシはまだ生きていて、面白いことに、そのイモムシは、今度は、蛹を襲おうとして接近してくる他の昆虫を追い払うようになるという。
 実はそのイモムシの体内には常に数匹の幼虫が残っていて、その故なのかともいわれているのが、イモムシの脳=行動をコントロールしているってことなんだけれど、それでブードゥー( イモムシの方はゾンビー )なのだ。ワスプは別に白人旦那たちとの関係を揶揄ってのワスプじゃなく、“ 狩りバチ ”の意味。
 でも、これは、ある種の鳥たちに、別種の鳥が自分の卵を紛らわせ、その鳥たちに育てさせるって手口に相似だし、本当は別種の卵にもかかわらず自分の卵と思ってずっと餌をやり外部の攻撃から身をもって守ろうとする本能的所作をつい想起してしまう。
 ここまでくると、ネコ=ネズミ=ネコの寄生の輪たる寄生虫トキソプラズマのおぞましい世界まであと一歩。何しろ、感染したネズミがネコに食べられやすいように行動するようになるらしい。怖い、怖い。それがとっくに人間世界にも蔓延しているらしいので、もっと怖い話だ。

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2017年8月19日 (土)

 解かれた封印 《 ザ・マミー 呪われた砂漠の女王 》

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 早朝五時前のまだ暗い東の夜空四十度くらいの方向にオリオン座が三日月の下に小さく耀いていた。ゆらぐ赤色巨星ベテルギウスはまだ健在のようで、青白く瞬いているはずの下方のシリウスは、残念ながら定かでなかった。このシリウス、実は連星で、現在は地球並の大きさに縮まってしまったシリウスBの方はとっくに死に向かっている白色矮星という。
 
 《 ザ・マミー 呪われた砂漠の女王 》を、盆休みの昼の回で観た。
 久しぶりの映画館だけど、さすが盆だからか、トム・クルーズ主演って訳でか、雨上がり的な天候にもかかわらず館内はほとんど満員。
 you tubeの予告編のホラー風味に好奇心をくすぐられての運びで、考えて見りゃあ、“マミー”ってつまり“ミイラ”、漢字の“木乃伊”の方が感じが直截に表れている包帯ぐるりの動きの緩慢なキャラだったはず。初期のゾンビーたちが、ゆるゆるおぼつかない足取りだったのが、次第に時代の閉塞感・切迫感が増すにつれ、いつの間にか走り出し、人間より敏捷に疾駆する屍鬼に進化してしまったように、この《 ザ・マミー 》でも、女王ミイラは、昨今のホラー映画定番の如く、自在に走り飛び跳ねる正に魔物。


 予告編の女王の棺を積んだ輸送機の中での思わせぶりなシーンに、勝手にホーラブルな展開を逞しくしてしまってたのが、しかし、スクリーン上じゃ、ホーラブルとは些か趣きの異なったむしろ冒険アクション的展開。それもドタバタ風味まで加味され。
 これは好みじゃない。
 けど、席蹴ってしまうほどでもなく、持ち込みの缶コーヒーをチビチビ飲みながら、最後まで観てしまった。
 

 いずこの国・時代でも、権力争いの種は尽きまじとばかり、古代エジプトの宮廷内権力争奪的惨劇 ─── その怨嗟と呪詛、ふとした偶然から数千年の時を超えた現代にその封印を解かれてしまう。
 エジプト=ミイラ物の基本構図なのだろうけど、数百年のヴァンパイヤー(吸血鬼)物から、昨今流行のエイリアン物だともっと膨大な時間が上積みされ現代に甦る。
 古代の種子も、うまくやれば現代でも見事な花を咲かせるのだから、地底や海底の底深く結晶化した何億年の彼方から運ばれてきた一滴、一微粒子が封印を解かれ、禍々しいあるいは驚倒すべき遥か銀河からのパンドラの匣物語って、ミレニアム( 2000年代 )に入っていよいよ現代人の好奇心を掻き立てるようだ。


 さすが片方の主役たる王女アマネット、ぐるぐる包帯の下は朽ちたミイラ然とした老婆の態じやなく、生きたままミイラに封印された時の若々しい妖女そのものとして造形されていて、姿態も裸体シルエットも艶めかしく、前世紀の近未来世界造形映画の金字塔《 ブレード・ランナー 》(1982年)のレプリカント(サイボーグ娘)・プリスの剥き出しのエロティシズムとバイオレンス性を想起させる。
 以前どこかで見た覚えがあると思っていたら、ハリウッド・台湾合作ホラー映画《 ダブル・ビジョン 》(2002年)の妖女がやはり“双瞳”を備えていて不気味さ醸し出していた死霊とも生霊とも知れぬ人の精気を吸って生気を甦らせる妖魔アマネットの双瞳。二つ連なった金色の瞳、妖しくねめつけるその両の眼差しは、中々にエキゾチック。
 只、せっかくのエキゾチックな妖魔女も、端折った作りのためか、中途半端に了ってしまってた。
 砂漠の妖魔女の封印が解かれたのはロンドンだったけど、今週リアルに砂漠=中東の呪詛の封印が解かれたのはスペインでありヨーロッパ大陸だった。こっちの封印は植民地主義的帝国主義、十字軍遠征の頃の産物、あるいはもっと以前からの因縁的産物?


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2017年7月22日 (土)

真夜中の牛肉麺

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 先だって博多に行った際、キャナルシティーという商業コンプレックス・ビルのラーメン・コーナーで、“大明担々麺”の看板を見つけ入ってみた。
 但し、“ 重慶 ”と銘打ってあって、担々麺といえば四川料理のはずなのに・・・と怪訝に思いながらも、紅く映えた見栄えの良い一品に舌鼓をうった。激辛ってほどじゃなく、食べ易い。日本人向けにディフォルメしているんだろうか。

 かつて一度だけ四川の省都・成都を訪れた時、体調をくずし、咽喉の調子が悪かったのもあって、せっかくの辛さが面目の四川料理をあれこれ試食するって機会を逸してしまった。ふと通りかかった路地角の小さな担々麺屋のガラス棚の中に、実に簡素に、丼に山盛りになった麺と別の碗の濃いスープが並んでいるだけで、そのいかにも麻辣(ピリ辛)風に映えた赤黒いスープに、思わず咽喉の奥がピリピリしてきた記憶が甦ってきた。
 
 でも、それは四川の中心地・成都でのことで、そういえば、これも最近ちょっと散歩気分で地元の路線バスに長々乗って、めったに訪れることもなかった一応デパートもある、しかし、周辺の商店街は構えばかりですっかり廃れた、自民党半世紀支配の論理的帰結、所謂“アベノミクス”的帰結を絵にかいたようなくすんだその昼尚薄暗い商店街の奥で見つけた小さな中国食品屋の棚に陳列されていたインスタント・ラーメン二種、片方は有名な“康師傅(カンシフ) 牛肉面”、もう一方ははじめてお目にかかった“酸辣”(ホット&サワー)味の表示のある“重慶小面”、この“重慶小面”、発売元が躍進著しいらしい《四川・白家食品》なのだが、生産地が四川・成都となっていた。
 ( 因みにブログ見ると、十年くらい前、日清食品がこの白家食品の株を取得のため協議したことがあったようで、その後どうなったのだろう。)


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 そもそも重慶って、調べてみたら、元は四川省に属していたという。
 雲南や貴州の一部も。行政的区割りとして、四川省から直轄市として独立して重慶市(北海道くらいの広さ)となったに過ぎず、風土・食物まで変わった訳じゃない。
 四川は四川。
 もう二十年近く以前、二、三回ほど、列車の窓から重慶の町の姿を望み見たことがあった。
 内陸奥地の赤土の曠野の涯の、両側のクレパスのような長江と嘉陵江の濁流に臨んで屹立した正に異境都市然としていて、通る毎に、そんな地の果ての荒寥とした佇まいに、中国人=漢人たちのバイタリティーに感心したものだった。
 2002年の中国映画《 ションヤンの酒家 》を観て、重慶の街並みが結構近代化されているのが分かったけど、映画は旧い繁華街の再開発問題を背景に使っていて、それから既に15年も過っている現在、すっかり近代的な都市の景観を呈しているのだろう。


で、大明担々麺だけど、もう一つの売りメニューに、“四川・牛肉麺”があった。
 これも流行りのメニューのようで、最前の“ 康師傅 牛肉麺 ”はじめ結構色んなメーカーがインスタントの牛肉麺を出している。
 生の牛肉麺は、といえば、これまた相当旧いけど、ちょうど20年前、昆明から列車で2泊3日かけて上海に夜遅く到着し、定宿の《 黄浦飯店 》はさすがにチェック・インはできないだろうと、駅前のあっちこっちに現地の人々が、新聞紙やゴザを敷いて寝っ転がっていたのを見るにつけ、朝まで駅前で待つことにし、とりあえず夕食とばかり入った店が、中国のあっちこっちで見かけるようになっていた《 美国加州牛肉面大王 》だった。
 一番最初にその名を見たのは、確か敦煌観光の拠点の町・柳園の通りで、大道音楽芸人のパフォーマンスが行われていた近くに、オープン記念だったかの派手な看板が並んでいたのを思い出す。“加州”ってのが一体何のことか分からず、ひょっとして米国のカリフォルニアのことかなと推測しながらも、
 アメリカに拉麺なんかあったっけ?
と、それが牛肉麺といかなる関係があるのか理解できぬまま気にもとめなかった。
 さすが上海と云うべきなのか、その店は24時間営業の店だった。
 値段は当然少し高めだったけど、どんな麺料理なのか試してみたかったのもあって、くだんの牛肉麺をスプライトと一緒に注文。
 牛肉麺=6・5元   
 雪碧( スプライト )=5・0元   
 醤油系スープに麺、その上に、牛肉とレバーの角切り、香菜(パクチー)と刻み葱。
 普通の拉麺で辛くはなく、けっこう旨かった。
 深夜の上海駅前の光景を眺めながらすする牛肉麺はまた格別だった。
 
 この《 美国加州牛肉面大王 》、もう中国全土的チェーン店らしいのだが、《 李先生 》なる新看板と重複したりのややこしい商標トラブルに揺れているという。
 人民中国、いよいよ“改革開放”の波に乗って、絵にかいたような資本主義的トラブル全開ってところなんだろう


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