カテゴリー「音楽」の41件の記事

2016年12月31日 (土)

藍凧、青天に襤褸のごとく 『 青い凧 』(1993年)

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 甍と白煙、土埃舞う胡同の路上に子供達が遊び、驢馬車がポクポクと荷を引いてゆく。と、ある民家の門の中に、大八車で運んできた簡素な家具類を運び込む男達。新婚の樹娟と少竜の二人の新居に収めるためだ。その時、何処かから、ラジオのソ連の最高権力者スターリンの死を報じる声が流れてくる。1953年3月5日午後9時50分死亡・・・


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 1953年といえば、“第一次5カ年計画”の発布された新生(人民)中国発展の基礎となった年であり、日本では、京都・舞鶴港に、ようやく中国大陸からの引揚者一行を満載した帰国第一便が到着した年でもある。まだまだ戦争の残煙が色濃く烟(けぶ)っていた時代。
 親族や仲間、近所の親しい住民が集ってのいたって簡素な結婚式で、壁に掲げられた毛沢東の肖像に二人が一礼をし革命歌を唄うシーンって、四年前に中華人民共和国として独立し、ようやく建設の端緒についたという、まだまだ新生中国に夢と希望を抱いた溌剌の象徴なのだろう。
 小学校教師の樹娟(シューチュアン)と図書館司書の少竜(シャオロン)、そしてやがて生まれる鉄頭(大雨)の3人家族の、乾井という胡同を中心に物語が始まる。
 少竜はじめ、3人も伴侶が替わった女主人公、田壮壮監督の母親・于藍(ユイ・ラン)を模したといわれる樹娟の、揺れ動き続ける新中国=人民中国の時代の波に呑まれ、惨澹の憂き目憂き目が、その伴侶の変転の次第を語ってゆく。
 当然に文化大革命の大波にも呑まれ、3番目の党幹部の夫も紅衛兵らによる糾弾の最中凄惨に死を余儀なくされてしまう。因みに、最初の夫・少竜は、“百花斉放・百家争鳴”で有名な整風運動の波に足下を掬われ、強制労働キャンプ送りになってそこで事故死し、2番目の夫・李は、彼等の友人でもあったのが少竜を右派として密告した張本人で、良心の呵責に苛まれ、彼等に誠心誠意尽くし続けたあげく病死してしまう。第5世代監督たちの自家薬籠中的定番手法でもある。


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 以前紹介した《 盗馬賊 》(1985年)も結構面白かったけど、この《 青い凧 》(原題 : 藍風箏)も悪くはない。中国じゃ上映禁止のままという。今更言ってみてもはじまらないけど、社会主義的リアリズムって、社会主義国なら常道だったはずが、いずこのマルクス主義国家(権力)も目の敵にしてあれこれと弾圧に走ってしまう。狭隘なこと限りない。“革命”とは真逆。タイの諺で謂う“(一度)虎の背に乗ると(もう)降りられない”って奴なのだろうか。権力(主義)の慣性と論理だ。
 それでも、ブログ見ると、田壮壮、それなりに作品発表し続けているようだ。
 章子怡(チャン・ツィイー)が3世代・3役演じた《 ジャスミンの花開く 》原題:茉莉花開(2004年)に、彼も制作総指揮ってポジションで関わっていたとは知らなかった。
 この《 青い凧 》、基本、胡同を舞台に描いていて、土の路、土塀、黒瓦屋根、朦々と壁から烟る白煙、群れなし戯れる子供たちの姿や、土の路からアスファルトの道路への時代の変遷も情緒たっぷり。


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 田壮壮の両親は共に映画(俳優・制作)に携わってきた生粋の映画一家らしい。
 ところが驚いたことに、ここでもあの江青の影が禍々しくとぐろを巻いていた。
 母親の于藍が有名俳優・趙丹と共演した《 不屈の人々 》原題 ; 烈火中永生(1965年)に、自分も原作が気に入って撮りたかったのを横取りされたと怨んで、わざわざ撮影所までやってきて難癖をつけたという。2年後、文革の嵐が吹き荒れ始めると、早速、于藍と夫の田方ともどもに“反革命分子”のレッテルを貼られ追及され投獄されてしまう。詳細はつまびらかじゃないけど、そもそも江青の目の上のタンコブ=趙丹と共演したとばっちりもあったかも知れない。田方は獄死したが于藍は生き延びた。が、獄中の身体的トラブルで女優の路を断念し、制作の方に専念することになった。
 その時の体験がこの映画にも反映しているらしい。
 3番目の党幹部の義理の父親の邸まで押しかけてきた紅衛兵の一団に、義理の父親が指弾され持病の心臓病を発症してもそのまま追及集会場か何処かへ連れ去られようとするのを、見かねて止めに入った母親も紅衛兵たちに暴力を揮われ一緒に連れて行かれてしまう。まだ少年の鉄頭も何とか母親を取り返そうとするも多勢に無勢、思い余ってレンガを手に紅衛兵の一人に殴りかかりはするものの直ぐに袋叩きにされ、地面に臥(よこた)わったまま、ふと空を見上げると、木の枝に引っかかった藍い凧が風に小さくなびいていた。原題の《 藍風箏 》の藍って、母親・于藍の藍でもあるのだろう。
 しかし、遺憾なことに、江青の名も、名付けた者が、“青出於藍更勝於藍”から取ったらしい(別の説もある)。彼女の上海女優時代に使っていた“ 藍蘋(あおりんご) ”から発想したのだろうが・・・


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監督 田壮壮
編劇 肖矛
音楽 大友良英
樹娟 呂麗萍
少竜 濮存昕
李  李雪健
制作 北京電影製片廠(1993年)

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2016年12月23日 (金)

インド=ボリウッド 旅先のポストカード

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 旅先の見知らぬ街や路地裏で、ふと見つけた絵葉書(ポストカード)って、それが安っぽく通俗的なものであればあるほど、ポップでキッチュな味わいってものが醸し出されてて、つい手にしてまう。
 その典型がインドの神様絵葉書や映画俳優絵葉書だろう。
 かつてイラストレーター横尾忠則が彼の土俗的サイケデリック世界のモーメントとして好んで駆使してた世界でもある。
 部屋の戸棚の奥のぶ厚い封筒の中に20年近くの歳月( 一瞬ドキッとさせられてしまう言葉だ )を経た、まだまだ残っている何枚かを取り出してみた。


 ギータ・バリ

 1930年生まれの1965年死亡(天然痘が死因)故って訳でもないんだろうけど白黒写真に着色した何ともレトロな仕様で、発行所がボンベイ(デリーの住所も)ってのが、如何にも時代を感じさせてくれる。
 大部以前、グル・ダットと共演した《 バーズ 》(1953年)を紹介したことがあった。男まさりに剣を振りまわす愛らしいお嬢様役を好演してて、表情豊かなこの時代を代表する女優の一人らしい。でも、35歳で病死とは早すぎる。
 グル・ダット監督作品にはこの《 バーズ 》も併せて3回出演してて、この作品だけダット本人と共演。他の2作は、売れっ子男優デヴ・アナンダとの共演。
 まだパキスタンがインドから分離独立する前のパンジャブで生まれ、その後アムリトサルに長く住んでいたようだ。アムリトサルといえば、ヒンドゥーとイスラムの中間的な宗教らしいシーク教の本拠地で、彼女の父親もシーク教の宗教音楽歌手でもあり哲学者でもあったという。
もし長生きしていれば、1984年のアムリトサルにあるシーク教本山にたてこもったシーク教徒過激派をインド軍が襲撃し多くの犠牲者を出した“黄金寺院事件”を経験することになったろう。


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 ラタ・マンゲシュカル

 インド映画の女性プレイバック・シンガーとして有名過ぎるぐらい。
 唄った曲が何万曲というギネス記録すら持っているらしい。
 1927年生まれで、現在も元気で活躍しているようだ。
 彼女の存在を初めて知ったのは、イラン→パキスタンで一緒になったカメラマン氏に教わった時で、イランから西パキスタンの要衝クエッタに入ると早速レコード屋に走り彼女のミュージック・テープを買い求めていた。
 若い頃の彼女を知る訳もない当方だけど、聴かしてもらって、当時60歳代の彼女の歌声って、インド独特の文化的産物だなと感心してしまった。大御所然として悪くはないのだけれど、やっぱしも少し若いアルカ・ヤグニクの方が声が艶やか。
 
 1960年代、彼女は男性歌手マダン・モハンとコンビを組んでヒットを飛ばしていたらしい。マダン・モハンは中東イラク・クルディスタンのエルビル生まれのインド人で、7歳ぐらいの時家族と一緒にパンジャブに戻ってきたという。ガザール(宗教音楽)歌手であり、作曲家、音楽監督でもあって、シャールーク・カーン&プリティー・ジンタ主演の《 ベール・ザーラ 》(2004年)でも、ラータ&マダンと同世代の監督・プロデューサーのヤシュ・チョプラの思い入れだったのか、30年前に亡くなったマダン・モハンの曲をラタ・マンゲシュカルと他の男性歌手とのコンビで唄わせていて、中々雰囲気があって良かった。その音楽だけのメイキング映像が別途一枚、映画のDVDに封入されている入れ込みよう。
因みに、モハン、クルド育ちといってもイスラムじゃなく、ヒンドゥーらしい。


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 シュリ・デヴィ
 
 本物のボンベイの路上生活少年少女たちを主人公にしたミーラー・ナイール《 サラーム・ボンベイ 》(1988年)の映画館の場面で、少年たちが画面に映し出された人気女優のダンス・シーンに合わせて客席で踊り出すシーンがあった。その銀幕上でインド中を席巻した彼女の代名詞ともなっていたらしい“ハワ、ハワイー”を踊っていた女優こそが、シュリ・デヴィだった。彼女の名と姿を日本国内でマイナー・ヒットしていたその映画で初めて知った。
 劇中での歌や踊りって、何もインド映画だけのものじゃなく、邦画界も嘗ては東映の時代劇なんかもやっていたのはレンタル屋で確認できるだろう。そういえば、相当昔、どこぞの名画座で、高倉健・三国連太郎・北大路欣也・小林稔侍なんかが、埃っぽいスラム街で、ハリウッド映画を標榜したらしい歌と踊りのシーンがはじまり、マジすか!と暗い客席で両の眼が点になったのを記憶している。深作欣二監督の《 狼と豚と人間 》(1964年)だった。 
 
 1963年、南インド・タルミナドゥー州生れ。
 小さな頃から映画界に入り、ローテイーンの頃にはタミルや他の南インド諸州の映画に出演し、ブロックバスター・ヒットした有名男優ジータンドラと共演した《 ヒマトワラー 》(1983年)で、本格的なボリウッド(ヒンディー映画)・デビューを果たしたってことらしい。
 彼女の名を不動のものにしたのは、やっぱり1989年の《 チャンドニィー 》のようだ。
 ヒット・メーカーのヤシュ・チョプラが監督し、得意のダンスも人気を博した、80年代を代表する映画の一つともいわれているらしい。
 パキスタンはペシャワールの、もうなくなったが90年代初頭まだ営業していた《カイバル・ホテル》に泊まっていた日本人娘が、シュリ・デヴィの大ファンで、わざわざレンタル屋でその《 チャンドニィー 》のビデオ(当時はカセット式)を借りて、旧市のバルーチだったかパシュトンだったか忘れてしまったがその部族専用宿に泊まっていた長期滞在の日本人の部屋でみんなで観たことがあった。“チャンドニィー、オ・メレ・チャンドニィー”と唄いながら画面のシュリ・デヴィと一緒に踊り出してのを覚えている。

 2012年に、《English Vinglish》(邦題 マダム・イン・ニューヨーク)で、15年ぶりにカンバック。


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2016年8月27日 (土)

あらかじめ出口なしの凋落物語 《 都市風光 》1935年 (二)

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 この《 都市風光 》が撮られたのは1935年の中期頃だろうが、阮玲玉・主演の《 新女性 》が上映されたのが同年の2月(旧正月)、阮玲玉が自殺したのが3月なので、余りに時間的に近すぎてオマージュというより、自殺の当事者を女性から男性に変更し、その形を借りての些か概念的だけど一層の直截な時代・体制批判ってところだろうか。

 ともかく、その当事者の男優・唐納自身も、この映画の発表の後、阮玲玉とは若干ニュアンスは異なるものの、やはり自殺(未遂に了った)を試みている。正に自殺ラッシュ。
 《 新女性 》の因となった新進明星・才女として彗星の如く現れた22歳の女優・艾霞(アイ・シィア)の自殺から始まる自殺の連鎖。


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 ( 病院のベッドの上で・・・。阮玲玉の映画「新女性」と実際の彼女の自殺、この映画での唐納の自殺未遂と実際の唐納の自殺未遂が、渾然一体となった酔生夢死的な展開が妙味 。冒頭の酒瓶にしなだれた唐納の図が、この映画の本来の意図とは別に、中々に味わい深い) 
 
 
 唐納の懸想する女を財力と手練手管で手中にする金持の王の商売が茶商で、映画上ではなく、女優・阮玲玉を実質上の嫁として同居生活(彼女の母親と養女と一緒)していた《 聯華影業公司 》の株主・唐季珊も東南アジアを股にかけたこっちは本物の茶商だった。明らかに、それを意識した設定。( 映画会社は《 電通影業公司 》と《 聯華影業公司 》と別だけど、一部のスタッフ同士はそこら辺の裏事情を共有していたろう。 )
 
 
 劇中、唐納がアパートの自室で質屋の娘に罵倒され睡眠薬を飲んで自殺しようとする。女と入れ替わるように家主一家や住民達が何ごとかと入り込んでくる。
 
 「 死にたくて、睡眠薬を呑んだんだ!」

 そのシーン、場面が《 新女性 》でベッドの上坐った阮玲玉が、
 
 「生きたい!」
 
と叫んだシーンと相似。
 すると、早速大家の娘が父親に吐き捨てる。

 「 それ見なさいよ。だから、学生なんかに部屋貸しちゃ駄目だって言ったでしょ。」


 ベッドの上の唐納を前にして、大家一家が、彼を病院に連れて行かなけりゃとか、部屋代すらまともに払えない店子のその病院代まで誰が払うのよとか喧々ゴウゴウ。おまけに、画面で見る限り、睡眠薬を幾粒も唐納は口に入れてなくて、かなり彼の自殺を笑いの対象にしている。確かに、これじゃ、女の方に自殺させる訳にはいくまい。《 新女性 》や阮玲玉、艾霞を愚弄したことになってしまう。
 結局、大騒ぎの大家・住民たちに辟易して、質屋の娘に見栄を張るつもりの自動車を買うために貯めていた貯金箱を手に自ら歩いて病院に赴くことに。大通りをふらふら歩いているうち、バタリと力尽きて倒れてしまう。貯金箱も割れ硬貨が路面に飛び散る。当時は、現在と違って自動車って庶民には到底手の届かない高値の華。貧乏インテリ・唐納の現実感覚の欠如というより、完全な戯画化だろう。 

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 ( 上の唐納のと合わせてのベッド&ソファー・シーンのオン・パレード。唐納だけが、一人だけ淋しく哀しい病院のベッド )


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 ( 若き江青の桃色遊技シーン。やはり年増メイクなのだろうが、実際には、この頃既に何人かの芸能界・芸術界の男たちと浮き名を流していたもて女だった )


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 ( 王社長の秘書と質屋の娘の侍女。王社長が破産するや、残された金目のもの全部車に積んで二人でドロン。侍女役の白璐、一人颯爽として、江青・張新珠のお株を奪うくらい印象的。 )

 
 案の定、唐納は死ぬこともなく、病院のベッドの上で、看護婦にミルクを手渡されながら、自分の写真の載ったゴシップ新聞に暗澹として見入る。
 
 “ 自殺未遂之恋愛作家李夢華 ”

と、派手な見出しをつけられ、その横に彼女の結婚写真も並べられていた。
 《 新女性 》でも、ゴシップ新聞に、

 “ 女作家 偉明自殺 ” 

 と派手な見出しで報じられてしまったのと相似。
 阮玲玉自身の自殺の時は、ゴシップ新聞どころか、中国中の新聞が報じたのだろうが。


 自殺は出来なかったものの、恋愛作家・唐納、治療代も払わず病院をトンずらし、部屋はとっくに貸し出され、もはや帰るところとてなく、流離(さすら)う外なし。
 どんどんと零落・凋落してゆく様を、足下だけの描写で実に簡明に示してくれるのだけど、最後は仏壇(道教のだろうが)祀られてしまうってのは、もうおちょくりの類だろう。
 確かに、せっかく、それなりの期待と夢を抱いての上海行だったのが、如何転んでも、そんな悲惨・陰惨な結末しかあり得ないような物語を観せられた日にゃ、つい勇んでいた足並も動揺し、ためらい、混乱してしまうもんだろう。それが、最後の列車に乗れず右往左往してしまうシーンなのか。

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 ( いかにも怪しげな西洋鏡の唄い手を自ら演じた監督・袁牧之。半月刊映画雑誌「電通」の表紙。) 
 

 この映画、後に唐納と浮き名を流すかの江青が、チョイ役だけど出ている。
 映画監督・史東山の紹介で、江青、この1935年の3月に《 電通影業公司 》に入り、藍蘋(ランピン: 青リンゴ)という芸名を使うようになったらしい。6月には《 《上海業余劇人協会 》の話劇(舞台)《娜拉 ノラ(邦題「人形の家」)》に人気俳優・趙丹と共演し、魯迅も観に来たくらいにヒットしたのが、それ以降は、それが本来の姿なのだろう劇団の花形スター王瑩(ワン・イン)の独壇場。人一倍プライド高く、成り上がり志向の強い江青、恨みを呑んだに違いない。
 この頃、江青、《 電通影業公司 》と《 聯華影業公司 》で続けざまに映画にあれこれ何れも端役で出ているけど、唯一、蔡楚生・監督のコミカル映画《 王老五 》 で準・主役級の役を得て、劇中歌まで披露している。只、それなりにはヒットしたようだけど、後に繋がるようなものではなかったようだ。

 この《 都市風光 》では、若き江青、しかし、茶商・王のリッチな装いの愛人役のようなのだが、画面上の彼女、どうにも年寄り臭い。4、50代の女にしか見えない。まさかそんな設定なのか。王社長が懸想した質屋の娘はまだ若く、彼女の侍女役の白璐(バイ・ルー)なんて役柄も面白く、溌剌としていて印象的。何処かで見た覚えがあると記憶を手繰ってみたら、蔡楚生・監督の《 孤島天堂 》(1939年)で本土からヒモ男と一緒にやってきた騙され令嬢役で出ていた。淑女然とした役回りと、泥棒ネコ風のコミカルな娘役とじゃ当然に現れ様も違ってくるのだろうが。
 この映画で、江青、王社長といちゃつく場面がありキス・シーンまであるのだけど、文化大革命の頃、資本主義的・旧弊的害毒一掃キャンペーンを暴虐の極みにまで展開していった四人組の頭目としては、正にダモクレスの剣として、甚だ厄介な代物であったろう。当然、康生の諜報部の総力をあげて隠滅したに違いないにしても、《 孤島天堂 》の如く、オリジナル版が杳として行方知れずってことになってなくて良かった。

唐納  (李夢華)
張新珠 (張小雲)
白璐 〔王+路〕 (侍女)
顧夢鶴 (王俊生)
藍蘋=江青 (王の愛人)
蔡若虹 (陳秘書)

監督・脚本 袁牧之
制作   電通影片公司

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 ( 若き江青と唐納。この映画の頃知り合い、唐納がのぼせ上がる。野性味が新鮮だったのだろう。しかし、その後一緒になってからが修羅場の始まり。唐納、数度自殺未遂事件を起こすことになり、ゴシップ新聞を賑わす )


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 ( 行方をくらました江青の親の居る斉南まで追いかけていって自殺を計った唐納の記事 )


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2016年8月14日 (日)

あらかじめ出口なしの凋落物語 《 都市風光 》1935年 (一)

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暦の上の〈立秋〉が過ぎたせいか、夜明け前、東の低い山影のちょっと上方に、星光は小さいけどくっきりとオリオン座が浮かんでいて、本当に久し振りで暫し立ち止まり眺め入ってしまった。ベテルギウスはまだ健在だった。
 
 
 以前は中国のサイトをかなり探しても掠りもしなかった“まぼろし”の1930年代モダーン中国映画《 都市風光 》(監督・袁牧之)が、いつの間にか、YOU TUBEに普通に他の同年代の中国映画と並んでて、思わず眼が点になってしまった。
 早速中国サイトにアクセスして確かめてみると、様々な無料サイトで《 都市風光 》が犇(ひし)めいていた。
 著作権の期限が切れたのだろうか?
 この分だと、唐納は出てないけど、江青が彼女と因縁深い舞台女優・王瑩と共演した《自由神》の方も時間の問題だろうか。だったら、いっそ《孤島天堂》のオリジナル版なんかも公開して欲しいけど、ちょっと難題に過ぎるだろうか。


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 ( 西洋鏡、日本では覗きカラクリ。生き馬の眼を抜く魔都・上海を舞台の、現在風に言えばバーチャル・リアリティー凋落物語。)


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 ( 当時の時代の寵児・唐納。軟弱な貧乏インテリ役がよく似合う。)


この《 都市風光 》に興味を持ったのは、毛沢東の嫁として〈文化大革命時代〉に苛政を極めた元凶の一人として中国近代史に凶々と輝き続ける赤色超巨星・江青のまだ若かった女優時代に、彼女と短い間であったが夫婦となった当時の映画界の寵児・唐納と共演した作品だったからだ。

 先ず、銘打たれていた“音楽喜劇片”の意味が、この映画を観てやっと了解できた。
 「ワラ、ワラ、ワラ、ワラ、ワ!」
 という調子の良い掛け声をあげながらの衣料の安売り光景なんかも披瀝しながらの上海=大都会の繁栄と喧噪を音楽で端的に表していて、二年後の同じ袁牧之監督作品《馬路天使》では、更に端的に、主人公たちを町(上海)の楽隊屋や娘歌手って設定になった。暗く重い世相で四苦八苦しながらも、あくまで新時代を信じて生きようとする路地裏界隈のラッパ吹きの趙丹をリーダーにした若者達のコミカルな青春群像劇だった。


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 ( 手にした服を裏表見せながら、ワラ、ワラ、ワラ、ワラ、ワ!!と掛け声をあげるのだけど、作者の創作なのか、当時の実際の流行なのかは定かでない。)


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 ( 上の衣料店の上階のベランダに陣取った楽隊。ワラ、ワラ・・・に合わせて奏で続ける。)


 上海近郊のある田舎駅で、四人連れの男女(一家)が、あこがれの大都市・上海行の列車を待つ間、ちょっと当時流行っていた大きな西洋鏡(=覗きからくり)を覗いてみようとするところから物語は始まる。
 覗きレンズから中を窺っている内、いつの間にか、中に設えられた上海の町に取り込まれてしまう。めいめい上海のモダンボーイやモダンガール、そのモガの両親へと変身しするが、悪夢の如く、のっけから彼等の財布の中身を象徴するように、経済的破綻寸前の境遇から始まる。
 早い話、西洋鏡の中の大都市=上海物語なのだけど、貧乏インテリ・唐納が、自身の経済性もかえりみず惚れた傾きかけた質屋(=〈押〉 : 中国の質屋。総じて規模が小さい。〈当〉の方が一般的に知られていて規模も大きい。)の娘・張新珠に貢ついだあげく、恋敵の資産家茶商に奪われ、娘に唾棄され、服毒自殺をはかり、病院へ。
 質屋の亭主は、自分の娘の相手が茶商経営者と知って渡りに船とばかり喜んで嫁がせる。が、一緒になって幾らもしないうちに、茶商経営者の秘書にけしかけられたのか、お決まりの株に手を出し破産。秘書は質屋の娘の奉公娘・白璐(王+路)と一緒に茶商や娘の金目の物をネコババしてドロン。茶商も隠していた宝石類をポケットに上海を去るべく、寝てる娘をそのままに駅へと急行。慌ててやってきた父親が娘を起こし、金目の物すべてがカラッポになつていて、事態を悟って、必死で茶商の後を追いかけてゆくが、既に列車は出た後・・・


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 ( 父親の営っている質屋「押=小さな質屋」の玄関から出ようとして、待っていた車夫たちにぐるり囲まれる娘。最初、真上から見下ろす角度で撮り、車夫たちの差し伸べた手がぐるり円形を形作っているという凝った撮り方をしていて、正にモダーン 。)


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 ( 如何にもモダーンな大都会って風の大きな「当」の文字が粋な大規模店の質屋。)


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 ( 娘の実家で麺の軽食を御馳走になる茶商の経営者と秘書。娘の隣は奉公娘。中々溌剌として、江青よりも印象的。)


 要は、“旧中国大都市社会生活的種種畸形醜態”(中国サイト)、つまり“魔都”と戦前呼ばれていた頃の国際都市上海の資本主義的様態ってところ。それに、“マンガ式的手法”
ってラベルも貼られていて、これは発表された当時から既にあったものなのだろうか。
 確かに、この映画の当時のポスターやなんかにもマンガが使われてたし、映画の中にもアニメ映画を観るシーンもあり、それ以上にコミカルな戯画化って手法がそう発想させたのかも知れない。そういえば、同時代の映画《自由神》の宣伝にもマンガが使われてもいた。

 最初想定したいたものと随分と相違した作りになっていて、それなりに面白くはあったのだけど、観ている途中で、ふとこれって睡眠薬自殺した女優・阮玲玉や彼女の主演した映画《新女性》へのオマージュなのかって驚いてしまった。と言うのは、この映画と《新女性》って同じ1935年公開だからだし、彼女の死もその間に起きた事件だからだ。

                            (以下、続く)


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2016年7月 8日 (金)

長く熱い夜のリロイ・ジョーンズ的反芻

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 中国農歴日めくりカレンダーの、7月7日は 《小暑》となっていた。
 ネット検索してみたら、夏至の15日後、梅雨のそろそろ終わり頃で、徐々に本格的に暑くなってゆく季節という。小暑(あるいは大暑)から暑中ってことで、 《暑中見舞い》を出す時節でもあるらしい。確かに、我が南西辺境州は、このところ日中路上は35℃前後だった。(翌金曜からは雨天。)

 
 もう15年以上前から年々気温が高くなってきていて、
 
 「来年こそは、きっと40℃世界に突入するに違いない」

 と勝手に確信し始めてもう5年ぐらい過ってしまって、単純曲線って訳でもないらしいのが分かってきた。
 それでも、じわじわとやはり最高気温は上昇してて、極地の氷山が溶けつづけたり地球温暖化の進行、同時にもっと大きなスパンでの氷河期への深化という矛盾的並行って訳だけど、人類的犯罪としての地球温暖化がその氷河期をも突き破ってしまう地球破壊=人類自滅って、昨今のハリウッド映画の好餌となって久しい。


 約50年ほど前、1967年7月12日、スパイク・リーの《 ドゥー・ザ・ライトシング 》宜しく長く熱い夜だったのか、ニューヨークの対岸ニューアークで黒人運転手に対する警官の暴力から、数十人が死に千人以上が負傷する一大黒人暴動が発生した。
 大統領が黒人になってからも、この手の、警官による黒人達に対する、警官達の執拗な暴力(往々にして、KKKの全盛の頃と寸分も変わることのない白昼堂々の虐殺事件の形をとることも少なくない)って枚挙に暇がない。(つい最近も同様の事件が起こったらしい。)
 確かに、構造的なものなのだろう。

 この年、全米で黒人暴動が頻発することとなってしまうのだけど、このニューアーク暴動に、黒人解放論者・詩人・音楽評論家のリロイ・ジョーンズ(後、アミリ・バラカに改名)も関わっていて、逮捕されたあげく撲殺されかかったという。この5日後の7月17日、ジャズ・サキソフォーン奏者・ジョン・コルトレーン(当時、一部のミュージシャンや青年たちにとっては、“神”的な存在だったようだ。)が逝ったり、この1967年の7月って、米国黒人ムーブメントにおいて、象徴的な年月(ねんげつ)。


 リロイ・ジヨーンズのこの奴隷の勲章論とでもいうべきフレーズ、如何にも彼らしく気に入っている。
 そんな彼もすでに帰らぬ人となってしまったが、肝心の米国の黒人達って、"良きサーバント"として大統領の勲章まで白人旦那達が気前よく呉れる御時世になつても、基本、半世紀前と変わることのない劣悪な境遇に貶められつづけている。

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2016年7月 1日 (金)

2016・時代閉塞的集団ヒステリー 10 クローバーフィールド・レーン

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封切りの翌日曜の2回目で鑑賞。
 客は疎ら。
 前作《 クローバーフィールド 》(2008年)の悪夢的世界は結構気に入っていた。
 その後、“2”もやがて出来るような情報も見かけて期待してたのがさっぱり。忘れた頃、8年も過ってようやくくリリースされたのがこの《 10 クローバーフィールド・レーン 》。
 随分と前作とは別様な、というより、前作=オリジナルの世界像を持てあぐね、物語の導入でしかないはずの部分をめいっぱい引っ張って、最後にほんのちょっと形ばかりのそれらしき体裁を取り繕ったって尻切れトンボ的代物。
 いわゆる続編、“2”を前提としてしか了解性を有てない仕上げになってるのだ。
 え、えっ・・・・確か、この作品って、前作の続編じゃなかったっけ?
 前作《 クローバーフィールド 》もそんな作りだったはず。昨今“ 続編につづく ”的な尻切れタイプが流行ってはいるが。勿論、これも現実って必ずしも予定調和的に物事が解決・完結するわけじやない、否、むしろそのまま曖昧模糊のまま迷宮入りって方が少なくないのだからそっちの方がリアルといえばリアル。

 
 ブログ見ると、制作のJ・J・エイブラムス自身は、現在的に、《 クローバーフィールド 》当時と相違して巨大怪獣を登場させメインに据える理由・状況がないと考えているらしく、今回のこの作品も外からの持ち込み企画だったらしい。
 突如夜のニューヨークに降って湧いた形姿曖昧に黒々と聳えた巨大な怪魔(スタッフたちはクローバーと呼んでいたらしい)、宇宙からの侵略者と断定する者は居ても定かではなく、正体不明なまま怪魔はニユーヨーク10クローバーフィールド・レーン破壊しまくってゆくのだけど、時代は正に、《 9・11 》の記憶いまだ醒めやらぬ逢魔ヶ刻、国際貿易センター・ビルの黒煙の象徴の如く巨大化した夢魔(=クローバー)と無数の殺戮球体の跳梁跋扈するおどろおどろしい一抹の悪夢ってところが中々の妙味だったのだけど、今度の作品は、前作との差異を特化しようと密室ソリッド・シチュエーション・ホラー、猟奇誘拐殺人等あらゆるジャンルの演出をまぜこぜにし、怪魔クローバーは何時現れるのを今か、今かと期待して待っている観客の先入観を弄ぶように何時果てることもなく長々と引き延ばしつづけ、やっと最後にクローバーとは別個の、怪魔というよりエイリアン風の巨怪が出現するって次第。
 これって、トム・クルーズの主演した《宇宙戦争》(2005年)と相似過ぎ。
 トム・クルーズと娘のダコタ・フェニングが招かれた隠家(シェルター)の持主の男との猜疑に満ちた共棲関係ドラマが延々と展開されつづけてるような代物で、これまでの経緯からしてどうにも疑わしい更なる続編“2”を、さももっともらしく匂わせ正当化を計っている。


前作の集団劇と違って、冒頭、同居していた男に愛想を尽かして一人家を逃げるように出てゆくメアリー・エリザベス・ウィンステッド扮するミシェルを主軸に物語は展開してゆく。
 昨今流行の“ アクティブな女 ”の範疇なんだろうけど、そこから一歩も二歩も踏み越え逸脱したヒステリックで短絡的な、何とも“危ない”女で、傍にいるとどんな惨劇に引きづり込まれるか分かったもんじゃない。冒頭の別れた男って、このキャラだとむしろまともな男だったのかも知れないって疑念すら浮かんでくる。これって、2010年代末期資本主義米国の鬱屈し苛(いら)ついた若い女たちを象徴するキャラなのかも知れない。
 事故った彼女を助け出した、と自ら称するシェルターの主(ジョン・グッドマン)を、彼女は、やがて猟奇誘拐殺人犯と決めつけ(映画のあっちこっちでそういう流れにもっていこうと符号合わせ的伏線を施してはいるのだけど)、終いにはシェルターもろとも潰えさせてしまう。怖い、怖い・・・一体どっちが危険人物なのか分かったもんじゃない。
 そしてやっと真打ちの筈の宇宙怪獣の登場となり、終幕。

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2016年6月 5日 (日)

平成のアプサラたちの供宴  ( AKB48総選挙 速報 )

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 ネット・ニュースに《 AKB48 総選挙速報 》の報が入っていたので、you tubeを覗いてみると、早々と映像が流れていた。
 AKB本店よりも、指原の居る博多のHKTの方がよりAKBそのものがよく視えるってこともあって、現在は新潟のNGTにとって変わられたが当時一番若いグループだったので、you tube等で観たりしていた。勿論、いわゆるオタクじゃなくて、劇場に足を運んだりすることもないライトなファンに過ぎない。

 
 AKB本店秋葉原の劇場でのコンサートが了(おわ)ってからの、出演メンバーもそのままの恰好でステージに並んで投票初日の結果発表を観るって訳なんだけど、それを名古屋、大阪、博多、新潟の各劇場でも同様に出演メンバーが並び同じ開票結果発表の映像を観ながらの同時中継って演出。

 この日のアキバ本店は、その夜の演目そのままに皆パジャマ姿で現れた。
 中でもAKBきってのトップ・アイドルたる渡辺麻友(まゆゆ)は見ていると面白いキャラクターで、昨年か一昨年かだったかの速報の折も出ていて、最初は余裕で80位からの発表に他のメンバーと賑やかに応じていたのが、上位の発表になってくるに従って落着きがなくなり、3位くらいになってくると、もう不安と緊張に堪えられなくなってか、些かなりともテン張った緊張を解きほぐそうと彼女の身体からの自然な反応なのだろう、上半身をグルグル廻しはじめた。アイドル女王然としていながらもこんな生理的反応を示すのかと驚いてしまったけど、同時にまだ二十歳そこそこって若さもあってか愛らしさを覚えさせた。

 それが、今回は、3位発表の頃に、尻餅をつくようにその場にしゃがみ込んでしまった。
 もはやグルグル上半身を廻す余力すらなくし、萎えてしまったのだ。
 あくまで、投票初日の、総選挙のためのパフォーマンス・イベントでしかないにもかかわらず、あたかも本選結果のように。何だかんだ云っても、メンバーにとって、例え初日の結果でしかないはずのものであっても、実にナイーブでシリアスなもののようだ。

 
 この夜も博多のHKTの劇場での中継の映像も別途観ることができた。
 こっちは、指原の在籍しているチームHの公演があってて、指原は出ていなかったようだけど、ステージの上にセンターの児玉遥等がずらり勢ぞろいしていた。
 しかし、この夜の速報は、ずらり居並んだメンバーたちの大半が名前を呼ばれランクインするという結成4年目にして、やっと日の目を見れたメンバーも少なくなく、常時、観客ともども歓声の途切れることがなかった。

 就中、指原を慕ってわざわざ東京から応募してきてメンバーとなった、当時小6現在中2の矢吹奈子、元々小柄なので余計に子供っぽく見えるのだけど、見てると、殆ど最初から、一人だけ、もう緊張というより不安と恐怖に押し潰されんばかりに表情を曇らせ涙ぐんですらいた。
 メンバーの名が呼ばれる毎に、他のメンバーと一緒に歓声をあげようとするのだけどそれ以上に、自分の名が呼ばれないという不安に押し潰され、次々と他のメンバーの名がランクインしてゆきはじめると、AKB運営に推(お)されているという自覚=ひけ目から、その都度追い込まれていっているのが傍目にも手に取るように分かってしまう。
 これが、確かに、一切合切の映像化=商品化の所謂AKB商法と云ってしまえばそれまでだけど、最終的に、当の矢吹奈子も52位で名前を呼ばれ、ようやく強ばりと涙の長い苦役から解放された。

 AKB総選挙って、要は、オタクたちの意地の張り合いってところだろうけど、メンバー達の人気のバロメーターにもなるってところから、メンバー達もなかなかに超然としている訳にはいかないようだ

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2016年1月24日 (日)

藤原新也=指原莉乃  《 SWITCH 》 2月号

 


 藤原新也・原作の映画《 渋谷 》(2009年)にAKB48の大島優子が出演(脇役)していたのは知っていたけど、今月発売の《 SWITCH 》の表紙に、新也の撮った同じAKBグループのHKT48の指原莉乃の写真が掲げられていた。

 彼の代表作《 東京漂流 》の新たなバージョンともいうべき《 新東京漂流 》の一環らしい。所謂、眼力(めじから)のあるリアルな指原の表情ではあるが、
 
 『 窓のカーテンを開けるといつも見ていた街が無くなっていて、荒れ果てた風景が遠くまで続いてた』
 
 ・・・つまり、《 9・11 》~《 3・11 》によって脳裏に刻印された“ 世界の崩壊の瞬間 ”のゆらぎ的蒼貌ってことのようだ。

 
 《 藤原新也 新東京漂流─若者のすべて 》と銘打ったフォト・ストーリーの中の巻頭の一枚で、指原当人もツィッターで本来は本文のページ写真の一枚に過ぎなかったのが撮影後急遽表紙を飾ることになった旨報告してたように、新也自身が気に入ったのだろう。
 その巻頭写真の一頁前の《 プロローグ 5分後の世界 》で、その指原の理由をこう述べている。


 「 今は個人ではなく群が顔となる時代だと思う・・・やはり尽きるところ時代を開拓したAKB48でしょ。そのセンターである指原莉乃を撮るということです。」

 「 ぼくはAKB48はその群成する人々の時代の危機回避のシェルターだと思ってる。二〇〇一年の9・11から・・・・・・世界は五分後にはとつぜん何が起こるかわからない時代になったし、それと同時進行的に若者の生活環境もむちゃくちゃ苛酷になっている。避難場所が必要なんだね。」

 
 そして、ガンコ親爺・新也すらも、ご多分に漏れず、指原のところを、
 “ きれいに撮ってあげたいという親心を誘う子ですね。”
 と正直に吐露している。
 むむっ、指原の思う壺ではないか。
 AKBのある種の人気娘は握手会なんかで手練手管を弄するらしいけど、指原の場合、トラウマを内に抱えた傷ついた乙女的オーラを漂わせるだけでむしろファン・オタクたちの方から歩み寄ってくる仕儀のようで、指原自身彼女の在籍しているHKT48の人気今イチなメンバーたちに“ 手を差しのばしたくなるような ”オーラの得策を説いてもいるようだ。
 アキバのAKB劇場での10周年記念のコンサートの終わった後の、前田敦子と大島優子の元センターの二人が並んだショットもある。こっちは普通に微笑ポーズ。


 「 リビングの窓の外に広がる
  荒れ果てた風景から
  君たちの時代ははじまった。」
 
 から始まる写真群の後に綴られた《 ドキュメント 荒野の窓 》だけど、確かに、開け放たれた窓の向こうにくすみ朽ち果てた廃墟が連なってたりする昨今の国内地方の定番光景ではあるが、それ以上に《 9・11 》から特に米国・ハリウッド映画で顕著に見られるようになった風景でもある。
 ニユーヨーク・ツインタワー崩壊ってそれまでの米国支配的秩序の象徴の崩落ってイメージを世界に刷りこませたかも知れないけど、そもそもベトナム戦争の頃から、何時そんな事態が派生したとしても不思議ではなかった、むしろ半世紀近く殆ど何も起こらなかったのが奇蹟に近かった。ベトナム人たちの心のおおらかさを証すばかり。
 あれでもし、ペンタゴンの将軍たちが企んだように(ベトナムに)核兵器でも使用していたら、もっと早く《 9・11 》的事態が招来されていたのかも知れなかった。そんな十分に考えられる論理的帰結=惨禍であっても、ペンタゴンにとっては、米国市民二千万人ぐらいの死は想定内の予め組み込み済みの一連の悪辣らしい、と何処かで読んだか観たかの記憶がある。
 つまり、蛙の面にションベン、何のこっちゃいって寸法らしい。
 その上での、昨今の国際テロ騒ぎって訳だ。
 
 終わりの方に、指原が監督したHKT48の映画の番宣もどきのミニ・インタビューがあって、ロジヤー・ムーア張りの指原の四方山話まで掲載されている。

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2015年11月28日 (土)

 博多の劇場霊だったら面白かったかも知れない / 劇場霊( 中田秀夫・作品 )

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 二年前の前田敦子主演の 《 クロユリ団地 》に続く、“ 中田秀夫・監督 & AKB48 ”ホラー映画。前回の 《 クロユリ団地 》は興行的には悪くはなかったようだが、今回の島崎遥香(ぱるる)主演作はどうなんだろう。かなり宣伝してたようだけど。
 日曜朝の回で観てみた。
 朝なので客はほとんど入ってなかった。昼から入ってくるのだろうが、何しろホラー映画なので疎らな客席ってのが恐怖度を高める(はず)。
 
 
 劇場の霊っていえば、AKBグループじゃ、博多のHKTに指原莉乃が移った頃、博多のHKT劇場に女の霊が出没するって若いメンバーたちが震えあがってたのは有名だったけど、実はすっぴんの指原だったという。
 菅原道真が太宰府=博多なる辺境に左遷されたことを怨んで、日毎、天皇のところへ生霊となって現れ悩ませたのは知ってるけど、幾ら猫背にボサボサ髪とはいえ普通に劇場へ通ってるだけで霊現象として周囲を怯えさせるとは、さすが平成の道真=指原莉乃。
 むしろこの逸話にあやかって、舞台を博多の劇場にすれば、もっと違ったウィットに富んだレアなホラーってことにもなったかも知れない。もちろん主演はぱるる、劇場霊は指原。


 映画は、のっけから劇中劇って奴で、個人的には、これは嫌いなパターン。ともかく白けてしまう。
 島崎は死体役の、まだうだつの上がらぬ端役専門の事務所五年生って設定。
 そこで、事務所で提示された演劇作品、猟奇的な皇后エリザベート物語のオーディションを受けることに。主役のエリザベート役を勝ち取った事務所の売れっ娘がビルの屋上から転落死してその代役が転がり込んでくる。実は劇の中で使われる人形に殺害されてしまったのだった。やがてその魔手は島崎や他の出演者・スタッフたちにも及ぶようになって・・・幾らホラー映画だからってストーリー&展開が余りに凡庸過ぎ。これじや、ぱるる=島崎遥香の魅力、半分も出せてないのじゃなかろうか。

“ちょーだい、ちょーだい”と、すり寄ってくる等身大の人形の恐怖。
 映画館の大きなスクリーンと暗がり、そして巧みな音響効果でそれなりのホラーらしさは何とか醸し出せていたのかも知れないけど、ビデオじゃちょっと難しい。前回の《 クロユリ団地 》ともども基本“和製ホラー”。
 “塩対応”で高名な島崎遥香が、“SUGAR”のロゴのはいったTシャツを纏ったシーンもあったけど、怖くないおざなりな幽霊物語って域を一歩も出るものじゃなかった。
 ハリウッド帰りの監督・中田秀夫の最新作+島崎遥香ってことで、些かの期待を抱き、基本、“和製ホラーはビデオで”、という自らのセオリーの禁を破ってまで観に行った結果は、案の定・・・。
 むしろ、テレビの深夜番組として作るべきだったろう。半睡の入眠幻想にゆらめく意識と感覚で観るのも、又、一興。

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2015年11月21日 (土)

腐ったら,負け ; HKT成長記

Hkt
 
 ( いつの時代でも、アイドルは・・・) 

 

 以前、TSUTAYAで、AKB48のドキュメント《 The Time Has Come 少女たちは、今、その背中に何を思う 》を借りて観たことがあった。一世を風靡したアイドル・グループの娘たちの悲喜こもごもをうまく構成してあって、結構面白く観させて貰った。
 そのAKB本家から、故あって、都から遥か遠い辺境、九州・博多に島流しされ、平成の菅原道真と喧伝され、更に、《 AKB48総選挙 》で堂々一位の座を獲得し、本家菅原道真をも超えてしまって、すっかり伝説の寵児にすら成りおおせてしまった指原莉乃の、陣頭指揮に立って、アイドル王国と謂われているらしい博多から、群雄割拠する列島どころか、アジアをすら射程に入れて精力的活動を展開している博多HKT48。
 
 結成当時の平均年齢13.8歳、AKBグループ内で一番若かった。
 その彼女たちのアイドルとしての、それは又、平成末を活きる一人一人の人間としての“成長記”が出版された。
 
  《 腐ったら,負け ; HKT成長記 》

  最初は気づかなかったが、よく見ると小さく“ 著・篠本634 ”とある。
 てっきり、AKB48運営の専属スタッフが書いているものと思い込んでいた。
 はじめて見る名前で、ネットで調べてみると、“アイドル・ライター”とか“おたくジャーナリスト”って肩書きのライターのようだ。
 HKTのメンバーにかなりインタビューしたのだろう、彼女たちの生な思いや声が吐露されていて興味深く、下手な小説読むよりよっぽど面白かった。 

 尤も、この篠本634氏、ネットで検索してみると、《 週刊プレイボーイ 》誌上の記事(『ガチ予想』)らしい巻頭の部分が掲載されていて、6月に開催された《 AKB48選抜総選挙 》の一位予想で、誰かが推(お)しらしい柏木由紀を持ち上げると、光文社の青木宏行氏が、「昨年はまゆゆ(渡辺麻友)が1位を取って念願が叶ったんで、“そうなると”、今年は柏木由紀しかいない」、なんて訳の分からぬ論理を展開して追従し、更に件の篠本634なるライター氏も、彼女の兼任先の大阪NMBや新たな兼任先となった新潟NGTのファンの票まで期待できるんで柏木由紀しかいない、とぶち挙げたのだけど、しかし、実際問題として、その当時であっても、やっぱし、一位は指原莉乃とまゆゆ(渡辺麻友)との一騎打ちってのが相場。後は、名古屋SKEの松井珠理奈が今回不出馬の松井玲奈の票をどれだけ取り込めるかで可能性もありえたってところじゃなかったろうか。
 
 つまり、AKB48とかなり係わりをもっていたライターってことが分かった。
 勿論、彼が個人的に出したものじゃなく、“トータル・プロデューサー”秋元康と奥付にあるようにあくまでAKBのオフィシャルな出版物ってことだ。だからこそのメンバーの全面協力も得られたのだろう。だから、サシハラが移籍し間もなく起こった、メンバー5人が特定ファンとのあるなりゆきが発覚し“活動辞退”つまり処分されてしまった事件なんかの経緯や詳細なんかには触れてない。


 ぼくが一番興味をもったのは、この手のアイドル・グループ、とりわけAKBの定番、センターのポジション巡ってのメンバーたちの心のゆらぎ。ところが、想像していた以上に振幅が大きかった。


 2012年の秋になって、AKBのCDのカップリング曲の一つとして、ようやく初オリジナル曲を貰えた。《 初恋バタフライ 》という如何にも彼女たちにふさわしい初々しさに溢れた曲だった。只、当然一期生の中から、センターともども選ばれると思い込んでいたメンバーたちの意表をついて、新たにたった数ヶ月前にオーディションで採用されたばかりの二期生たちの中から3人も選ばれ、更に肝心のセンターには、秋元康が“十年に一人の逸材”として賞賛してやまなかった二期生=研究生のまだ小学生だった田島芽瑠が抜擢されれてしまった。
 それまでセンター的ポジションにいた児玉遥(はるっぴ)や、同年の総選挙唯一でランクイン(47位)した宮脇咲良(さくら)を差し置いて。


 「 宮脇 『 結局、はるっぴは泣きすぎちゃって、そのままレコーディング(《 初恋バタフライ 》)できなかったんです・・・・・・私もショックで声が出なくなっちゃって。・・・・・・後日、再録になってしまって。
 スタジオから出たら・・・そこで、さっしー(指原莉乃)を囲んで1期生たちがみんな泣いてました。なんていうか、そのみんなの姿は“壮絶”でした。』」


 「 田島『 正直、選抜に入ったのでさえビックリだったのに、“えー?”って思いました。・・・・・・1期生さんも泣いてる人もいて・・・・あまり見られなかったです。ずっと下を向いて、床を見てました。・・・・・・なんか1期生と2期生の間に挟まれてる感じです。1人、孤独でしたね 』」

 そして翌年初春、念願のデビュー・シングルの選抜が発表された。
 二期生の3人を含めて同じ顔ぶれ。センターも田島芽瑠。
 

 「 児玉「 『 もう、あの時は本当に気持ちが荒れていました。正直、今だから言えますけど・・・頭の中で“ デビューシングル、出なければいいのに ”って・・・・・・』」


 「 田島『 ・・・“ さすがにありえない ”って思いました。だってデビューシングルですよ。・・・・・・“ なんで ? なんでまた私が”って。もうプレッシャーがすごかったです。正直、あの頃って笑ってる記憶がないです。』」

 オーディションの時から既に“ キラキラオーラ ”(同じ二期生たちが感じた印象)を発していた天真爛漫なはずの田島芽瑠ですらが、孤絶的ぐらいにプレッシャーを覚えていたとは、当時YOU TUBEなんかにアップされていたニコやかな映像からは、想像すらできなない。舞台の上、カメラの前では愛くるしく微笑んでみせる芽瑠や他のメンバーたちであっても、心の内では鬱々悶々としていたってことか。
 尤も、当時、彼女たちのパフォーマンスの映像なんかを観てると、彼女たちの想いとは別に、芽瑠(曲によっては美桜と並んで)のすぐ両脇後に児玉と宮脇が控えている図は決して悪くないむしろ華やかな布陣で、ぼくは気に入っていた。
 やがて何枚目かのシングルの時になって、やっと宮脇はまゆゆ( 渡辺まゆ )と二人でAKBのシングルでダブル・センターに、児玉はHKTのシングルのセンターに抜擢されたのだけど、その頃には、もう二人ともセンターにそれほど執着することはなくなっていて、むしろ中心的メンバーとして、HKTというグループを如何盛り立ててゆくかの方に腐心するようになっていたという逆説。
 いつかは・・・と、思いっきり伸ばした両の手の一センチ先にゆらぐ自らの夢を追い求め、彼女たちは健気に笑みを浮かべ続けるのだろう。


      《 腐ったら,負け ; HKT成長記 》 著・篠本634 ( 角川春樹事務所 )

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