カテゴリー「音楽」の55件の記事

2020年6月 6日 (土)

 プライド的仇花 『 DUKHTAR 』( 娘よ!)

Dukhtar-2
 

 
 先だっての甲斐大策《 ペシャワールの猫 》に絡めた訳じゃないけど、偶々観ることになってしまったパキスタンの監督アフィア・ナサニエルの《 DUKHTAR 》(邦題・娘よ)。 2014年の作品。六年も前の映画だった。パキスタン・米国・ノルウェーの三ヵ国共同出資。
 米国にも多くのパキスタン人が出稼ぎや移住してて、パキスタン=米国は軍事的なつながりの緊密さでは、タイ=米国にまさるとも劣らない。( 日本=米国も、ミレニアムになっても、幕末以来の治外法権がまかり通っているぐらい。)
 隣国・アフガニスタンで跋扈するタリバンの基礎がそんなパキスタン権力の手によって作られたってのも意味深。

 

 この映画、観て先ず驚いたのが、舞台が、《 ペシャワールの猫 》で私=甲斐大策とアフガン難民ハジ・ヌール・ムハンマド・ハーンが、甲斐の十二歳の娘を、結婚間近で家の外へ出れないハジの娘に会わせようと、居所のコハトに赴くためにどうしても通過しなくてはならないダッラの町のパーミッション( 通行許可証 )を貰うため二人してペシャワールにあるダッラの出張所に日参するのだけど、そのダッラと同じパキスタン公権力の権威の及ばない少数民族自治区“ トライバル・テリトリー ”だった。それもアフガン人ハジと同様のパシュトン系の部族エリアの。
 そのパシュトン系に属する、それも比較的最近までは互いに友好的だった二つの部族が、何らかの理由で血の相克劇、果てることのない“復讐”の連鎖に陥ってしまっていた。
 インドも中世の残滓香る世界ではあるけれど、隣国パキスタンも同様イスラムチックな報復=仇討ちがまだまだ血の相克を繰り返している世界であった。パキスタン滞在当時も英字新聞やなんかでも時折記事になってたりしていて驚いたものだった。我国じゃ、明治維新の廃刀令と共にとっくに消えいってしまっていた代物。

 

 

 主人公の母娘、アッララキとザイナブ、はカラコルム山脈のある麓の、中国から伸びたカラコルム・ハイウェイ沿いのフンザを彷彿とさせるある風光明媚な山岳地帯に住んでいた。
 画面じゃそれこそK2峰が望み見えていてもおかしくないくらい。
 トライバル・テリトリーって、カラコルム山脈から少し下ったペシャワール( 標高300メートル )の南西に位置するむしろアフガン南東部と国境を接する地域で、この辺りは基本外人旅行者には開かれてなくて当方にもまったく未踏のエリアなのだけど、どうも画面上の雰囲気と違和感がある。勿論、あくまで映画なので中国と国境を接した側のカラコルム山脈での撮影だったとしてもどうこういう筋合いもないのだが。

 

 
 母親アッララキの年老いた夫が一方の部族の長。
 敵方の部族長に、自分の部族側に何人も犠牲者が出、とりわけ自分の息子も犠牲になったのを嘆き、和解を申し出る。と、敵方の部族長は、ならお前の娘ザイナブを俺の嫁に寄越せと応じた。互いが親戚関係になるのが手っ取り早いってことらしい。
 確かに理には適っている。
 アッララキの夫は二つ返事に応じた。
 
 早速敵方の手の者がアッララキの家に直に新嫁ザイナブを迎えにやって来くる。
 母親アッララキは、まだ十歳の娘を、自分の老いた夫より老いた敵方の部族長に嫁がせることに自身も同じ境遇だったのを顧みて、慚愧の想いに駆られ、結局ザイナブを連れてその家を飛び出す。捕まると殺されるのは自明故の、非力な女にとって男達に物理的に対抗できるのはこれしかないとばかりに、こっそりと夫のだろうピストルを忍ばせて。
 供宴にうつつを抜かしている間に、新嫁に逃げられ、敵側もアッララキの夫側の男達も、共にプライドを傷つけられたと、怒りと殺意剥き出しに二人の追跡を始める。

 

 が、母娘が途中で乗るこことなるトラックの運転手ソハイルとの遭遇が、普通ならとっくに追っ手に捕まり母親は殺害され娘は老いた部族長の下に嫁ぐことになったのだろう運命を大きく変えてしまう。
 最初はパシュトン系の部族と諍いを起こすことに難色を示していたソハイルも、アッララキの命を賭しての逃亡の念に折れ、首都イスラマバードと古都ラホールの中間に位置するアトックまで送り届けることを約束することになる。元々孤児でアフガンのムジャヒディンに何年も参加していた彼には失うものがなかった。それに何よりも、アッララキに魅せられていた。好青年然としたソハイルに彼女もまんざらではない女の情愛を覚え始めているようだった。恐らく初めての・・・

 

Dukhtar-1

 

 

 勿論イスラム国パキスタンであれば、欧米先進国の住民達が思うようなハッピーエンドはそもそも期待すべくもなく、結末は描かれぬまま終わる。
 母娘は人口一千万の大都市ラホールにそのまま隠れ住むのだろうか。
 それとも、隣国インドに更なる逃避行を続けるのか。
 ソハイルとアッララキは一緒になれるのだろうか。
 否、アッララキの老いた夫はまだ健在のはず。
 敵方の部族長は同族の者に殺害され、ザイナブは許嫁婚から解放されたのだろうか。
 映画的には、正に“明日に向かって撃て”的な生きんがための逃避行。
 更に、アフガン帰りのソハイルを基準にすると“タクシー・ドライバー”ってところだろう。それなりに面白く作られた小品だと思う。

 

 映画は六年前の作品だけど、昨今喧しい、家父長的封建主義の産物ともいうべき、親達が当事者の気持ち・意志を何等鑑みることもなく一方的に年端もゆかぬ少女を嫁がせる“少女婚”が、正面切って問われている。
 親が勝手に当事者の意志を無視して結婚相手を決める許婚( いいなづけ )制は、中東・イスラム世界だけじゃなく、人民中国以外の華僑=華人世界じゃ現在でもまだ行われている様で、日本も戦前までは普通に行われていた慣習。明治維新以降の日本じゃ余り低年齢ではありえなくなったものの、華人世界じゃ、結構早い時期に決められたりすることもあるらしい。
 只、昨今の西欧近代主義的風潮って、中世のロメオとジュリエット的自由恋愛とすら背反する似非自由主義、つまり彼等が否定し批判しているつもりの全体主義と横並びの所詮全体主義的産物でしかないって事に留意しておかないと、遙か明治末・大正の《 青踏 》の頃から一寸の深化も得られてないってことになる。

 

 

監督 アフィア・ナサニエル
アッララキ サミア・ムムターズ
娘ザイナブ サーレハ・アーレフ
トラック運転手ソハイル ヒブ・ミルザー
 2014年作品 ( パキスタン・米国・ノルウェー

|

2020年4月 8日 (水)

旅先のミュージック・テープ Ⅱ

 

 

Tape10-1

 

《 AYA 》キジョkidjo ( 1994年 )

 

 1998年のバリ、ジョグ・ジャカルタ行の際に折からのインドネシア・ルピア―の暴落によるレート差成金を決め込んで大量に買った中の一本。
 当時はアフリカの歌手なんて一人も知らなかった。
 この前後に、主にバンコクで時折買ったりしたぐらいだけど、いずれも皆アフリカン・ビートともアフリカン・サウンドともいうべき独特のものがあって、それが中々気に入っていた。中東諸国のポップス、とりわけヨーロッパに移住して活躍しているアーチストってやはりその国のサウンドを帯びてしまってるのと同様、このもはや有名アーチストどころか大御所となっているらしいキジョのこの5枚目のアルバムらしい《 AYA 》も、バックに流れているフランス風味の独特のサウンドで、パリで録音したのがすぐ分かってしまう。( 勿論そのフランス独特の、ちょっと古いがシルヴィー・バルタンの曲にも響いていたサウンドが流れていたらの話だけど )

 

 一曲目の“ Agolo ”からして、彼女ののびのびとして声量もある唄声でのアフリカン・サウンド全開ってのが好い。2曲目の“ Adouma ”も同様、のりのり。
 B面の“ idje-idje ”もゆったりとした曲調で悪くない。
 アフリカン・ポップスの場合、バック・コーラスの掛け合いも、伝統的なアフリカン音楽の形式と相俟って、魅力の一つで、哀愁を帯びたこの曲でも、 idje、idje、 idje、idjeとコーラスが唄った後を受けて、キジョが唄う箇所が気に入っている。
 このカセット・テープ、“ Sale in Indonesia only ”と記されていて、インドネシアだけのバージョンって訳だろうか。定価Rp.10000とパッケージの背に記されている。

 

 Youtubeを確かめてみたら、なんと“ Agolo ”や“ Adouma ”のMVがあった。直近の曲のMVじゃ、年相応(1960年生れ)の彼女が貫録すら湛えて唄っている姿も観れた。動乱の西アフリカ・ベナン共和国を出た難民でもある彼女は、フランスに亡命し、後米国に拠点を移したという。

 

Tape10-3

 
 
  
 《 Spirit of the Forest 》Baka Beyond ( 1993年 )


 マーティン・カラディックと妻のハート・スーが、1992年に西アフリカのカメルーンのコンゴとの国境地帯に住むバカ・ピグミーの集落に滞在し一緒に演奏した際に録音したものと、1993年にスタジオ録音したものをミックス処理したものらしい。
 バカ族も伝統的アフリカン文化の粋である音楽好きのようで、見知らぬ英国人夫婦の奏でるギターやマンドリンに興をそそられコラボとなってゆくのが手に取るように分かってしまう。
 マーティン・カラディックはコンウォール出自らしく、コンウォールといえばアーサー王伝説で有名だけど、古のコンウォールの人々は英語じゃなくケルト系の独特の言語を持っていた。
 1547年、没したヘンリー8世の後を継いだたった9歳のエドワード6世とその摂政となった伯父のサマセット公が新教徒で、英国国教会をプロテステント系に改変しようとして「礼拝統一法」を制定したものの、全国的叛乱が生起した。とりわけ、コンウォールじゃ、それまでラテン語の祈祷書を使っていたのが、中央権力がそれを英語のものに強制的に改変してしまって、コンウォールの人々が頑強に拒絶したため、コンウォールの住民たち数千人が殺害されたという。日常的言語としても英語が強制され、次第にどんどんコンウォール語人口が減少していって殆ど絶滅状態という。
 そんな自身の出自を、人口数万人ともいわれるバカ・ピグミーに重ねて観ようとしたのか、中々うまく融合されたものとなっている。
 BAKA BEYONDは、このアルバムの頃はともかく、マーティン・カラディックと妻のハート・スーがバカ族や他の国のアーチストの参加を得てすっかり多人数のバンドとなっているようで、この後も音楽活動を続け、七枚以上のアルバムを出しているとか。
 このアルバムに関する限り、インストルメンタルが主だけど、哀感溢れたバカ族の唄と混然一体となって、正に熱帯雨林の精というところだろう。

 

Tape10-2

 

 

 《 TALKING TIMBUKTU 》
    アリ・ファルカ・トゥール with ライ・クーダー(1994年)

 

Tape10-4

 

 
 米国ミュージシャン=ライ・クーダー プロデュースによる西アフリカの内陸国マリの代表的ミュージシャン=アリ・ファルカ・トゥール( 歌手・ギタリスト )とのコラボ・アルバム。全曲ファルカ・トゥールの作曲で、その翌年のグラミーのワールド・ミュージック・アルバム賞をとっている。
 ライ・クーダ、三年後にはキューバに渡り、有名な『Buena Vista Social Club』の録音にも参加したりしていて、時間が前後するが1980年に沖縄の喜納昌吉&チャンプルーズのアルバム『BLOOD LINE』にも参加していたらしいワールド・ミュージック畑じゃ知る人ぞ知る存在という。
 アリ・ファルカ・トゥールは2006年に既に亡くなっているけれど、このアルバムの後も、同じマリのコラ( 半分にしたひょうたんを基部にした弦楽器 )奏者トゥマニ・ジャバテと共演した二つのアルバムがいずれもグラミーのトラディショナル・ワールド・ミュージック賞をとっている国際的ミュージシャン。因みに、グラミー賞三作目は彼の死後発表されたもの。
 
 アリ・ファルカ・トゥールは米国のブルース歌手ジョン・リー・フッカーなんかに影響を受けていた関係もあってか、中々ブルージー。
 ティンブクトゥはファルカ・トゥールの故郷の名。
 上記の《 Spirit of the Forest 》と同様バンコクのタワー・レコードで買ったカセット・テープで、本体は露店売やマーブンクロンなんかで売ってるコピー物なんかと訳が違うってことなのか、かっこつけたグレー色。こっちのカセット・ケースには90ルピーの定価が記されたMCAのラベルが貼られている。

|

2020年3月21日 (土)

旅先のミュージック・テープ Ⅰ

Tape-1

 

 

 1998年5月のジャカルタ暴動の余韻も生々しいはずの、けれど、ヒンドゥー教徒の多いバリ島だったので無関係と思っていたら都市部じゃやはり反-スハルト政権の学生運動はあってたらしいその6月下旬に訪れた時、1$=12000~14000インドネシア・ルピアというインフレ状態で、現地の人々は日々の生活に四苦八苦していた。
 ジャカルタ暴動じゃ、多くの華僑達が襲われ、女や少女達すらも散々な目に遭ってたのが新聞紙上で生々しく喧伝されていて、その前後だったか地方のキリスト教徒迫害の暴動も日々伝えられていたはずが、確認しようとネットを検索しても、少なくとも日本語検索じゃ精々数語の概念的記述ぐらいで、全くと言っていいほど出てこない。20年以上も過ぎて現実的価値が顧みるに値しなくなっのか、あるいは政治的変容ってやつなのか。
 それはともかく、所詮通りすがりの一外国人バックパッカーに過ぎない当方にとっては、僅少な予算故に束の間の余禄ってことで、バリ舞踊のチケットやまだまだCDより全盛だった音楽テープが、随分と手軽に買えたものだった。
 一々試聴するよりも買った方が早いとばかり可也の量を購入し、結局それほど気に入ったものがなく、大半は宿のスタッフにプレゼントすることになった。後にも先にも音楽テープをそんなに買ったのは、その1998年のバリ島でだけ。

 

 倉庫の棚に長年放り込んだままの段ボールにぎっしりと詰まったミュージック・カセットテープ。段ボールは長年の塵汚れにくすんでいるけれど、中のカセット・テープ自体は、ラジカセで聴いてみると、まだまだ問題なく四半世紀前当時のままの音質を保っている。
 当方のステレオ・コンポのMIDIもカセット・テープ機能も失われて既に久しく、専らCD専用となってて、だからテープを聴くことから遠ざかっていた。(因みにラジカセは家族の所有物)

 

Tape-5

 

 《巴山夜雨》光頭李進 (Ⅰ995年)

 

 昆明か上海、あるいはクアラルンプールだったのか、何処で買ったか定かでない。
 全く知らない歌手だったけど、“ 光頭 ”という字ずらとスキンヘッド顔の画像、そして何よりもタイトルの《巴山夜雨》(はざんやう)が気に入って買った代物。
 先ず日本には見られないカセット・ケースの外側にまでジャケットがはみ出ているタイプが多い中で、カセット・ケースがすっぽり納まる箱型のジャケットの内側に歌詞表が入っているタイプだった。
 光頭とは、文字通り照り輝くスキンヘッドの事らしく、敢えていうなら、秋山千春ほど高い声じゃないものの秋山に似た感じの高声で唄いあげる。A面2曲目のタイトル曲《巴山夜雨》は、晩唐( 9世紀前半 )時代の詩人・李商隠の当時の都・長安で彼の帰りを待ちわびた妻からの便りに、遠く四川・巴山でしとしと降りつづける夜雨が池に漲る様を眺めながら、長安の妻への熱い想いに駆られるという《 夜雨寄北 》に想を得た陳小奇の作品が雰囲気あって悪くはない。
 このアルバムが二枚目の李進は、四川省綿竹出身の1967年生れ。今年もう50歳。
 歌手以外にも手を伸ばし、2017年にマイアミ国際映画祭で新人監督賞を貰ったとか。

 

Tape7

 

《 LOLO倮倮摇 》倮倮 (Lolo) 1995年

 

 

 雲南省昆明市の少数民族イ(佤)族出身の歌手。
 中国名・張建華
 崔健・黒豹楽隊・唐朝楽隊・王勇・眼鏡蛇楽隊等のロック(揺滾)系グループの雲南省都・昆明でのコンサートの企画・プロデュースを手掛けたりもし、後北京に移る。
 楽曲に少数民族音楽の要素を組み込んだりしてるらしい。
 ギター片手のフォーク・ミュージック風だけど、彼自身による歌詞にもイ族文化を反映しているのか独特なものが多いようだ。
 2004年に《 倮倮摇 2 》( 香港大地唱片 )を出している。
 因みに、ロロというのは、イ族の本来の自称民族名。

 

 

 

Tape-4

 

 

 
 《 都是夜帰人 》許美静( メイヴィス・シュー )1997年

 

 シンガポールの1974年生れ。
1990年代後期中国圏で人気を博した。
 タイトル曲の《 都是夜帰人 》は、暗い深夜に囁くような曲調がひっそりとしたジャケット画像と相俟って、悪くない。このテープも、そのジャケットの静かな佇まいと“ 都是夜帰人 ”( 都=みんな、すべて ) というタイトルに惹かれて買ったもので、帰って聴いてみてその雰囲気そのままの作品ですっかり気に入った。
 大部過ってネットで調べてみると、2006年にシンガポールのホテルで、“ 私を神と呼べ!”と叫んだりして騒ぎを起こし、警察沙汰になったあげく、軽度の精神分裂症・抑鬱症ということで暫く精神科に通うことになったとあって、驚いてしまった。
 どうも以前からシンガポールの音楽界の重鎮との不倫的三角関係でかなり精神的にナーヴァスになっていたようだけど、中国揺滾( ロック )の雄だったドゥウェイ( 寳唯 )も、怒って週刊誌記者の車を燃やした事があった。 
 最近も、元気に歌手生活を送っているようじゃないらしい。       youtubeでこのアルバムより前に出した《 遺憾 》(1995年)の中の《 城里的月光 》( 城里=市、街 )のMVが900万再生回数を記していて、一応視聴してみた。当方的には、やっぱしこの《 都是夜帰人 》の方が全然気に入っている。精神をすっかり病んでしまった美静をつい想い浮かべてしまって、いよいよ彼女の囁きが哀切をもって迫って来る。

 

 

Tape-2

 

 《乾脆》那英 ( 1999年 )


 昆明で買った。
 この那英のこのアルバム、当方的にはマアマアだけど、決して凡作って訳でもない。
 三曲目の《 等待 》のリフレイン、

 

 這無聊的夜 無聊的風 無聊的愛
 這荒涼的夜 荒涼的風 荒涼的愛

 

の“風”フォンを伸ばす箇所、その発音が妙に気にいってる。
 中国エリアじゃ、かなり売れたようだ。

 

 彼女は満州族の出身で、本名を葉赫那拉・英。
 葉赫那拉は満州族支族の名。彼女の先祖は、清朝・宮中の御典医だったという。
 遼寧省・瀋陽生まれで、地元の瀋陽歌舞団で活躍していたのが、やがて北京に出て歌手として一人立ち。因みに、前年に出した《 征服 》は二百万枚以上売れたという。

 

 

|

2019年3月24日 (日)

ボリウッド的愛国帰郷譚 デリー6 ( 2009年 )

 以前MVが気に入ってて頻くMVだけをyoutubeで視聴していたものだったインド( ボリウッド )映画《 Dehli 6 》、今回その同じyoutubeで漸く映画自体を見せてもらった。
 2009年制作ってことで改めて時間の経過に驚いた。
 もう十年も過ってる。
 当方の感覚じゃまだ数年前・・・
 “ masakali masakali~ mataakali mataakali~・・・ ”
 と、モーチット・チョーハンの唄うmasakaliの乗りのいい曲にあわせて、すらりとした美形女優ソナム・カプールが父親の飼っている純白のハト・マサッカリを頭にのっけて踊ったり、主人公ローシャン( アビシェーク・バッチャン )がインドの首都デリーの旧市街の路地を巡ってゆく《 masakali 》をはじめ、旧市街の大きなモスク、ジャーマー・マスジッドの中庭や回廊、否、その周辺にもびっしり溢れひしめいた信者たちが正座し一斉に礼拝する姿からはじまる敬虔さとやがて映画の中で展開されるヒンドゥーとのコミュナル( インド的な主にヒンドゥー=モスレムを中心とした宗教的紛争・軋轢 )な争闘的悲哀を孕んで朗朗とjaved Ali, とKailash Kherが唄い上げる《 Arziyan 》、オールド・デリーから突如ニューヨークのタイムズ・スクエア―に分け入って溶融した主人公の白昼夢的世界《 Dil Gira Dafatan 》、このタイムズ・スクエア―にオールド・デリー的世界が浸潤した場面はなかなか面白く、最初観た時は随分と大掛かりなニューヨーク・ロケをしたのかだと呆れたほどで、実際はデジタル画像処理によって作られた光景で、パソコン・ソフトでも使ったかのような画像処理シーンもあって遊び心満点。


 物語は、米国から死地として母国を選んだ母親と一緒にインドに帰国し、郷里のオールド・デリー=チャンドニー・チョークの久しく空家になっていた自宅に戻って来た主人公・ローシャン(アビシェーク・バッチャン)と、その界隈に昔から住んでいて母親・アンナプルナ( ワヒーダ・レフマン )と旧知の人々とその周辺人たちとの親愛・葛藤を経て、彼ローシャンも母親と一緒に旧市街の路地裏の住民となることを選択するに至るという愛国的帰郷譚ってところ。

 このアビシェーク・バッチャン主演の《 Dehli 6 》じゃ、住民のイスラム=ヒンドゥーの宗教的対立を媒介にして予定調和的宥和に落ち着いてしまうのだけど、ちょっと前の

《 Swades 》(2004年)じゃ、主人公モーハン( シャールーク・カーン )は米国のNASAに勤めていて、両親に先立たれていて唯一の肉親のような乳母が高齢で気にかかり、インドに戻って来て、彼女が学校教師の一人娘と住んでいるウッタル・プラデッシュ州の片田舎の村を訪ねそこに滞在している内、その時代から取り残されたような余りに旧弊な村の有様に、何とかせねば、と改革的方途に着手し、一旦米国に戻ったものの、村人たちの顔々が浮かび上がって来てやもたてもたまらず、NASAでの仕事を放りだし、チャランブール村に戻ってしまう同系列の愛国的帰郷譚だったけど、この作品の場合も、この

《 Dehli 6 》と同じA.R.ラフマンの名曲が情景を盛り上げることしきり。

 当時、確かインドじゃ、先進国に移住している成功したインド人たちの帰国的援助を国策的に求めるキャンペーンをしていたような記憶があるけど如何だったろう。

 《 Swades 》じゃ、貧困と無知という何とも前時代的な題目の克服という文部省推薦的な匂いすら漂ってきかねないきらいもあったものの、この首都・デリーの旧市街の物語《 Dehli 6 》は後半から展開されるヒンドゥー=モスレムのコミュナルな紛争の宥和ってことで多少の相違はある。

 それともう一つ、この映画の始めの方で、ローシャン母息子がチャンドニー・チョークの旧居に戻って来た際、近隣住民に歓迎され門を開けるシーンがあるけど、《 Chak De! India 》( 2007年 )じゃ、イスラム系のプロのクリケット選手だった主人公( シャールーク・カーン )が国際試合でパキスタン側に有利なプレイをしたという疑いをもたれ、世間・周辺住民から“ 売国奴 ! ”と罵られ、老いた母親と一緒に長年住み慣れた旧市街の家を後にする際の門を閉めるシーンが同じアングルだった。こっちは石持て追われる流れで、幾年か後、女子クリケット・チームを率いて紆余曲折を経ながらも優勝街道へ直走ってゆくのだけど、これも一種のコミュナルなニュアンスが漂い、“ 愛国統一戦線 ”的なスローガン、“ Chak De! India ”( 行け! インド )という訳だ。
 因みに、シャールーク自身も、本来は隣国パキスタン・ペシャワールの出身のイスラム系俳優だったのもあって、いやでもリアルな様相に。


 ローシャンの母親役のワヒーダ・レフマン、'50~'60年代に活躍した男優&監督のグル・ダッドと彼と結婚した当時の人気プレイバック・シンガーのギータ・ロイとの三角関係にあって、グル・ダッドは自殺し、幾年か後にギータも酒に溺れて死んでしまったという悲劇的結末で有名な、以前にも紹介したことのあるグル・ダッド主演・監督の《紙の花》Kaagaz Ke Phool(1959年)でもヒロインを演じ、以降もナンバーワン美人女優として第一線で活躍していたようだ。

 当時の美麗さの記憶しかないので、最初この映画で観た際も余りの変貌に、あのワヒーダ・レフマンとは思いもかけなかった。

  《 Dehli 6 》(2009年) 監督・ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ
( 制作・ショーマン・ピクチャー )
 追記 :  ココログ=ニフティーのリニューアルとやら、3月20日でもう大丈夫って配信してたけど、4日過っても不具合のまま。
    この記事に画像つけようにも小さすぎて使いものにならず断念。以前にもこんなリニューアル的不具合の滞留状態があって、まともな  
    状態に戻るのにけっこう時間がかかった記憶がある。そもそもこの記事も、こんなに早くアップする予定はなかったのだけど・・・
               

|

2018年10月29日 (月)

長崎港 枯れ木も山の賑わいの平成末的異聞

Nagasaki_port_3
  

 十六世紀後半、それまで海外貿易の拠点だった平戸(松浦藩)から、ポルトガルと日本側の商人たちのトラブル、それに武士までが加わって殺傷騒動にまで発展したため撤退し、南隣の大村藩主・大村純忠がその後を受け、横瀬浦(平戸と長崎の中間の入江)に開港した。が、他藩に焼き討ちに会ったため、現在の長崎・出島に移ることになったという。
 横瀬浦なる地名今回初めて知ったけど、横瀬浦焼き討ちの騒動の顛末なんて正に戦国時代といわんばかりの欺き裏切りの織りなす業火の転輪図さながら。その後の、切支丹弾圧模様なんかを合わせて観ると、大泉黒石の短編、たとえば《 血と霊 》のおどろおどろしい紅血の世界の縁因を辿れてしまいそう。


Nagasaki_port_2

 ( フェリー・ターミナルのチケット売り場のフロア。停泊している大型クルーズ《 處女星號 》からの客も居るのか混んでいた。島民用のフェリーは勿論、世界文化遺産がらみの五島クルーズを各社が出しているようだけど、長崎県に付属しているはずの壱岐・対馬の便が見当たらなかった。博多港からフェリーや高速船が出ているのは知っているが。)

Nagasaki_port_1


Nagasaki_port4


 長崎市には現在、国際港なるものは二つあるらしい。
 以前は上海=長崎の定期航路があって、当方も( 十何年も前 )上海からの帰路、その定期便を使おうとしたら、直前に停止になってしまい定番の鑑真号( ひょっとして蘇州号だったか )に乗る羽目になってしまったけど、どうもそれっきりのようで、現在、国際定期便航路はないようだ。
 それでも、門司港同様、大型の国際クルーズ船が、松が枝国際ターミナルと少し下った郊外のコンテナ基地でもあるらしい小ヶ倉柳国際ターミナルに入ってくるみたいで、当方が訪れた時も、長崎駅近くの長崎港から、その松が枝国際ターミナルに停泊している白亜の大型クルーズ客船の姿が望めていた。


Nagasaki_port5


Nagasaki_port7


 路面電車の大波止( おおはと )駅で降りてすぐのところに長崎港の岸壁があり、右手にフェリー・ターミナルの如何にも風の建物が佇んでいた。
 その日は、何かの催事でもあるのか桟橋の一つに大きな黒い帆船が一艘泊っていて眼を惹いたけど、人影はなかった。岸壁の下にいくつもの魚群(ハゼのようだった)の影が覗け、大きな魚も悠々と泳いでいて、大きな魚が小さな魚をくわえる光景まで見させられ、総じて関門近辺の魚よりも一回り大ぶり。
 ネット見ると比較的最近参入した業者もいるみたいだけど、港の桟橋に何艘も水中翼船風の高速船や客船が連なっているのが、何よりも目を見張った。
 門司港や下関港と相違して、路線も多く、本格的な正にドメスティック・ターミナルで、当方が訪れたのが日曜というのもあってか、決して狭くはないターミナルが、折からの五島の世界文化遺産がらみの観光客や地元住民客でごった返していた。( 軍艦島行きのクルーズって何社もが競合しているようで、ここから少し離れた場所に専用発着場もある。 )
 確かに、関門港程には凋落の影は窺えなかった。 


Nagasaki_port6

 ( 松が枝国際ターミナルの第二ターミナル入口。クルーズ船が停泊する際は基本閉館となり一般客は入れず、それ以外の日は市民たちが活用しているようだ。)


Nagasaki_port8


 埋立て地の広場で何かイベントでもやっているようで家族連れを含めた人群の間を岸壁沿いにどんどん南下してゆくと、白亜の大型クルーズ船の停泊した松が枝国際ターミナルに着いてしまった。
 船尾に《 Virgo 處女星號 》とあった。
 クルーズ船が着く日はここの国際ターミナルは閉館になるようで、岸壁に並んで立っているターミナルの上が展望回廊になっていて、一人ゆっくりと白塗りの船体を眺めながら歩いて行った。船首あたりに、如何にも中国風の飛仙ならぬ人魚、否、麦穂( スピカ )を手にした“ おとめ座 ”の女神が描かれているのが淡い異国情緒を醸し出していたが、後部の船体に何と“ Genting 雲頂世界 ”と記されていて、すぐにカンボジアは首都・プノンペンにある時を境に急に見るようになったそのネームの記されたバスやタイからマレーシアに向かう時にも長距離バス・ターミナルで目にしたネームを思い出した。
 マレーシアのギャンブル王・王国泰の会社、スタークルーズのクルーズ船だった。

Nagasaki_port9


Nagasaki_port10


 処女星号=13階建の75000トンで、935室を備え、1,870名の乗客を乗せる香港拠点のスタークルーズ( 麗星郵輪 )のクルーズ船で、他にも何艘も所有しそれぞれのエリアで就航しているという。短期のクルーズ船で、今回は五泊六日の天津発、博多経由らしい。
 会社は違うが、乗客四千人というロイヤル・カリビアン・インターナショナル(マイアミ)の“ クァンタム・オブ・ザ・シーズ ”も、どっちかの国際ターミナルに、その16万トン、348メートルの巨影を聳えさせたという。


《 血と霊 》の冒頭、長崎育ちの黒石は、長崎の港と海の光景を異国情緒風味を醸し出していたけれど、確かに高台のグラバー通りあたりからの眺望はミレニアム=平成末的にくすんではいるもののまだまだ想像力を駆使すれば異国の微かな芳香ぐらいは感得できそうだ。


Nagasaki_port11


 ( 松が枝国際ターミナルの通りを隔てた真ん前に、現在は記念館になった旧[ 香港上海銀行長崎支店 ]が燻すんだまま佇んでいて、この辺りが嘗ての目抜きだったことを窺わせる。左奥にチャンポン元祖といわれる中国餐庁・四海楼が大きく聳え、右側にはカステラの本場長崎ということであっちこっちに聞き覚えのあるカステラ屋の本店が散在している中の一つらしいのがひっそりと佇んでいる。)


Nagasaki_port12


 ( グラバー通りから下方に拡がる景観を望む。造船ドックのクレーンが如何にも港湾都市然とした趣きを呈している。黒石が住んでいた明治・大正の頃とは随分と変貌してしまっていようが、昨今のトロピカル化で眩しいぐらいの自然の照り返りで、少しは南国情緒は取り戻せているってことはあるのだろうか。長崎湾を左に進み西にどんどん海原を突っ切ってゆくと、百キロ先の五島列島に到る。)

|

2018年6月 4日 (月)

アラビア海に唄うケララの小娘 スーリヤガヤトリ

Photo

 ( 南インドの海岸。 記事と画像は関係なし )


 昨夜、ひょんなことから南インド・カルナータカ音楽のYOU=TUBEサイトを観る羽目になり、インド小娘とその父親か師匠の鼻髭男のコラボだったんだけど、中々聴かせ、且つ映像も高画質で巧く作れてて感心してしまった。


 少女はスーリヤガヤトリ ( Sooryagayathri ) という、当方の僅少なヒンドゥー知識じゃ、太陽神=スーリヤとヒンドゥー教マントラの精髄と謂われるガヤトリー女神と併せた随分と欲張りな命名だなーと思わず微笑が漏れてしまった。
 ケララ北部の漁業の町ヴァダカラの出身で父親は南インドのカルナータカの伝統的音楽打楽器ムリダンガムの奏者という。南インド音楽じゃよく見かける両側から叩く紡錘型の太鼓で、ブログ見ると、左右で音の高低が異なっているという。初めて知った。


 如何にも優しそうな三十代の男の方は、クルディープ・М・パイ( Kuldeep Muralidhar Pai ) という南インド、ケララ出身のカルナータカ( 伝統的宗教 )音楽の歌手・音楽家でありプロデューサーでもあって、柔らかい声が魅力的な歌手で、スーリヤガヤトリの声とよくマッチしている。彼の音楽学校なのか生徒たちのパフォーマンスをYOU=TUBEにアップしているようだ。


 その中でも、年下のスーリヤガヤトリのパフォーマンスが圧倒的に多く、正に彼の秘蔵っ娘ってところ。
 彼の小娘スーリヤガヤトリに対する親愛の程が映像からでも伝わってくる。双方向的親和の賜物って極みは、年齢の差や師弟の関係を越えて、対等な歌手として唱いあげたインドの第二国歌とも謂われているらしい《 バンデ・マータラム 》だろう。
 この曲は宗教歌じゃなく、かなり以前、A・R・ラフマーンが本来のオリジナルを刷新して新しい《 バンデ・マータラム 》を創ったので話題になっていたのは、ヒンドゥー=イスラムの対立が激化していた時節で、宥和・統一の指標として提示したものであった。 このクルディープ・М・パイの《 バンデ・マータラム 》は、しかし、オリジナルの方の歌詞を踏襲しているものの、詩情豊に、秘蔵っ娘スーリヤガヤトリと唱い挙げていて、今回聴いたそのシリーズの中じゃ秀逸の一作だと思う。
 スーリヤガヤトリの少女の頃の声質って、原則的には彼女以外の少女歌手も同じだろうけど、その年頃独自の世界とエッセンスを有していて、もっと年嵩になって技術的にも巧くなったとしてももはや取り返しようもない“もの”なのを、彼女の幾年間かの期間のパフォーマンス作品を聴いてつくづく思った。


|

2018年4月18日 (水)

旅先の現地本

Sb5


 海外を旅していると、ついその国の文化、とりわけ音楽出版物なんかについ惹かれてしまう。
 最初の頃だとカセット・テープがまだ大陸や東南アジアで余命を保っていた頃で、それでも中国・最南部の雲南省の小さな町、たとえば大理なんかの間口の狭い小さなカセット屋の店先にも段ボールに放り込まれた音楽CDや愛国戦争物VCD(低画質のビデオCD)等が売られ、感心したものだった。タイのバンコクで、VCD専門プレーヤーを見つけたのもその少し後だったか。DVDは、まだ、ワンランク上の高嶺ってあつかいだった。
 例によって、バンコクのお手軽ソフトの殿堂MBKマーブンクロンでも、オリジナル・カセット・テープからCD、ゲームCDまでコピーし売りまくっていた。時折、あの二百万本売れたといわれるボー(スニター・リティックル)のデビューアルバムも、二回店舗を変えて買ってみても音の全く出ないブランクを渡されるようなこともあったけど。


Sb7

 けれど、印刷出版物も、やはり、異国情緒そのままなので、文字が分からぬままでも、つい、どんなものか手にしてしまう。そんな中でも、バンコクはアジア旅の基点として頻繁に行き来し、本屋や書籍コーナーに通う回数も多かった。タイ文字が珍しくて、とりわけ詩の本(大抵は薄い冊子型。サイズは色々小さなものも多かった。)は、挿絵なんかが入っていたりして視覚的に興味を惹いた。
 またタイは元々映画量産国の一つでもあって、映画コンプレックスもあっちこっちにあり、TTゲストハウスに常備の英語新聞[ バンコク・ポスト ]でチェックしたりしてサイアム周辺の映画コンプレックスに日本より三カ月~半年早い封切りの洋画やタイ映画を観に通った。
 タイは隣国カンボジアと同様、今でも霊媒師や霊能者たちが活躍している土俗的オカルティズムの跋扈する社会で、ホラー映画が断然人気があったようだ。そんなホラー・オカルト映画にも、時代の要請で、新しい波がおこり、その金字塔的作品が、ノンシィー・ニミブット監督のタイの伝説的ホラーの映画化[ ナン・ナ―ク ](1999年)だった。空前のヒットだったらしいが、同様に二年後の十六世紀アユタヤを舞台にした宮廷王権争奪物語たるチャートリー・チャルーム監督[ スリヨタイ ](2001年)も大ヒット。この[ スリヨタイ ]のDVD持ってるけど、劇場じゃ三時間だったのが、DVDセットじゃ、三枚組で五時間という長時間物で観終わるのに一苦労。
 
 そんな映画関係の出版物も増えて来たのか、[ ナン・ナ―ク ]や[ スリヨタイ ]なんてビッグ・ヒット作に関する気の利いた出版物も店頭に並ぶようになって、[ ナン・ナ―ク ]はモノクロだけど[ スリヨタイ ]は国策映画でもあるからかカラー写真口絵が豊富。でも、映画自体[ ナン・ナ―ク ]の方が気に入ってるのもあるが、作り的にも二百ページもある[ ナン・ナ―ク ]の方がやる気まんまん、映画全体の流れを項目立てて懇切丁寧に作ってて好感が持てる。両方とも定価は130バーツ前後。
 

Sb6


 1992年に三十才で亡くなったタイのルークトゥンの歌姫プンプアン・ドゥアンチャンに関する本。
 [ 去っていったドゥアンチャン ]185バーツ。B5版より一回り小さなサイズだけど三百ページ以上あって読み応えありそう。タイ語辞典片手じゃちょっとしんどそうなので未だ手付かず。
 ルークトゥンって余り聴かないけど、プンプアンは嫌いじゃない。


Sb4


 どこで買ったのか、「上海戸籍出版社」とあるので、恐らく上海の福州路のその店で買ったのだろう。
 この辺りは確か古書店が並んでいた記憶があるけど、現在はどうだろう。最初の頃は、地方から出稼ぎやって来た小姐たちが大して広くもない店の中に何人も居て、昼飯なんかそこら辺に座り込み、ホーロー製の丼や大コップに盛ったぶっかけ風を箸でかき込んでいたのが印象的だったけど、時代が経過するにつれて、小奇麗な店員然としてきてそんな"人民"風味的服務員なんかすっかり姿を消してしまった。
 昔の印刷物のままの写植印刷・・・まさか板版画で刷ったものじゃあるまい。組活字じゃ難し過ぎよう。
 [ 老子 ]上下巻が原文のまま(?)で、勿論解説文などなく、本文のみ。1.6元は安いのかむしろ高いのか。
 道可道非常道名可名非常名・・・


Sb3


 イランの首都テヘランの本屋で見つけた冊子型の書籍で、いかにも中国趣味的異国情緒感を醸し出した表紙が好い。

 老舎[ 茶館 ]1957年

 中華民国成立前後の長い時代的変遷を見続け又翻弄されてきた北京の老舗茶館の物語。
 戯曲として発表された時から文化大革命の終息するまで、中国国内ではさまざまな難題難儀をこうむってきた典型的作品。老舎自身も文革中に、紅衛兵たちに殺害されたとか、入水自殺したとか死因も定かならぬまま死亡。開高健の[ 玉、散る ]でも有名。
 イラン=ペルシャと中国とは、随分と古くから往来し因縁浅からぬ関係にあるのだろうから、互いにどんな意識と感情を持っているのか興味あるところだ。
 漢字茶館の下にペルシャ文字で「チャーイ・ハーネ」、つまりチャイ屋=茶館と認めてある。
 巻末には、中国の演劇舞台での[ 茶館 ]のモノクロ写真が八ページにも渡って掲示してある。ホメイニーのイスラム革命の初期においては社会主義的要素も強かったらしく、イスラム原理主義体制の中でも問題なく書店の棚に並べられていたのだろう。
 当方も、まさかイスラム原理主義の総本山イランのテヘランで老舎の作品が並べられているとは思いもしかったけど、他にフランスの小説家・思想家のカミュの作品もあった。大きなカミュの顔写真が表紙を飾っていた。
 その割には、音楽の方は中々厳しかったようだ。
 日本の喜太郎のカセット・テープは、器楽演奏だけだからかあっちこっちで見かけた。
 イラン映画が世界でそれなりにヒットし、インターネットで簡単に海外の音楽・ニュースが見られるようになった昨今、イラン国内音楽事情は少しは変わったのだろうか。


|

2017年12月31日 (日)

 ラビットの誘う不気味な世界 《 魔女 》The Witch

Witch_a

  

 1620年、英国プリマスから、英国・国教会に否を唱え、自分達の宗教世界を実現せんと清教徒ピューリタン一行が、草創期の米国植民地に到着してから十年後、1630年の、とある東海岸北部のニューイングランドの入植地にある集会所での会衆シーンから映画は始まる。
 その入植共同体の責任者から、正に、その教団=共同体からの追放の宣告を受けようとする一家の家長は、尚も頑なに神の摂理に沿わない旨を根拠にその教団=共同体を指弾した。
 解る人たちにはその場面のあれこれで了解できてしまうのだろうけれど、英国キリスト教なんぞにてんで知識のない当方には、単純に画面でこれ見よがしに描かれたもの以上の理解は不可で、そもそも、その共同体がピューリタンのものなのかどうなのかも定かでなく、もしそうだったらその一家は体制内改革派のピューリタンを批判する分離派ってことになるけど、ひょっとしてその共同体の方が分離派で一家はピューリタンだったってこともあり得る。あるいはもっと別様の異端派なのか。その辺のところが特に明示されてないので甚だ曖昧なまま、しかし、物語はどんどん進行してゆく。
 結局、一家は追放されてしまう。
 やがて、こんもりと茂った森と対峙するように彼らの家があった。
 一見、前途洋洋、漸く手に入れた自分達だけの新たな生活に浮かれているようにさえ見えてしまう。が、自給自足の、他に助けてくれる者もない自分達の力だけで一切を作り出し賄ってゆかねばならない生活に、やがて疲れと焦り=不安めいたものにじわじわと捕らわれ始めてゆく。メイフラワー号には、ピューリタンとは別個に植民地建設に必要な経験と力量を備えた男達が乗り込んでいたけれど、そもそも追放された一家は一般の信者家族でしかなく、ゼロからの開拓をそれも一家族でだけで完成できるほどの力量も経験も乏しかった。さっそくその破綻があっちこっちで燻り始めていた。


Witch_3


 そんな矢先、庭先で、長女トマシンが乳児をあやしている内、忽然と乳児が姿を消してしまった。ほんの一瞬間のタイム・ラグの間隙を衝くように。
 トマシンは、すぐ真ん前に拡がった森の中を必死に捜し廻った。
 ( 乳児は森の奥深く隠れ住む魔女にさらわれ、殺害され、魔女はその血を自分の裸体(からだ)中に塗りたくった。)
  
 夜半、経済的に窮してトマシンを出てきた共同体のある家に奉公に出そうと両親が相談しているのを盗み聞きしたトマシンと弟のケイレブが、ひょっとして森に仕掛けた罠にかかっているかも知れない獲物を採りに向かう。もし獲物がかかっていればそれを食料にするか売るかして家計の助けになるから。そして、獲物がどんどん獲れるようになってゆけば・・・。ところがトマシンとはぐれてしまったケイレブが、件の魔女の手管にかかってしまう。
 物語の終わり近くで初潮を迎えるトマシンが15才、姉のトマシンのふくらみ始めた胸元が妙に気になってしまうケイレブが12才くらいの思春の頃。この森の魔女に、というよりも、トマシンとは相違して大きく成熟しはちきれんばかりの魔女の胸のふくらみに吸い寄せられるように、若いケイレブに舌なめずりして瞳を輝かせた魔女の肉厚な唇に簡単に絡め獲られてしまう。中近世のキリスト教と異教世界、暴力とエロス=処女って世界、ふとベルイマンの《 処女の泉 》を想起してしまった。

 やがて素っ裸のままのケイレブが転がり戻って来た。

 土間に寝かされたケイレブ、うわ言の果てにのけぞって法悦の笑みを浮かべ死んでしまう。夭逝を悼んで皆で祈りを捧げようとすると、小さな双子達が聖句を唱えるのを忌むように騒ぎ立てはじめ、あげく、乳児が居なくなったのもケイレブが失踪しこんな無残な死に至ったのもトマシンが魔女だからよ、と彼女を指弾する。トマシンも負けじと、二人は飼っている黒い雄山羊といつも話しをしているとか、乳児が居なくなった際も女が連れ去ってゆくのを見えたという訳で、双子達こそが魔女と言い返す。
 が、次第に、状況はトマシンに魔女の烙印を押すことに。
 父親は双子と一緒にトマシンを納屋に閉じ込める。


Witch_4


 翌朝、外に出た父親は、壊された納屋の下の二匹の白山羊の屍と起き出したばかりのトマシンの姿に呆然とする。と、突然、黒山羊の大きな角が彼の腹部を激しく突き刺した。更に再び、とどめを刺すように突進し、父親は積み上げた薪の下に倒れこみ二度と起き上がることはなかった。父親の様子を間近で確かめようとしたトマシンを、今度は長男ケイレブを失ったことで平衡感覚を失った母親が襲い掛かる。堪えられなくなって、トマシン、傍にあった小鉈で馬乗りになった母親に反撃する。
 二回、三回。
 トマシンの顔や胸に母親の頭から流れ落ちた血が滴り落ちる。

 ラスト・・・森の奥の、裸体の魔女たちの供宴(サバト)に、一糸まとわないトマシンも加わってゆく。やがて、頭上高く飛び回り始めた魔女達に少し遅れて、トマシンもゆっくりと昇りだす。・・・


Witch_b


 当時、魔女や悪魔崇拝者達が、幼児を喰ったり、“洗礼前の子供の脂肪”を身体に塗ると飛行能力がつくとかいう風説が流布していたようだ。事ある毎に現れる黒ウサギや大きな角を生やした雄山羊も、キリスト教以前の異教の匂いをプンプンさせたアンチ・キリスト的な悪魔の化身の如く登場していて、《 不思議の国のアリス 》的な“不可思議な世界”って訳で面白いのだけど、意外とあっさりとした描き方をしている。
 “ニュー”ならぬオリジナルのイングランドの森ならば、異教的森羅万象ってことなんだろうが、何しろ、遙か大西洋を二カ月以上もかけて渡ってきた新大陸、つまり先住民=ネイティヴ・アメリカン達の森って訳で、果たしてあの森の中に棲んでいた魔女は何者なんだろうか。ネイティヴ達(あるいは先祖の霊)の呪いにかかってしまったのか、それとも、本国の異端的因縁すらも帆船で運んできたのだろうか。
 
 それにしても、巡航ミサイル国産化に呼応するような、最近の“ 日馬富士暴行事件”での、それまで聞いた風な良識的デモクラット的言説・主義を決め込んでいた連中が、まるで申し合わせたかのようなマスコミ総動員の、そんな見せかけをかなぐり捨て、いとも容易に自らの正体を臆面もなく晒しはじめた余りにこれ見よがしな展開の、戦前もこうだったかと想わせる排外主義的熱波って、苦笑することすらできぬ正に亡国的金字塔ってとこだったけれど、“ 神の導いてくれた新大陸 ”の錦の御旗を掲げて、さっそくの先住民達に対する略奪と虐殺の惨劇の上に建てられた神々しいばかりの清教徒的構築物=アメリカ、それがいよいよ底なしに、他の惑星にすらその触手を伸ばそうとしているミレニアム=新時代ってとこなんだろう。


Witch_5

|

2017年10月15日 (日)

エイリアン : コヴェナント( 聖約 )  一つの存在論的な巨大な実験( =フラスコ )としての人類創生、それとも技術論的な開発としての人類繁殖? 

Alien_3

 前作の《 プロメテウス 》(2012年)が、この《 エイリアン 》シリーズの新たな、それも本源的展開だったということで、今回、それなりに期待はしていたのが、スルリとかわされてしまった。
 製作者側の企図としては、今回の《 エイリアン : コヴェナント 》は、前回の《 プロメテウス 》の続編だけど、次回作《 エイリアン : アウェイクニング 》こそが、《 プロメテウス 》の直後にくる続編ってことで、今回のはその《 エイリアン : アウェイクニング 》の後に続く三つ目の物語らしい。

 そんなややこしい作りにしたためか、この《 エイリアン : コヴェナント 》、些か説明的に過ぎ、《 プロメテウス 》の未知の異世界を一歩一歩踏みしめてゆくスリリングさも薄れ、如何なる都合・技術的な問題があっての末の一つ飛ばし、あるいは結末の先取りか知らないけど、蠱惑的な謎というより思わせぶりな中途半端な代物に堕してしまった。続編を前提とした作品が往々にして陥る陥穽。  
 

 そもそもが、前作《 プロメテウス 》が、オリジナルの《 エイリアン 》(1979年)の前日譚として作られたもので、オリジナルの《 エイリアン 》の宇宙輸送船ノストロモ号が鉱物資源を積んで地球への帰途の途中、知的生命体らしき信号を発している小惑星へ会社命令による進路変更したことによる未知との遭遇=エイリアン禍に見舞われたのが西暦2122年、惑星探査船プロメテウス号が種の起源を解き明かす鍵となる惑星LV-223に降り立ったのが西暦2093年。

 つまりリプリー達が降り立った惑星LV-426で不気味に佇む巨大な宇宙船と化石化した異星人の姿に遭遇した年から29年も前に、既に同じ企業のプロメテウス号が別の惑星で異星人とその宇宙船、エイリアンとの遭遇を経験しその情報を得ていたということ。

 そして、今回の《 エイリアン : コヴェナント 》では、植民船コヴェナントが2,000人の入植者を目指す惑星オリガエ6に運んでゆく途中、ニュートリノの衝撃波を受けて故障し右往左往している最中、近くの、とある太陽系の第4惑星から知的生命体らしき信号が発信されているのを確認し、地球に近い環境故にとりあえずの探査が行われるのが、前回のプロメテウス号から11年後の2104年。
 そして、次回作、《 エイリアン : アウェイクニング 》が、その11年間の間の何処かって訳で、これだけ見ても何とも煩雑でややこしい。


Alien_2


 オリジナルのエイリアン・シリーズの頃は、普通にSFホラー・スリラー映画ってとこだったのが、《 プロメテウス 》以降の新シリーズじゃ、人類の起源はじめ本源的なアプローチに西洋的神学を加味し、中々興味深い設定で、とりわけ今回は神学的ニュアンスが強くなっていよいよ面白くなってくるはずだったんだけど・・・。
 

 《 プロメテウス 》で、人類を作った異星人( =エンジニアとこの映画では呼ばれている )が、あたかもノアの大洪水での人類絶滅やソドムとゴモラを殲滅した神ヤハウェの如く、惑星LV-223から人類=地球の殲滅・破壊を企図していたのを、今回の《 エイリアン : コヴェナント 》では、彼等エンジニアの遺棄宇宙船に乗って、彼等の居住する惑星に赴き、上空から彼等エンジニア達が作った生物兵器をぶち撒いて住民たちを最後の一人まで殲滅し尽くしてしまったエピソードを、両作品に登場するアンドロイドのデヴィッドが回想するシーンがある。
 それが、かつて古代の死の都と化したソドムとゴモラもこうだったかと想わせる彼等が降り立ったその第四惑星の黒々と石化した無数の人型の遺物の意味だったという訳だけど、その辺の詳細が、次回作《 エイリアン : アウェイクニング 》で明かされるという流れなんだろう。


 そもそも何ゆえに、人類を作ったはずの異星人エンジニア達が、人類を絶滅することを選んだのだろうか。
 それは、前作《 プロメテウス 》の最後の方で、主人公の考古学者エリザベスの問、地球への帰還を拒絶し彼等エンジニア達の母星に進路をとった際に、アンドロイドのデヴィッドに零したセリフでもあった。てっきり、今作でその謎解きがなされるものと決めつけていたら、完全に肩透かしを喰らってしまったのだけど、この“何故に”( 人類殲滅 )ってのは、はっきり言って為にする類で、昨今の人間達の行状からして幾らでも推測がつく代物。

 要は、それが神=万能の唯一神であってようやく、何故に万能のはずの絶対神がそんな齟齬・矛盾の極みの破綻を来たす挙に出てしまったのか? という疑義も呈されるけど、それが異星人・宇宙人ならば、多少の程度の差こそあれ、所詮横並びの同じ生物ってことで、単なる試行錯誤的な恣意性を出るものじゃないという了解性の上での、デヴィッドの報復(?)あるいは人類絶滅の阻止としての先制攻撃だったのだろう。只、実際のところは、次作を待つ他はない。そう単純に推測されるような作りにはしない監督リドリー・スコットってところなんだろうから

Alian_1


|

2017年6月24日 (土)

 ウブド的食彩

Ubud_xx_2

 1998年の6月末から8月末までの約2ヶ月、長年観たかった本場のバリ・ダンスの堪能の毎日だった。且つ、いつも狭苦しい安宿ばかりだったバック・パッカーにとって、バリ・インドネシアの宿=ホテルの快適性は申し分ないものだった。
 例のジャカルタ暴動でインドネシア経済が、とりわけ国際的観光地バリはもろその影響を受け、散々な目にあってしまい、泊まったホテル(バンガロウ)もそれまで15000レアルだったのが、25000レアルに値上がりしていた。尤もそれでも約2ドルに過ぎず、2Fのテーブルと椅子の並んだバルコニー、広々とした調度まで付いたワンルームにバスタブのあるシャワー・ルームまで備わっていた。

 
 そこの一人っきりのスタッフ、バリじゃ定番の名前ワヤンが、毎朝、部屋代に含まれる簡単な朝食を運んできてくれるのだけど、他の宿はいざ知らず、そのパン・ケーキが中々巧かった。バンコクの定宿TT2ゲストハウスなんかとえらい違い。
 最初の朝が、ココナッツの果肉を細かく刻んだものがトッピングされたパンケーキ、フルーツ・サラダ、そしてジャワ・ティー(ポット)。
 2回目の朝は、フレンチ・トーストにパイナップルとパパイヤのサラダ。ジャワ・ティー。
 3回目は、オムレツののったトースト、フルーツ・サラダそしてジャワ・ティー。
 毎回メニユーを変えて運んできて呉れるサービスの良さ。
 それをバルコニーの竹製の椅子が向かい合わせに並んだテーブルで、青い実のたわわに実ったバナナの樹が幾本も立ち並んだ庭先、その向こうに拡がる田園風景をも眺めながら食べる朝食は、又格別だった。
 確かに、如何にも安くあがるバック・パッカー的心性に違いない。


Ubud_x5_2


 一番最初にバリ・ウブドで喰ったバリ・インドネシア料理は、その宿から路地を通って出た大通りの向かいのチャンプルー屋風の小さな食堂(ワルン)。
 揚げ物が多く、好みじやないけど、とりあえず魚や揚げ豆腐その他をライスと一緒にオーダー。
 いわゆる“ナシ・チャンプルー”。(ナシ=ライス、つまり定食)
 味は辛目。まあ、こんなものかってところだった。
 一緒に、てっきり地元のコーラと感違いして頼んだボトルのジャワ・ティーは、微かに甘みのある飲みやすい代物で、日本なんかで売っているブラック・ティーとは丸で味が違う。何か加工してあるようだった。


 “カフェ・ラティ”Cafe Ratihでサテー(串焼き)を食べる。
 チキン・サテー、野菜、ライス。コーク。ビンタン・ビール(小瓶)。
 サテーは大きな瓜を半分に切ったような木製の容器の中に炭火を入れ、その上に殆ど焼けた串肉を並べたまま運んできた。後は客が好みで焼き上げるって寸法のようだった。量が少ないのにも拘わらず、そこまで手の込んだやり方するのか、と最初驚いてしまった。それをピーナッツ・ソースに漬けて食べるのだ。味は悪くないけど、ピーナッツ・ソースの味が強過ぎて、どうも今一つ納得がいかなかった。
 ビンタン・ビールは、最近じゃ、他のアジアン・ビール同様、日本でも簡単に手に入れられるようになって、時折飲んだりしてる。ピルスナーのパテント製品のようだ。
 同じマルチ・ビンタン社から、アップル&ライム味の“グリーンサンズ”GreenSands(330ml缶)という清涼飲料があって、特別美味い訳じゃないが、けっこう癖になる飲物で、ウブドの小さなコンビニや雑貨店の冷蔵棚から捜し出して買ったものだ。3750レアルと安く、“セブン・アップ”が見あたらずその代用品として重宝した。 


Ubud_x2_2

  
 グンタ・ブアナ・サリの開演時間待ちで、カラ集会所の近くの“チプタ・ラサ”(ワルン)で夕食。
 アヤム・バカール(照り焼きチキン)にライス。
 何よりも、バナナの葉っぱの上にライスってのが気に入った。
 ネット見ると、けっこう評判の店だったようだ。 


Ubud_x9


 バリといえば芸能の国ってイメージとチャラい若い娘たちの群れる場所ってイメージもあって、ジャカルタ暴動がなけりゃ、芸能村ウブドの通りにも若い娘たちで溢れていた(らしい)んだろうけど、その夏は、如何にもそんな娘たち向けの小ジャレた感じの店(レストラン・カフェ)の並んだ通りはひっそりとしていた。そんな店には今ひとつ入り辛い。けど、ある程度以上の規模の店はそれでも客はそれなりに多く、表のガラス・ケースにジャーマン・ブレッドも並んだ、価格も手ごろな“カサ・ルナ”には、何度か足を運んでみた。
 広めの店内に如何にも赤道直下風なトロピカル植物が生い茂っていて雰囲気が悪くない。
 ここのメニューで気に入ったのはフルーツ・ティーで、水道水を使ってそのまま作ったような色の悪い氷が多い中、ここのはちゃんとした製氷器で作ったような四角い透明度の高い氷を使っていて、パパイヤやパイナップルの切り身がいっぱい入った、ジュースとは又違った味わいが悪くない。それで2000レアルは安い。フルーツ・パイも悪くないけど、当方にはちょっと甘過ぎた。


Ubud_x3_2

|

より以前の記事一覧