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2026年6月25日 (木)

反時代的一擲 白鬼来 阿片戦争はかく戦われた( 大泉黒石 )

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「 この節のイギリス夷に於いては、その猖獗凶悍、安禄山の比に御座無く候。」
                       佐久間象山

 

 夷=(い。)異民族の侮蔑的呼称。

 

 

 「 伝記と夢にだけ出て来る世にも恐ろしき白鬼!! この恐るべき白鬼が百年前に東洋に現れた。英国がそれだ。奴は女王・インドを一たまりもなく其の毒牙にかけ、眠れる老大人・支那の心臓に鋭い爪を打込んだ。阿片戦争がそれだ。爾来百年の長きに亘り、悲憤の涙を呑む支那を尻目に、其の心臓部香港より絶えまなく生血を吸いとっていたのだ。阿片戦争はいかにして展開し、いかに戦はれたかーー 」

 

 

 昭和17年4月18日、前年末の《 真珠湾攻撃 》開戦から半年もしないうちに、米海軍航空母艦ホーネットから飛び立ったB25爆撃機16機が、東京はじめ本土主要都市を爆撃。B29による本格的な列島大爆撃の前哨に過ぎなかったものの、真珠湾以来の派手派手しい戦勝報告に沸き返っていた日本中を震撼させるには十分であった。
 翌5月には、情報局指導で《 日本文学報国会 》が創立され、官民挙げての文学の統制がなされ、当時植民地だった朝鮮での徴兵制が閣議決定されたりの、挙国一致的不退転のきな臭い歴史の傾斜に愈々雪崩込もうとした時節の真っ只中、我が黒石先生、盲動列島と化した時代に向け、刺笑的一擲を謀んだ。
 五年前の昭和12年、大杉栄と並ぶもう一方の無政府主義運動のリーダー・岩佐作太郎が、運動的圧殺の状況に鑑み、体制の皇国史観的矛盾を逆手にとって認めた偽装転向的啓蒙篇《 国家論大綱 》と相似な構造を駆使した大胆不敵的一作。

 

 〈 蘭法外科医、匿名浪人に阿片問題を解く 〉の小タイトルの後、黒石節全開のプロローグからはじまる。

 

 

 「 婆羅門凧の弦の唸りが、落ちついて聞える日は、風がなくて暖かいという。おだやかな陽波(ひあし)が、玻璃障子の外から、いっぱいに射入る座敷の中央に、おどろくばかりの、大きな紫檀の支那卓子が据えてあり、卓上に古めかしき、玻璃鐘の中の置時計は、五代前の主人公だった、外科医栗崎道喜が、百八十九年の昔、はるばる南の呂宋(ルソン)から、持ち帰ったという怪物の、生き永えて動く振子が、日光を射返して燦々(きらきら)と耀く。
 その機械(からくり)の微かな音を聞きながら二人の客・・・痩せぎすで半禿げの唐通詞西鶴仙と、頭の太(でか)い、眉の秀でた、紋付羽織の田舍武家が、端然と椅子に腰かけ、婢(おんな)置去りしところの、お茶を啜っている。」

 

 江戸後期・天保十一年三月(1840年)、南蛮・中国など異国情緒漂う長崎は梅ヶ崎(現・梅香崎)十善寺坂の外科医・栗原道斎宅を、長崎通事・西鶴仙と信州浪人・松代樵山人が訪れるところから物語は始まる。
 常連客の鶴仙の隣に坐した未知の侍風に道斎の柔らかな視線が動く。

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 「輓近( ばんきん : ちかごろ )、海外事情の研究とやらに、当地へ来られた御仁だが、阿片の紛擾で、支那と英国とが、砲火を交えそうな形勢に至った、そもそもの経緯を知りたいから、私に話を聞かしてくれ、と仰有る」

 

 この栗原道斎、実在の江戸時代の南蛮外科・栗崎道喜の子孫の設定。道喜の家系は代々唐人屋敷の医師を兼ねていたという。
 松代樵山人は、前書きにも記していた信濃松代藩士・佐久間象山だろう。象山が、藩主・真田幸貫に顧問に抜擢されて、大英帝国と大清帝国のアヘン戦争等切迫した海外情勢の研究報告を課された故事に因んでの設定、恐らく黒石の敬愛する長崎にも何年か奉行所に赴任していた蜀山人=大田南畝をもミックスしての形象化に違いない。
 因みに、佐久間象山がらみでいえば、門弟の河井継之助=蒼龍窟、次作の《 ひな鷲わか鷲 》(昭和19年)に影を落とすことになる。

 

 この作品、五章から成っている。

 

第一章  江戸後期、長崎・梅ヶ崎十善寺坂の外科医・栗原道斎宅を訪れた長崎通事・西鶴仙と信州浪人・松代樵山人との歓談。道斎が阿片戦 争に至るプロセスを教示する。

 

第二章  清国宣宗帝道光十九年(1839年)四月二十三日、広東市内。欽差大臣・林則徐が阿片密輸商征伐敢行のため戒厳令を敷き、一斉取り締まりを始めた。東印度会社系のジャーディン・マティスンの支店《 英華公司 》の二階に集った宋一賓、宋花春、胡馬平。やがて、武装した司直の一隊が現れ、屋敷に突入。三人は外へ逃げようとして、一人宋一賓が銃弾に斃れる。

 

第三章  再び、栗原道斎の屋敷。英傑・林則徐の賞賛。西鶴仙、樵山人と入れ替わりに訪れた出島オランダ商館のアルベール医務官、道斎が広東から連れてきた使用人の宋花玲の美麗さに賛嘆頻り。突然、思い立ったように道斎が彼の研究室に夜毎現れる女の幽霊の確認を求め、一晩泊まり、果たして件の右手小指のない女霊と遭遇。道斎、かって広東の病院に居た頃、関節肉腫を患った娘・蘇小蘭の小指を切除した時の経緯を話。

 

第四章  取り締まりから逃げるため、総督府の蘇克方一家が、長崎目指して黄埔港から寧波行きの貨物船に乗り込んだ事情が明らかになる。氾奇全、宋花春、胡馬平、スチール商会員・張知義、新城区署役人・呂長雲( 機密を英人商館に売るスパイでもある )等、広東の敵として林則徐暗殺の謀議と決行。

 

第五章  予定より紙幅が足りなくなったのか、物語を端折って、阿片戦争の結末と女霊事件の顛末の概要を並べて、阿片戦争直後に作られたらしい民謡を提示し、了。

 

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 江戸後期の長崎そしてアヘン戦争前期とも云うべき中国・広州の日中に舞台を設定し、そこに執筆当時のリアルな時局的エピソードを繰り込むという構成。ある意味斬新な手法であったろう。当時の差し迫った情勢にあっては、むしろ、リアルな手法だったかも。
 所詮八紘一宇的な絶対天皇制を前提としての五族協和・大東亜共栄圏の絵に描いたような虚偽性が、時局に照応した皇国史観的ラベルで表装した内奧から、自ずからじわじわと浮かび上がってくる構造。それを媒介するものとしての《 アヘン 》は、正に好個の素材であって、大陸進出が一層加速される頃の橋頭堡として門司港・満州=長春(新京)を舞台に設定した《 心癌狂 》黒石怪奇物語集( 新作社 )で既に大正14年に作品化していて、いわば黒石の定点的視座でもあった。
 日本・関東軍主導で満州帝国が昭和7年( 1932年 )に作られる以前に、既に満州はアヘン産業の一大中心地となっていて、後、大連市長にすらなった石本鏆太郎のようなアヘン財閥すら存在していた。

 

 

 人家も疎らな十善坂の道斎の屋敷から西鶴仙と松代樵山が退去し、広州の病院で一緒だったオランダ商館のアルベール医務官が現れると、いつの間にか話題が道斎の研究室に夜な夜な出現し悩ませる女霊に移ってゆく。唐突に、オカルト的題材が持ち込まれるのだけど、当方が知っているだけで、この中国で関節肉腫で指を切断手術を処された娘が、日本に帰国した医者を、彷徨える霊となって東シナ海を渡り追いかけて来る、喪失した自身の指を取り返そうとする女霊奇譚は、二篇ある。
 初作の《 切られた小指  ーさるこまとすー 》( 月刊・東京 大正14年 )、 後作《 葵花紅娘記 》(《 灯を消すな 趣怪綺談 》大阪屋号書店 昭和4年 )。
 〈 日露戦争 〉終戦直後、戦時中旅順に軍医部長として赴任していた本間博士から、彼の弟子たる医学士であり日本心霊学会員でもある私=三枝哲三宛てに一通の手紙が舞い込んだとこから物語がはじまる《 切られた小指 》。 舞台は東京・千駄ヶ谷の森の奥の古色蒼然とした妻と博士が旅順から連れ帰った美麗な中国娘と住まう本間邸。切断手術したのは旅順の病院に出入りしていた陳萬全という豪商の娘・梨喬だった。 日本に戻ってきた本間博士にずっと屍霊として付き纏いつづけ、弟子の三枝が同じ関節肉腫の指を工面してきて、屍霊に自身の指と思わせ持ち去らせることに成功する。

 

 後作《 葵花紅娘記 》じゃ、日独戦争(第一次世界大戦)中、青島の野戦病院で湯逸方なる婆さんの若くて美麗な、しかし、片眼が義眼の娘・クウ(女偏に句)の右手小指にできた関節筋肉腫を切除した老教授・山北一次郎、青島の戦禍で身寄りもなくなった美貌の水汲女・金秀玉を長崎・隠岐の島に連れて帰り、侍女として同居していた。その隠岐の島に流れ着いた棺桶にクウの腐乱した屍が納められていて、その日以来クウの霊が研究室に現れては教授を悩ませつづけていた。その話を聞いた弟子が同じ関節筋肉腫の小指を工面してきて、女霊に持って行かせることに成功し教授も喜ぶのだけど、実は、それはクウの霊なんかじゃなく、同居していた金秀玉がヒロポン中毒に侵された挙句の芝居だった。

 

「恐ろしい顔の主の正体は、美しい顔の主のお金さん、近頃噛み始めたモルヒネが癖になり、お金さん! 硝子棚の中の薬壜から盗み出すためにクウの幽霊に見せかけ」

 

弟子はそれを見破り、教授を安心させ、金秀玉の立場も守るための一計だった。黒石は死霊復活説の非科学性を指弾してみせる。
 この《 白鬼来 》じゃ、《 葵花紅娘記 》と同じ、モルヒネ欲しさのための一計。

 

 「『 蘇小蘭の亡霊の正体 』は、阿片中毒者花玲が、道斎の研究室にあるモルヒネを盗まんがために、小蘭の姿を借りた仮裝であった」

 

 
 モルヒネ=アヘン。
 このモルヒネ、芥子( ケシ )から抽出されるアヘンを原料にしていて、国際的にも鎮痛剤として広く使用されている。いわゆる麻薬的効能故に、心的な沈痛にも援用されることもあって、戦場と化した旅順・青島で家族や知人が面前で亡くなっていった無惨=悲惨的トラウマから免れようとして、美貌の水汲女・金秀玉が、徐々に蝕まれていったのは想像に難くない。宋花玲の場合、自身の悲惨な出自や広州での惨憺の記憶、異国での孤独と不安を韜晦・払拭するためであったろう。
 正にこの一点で、《 葵花紅娘記 》と《 白鬼来 》は同致。
 但し、宋花玲と道斎の接点=中国・広州=大英帝国と清国のアヘン戦争の根拠地←宋兄妹や胡馬平の欽差大臣・林則徐の暗殺の舞台という歴史的位相が異なる。

 

 この端的に中国侵略戦線的符丁( 象徴 )を基軸に、鬼畜=大英帝国、そして今度は鬼畜=大日本帝国という歴史的変転、同時にそれは英・米+中国対日本という歴史的位相、つまりこの作品の実舞台=大東亜・太平洋戦争を、アイロニカルに変換・構築した警句的反戦物語といえよう。
 尤も、巧妙というより、岩佐の《 国家論大綱 》同様スケルトン的偽装性というべきで、よく検閲を通れたと感心するばかり。黒石、余程自身があったのか、更には、林則徐暗殺→ロシア皇帝暗殺→天皇暗殺というもう一つの歴史的連鎖・エピソードを組み込むという大胆!!

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 林則徐暗殺のエピソード、すぐ想起されるのが、同じ馬車に乗ったロシア皇帝アレキサンドル二世暗殺事件(1881年)であり、これは韓国問題だけど、アヘン=満州帝国以前のハルビン( 哈爾濱 )駅頭で射殺された伊藤博文暗殺事件( 1909年=明治42年 )。安重根・禹徳淳・曹道先等が、大韓帝国の国権回復を目指して、日本の韓国統監府初代統監だった伊藤博文暗殺を謀議し、日本の満州支配の企図の下ハルビンを訪れた伊藤を、安重根がピストル( ブローニングM1900 )で射殺した伊藤博文暗殺事件。(昨今、別の場所からブローニング以外の弾丸でも撃たれていたという異論もあるらしい。ケネディー大統領暗殺事件と併せて、安倍晋三暗殺事件の際に跋扈した陰謀論の祖型か。)
 

 

 宋花春が林則徐暗殺を決意した理由が、兄の宋一賓が逃げようとして林則徐の部下に背後から射殺された怨恨、そして林則徐が広州の街を破滅に陥れようとする市民の的という大義であった。彼らの一団は、あくまで英国アヘン産業の担い手側からの視点に依拠していて、幕末長崎・道斎宅では、逆に、大清帝国(中国)=アジア侵略の手段としてのアヘン貿易に決然と抗する救国英雄的林則徐像が支配的であった。
 英国商館主たちに欽差大臣・林則徐暗殺を請け負った張知義(首謀者・英国商館スタッフ)・宋花春・胡馬平・氾奇全そして外縁的立場の呂長雲( 新城区署の役人 )。張知義の手から受け取った武器。英国製連発ピストル、オランダ式ゲベ-ル・ピストル、新式ミニエー・ピストル。資金五百両。
 

 四章の後半。

 「いくはい目かの酒盃を伏せて立ち上り、衣服を正して、四海飯店から流れいで、沙面地区に向った氾奇全が、英国領事館前の大通りに、足を踏み入れたのは、十時に三十分前だった。作者いう。昭和十七年三月廿五日(広東発同盟)旧沙面租界の行政移管式は、二十五日午後二時、旧英国総領事館前の沙面公園で挙行された。南支派遣軍最高指揮官、陳広東省政府主席等、日華関係軍官民約二百名参集、酒井最高指揮官より行政移管に関する意義深き挨拶あり、陳主席は感謝に満ちた答辞を述べ、次で日華両国歌合唱裡に、日本国旗の撤収と、中国々旗の掲揚の歴史的シーンを展開、両国の万歳を唱へ散会した。(全文)」

 

★ 陳( 公博 )広東省政府主席  中国共産党→国民党→南京国民政府(汪兆銘政権)=日本軍の傀儡政権と渡り歩き、戦後、日本に亡命した後、帰国し、蒋介石政権によって漢奸として銃殺刑に処される。

 

「・・・・・百年前に遡って、今や欽差大臣林則徐を狙撃せんとする一青年の氾奇全が、現在の沙面公園である英国領事館前の大通りに、黄色い姿を現わした場面の、描写にかゝろうとする、この時、東都の新聞紙が、如上の広東電報を掲げたのも、作者の心には、不思議な因縁とも感ぜられたのである 」

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 偶々この作品執筆中に目にした新聞に掲載されていたのか、むしろこの記事に想を得て構想したのか定かじやないけど、愈々列島中、もはや後戻りのきかないのっぴきならない情勢の只中故に、フィクション中のリアルタイムなリアリズムの挿入って、如何にも黒石らしい感性ではある。そこから、再び、百年前の幕末=大清帝国時代に、ストーリーは戻ってゆく。広州・沙面・・・

 

 

 「 この時刻には、人通りも稀れで、警戒任務に就く巡邏も、兵隊の姿も見えず、人に怪しまれ迂散に思はれる心配はなかったが、心は〔 しんにょうに貞 〕さすがに落ちつかない。彼は四辺(あたり)に鋭い眼を配りながら、上衣の衣嚢(かくし)から取出した拳銃(ピストル)を、椰子の梢を漏る月影に、注意ぶかく検(しら)べて見た。故障はなかった。氣味の悪い微笑が、彼の口辺にゆらめいた。『 三十分たゝないうちに、支那全土を震駭の底に叩ッ込むような、大事件が突発するんだ! 張知義も胡馬平も花春も、今頃は彼等の担当場所に就いて、殺される人間の出現を、今か今かと待っているに違いない。彼等は屹(きっ)と巧くやるだろう。一番目の張が、まかり間違って、やりそこなっても、二番目の胡がいる。何かの手違いで、それが失敗(しくじ)っても、三番目の持場に花春がいる。それが失敗しても、四番目の俺が、これで仕止めてやる! この鋼鉄の弾丸の餌食にしてやるぞ! 葉蔭の暗闇(くらがり)から、ズドーンと一発! たゞ一発だ! 』勇壯果敢に演ッてのけ得る、大きな自信をもって、心の中に叫びながら、兇悪な面つきの飛道具を凝(じっ)と見た。短銃は黒く冷たく静かに光っている。短銃はいとも冷静である。それを握りしめている彼の手は、しかし顫え(て)いた! 生れて始めての大冒険を前にして、抑えることの出来ない、烈しい興奮に、全身が震えていたのだ。」

 

 ところが、クライマックス・土壇場に到って、最初の張知義が決行していたはずの場所を何事もなかったかの如く、林則徐を乗せた馬車一行が平然と現れ、二番目の胡馬平が黒光りするピストルを構えた次の瞬間通行人に擬した二人組にドッと取り押さえられ、反対側に位置していた花春も狙い澄まさんと構えたピストルを、誰あろう呂長雲にはたき落とされてしまった。肝心最後の氾奇全、その光景を遠目にも目撃し、突如臆病風に吹かれたのか、在り得ぬ事態に平衡感覚が足下から崩れ落ちあたふたと逃げ出してしまった。そんな路傍の夜闇での暗闘等どこ吹く風と、林則徐の馬車は定速で走り抜けていくのだった。
 黒石の原風景がそこにあるかの如く執拗に数多の作品で反復してみせる中国と日本の東シナ海を隔てての往還劇宜しく、呂長雲に狙撃を阻止された宋花春、東シナ海を渡って姉・花玲に再会すべく長崎に密航、その後を、彼女に恋慕する呂長雲が追いかけるという筋書も、実際には紙幅足らずで省略され了。
 

 

 馬車・自動車に乗って移動する権力者の暗殺といえば、もう帝政ロシア時代の、人民解放・革命の名の下に、圧制者=皇帝(ツァーリ)を俎上にしたテロリスト達の独壇場の観すらある。
1881年(明治14年)3月13日、ナロードニキ派《 土地と自由 》からの分派組織《 人民の意志 》党によって企図された皇帝アレクサンドル二世の馬車襲撃暗殺事件は有名だけど、それ以前にも、後にも失敗は少なくなかった。この暗殺事件は、数ヶ月もの準備期間の上に実行されたもので、皇帝アレクサンドル二世の馬車が通る片側の道路の地下にトンネルを掘ってダイナマイトを埋設したりのかなり大がかりなものだった。
 投擲爆弾とピストルで武装したリサコフ、イグナツィ・フリニェヴィエツキ、イワン・イェメリアノフ、ソフィア・ペロフスカヤ達はそれぞれの持ち場に潜みあるいは通行人の如く佇み、皇帝の馬車が現れるのを今か今かと待ち構え、果たして、一番目、二番目の投擲爆弾で目的を達した。まだ息のあった瀕死の皇帝アレクサンドルに三番目の爆弾の入った鞄を持って接近するはずのイワン・イェメリアノフは状況判断して不必要と断じたのか、投擲せずにその場から退ち去った。
もし皇帝が予想通りのコースを逃げ切って現れたら、逮捕された夫の代わりにピストルとナイフを忍ばせた夫人ソフィア・ペロフスカヤが最後の一擲とばかり走寄り銃弾を浴びせたのだろうが、工科大卒の俊才ニコライ・キバリチチが製造した投擲爆弾の威力が強力だった。( つい、後年日本の、例えば大正末の無政府主義者テロリスト《 ギロチン社 》の面々が作ったピー缶爆弾の余りの稚拙さに思いが到ってしまう。)
 結果、《 人民の意志 》党の事件関係者五人が絞首台の露と化した。

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 ( セルゲイ大公暗殺事件実行者 イワン・カリャーエフ=社会革命党員。詩人でもあった。 )

 

 黒石のこの英国商館主達によって策謀された、反アヘン・反英の急先鋒=欽差大臣・林則徐暗殺の実行団の図って、もうこのソフィア・ペロフスカヤ等の《 人民の意志 》党をモデルにしてるのは一目瞭然。もっと後年の、同じ《 人民の意志 》党の皇帝アレクサンドル三世暗殺未遂事件の方が当局に察知され未遂に了ってしまった事件なので、むしろこっちの方がモデルに近いんだろうが。先の皇帝アレクサンドル二世暗殺事件で当局の徹底的な弾圧を受け風前の灯火状態となっていた《 人民の意志 》党は完全崩壊。この時も五人程が絞首刑に処されてた。レーニンの実兄も敢然と特赦を拒絶し、絞首台の露と化してしまった。

 

1905年のセルゲイ大公暗殺事件も有名なテロリスト事件で、アレクサンドル二世の五男であったセルゲイ大公、モスクワ総督時代、モスクワの社会的地位の低いユダヤ人を追放し、モスクワ経済にも深刻な打撃を与えたり、社会主義勢力を弾圧したりの反動政治で悪名を轟かせ、とりわけ、同年1月9日の「血の日曜日」事件での責任者として社会革命党に指弾され、エスエル戦闘団ニコライ・カリャーエフが馬車に乗っていたセルゲイ大公の膝の上に爆弾を放り込んだ。大公、四肢断裂の即死だった。その二日前にもチャンスはあったものの、セルゲイの幼い子供が同乗していたのでカリャーエフが中止していた。ロープシン( サビンコフ )やA・カミュの文学作品でも有名な事件。

 

 ロシア皇帝暗殺(未遂)事件といえば、日本にも係わってくる。
 こっちは、いわゆる圧政に対する弱者の抵抗・抗議としてのテロリズムとは真逆だけど、明治二十四年、滋賀県大津で、警備巡査・津田三蔵が、突如、身につけていたサーベルでロシア皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフに斬りつけた。単独犯故にその場で取り押さえられた。面目をなくした明治天皇、早速列車で駆けつけ謝罪を余儀なくさせられ、津田も絞首台に昇りかけたが、殺害したわけでもないという理由で、無期が言い渡された。伊藤博文・西郷従道・後藤象二郎等は断固死刑を求めていたという。尤も、収監された数ヶ月後に肺炎で亡くなってしまった。その親日家の皇太子ニコライの随行員の中に、大泉黒石の父親・アレクサンドル・ステバノヴィチが居て、長崎で、黒石の母親となる恵子と邂逅。

 

 その19年後の明治23年、長野県安曇野明科での爆発物取締罰則違反容疑の無政府主義者・宮下太吉逮捕に端を発っした天皇暗殺にかこつけたフレームアップで幸徳秋水はじめ無政府主義者・社会主義者達が全国で大量に逮捕され、24人に死刑判決、12人が絞首刑となったいわゆる幸徳事件=大逆事件。実際は、宮下太吉・管野スガ・新村忠雄・古河力作の四人の計画でしかなかった。それも殆ど机上の。そもそも検察・警察は、まともに調書すら取ることもなかったらしい。

 

 

 大正12年師走、東京虎ノ門で、走ってきた皇太子・摂政宮裕仁の乗った黒塗りの御料車めがけて、難波大助がステッキ銃の引き金を引いた。
皇太子は無傷で、同乗していた侍従が軽傷を負った。大助は、「革命万歳」と叫びながら尚も車の後を追い、警備の警官・憲兵・群衆に取り押さえられ殆どリンチ状態になったという。
 長州山口の名家の出身で、尊皇思想の衆議院議員の父親とは成長するに従って諍うことが多くなり、社会主義に傾倒し、現実変革の手段としてのテロリズム=天皇暗殺に帰着した。幸徳等の大逆事件の資料を読み漁っていたり、在京時に遭遇した大震災時に権力( および権力の走狗と化した住民達 )がやらかした、朝鮮人虐殺や大杉栄・伊藤野枝と甥の宗一( 幼児 )に対する憲兵隊の虐殺事件、社会主義者・労働運動家達に対する虐殺等で、反権力思想をいよいよ過激化させたのだろう。権力の懐柔に志操を曲げること無く絞首台に昇ることを選んだ。
 当時は、大正天皇を俎上にするのは病的として躊躇われていた風で、大助もギロチン社もその了解性があって、既に公務も代行していたらしい皇太子・裕仁を権力の象徴と位置づけたようだ。
 

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 ( 昭和十七年植民地朝鮮での徴兵制が閣議決定され、翌十八年兵役法改正、十九年に実施。十八年には海軍でも特別志願兵令が公布された。)

 

 その関東大震災の折、予防検束で逮捕された無政府主義者・朴烈、金子文子も、実行されていず未遂にもならない机上の空論に近い天皇暗殺計画が、世情騒然の只中で、時の権力の都合と論理で、大逆事件扱いとなり、死刑判決。恩赦で無期の定番的懐柔だったが、二人とも拒否。さりとて、もはや絞首台に昇ることもできず、気丈の文子は自死を選んだ。最近、二人の映画がリリースされたものの、当方は未見。隣町で演ってたんだけど観損なってしまった。

 

 

 昭和七年、あろうことか桜田門・警視庁前で、閲兵式帰りの天皇の一行に、抗日武装組織「韓人愛国団」所属の朝鮮人テロリスト李奉昌が投擲爆弾を投げつけた。が、手製爆弾( 組織から渡された手榴弾ってことになってるが、正式軍用だったらあり得ない )だったのか威力が小さく、おまけに数台並んで走っていた馬車のどれに天皇が乗っているのか皆目見当も突かず、説破詰まっての、しかし、李奉昌にとっては渾身の一擲。爆発はしたものの、天皇の馬車には掠りもせず、一行はことも無くそのまま平然と皇居へと走り去って行った。
 単独的実行らしく、緊張し過ぎなのか、動揺し過ぎたのか、馬車列を見過ごしてしまって、慌ててタクシーを拾って桜田門前に急行し、事に及んだという。それでも、不敬的大逆罪ってことで、絞首台昇りに。

 

 

 長々と、戦争という大量虐殺の時代の真っ只中にあって、そんな体制をも含めての圧政に対する告発・抵抗あるいは、又、変革・革命としてのテロリズムに触れてきたけど、この作品を黒石が執筆した当時、国内の皇帝=天皇暗殺事件って結構当時の人々の記憶にもまだまだ鮮明に刻印されていたろうってとこが重要で、それを前提としての、アイロニーと云ってしまえば簡単だけど、中国→ロシア→日本の連想的縁環という心的連鎖を容易に発動させんばかりの黒石の意図的布石に違いない。林則徐の暗殺という必ずしも不可欠でない、むしろ突飛なエピソードを中心に据えるってことの意図性・・・正に、挑発的! !

 

昭和17年、偶然高橋新吉に会った黒石、雑談の中で、「九人の子供のある妻君が、若い燕と逃げた」と云ったという。
 黒石、あれだけ子煩悩だったにもかかわらず、妻子と離別しての単独行。ある種の自棄性として風評されつづけてきたけれど、あるいはひょっとして、腐縁的畏友・辻潤がそれを旨( =決意 )としての一子・まこととの離別=単独的漂白に同調したのか倣ったのか。その上での、一連の刺笑的著作活動というべきか。 
 重ねて云えば、フレーズこそ顕わにはしてないものの、あの差し迫った時局で、禁忌の天皇暗殺事件にまで及ぶエピソードを根幹の一つに据えている意図性=覚悟ってものを念頭にすれば・・・
 黒石の定点的視座=アヘン=大日本帝国・軍部の中国(朝鮮)侵略から紡ぎ出され組み込まれた、一矢報いようとした告発篇、とむしろ云うべきだろう。

 

 

 

大泉黒石《 白鬼来 阿片戦争はかく戦われた 》  昭和17年7月10日1942年( 大新社 )

 

 

 

【 追記 】 やっぱり、これを端折ってしまうと、肝心の黒石この作品自体の創作動機がも一つ曖昧になってしまいかねないので、忙しさに失念してしまった箇所を、遅ればせながら追記する。
 
 
 「 清国は十万の大軍を動かして、必死の防戦に努めたが、先進国英利西軍の、近代武器と近代戦術には、全く歯が立たず、大敗を喫した。この敗戦が幕末(天保時代)日本の国民の耳目である先覚者や、憂国の志士たちにあたえた衝撃は、大きなものであった。その根本は幕末日本の、対内的対外的国情にあるこというまでもない。高度の資本主義発達を遂げていた欧羅巴諸国の近代産業と、それが土台となっている近代武器の力のまえには『 眠れる獅子 』支那のように、時代おくれの武器や、貧弱な兵力を擁するに過ぎない、封建日本の立場は真に危険である。英国の支那侵略は、川向うの火事ではない。支那を屈伏せしめた英国は、必ず日本征服に立向って来る。かくして阿片戦争は、日本自身の重大問題として、長崎遊学の志士たちの口から叫ばれ、漸く国内に拡がっていった。」
                                      

                                      第五章 〈 阿片戦争は大東亜戦争の序曲 〉

 

 

 「 阿片戦争は大東亜戦争の序幕であったのだ。・・・因果の循還し、事件の積重なって出来上る歴史は、奴豆腐のようなわけにはいかない。百年前に蒔かれた『 阿片戦争 』の種は、今日、大東亜戦争となって花をひらいたこを忘れてはならない。」
                                      

                                      第五章 〈 阿片戦争は大東亜戦争の序曲 〉

 

                   
 要するに、大英帝国( +米国 )=高度の資本主義発達を遂げていた欧羅巴諸国の近代産業と、それが土台となっている近代武器の力
  対
 ここで描かれている『 眠れる獅子 』支那( 大清帝国 )のように、大日本帝国=時代おくれの武器や、貧弱な兵力を擁するに過ぎない、封建日本の立場は真に危険である。

 つまり、日米開戦の際、かかる常識的情勢・状況を踏まえていた辻潤が、ニッポン権力のその余りの井の中の蛙的な無知さ加減に驚倒し、あっちこっちにその自滅的無謀さを唾棄して廻ってたという有名なエピソード、その辻と腐れ縁的な黒石も、やはり同様な見解を有していたってことであろう。黒石の場合、小説という体裁を採って、むしろ、やがて『 進め一億火の玉だ ! 』から 『 一億総玉砕 』へとなし崩し的に雪崩込んでゆく国家権力と盲動・迷走的国民に対する警告的啓蒙を提示してみせた。



 

 

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2026年6月 4日 (木)

昏い谷間の活劇「邪痕魔道」 阪妻&古海卓二

 

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 いわゆる昏い谷間の時代=昭和初期に束の間花咲いたいわゆる傾向映画、とりわけ古海卓二の「アジプロ」映画、《 日光の円蔵 》、《 戦線街 》、《 剣 》 等当方にとって垂涎的幻の作品群の少し前、大正15年(1926年)、獏与太郎こと古海卓二、金子洋文、小生夢坊、高堂国典(俳優)等で、当時寡占的だったらしい四社(松竹・日活・帝キネ・東亜)の打倒の意気の下に結成された第一線映画連盟、しかし、たった三作品撮っただけで一年でポシャってしまった。

 

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 背に腹は代えられないと、妻の女優・紅沢葉子は京都まで赴き、当時全盛の阪妻こと阪東妻三郎に泣きついた産物が、この《 邪痕魔道 》。
 大阪朝日新聞社・全関西映画協会の懸賞(千円)公募した原作で、脚色・監督を卓二が担当。当初は阪妻、卓二すっかり意気投合しノリノリだった。が、何しろ古海卓二、当時、時代劇じゃ常道だった要所要所の主役のドアップを、必然性がない!の一言で無視したりで、たちまち仲が険悪に。それでも、一場面のみのドアップ、延々と続くチャンバラ剣劇シーンの最長記録のいずれも革命的と評価されたりで、大ヒット。
 この《 邪痕魔道 》後、ケンカ別れし、もう一人の雄・市川右太衛門の右太プロに参加。傾向映画《 日光の円蔵 》(1929年12月)、《 戦線街 》(1930年2月)等を撮ることになる。

 

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 偶々ネットで見つけたこの《 邪痕魔道 》のパンフレット。
 9センチ×13センチの小判で、「道頓堀 朝日座」と裏表紙にある。
 その前身は江戸時代後期まで遡り、明治中期に芝居館「朝日座」を名乗り、明治末期には映画上映をメインに据えた映画館となった由。
 この小パンフ、朝日座が独自に作ったものなのか、同じ系列の映画館共通に配布されてたものかどうかは定かじゃない。
 「解説」に、吉原仲之町の野外セットが、当時としては空前の規模とあり、俳優陣も“ オールスターキャスト ”とあって、大々的な阪妻再起作品ってことだったようだ。

 

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 冒頭、◇ 言葉・・・宿命に反逆する者ーーーそはその結末において血塗どろの敗北を招くとも、よしまたその歩程において凄惨な悲劇を生むとも人生の苦闘に直面し得る熱と力の強者ではあるまいか。◇
 二年前の阪妻の代表作《 雄呂血 》(大正14年)じゃ、"直情径行"で生きるに不器用な侍・久利富平三郎の凋落と惨憺の軌跡が描かれていたが、この《 邪痕魔道 》の主人公・詫間栄之進、京で十幾年の剣術修行を終えて江戸に戻ってきた所からストーリーが始まる。
 早速許嫁の変節が発覚し、自身もこの家の嫡男じゃなく妾腹の子であることすら告げられ、忽ちにして奈落の淵に突き落とされてしまう。
 実の老いた母親を半場強引に自身と一緒に出奔させた栄之進の行く末は、正に暗澹奈落の転落転変行。やがて時代(昭和)そのものが、その跡を雪崩うつように辿ってゆく。

 

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但し、このパンフは、あくまで「前編」のみ。
 新記録を樹立したといわれる剣戟延々の格闘篇は後編。
 卓二監督、数年後の、右太衛門との共作《 戦線街 》じゃ、検閲カットの最長記録も樹立。記録ずくめの与太平=古海卓二、正に彼の傍若無人・破天荒な生様そのまま、投影の観すらあるこの《 邪痕魔道 》。
 傾向映画は勿論、この作品も、後年阪妻と再度組んだ《 変幻七分賽 》なんかも是非観てみたいが、殆ど焼失してしまったようだ。残念。

 

《 邪痕魔道 》監督・古海卓二 主演・阪東妻三郎 原作・坂西夫次郎 阪妻プロ(太秦撮影所)1927年(昭和2年)作品


参考《 日本映画縦断1 傾向映画の時代 》竹中労(白川書院)1974年

 

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2026年2月 7日 (土)

甲斐大策的軌跡  古い港町のオアシス・グリシェン・カフェ

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 久しぶりに門司港の「古民家チャイ・ハナ」グルシェン・カフェでランチを食べた。

 ぞろりとした中央アジア風の衣装をまとった女性オーナー、作家・画家の甲斐大策の事となると、俄然甲斐大策博物館の文芸員宜しく丁々発止に饒舌になるのだけど、生前から大策とは手紙のやり取りしてたようだ。というより、大策自身が、ともかく誰にでも手紙を書きまくってたらしい所謂人たらし的な性向だった・・・否、むしろ自己表出衝動の口実としての手紙だったのだろう。

 

 今回久しぶりに訪れてみると、以前片側の壁にずらり並んだ大判の油絵・アクリル画などがほとんど姿を消し、小さな白黒の小品が一面に掲げられていて、テーブルの上には、紙粘土細工のミニ・アフガン泥雛が七彩の大団円を決め込んでいた。大策手製という。自分の幼い娘のためだったようだ。この店のオーナー女性は大策や彼の娘さんとも親しかったようで、だからこその常設大策絵画画廊なんだろう。この小品群、皆初めて見るものばかり。

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 亡くなってもう七年。

 かつて藤原新也の指定中華料理館だった《 萬龍 》と同じ横丁にあるこの《 グルシェン・カフェ 》の、一ブロック先の商店街近辺で、当の大策の黒ずくめの姿を見かけたことがあったけど、そういえば、カメラ手にした新也爺も何度か見かけた。場所は違うが、いつもアシスタントか秘書か定かならぬ若い女性と連れ立っていた佐木隆三を見かけなくなって久しい。彼はもっと前に亡くなってたが、見かけるのは決まって門司港駅前だった。最近は、どこでだったか忘れてしまったけど、イラストレーターの黒田征太郎を見かけた。港近くの廃ビルにアトリエを構えているという。 

 何しろ列島の西端、南西辺境州の小さな港町、港町の常でもあって、様々な人々が行き交い流れ着く。

 あるいは旅立ち、あるいは、永遠の旅へと流離厭離する。

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 驚いたことに、今回、大策のスクラップと銘打った分厚い、彼の両親に旅先から送った大量のエア・メール(書簡)やイラスト集が閲覧可能なものとして陳列してあった。二冊。興味津々に立ち読みしてると、件の女性オーナーが自分のテーブルでご覧になって下さいと声をかけてくれたので、コーヒー茶碗を端によけてちょと読まさせてもらった。少し暗めの照明だったのでびっしり記された小文字を、知らないうちに、両目をそばだてていたのか、オーナーがわざわざ、大策の遺品といって分厚い拡大レンズを持ってきてくれた。

 最初、当方と同様の拙字だと、些かの同類的安心の念を覚えたのだけど、裸のままのレンズを通して見直してみると、果たして、小さく書き込むため丁寧じゃないけど、けっこう遊び心も窺えるそれなりに味わいのある字面であることが分かった。一、二枚くらいしか読まなかったけど、ナイロビやウガンダの地名が記されてて、つまり、大策=アフガン・中央アジア始めアジア大陸専門とばかり勝手に決め込んでいたら、なんとアフリカ大陸まで足を延ばしていた。その地での悲喜こもごもをびっしり書簡にしたため、画家である父・巳八郎に送り続けていたのだ。

 

 

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 中々に面白い旅先からの書簡集だけど、オーナーに尋ねてみたら、出版する動きはないという。自分じゃ無理とも。画集も未だ出てないらしい。日の目に触れることもないままのここだけの閲覧資料ってことなんだろうけど、残念。

 初めて甲斐大策の短編集を読んだのは、パキスタンは古の古都・ペシャワール、新市街にあったバックパッカーの溜り場《 カイバル・ホテル 》。そこのドミトリーの一角に客が残していった本・雑誌の中に、ポツンと一冊、眼を惹く装丁で手にしたのであった。まだ、ソ連軍がアフガンでイスラムのムジャヒ軍と戦っていた頃だった。

 

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 ( アフリカ・ケニヤ投函。手描きのエア・メイルも遊び心満点。)

 

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( 部分的マル文字も遊び心の一環だろう。これは女性オーナーもいっていたことだが、大策は戦前の旧かな使いを諸所で使ってて、戦中世代的反骨なのか、それをも踏まえた遊び心なのか。)

 

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 ( 彼の場合、バックパッカーとは若干異なるけど広義のバックパッカーには違いない。この書簡には、甲斐大策の一人旅人としての宣言ともいうべき行りもあって興味深い。また、旅先での出逢い、「物を感じ、愛し、美しいものを探し、感動を絵にすること・・・」と、芭蕉が俳句でそうだったように、大策も描画を事とする旅でもあったようだ。)

 

 

2026年1月 2日 (金)

蒼茫的2026年・・・

 いよいよ四分の一世紀から四分の二世紀へ突入の2026年。

もっともだからといって何が変わるってことでもない、世界は前年からのなし崩し的慣性・趨勢そのままなんだろう。

バイデン、トランプ、ゼレンスキー、ネタニアフ等の悪目立ちは、プーチン以上で、もともと何か画策してるのが見え見えだった一連の世界的災禍。アングロサクソン同盟と一括りできるくらいの共謀性に満ち満ちている。果たしてその帰趨の果ては。

 権力国家の常套が「危機」の醸成でありその上での「危機管理」の刷り込みとそのシステム化で、もうはるか以前から、この東の果ての列島でもさんざん駆使されてきたしろもの・・・第二次大戦がその結実果。

 一体、何時になったら、『大人』になれるんだろ。

 そもそも『大人になれ!』とは、彼らエスタブリシュメントの十八番の常套句だったはず。

 皆が皆楽しく平和に暮らせる、自由と平等な世界であろう、作り出そうとするのを、いい目にあっていいのは俺(達)だけだとばかり嫌悪し憎悪する輩の勢力の、唯一神教が世界をいよいよ制覇してゆくのと併せて、何と世界に跳梁跋扈しているものか!

 大人論でいえば、若い世代に、一体どれだけの負債を背負せようとするのか・・・まったく申しわけなさで涙が禁じえくなるってのが普通のはずなんだが・・・テレビでもまずお目にかかれない大人達。

 山上君、一体どうなるんだろうね・・・

 

2024年11月 2日 (土)

美死霊は切々と東シナ海を越えて  切られた小指 / 大泉黒石

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 終戦前年の大泉黒石の作品《 ひな鷲わか鷲 》が、世評に違って、以前のこれみよがしな黒石的刺笑風味も、外連味もほどよく薄まったむしろ渋みすら感じさせる結構興味深い作品であったので、更にその二年前の、所謂闇討ち開戦( 太平洋戦争 )直後の進攻のはかばかしさに沸き立つも、早くも四月に米軍の初爆撃がはじまり、五月には、情報統制的な“ 日本文学報国会 ”( 情報局外郭団体 )が設立されたりの時節真っ只中で認められた《 白鬼来 阿片戦争はかく戦われた 》を、黒石が如何様に書き上げているのか一層の興味をそそられてしまった。

 

 

 が、《 白鬼来 》、一読して、肩透かしと断じてしまうと些か軽率の誹りを免れないだろうが、作品の流れに唐突な違和ともいうべき、つまり、緊迫する歴史状況の只中に、突如ダダ的異和ともいうべきオカルティズムの登場とそのなし崩し的変容、そしてけんもほホロロに、“ もっとページを!”の一声の直後の断絶。 ひょっとして、珍妙な幕切れの帰趨的脈絡にも係わっているやも知れぬオカルティズム的事件それ自体の出自を確かめるべく、その事件=怪奇譚のプロトタイプと目されている少なくとも二つの前駆的作品を読む運びとなった次第。

 

 

 オカルティズム、つまり黒石の得意範疇たる怪奇物なのだが、その先行する前駆=プロトタイプが二作もあるって、まあ、黒石に限らず、作家あるいは他のジャンルの創作家には普通にあること。只、一言一句も変わらずってのは以前にあったし、若干の手直しだけの焼き直しってのも少なくはない黒石。
 有名作家に頻(よ)くある手抜きだけど、多忙故なのか、あぁ~いいアイデアが浮かばん!的な切羽詰まった不能状態故なのか、それが常態化したスランプなのか。
 初作の《 切られた小指 》( 大正14年 )は12頁、後作《 葵花紅娘記 》( 昭和2年 )は30頁近く。
《 葵花紅娘記 》の方が枚数が多い分、しっかり描かれていて、怪奇物としては悪くはない。何よりも、《 大泉黒石全集 第六巻 》に含まれているので、黒石とは縁が古いらしい実業之日本社が出していた月刊《 東京 》大正14年5月号に掲載された《 切られた小指 》の方を中心に紹介してみたい。

 

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 心霊奇談 《 切られた小指 》 ーさるこまとすー

 

 

 〈 日露戦争 〉終戦直後、ある秋の暮、戦時中旅順に軍医部長として赴任していた本間博士から、その弟子たる医学士かつ日本心霊学会員=私、三枝(さえぐさ)哲三宛てに一通の手紙が舞い込んだ。

 

 

 「 是非、君に聴いて貰わねばならぬ話があるから、明日夕刻、僕の家まで御足労下さるまいか ? 」
 

 

 突如の来訪を乞う手紙の一節から物語は始まる。
 早速、横浜西戸部町の自宅から、東京・千駄ヶ谷の森の奥の古色蒼然とした本間邸に赴く。
 老先生(本間博士)が支那から連れてきたという支那服を身に纏った美麗な娘に案内され、やがて老先生夫妻と同じテーブルに就いくことになったものの、二人とも陽気な表情の奥に恐怖めいた昏い影が覗けていて、抜き差しならぬ難題の伏在を予感させた。

 

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 つい先日、他の心霊学会員と三人で、横浜の支那寺に出没するといわれるお化けの正体を見届けに行ったばかり。同じ老先生の弟子、横浜の病院に勤める浮田医学士から、私=三枝医学士のそんな心霊学=オカルティズム的研究の話をあれこれ聞かされた老先生、とうとう本来は屈強な体躯に眼光鋭いはずが、瞳の奥に黒々と凝結したような恐怖の念の由来を明かし始めた。
 幽霊・・・と老先生は呟いた。
 

 

 「 この地上にもしもそんな不思議なものがあって君のまえに現れたって胆を潰す心配はなかろうね ? 」

 

 「 あはゝゝ。どんなに怖いお化けか知りませんが、まさかそんなことはありますまい。寧ろ私を面白がらせるかも知れません。」と私は微笑を浮かべた。

 

 

 食堂を出て廊下を下りた突き当りにある研究室。
 片側に病理解剖上の標本(スぺシメン)を並べた長い棚がある。
 すべて奇異なる支那人・満州人の病肉の塊だ。
 片隅の寝台に横になる。
 窓から差し込む三日月の明かりが壁に窓枠のシルエットをつくり、庭の樹木の落ち葉が絶間なく窓ガラスに当たっては滑り落ちてゆく、その微かな音の連なりに誘われるように微睡んでしまった。
 ふと、何かの物音に目覚ると。

 

 

 「 スリッパを引きづるようにサラサラと響く穏やかな音!私の眼前には、扉の方から、いとも忍びやかに近づいて来る人間の姿があるのだ。やがて月の流れを横ぎった。女だ!灰色の支那服を纏える美しい纏足の女だ!劉海(りゅうかい)に結んだ髪の色も溶けて滴るように房々と輪郭のくっきりした嫻(あで)やかな横顔!彼女の眼は真正面(まとも)に棚の硝子壜へ注がれていたが、やがていかにも注意ぶかく壜の一つ一つを覗きまわり、私の寝台と向き合っている棚の端まで辷り来るや否や、ピクリと足を止めて此方(こっち)をむいた、かと思うと、非常な失望の身ぶりで、だらりと首を垂れ、両手で顔を蔽って、扉の方へ二三歩よろめいた。瞬間に彼女の姿はポッと消えた。」

 

 

 娘の死霊はこの家の支那女と顔立ちが似てたが、支那女の右手にはあった薬指が死霊には無かった。部屋の中をくまなく捜したけれど、杳として死霊の出入りした痕跡は発見されなかった。現(うつつ)か幻か ? 女の出現には自然界の常軌外に存在する何者かがあるんではないか ?
 その幽霊体験を老先生に告げると、

 

 

 「 さあ。僕には不可解というより他に説明が出来ないんだ。日露戦争中。僕の旅順滞在から帰任の途上、汽車汽船の中でも、此の邸に戻ってからも、一と晩だって、あの女の姿に、悩まされない日はないのだ。僕の神経が変になるのも無理はないぢゃないかね。あの女の仕草はいつもお決まりのように、僕の寝床のそばに現れて荒々しく肩を掴んで揺り起こし、研究室へ入って棚の壜を覗いて了うとポッと消えるのだ 」

 

 

 「 何をするんでしょう ?」

 

 「 薬指が欲しいのさ。自分の薬指を探しているんだよ。」

 

 

 「僕が旅順野戦病院本部にいる時分のこと、ある日、病院に出入りする陳萬全という、あの街の豪商の娘の、右の手の薬指におできが出来て甚だしく痛むというから、其の娘を呼び寄せて診てやると、兎の頭のような形の、世にも類のない関節肉腫( ジョインド・サルコマトス )の一種なんだ。打ち棄てて置けば他の指まで腐る恐れがあるから、是非截り取るように言ったが、右の手をーー殊に指を大切にするあの土地で、而も嫁入りまえの金持ちの娘にとって、指一本でも持って行かれるのは苦痛に違いない。娘(は)手術を恐れて泣き出したが、到頭僕に説き伏せられて、渋々と承知した。と思いたまえ。訳なく手術はすんだ。」

 

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 お礼の代わりに、手術で切りとった薬指を、病理学の研究材料に欲しいと告げると、美麗な娘・梨喬嬢、声を上げて泣き出した。困惑して本間博士、何が悲しくて泣くのか尋ねてみると、こう答えた。

 

 

 「 人が死ぬと、何年か立って、霊魂はまた元の死体に還って来る。その霊魂の器である死体に少しでも不足の個所があれば、霊魂は死体に入ることが出来ず、永遠に宙に迷わねばならないのだから、妾(わたし)の死後のことを考えると、この薬指は手放すわけには行きません。」

 

 

 只、その指を娘は塩漬けにして保存するというので、ならばアルコール防腐の説明をし、むしろ本間博士の手許へ預けた方が安心なのを言い聞かし、棚の蒐集標本の一つとして加わることとなった。ところが、敵弾を受け、被災し、蒐集標本の大半を、その梨喬嬢の薬指ともども失ってしまった。
 やがて終戦となり、戦禍で親兄弟を失った病院の水汲女を哀れに思い、一緒に連れて帰国するも、その途上から、件の娘の死霊の幻が夜な夜な現れることとなった。私はその時、ふと、隠秘学(オカルティズム)の書物の中の一節を思い出した。

 

 

 「 或る一つの強力なる人間の観念(おもい)はその人間の霊魂(たましい)をして、肉体滅亡の後にも猶この地上に執着せしめ得るものだ( 。) その場合、その人の霊魂は水から陸へ上り、また陸から水へ入ることの出来る亀や蛇や蛙のように、この世とあの世との両棲物(アンフィビア)だ。
 霊魂を、すでに肉体が棄て去った此の世に迷わせる原因は、非常に烈しい感情(おもい)ーー強欲――復讐――憂慮(しんぱい)――憐憫(あわれみ)――恋情ーーなどで、一般にこの感情が充たされない場合に起る現象であって、この感情が叶った刹那に、この現象は消え去る。即ちその物質的負債は返還されるのだ。」

 

 

 閃くものがあり、私は老先生に一時の暇を貰い、そそくさと、友人であり、同じ本間博士の門下生=浮田医学士の働く横浜の外人居留地と支那人街の間の河岸に佇む山下町病院に赴き、二日前手術で切りとったばかりの似た肉腫の指を貰い受け、世田谷の本間邸に戻った。老先生には何も告げずにおいた。
 そして夜半。

 

 

 「 ・・・おゝ(!)私は前夜よりもハッキリと彼女の姿を見きわめることが出来たのだ。女の影は扉の方から不意に現われ、しばしは只朦朧として煙のように立ち迷っていたが、やがて、是や是、さながら生けるものゝような画然(くっきり)とした輪郭をととのえて、静かに棚のまえに歩み寄り、壜の一つ一つを覗きながら、最後に私が据えつけた一つに行き当たると、彼女は長い間尋ねていた恋しいものに出会ったような欣(よろこ)びに充ちた眼を輝かせ、両手をのべて其壜を抱えると見るまに床へ叩きつけた。
 硝子の砕ける音は森の家の夜の寂寞を破った部屋一ぱいに響き渡った。」

 

 

 少し間をおいて研究室に駆け込んできた本間博士は、床に散らばった壜の破片に気付き、やがて身震いせんばかりに気色も顕わに叫び出した。

 

 「 おゝ!三枝君!君は実に巧くやってくれた。・・・・・・一二分まえーー多分このアルコール壜が打ち砕かれた次の瞬間であろうーーいつものように女の影が僕の枕辺にやって来た。あゝ。あゝ。また今夜も悩まされるのかと思って、女の顔をそっとすかして見るとだ、いつもいつも怖ろしく呪わしげな怒りと憎悪の眼をむいているその青白い顔には何と!何と!嬉しげな満足の笑いが浮かんでいるではないか ? 女の麗しい白い歯が、月の光にギラリと閃めいていたのだ。彼女は僕に向かって立派に聞きとれるような声で、『今夜かぎり、あなたとは永久にお目にかゝりません。』と呟きながら、両手を頭上へあげて、三たびお辞儀をしたかと思うと、そのまゝ消え失せた。」

 

 

 「 もう安心だ。女の幻はその君の肉腫(サルコマトス)の指を、ほんとうに自分のものだと信じて持ち去ったのだ。僕は見たよ。女が両手を頭へかざすときに、右の手の指はチャンと五本とも揃ってあったことをな!」

 

 

 常時(いつも)は必ず本間博士の寝台前に現れ博士の肩をゆさぶるはずが、この夜に限って直に壜の並べられた研究室に現れたってのは、些か御都合主義的に過ぎよう。それでも、執着的死霊故に、研究室の棚に以前とは相違したひしひしと惹き付ける何かが、死霊・梨喬を矢も楯もたまらず、いつもの行動パターンを破り端折らせたという解釈も成り立たない訳じやない。
 けど、如何せん、同じ中国系とはいえ他人の指。
 ちょっと牽強付会が過ぎてしまう。
 それでも、余りの執着・希求性故に、死霊であっても、つい血迷い他人の薬指をすら自らの薬指と認めてしまった。どころか、自身の肉体として完成してしまった。
 要は、死霊自身の抱懐したその観念性=“ きもち ”なのだから、話はここに落ちてしまうのだろう。

 

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 《 黄夫人の手 》(大正9年)で、黄夫人が刑死し湘潭の役人に斬り落とされた右手首同様、自身の失われた右薬指とその保管者であった老博士を追いかけ、東シナ海を渡ってまで執拗につき纏う娘の死霊。 
 黄夫人の手首は、最後には怨敵・黄隆泰を死に至らしめる禍々しい怨魂の類だったけど、この娘・梨喬の死霊は、ひたすら自身の失われた薬指の奪回の為の老博士追跡と探索という直向きさがあるばかり。
 この李喬の場合、霊=霊魂って、死んだ瞬間、つまりその彼女( ひいては、人間一般 )が最後に有していた能力・観念、とりわけ思念によって規定され、死んで霊魂だけになったからって、人間世界・娑婆の真相を俯瞰・把握できてしまうってことじゃないようで、死ぬ直前の観念群・思念のまま。勿論、思い込みなんぞもそのまま抱いての妄執的・死霊的活動ってことのようだ。まだ三途の川は渡ってないのだから、正に“ 迷い ”なんだろう。
 

 

 この物語で些か気になったのが、戦地旅順から連れて帰ってきた、家族を戦禍で失った天涯孤独な美形の中国娘。
 二作目バージョンの《 葵花紅娘記 》じゃ、中国・青島から同じく戦禍で身寄りもなくなった美貌の水汲女・金秀玉を連れて帰り、侍女として同居していて、実は、老教授・山北一次郎を夜毎驚かす女幽霊の正体でもあったという重要な位置にあったのに比べ、旅順の方の娘は名前すら明記されてなく、余り重視されていなかったようにも窺える。
 だったら、何故に、敢えてこの怪奇譚に登場させたろう?
 あくまで中国的情緒の一つとして、ともかく中国的符丁を網羅し、性(情)愛じゃなく成仏完成を目した《 牡丹燈記 》=《 牡丹灯籠 》的なシノワズリ( 中国趣味 )世界を提示してみたかったのか。二人の美麗な中国娘と係わる要の老博士は、優男とは真逆のむしろ容貌魁偉、およそ情愛譚とは無縁。
 ひょっとして、そもそもこの旅順の娘こそ、二作目・金秀玉のになったポジションに据えるべく登場させたって一縷の可能性も考えられないではない。何らかの経緯で、それが無化されてしまった。

 

 紙幅の都合だろうか。
 あるいは、戦禍的悲惨をひきずるって一点で、あえて刻印しておきたかったのか。

 

 二作目・金秀玉の重要な設定と懸隔があり過ぎ、ついあれこれ疑念してしまう。 金秀玉が美麗な中国娘なのに引き換え、青島で博士に小指の骨肉腫を受けた美形の細面の娘だったものの片目が義眼( 戦前的ーー戦後も暫くーーな身体的病的特異性→怪異性という卑近・短絡的な典型的差別的符丁。総じて、怪奇小説作家の常套。)、戦後、博士の別荘のある長崎・隠岐の島に東シナ海を漂い流れ着いた時には、朽ちた棺桶の中で腐乱し崩れ落ちた態、その屍霊・クウ( 女偏に句 )との対比が怪異性効果を生み、それが最後に一転、実はモルヒネ中毒者となっていた金秀玉の、研究室に保管してあるモルヒネを捜すためのクウに似せた変装だった。
 このモルヒネ、芥子( ケシ )から抽出される阿片を原料にしていて、国際的にも鎮痛剤として広く使用されている。いわゆる麻薬的効能故に、心的な沈痛にも援用されることもあって、戦場と化した旅順・青島で家族や知人が面前で亡くなっていった無惨=悲惨的トラウマから免れようとして、徐々に蝕まれていったのは想像に難くない。 
 
 戦争=惨禍=モルヒネ=阿片 

 

 この端的に反戦的符丁( 象徴 )がこそ、中国侵略戦線と鬼畜=米英との太平洋戦争開戦、とりわけ世界を浸潤し帝国主義侵略支配を何世紀にも恣にしてきた大英帝国を俎上にした物語の基軸に据えられた。
 アジアを阿片によって破壊・盗奪し肥大化してきた大英帝国とは、正に阿片帝国でもあった。
 初篇の《 切られた小指 》はもっぱら怪異譚に終始し、二作目バージョンの《 葵花紅娘記 》こそが、《 白鬼来 阿片戦争はかく戦われた 》に通底すべく援用された由縁だろう。
 因みに、《 葵花紅娘記 》で小指を博士に切除された娘クイ、死して棺桶に納められ長崎・隠岐の島に漂着しそこの海辺に埋葬されたのだけど、物語じゃ彼女の出番はそこまでで、後は金秀玉が彼女の屍骸を真似てモルヒネを捜すための狂言行。
 でも、実は、埋葬されたクイの屍霊が、金秀玉に憑依し、博士の研究室を物色させたのだった、って解釈も成り立ちえよう。  

 

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 中国人の人体的畸形あるいは臓腑をずらり陳列した棚。
 「すべて奇異なる支那人・満州人の病肉の塊だ」とある。
 石井部隊はあくまで戦前昭和の象徴であって、この《 切られた小指 》の大正14年じゃ早すぎるだろう。
 けれど、表層的には医療行為として除去した人体臓腑であるのだが、日露の中国( 朝鮮 )への帝国主義支配の象徴的イメージ喚起という側面は、牽強付会のレッテルをスルリと透過して、否応なく、意識の上にわだかまる。
 戦禍によって引き千切られ、吹き飛ばされた中国人達の、積み上げられた四肢、あるいは勝者( 侵略者 )たちの戦利品として。

 

 

 タイトルの小指、物語の中じゃ薬指、確かに美麗な深窓の娘の小さな手指ってニュアンスに拘わっての敢えての小指はあり得よう。
 だったら普通に肉腫を患った指を最初っから小指に設定すればいいと思うのだが、黒石、何としても薬指に肉腫を患わせた。その後、別バージョンとしての《 葵花紅娘記 》じゃ、最初から、普通に、小指の肉腫と設定しているから、余計、一帯どんな経緯があったのか興味のあるところだけど、もはや知る術もない。
 まさか、黒石の創作円滑剤としてのアルコール、代用アドレナリンの酒精の過剰で、失念的齟齬を来たした産物って訳じゃあるまい。

 

 

 挿絵の山口將吉郎、大正・昭和に活躍し、吉川英治と名コンビで、《 神州天馬侠 》等の挿絵等で高名。それにしても、この黒石作品での三点の挿絵、例えばほぼ同じ頃の大正14年雑誌《 少年倶楽部 》連載の時代物《 海賊奇譚 龍神丸 》(著・高垣眸)の美麗な挿絵とは、随分と趣きが異なる筆致で、むしろカット画と呼ぶべきか。
 因みに、この《 東京 》五月号じゃ、山口と同様戦前・戦後一世を風靡した高畠華宵も挿絵を担当していて、松村梢風「美しき漂泊者」、青木純二「女賊生首お辰」や、まだ他にもかなり描いていて、売れっ子ぶりが分かる。生首お辰って、当時巷を騒がした悪女らしく、“ 松平子爵令嬢と偽称して全国を荒した刺青の女賊 生首お辰 ”なるキャッチ・コピーまでついている。

 

 

 当時のアクチャルな記事も掲載されていて、まだ満州国皇帝の椅子に就く前のラストエンペラーこと宣統帝・愛新覚羅 溥儀に関する記事も。

 

《 近くわが日本に亡命の噂高き 宣統廃帝哀話 》
「 醇親王邸に避難した宣統廃帝は、野人横行の北京に於てはなおその身が危険であったので、十一月廿九日の夕方、変装してそこを抜け出し、日本公使館の吉沢公使へ身を寄せた。」

 

 

 
 大泉黒石《 切られた小指 》月刊《 東京 》大正14年5月号(実業之日本社)
 

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2024年7月27日 (土)

7月の弾丸 JULY BULLET

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 総理・安倍晋三が山上青年に手製・水平二連銃で射殺されてから、はやもう二年にもなる。
 つい昨年のように思えていたのが、同じ七月、今度は米国で、前大統領トランプが文字通りの青年トーマス・M・クルックスに米国の象徴の様なAR15アサルト・ライフルで狙撃され、間一髪、右耳の上部を負傷する事件が起った。
 彼が狙撃場所に選んだ屋根周辺に、既に、官憲の手が伸びつつあるのが如実となって、もはや後戻りできない焦燥と大統領候補殺害という緊張で、手慣れている者なら意外と容易らしい百数十メートル距離の伏射にもかかわらず、些か手元が狂ったようだ。

 

 
 安倍晋三狙撃事件の時と相違して、連射( 八発という。)し外れた弾丸が後方にいた支持者達に当たり、死傷者まで出てしまった。山上青年の水平二連銃の散弾が、安倍以外に被弾した者が居なかったという状況が、どうにも小首を傾げざるを得ない由縁。水平二連銃の銃口を、敢えて安倍の頭部に向けたとしか考えられない。確実性( =胴体 )よりも、他に類を及ぼさないためのなけなしの操作 ?。
 やっぱし、今度のトーマス青年の如く、ゆらぐ意識の只中の限界値での発砲・・・そんな常人的な心理的圧迫に絡め捕られてしまったのか。

 

 

 トーマス青年、事件前、鬱病 ( 他にも、バイデンやケネディー暗殺事件等も ) を検索していたという。意図的な攪乱工作としてわざとらしく痕跡を残していたって可能性を別にすれば、鬱病に関心があった可能性は考えられるけれど、ちょっと鬱病を検索したからって、それで彼が自らに鬱病的兆候や症状を覚えていたってことにはならない。単純に何らかの経緯で関心を持ったに過ぎないって、普通に誰にでもあるからだ。当局が、世間体・体裁を取り繕うとして、あるいは意図的に、格好のフレーズを発見し、それで事件の政治的背景を有耶無耶にし、もっともらしい鬱病的帰結として終止符を打とうとしたのだろうか。尤も、今日の時点で、FBIは、トランプの耳を負傷させたのが、弾丸や破片によるものか未だ断定はしてないらしく、トランプに尋問を求めているという。とっくに尋問等済ませての狙撃事件報道と思っていたら・・・。

 

 

 

 そういえば、マーティン・スコセッジの《 タクシー・ドライバー 》( 1976年 )でも、ロバート・デ・ニーロ扮するベトナム帰還兵トラビスが、やっぱしPTSD・鬱病的症状に悩まされた挙句の大統領候補暗殺未遂、そして直後の憑かれたような汚職警官もからんだ売春窟一味への銃撃=掃討行動という戦場的再現行動だった。

 

 

 以前このブログでも述べたけど、当方的には、あれはトラビスが彼のタクシーの客として乗り込んできた大統領候補に、ニューヨークの掃き溜め=売春窟・組織一掃を訴えた当のものでもあったし、むしろトラビスは.45マグナムを懐に、大統領候補の私設シークレット・サービスになり切ろうとして演説会場に現れ、その風体と挙動の怪しさで暗殺犯として誤解され、脱兎のごとく逃げ出したに過ぎない。尤も、興奮と緊張の綯交ぜになった微妙な心的状態的ゆらぎの、とある刹那、守るはずの大統領候補だったのが、絶対兵器.45マグナム8インチ銃身の威力的発露として狙撃対象としてフト衝動的に浮かび上がってきたとしてもおかしくはない。
 弾かれたように動転力学そのまま、当初からの予定通りの少女娼婦アイリス ( ジョディ・フォスター) 救出のため、正にPTSD的再現行動として、ハーベイ・カイテル扮するポン引きを手始めに売春窟掃討になだれ込むことになった。

 

 

 後年、 ジョディ・フォスター扮する少女娼婦アイリスに魅せられ焦がれた青年・ジョン・ヒンクリーが、トラビスの軌跡をトレースするように、現職大統領レーガンを狙撃することとなる。
 トラビスが装備したメジャー・ファクトリー製とは真逆の、マイナー・ファクトリー製の、回転式拳銃・ロームRG-14の22口径弾6発全弾を発射し、レーガンに重傷を負わせ、シークレット・サービスをも負傷させ、その場で逮捕された。
 因みに、ヒンクリーは、精神状態に問題があるとして無罪となり、精神病棟に収容。その後、完全釈放され、現在、ネットで自らの曲を披露したりして、それなりのフォロワーもついているようだ。
 トーマス青年は屋根の上で、遠方から警護のスナイパーに射殺されてしまったが。

 

2024年1月27日 (土)

犬肉食禁止という欧米先進国という名の帝国主義列強とそのサーバント達の新・差別主義

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 今年に入って、隣国・韓国で、“ 犬肉の処理・販売・食用を目的とした犬の繁殖禁止 ”する法案が可決されたという。尹錫悦( ユン・ソンニョル )大統領夫妻が動物好きってこともあるらしい。
 当方的には、動物好きってことが、何故に犬肉食禁止となるのかさっぱり理解できない。当方も動物嫌いじゃないが、現実にそんな色んな種類の動物と係ったり出遭ったりする事もなく、飼うこともない。

 

 

 昔は猟犬・番犬として大・中型犬が多かったものの、次第に愛玩( ペット )犬として小型化しはじめ、昨今じゃ核家族化や少子化・高齢化によって家族の一員としてすらのポジションすら勝ち得て、場所と手間のかからないいわゆる御座敷犬の類が大半を占めるようになってきた。
 チワワやポメラニアンなんか見てるとゾッとしてしまう。
 人間のエゴで如何様にもそのサイズまでが設計され生産されているって先入観が、憐みと異様さを覚えさせてしまうからだ。
 
 
 動物好きにとって、犬肉食が我慢ならない忌むべき行為であり、強権を行使してでも、多年犬肉食を嗜んできた、あるいはもっと深く伝統食としてきた人々の嗜好を阻止し禁ずるというのは、最低限、その動物好き連中が菜食主義者でないと成り立ち得まい。
 牛・豚・鶏等の畜産動物はそれこそ日毎ホロコースト以上に大量殺戮され解体され人間たちの舌鼓の糧となり胃袋を満たし続けているのだが、どころか彼等動物愛護を叫ぶ元々の勢力の大半はキリスト教国の住民たちであり、彼等はそこに七面鳥 ( 七面鳥喰いの風習は米国発祥から欧州へ逆輸入されたもので比較的最近の定番化らしい )すら加えることを忘れないようだ。それ以外の、宗主国=米英等のアングロ同盟の周辺の衛星国諸国じゃまずそんな鳥を食べたり飼ったりもすることもなかったのだが、どうもそれは宗主国の意向ってことで、異を唱えることもなく許されているようだ。
 

 

 しかし、同じこの世に動物として生を受けて現れ出たにもかかわらず、お犬さまやお猫さまに対して不埒は許さんと絶対禁忌の高札を高々と掲げ、それ以外の牛・豚・鶏・七面鳥・アヒル等は大量殺戮当り前ってのは、普通に考えて何とも〈 異様 〉な所作で、つまるところ、手前勝手な人間たちのエゴと差別主義的本性から出たものと云わざるを得まい。

 

 

 動物愛護団体であろうが、市井の動物好きであろうが、飼主たちの飼っている動物に対する残酷な仕打ち等を批判し告発するのはともかく、彼等の常食する畜肉動物以外の動物の肉を昔から伝統的に食べ続けてきた人々の慣習あるいは嗜好を、彼等が常食しない故に、蔑み非難し、あげく阻止までするってのは、欧州のキリスト教徒たちが、アメリカ大陸やアフリカ・アジアに侵略する際、その地の住民たちにキリストの栄光と慈愛を浴させてやるんだと、可能な限りの詐術と破壊・殺戮そして略奪・搾取をほとんど “ なりわい ” の如くやらかしたのと同じ発想と感性。
 そして何処の衛星国でも、白人旦那に貰った勲章を宝物の如く頂きすっかり誇らしげな風に舞い上がり成り上がったサーバント( 傀儡 )たちって居るもので、少しでも白人旦那たちに近づこうと、白人旦那達が忌み嫌い侮蔑・憎悪するところを、自発的に見よう見まねに指弾し叩き潰したりする。
 気分はすっかり白人旦那気分。
 救いようのない蛮人を見下すように蔑みと憐みの一瞥を忘れることもなく。
 

 因みに、七面鳥って、米国の初期入植者たちが飢餓に陥った際に先住アメリカ・インディアンたちに七面鳥をプレゼントされたのを記念しての七面鳥だという。
 いかにも美談めかしたエピソードだけど、その後の初期入植者たちや後続の入植者たち=米国人の先住アメリカ・インディアンたちに対する、つい最近までの底なしの虐殺・弾圧・追放・搾取・詐瞞等のどうにも誤魔化しようのない明々白々な悪虐非道を糊塗し無かったことにしようという欧州諸国入植者=キリスト教徒たちの虚偽に満ち満ちた意志以外の何ものでもない代物。
 つまり、入植者たちの侵略と略奪、弾圧差別の象徴なのだ。

 

2024年1月10日 (水)

渡れぬ海峡の崖っぷちのつれづれ

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 海外に出なくなってもう久しく、パスポートもとっくに期限切れ。
 かつて藤原新也が何かでパスパートの更新をするのを忘れ、切れてしまったとその迂闊を失笑してたことがあった丁度その時、当方も自らの更新の失念を自嘲していて、渡航の予定は皆無だったもののスワッ入用となった場合もありえようかとあらためて取り直すつもりいたはずが・・・。

 

 

 当時旅先で知遇をえた幾人か、当時出遭うパッカーの三人に一人が藤原新也か沢木耕太郎を自ら決め込んでたものだが ──とりわけ一眼レフを手にした第二、第三の新也に成りおおせようとの野望をこれ見よがしな青年達が多かった── 、その中の何人かは既に本物のプロの写真家で、彼等はその後も海外に赴き続けているようだった。普通のパッカーだった者達はといえば、帰国後、なかなかに時間と金の問題で渡航には踏み切れず、もっぱら国内の旅で溜飲を下げるぐらい。

 

 
 当方なんて、やっと大泉黒石がらみで長崎がいいとこ。
 黒石の頃ですらもはや横浜や門司港にお株を奪われ凋落の一途と、作中で嘆いていたくらいに、観光の看板はずすともはや単なる地方の小港湾都市にすぎなくなってしまった観のある長崎。百メートルあるかないかの中華街を尻目に、黒石の作品のあれこれの背景舞台を念頭にその痕跡と残り香を求めての遊行のはずが、即物的に短時間というリミッター故にそれもままならず、昨今のトロピカル暑熱に晒されながらのそそくさ行。
 近世以来のコスモポリタン港湾都市故に、ポルトガル・オランダ・中国・ロシア等の遺跡や残り香が、原爆によって焼き払われた残滓から辛うじて覗えるばかりであっても、切支丹以来の歴史の重みが、そこはかとなくリアリティーをもって漂って来る。

 

 

 かつて当方がパッカー旅をしていた頃、戦後途絶えていたのだろう長崎~上海の海上航路が再開し、カジノ付き客船が稼働したことがあった。カジノってのが余りに俗的で、そんな客ばかり乗ってくるのかと些かうんざりしながらも一度は乗ってみようと、旅の帰途、上海の関係オフィスを訪れてみたら、運休中とあって愕然としてしまった。それから大部年月が過って、今度はハウステンボスが運営することとなって再開したらしいが、やっぱし短期間で運休になったという。戦前はともかく、戦後の長崎じゃ、もはやカジノ付きであっても集客は見込めなくなってしまったのだろう。
 もはや定期海外航路のなくなってしまった長崎港は、もっぱら大型クルーズ客船の寄港地となっていて、今年正月に上海を出航した初の中国国産大型客船の鳴り物入りの《 アドラ・マジックシティー 》( 愛達・魔都号 135,000トン )が四日に入港した。翌日には博多港到着らしい。
 それでも日程表見ると頻繁に長崎には寄るらしい。あんな大型でその都度の集客が見込まれるのだろうか、と他人事ながら疑問に思ってしまう。以前、長崎港で見た、マレーシア国籍の大型客船《 Virgo 處女星號 》も結構大きかったが、13階建の75,000トン。魔都号の半分ぐらいに過ぎない。

 

 

 かつて戦前遙か、その長崎のお株を奪ったはずの門司港はといえば、もう凋落の一途。単純に港湾としてならまだそこそこらしいが、“ 繁栄 ”の金看板はとっくに朽ち果て、ひたすら高齢化と少子化ですっかり全国標準過疎タウンの銀看板がひっそりと佇むばかり。第三セクター的観光の喧しさと不可融に、シュールなまでにおどろおどろしくゆらめいている。

 

2023年10月14日 (土)

変性意識的遡行譚『 アルタード・ステーツ 』

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 科学とドラッグと精神世界、いわゆるヒッピー・カルチャーの権化みたいな映画で、かれこれ四十年以上も前の作品にもかかわらず、面白く観せて貰った。
 神経生理学者ジョン・C・リリーがモデルという。
 ビートニック・ヒッピー世代の代表的詩人アレン・ギンズバークや天文学者のカール・セーガンと親交があったらしく、彼等もリリー博士の硫酸マグネシウムに満たされたアイソレーション・タンクをそれぞれの企図の下で時々利用していたらしい。このアイソレーション・タンク、現在も世界で使用されていて、日本にもあちこちに点在しているという。

 

 

 生理学者ジェサップ( ウィリアム・ハート)は、記憶から意識の原点への遡行を企図して、学生達の人体実験だけじゃ飽き足らず、自らが臨床実験に挑み続けた。

 

 

  僕たちの細胞の分子は60億年の記憶を秘めている
  記憶こそがエネルギーだ
  そこから意識の原点に遡れる

 

 

 行き詰まりから、鮮烈な幻覚症状を生じさせる”先祖の花”と呼ばれるメキシコの先住民族の茸を煎じた秘薬を持ち帰り、実験に使用する。いわゆるマジック・マッシュルームの類だろう。メキシコだと、サボテン系のペヨーテが有名だが。
 実際には、ヒッピー・ムーブメントの華LSDなんかも常用してたらしい。正にサイケデリック・エキスペリメント。
 メキシコの先住民集落で茸スープを一口飲んでの、サイケな極彩色の幻覚で、大蛇が何度か現れたけど、我国のシビレタケの幻覚にも蛇が現れるらしく、この下意識的潜在意識的な共通シンボルは中々に興味深い。

 

 

 映画じゃ、ジェサップ博士が、とうとう人類進化の分岐点を越えて遡行し、類人猿に変容してしまう。そして更にその向うの果てまで・・・
 グルジェフの影響も云われているリリー博士の、正に真闇の只中で己が始源への探求譚でもあろう。
 因みに、当方の記憶違いでなけりゃ、オリジナルはエンディングにチベット音楽が流れていたはず。今回観たビデオにゃ、すっかりカットされている。気に入っていた楽曲で、ダラムサラの僧堂で、実際に演奏を聴いたことがあり、イタリア人カップルと一緒に、チベット僧の淹れてくれたバター茶の中休みを入れての長時間演奏の鑑賞は素晴らしいものだっただけに、残念。それ以上に残念なのは、その曲名が定かでないことだ。

 

 

監督:ケン・ラッセル
 エドワード・ジェサッブ博士 ウィリアム・ハート
 マーガレット・ジェスプ博士 ドリュー・バリモア
 アーサー博士        ボブ・バラバン

 

 1979年制作配給ワーナー・ブラザース

 

 

2023年7月 9日 (日)

夢を喰らう貘 大正( 時代 )的多情炎環

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 大正・昭和に、草創期の浅草オペラや映画界で活躍した貘( バク )与太平の評伝《 夢を喰らうキネマの怪人・古海卓二 》( 筑摩書房 )を読んでると、昨今巷で喧しい女優・広末 涼子の三角関係=不倫事件等を見るにつけ、つくづく人間の性( さが )・業ってものに思いが至ってしまう。
 貘与太平=古海卓二の最初の妻・紅沢葉子は、アメリカ帰りで浅草オペラの偶像ともいうべきトップ・ダンサー高木徳子の最後の弟子であり、やがて卓二が浅草オペラを見切って、映画界に進むと、彼女も映画女優の路に就いた。
 ところが、当時、二人が所属した大活( 大正活劇 )で一緒に映画作りをした作家・谷崎潤一郎の悪しき転輪王とも呼ぶべき所業の渦に巻き込まれ、二人も紅蓮の炎に己が身を焼き焦がし続ける惨憺劇に。

 


 以前から気になっていた《 夢を喰らうキネマの怪人・古海卓二 》、大正・昭和の、浅草オペラ・映画のいづれも門外漢にもかかわらず草創期から参入し頭角を現すようになった紆余曲折、絵に描いたようにルパシカをまとったアナーキーな、ある種、時代の寵児の軌跡。
 彼の最初の妻であり、浅草オペラ→映画の女優だった紅沢葉子が、後年になって認めた日記を手がかりに、その孫にあたる著者・三山喬が卓二の実像に迫るのだが、古海( ふるみ )卓二のあまりの破天荒さに、思わず舌を巻いてしまった。
 

 

 尺八一管の流浪のダダイスト・辻潤や小生( こいけ )夢坊、貘与太平( =古海卓二 )、佐藤惣之助等が参加した浅草オペラの文士劇。
 常盤歌劇団の観音劇場公演。
 ことの起こりといえば、当時流行っていた浅草伝法院裏にあった《 カフェ・パウリスタ 》、そこの二番テーブルに、社会主義者や自由主義者、徳永政太郎、小生夢坊、ピアニストの沢田柳吉、浅草オペラの伊庭孝や俳優達、ダダイストの辻潤、作家達が三々五々集っていたのが、やがて文士劇へと結実していった。
 公演が始まると、大正デモクラシーの華あるいは象徴の如く、当時の谷崎潤一郎をはじめとする有名作家・詩人、大杉栄などの社会主義者達までもがその楽屋に詰めかけたという。
 因みに、観音劇場は、他の有名な浅草オペラの常盤座や金龍館と同じ経営母体=根岸興行部に、当時の売れっ子喜劇役者・曽我廼家五九郎が経営を任されていて、五九郎といえば、大泉黒石が脚本を書いていたらしい関係でもある。只、その浅草オペラも栄華を極めたのは幾年ほどで、常盤歌劇団に至ってはたった二ヵ月の短命。

 

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 常連だった谷崎潤一郎も浅草オペラを「 多少の退廃的要素と異国情緒との加味した小学校運動場的気分 」と評したように、明治維新以降半世紀近く続いた富国強兵的、国権主義的全体主義の果ての大逆事件、その後の時代閉塞的な“ 冬の時代 ”もようやく終りを告げ、大正デモクラシーの名の下に一斉に解放されたような浮揚感、その象徴としての女性的エロティシズムの発露→歌有り踊りありの大衆文化的歌劇って事らしい。
 そもそもアメリカ帰りのショーダンサー・高木徳子のダンスにその起源があって、扱われる歌曲も、本格的なクラシック系のオペラと異なる庶民的なポピュラー曲という、まだまだ揺籃期的産物。
 そんな総てが真新しいものばかりだった草創期だったからこそ、殆んど門外漢だった古海卓二も、貘与太平の名でみるみるうちに頭角を表すことが出来たのだろう。代表的な歌手の藤原義江すら、当初は楽譜すら読めなかったというのだから。
 文士劇とは別に、辻潤も自作劇《 虚無 》を自らも演じたが、当時の卓二の真面目が、コミック・オペラ《 トスキナ 》。作・古海卓二、作曲・竹内平吉の風刺劇だったようだ。

 

 

 伊庭孝等が中心に田谷力三・藤原義江・天野喜久代等で結成した「新星歌舞劇団」( 松竹系 )に在籍していた紅沢葉子が、巡業生活でのメンバー間の自堕落な悦楽的産物としての父親の定かならぬ妊娠って事態に陥り、部外者だった卓二が、義侠心を発揮し、敢えて嫁として貰い受け、責任者の伊庭孝も一安心したという。
 紅沢葉子( 以降、葉子と呼ぶ )は、それまでの荒んだ生活から、将来に希望が持てたように思えたらしい。 

 

 

 その結婚最初の一年目に、映画女優に転身していたばかりの葉子が、それまでの映画とは一線を画さんとばかりの本格的な映画製作をモットーにした大活( 大正活映 )の谷崎潤一郎・脚本《 アマチュア倶楽部 》(大正9年=1920年)に出演することになったのはいいが、撮影中に、後の大正・昭和初期を代表するイケメン男優として一世を風靡した、まだ駆け出しの岡田時彦とできてしまった。
 葉子20歳、岡田18歳。
 谷崎の嗜虐的業炎の火中に、葉子がらみで卓二まで巻き込まれてしまったのだ。
 映画自体はスラップ・スティック的なドタバタ喜劇で、主演が、谷崎の寵愛する葉山三千子( 谷崎の妻の実妹 )で、しなやかな日本人離れした肢体の水着姿が人気を博したという。
 翌年、上田秋成の『雨月物語』を脚色した脚本・谷崎、監督・トーマス栗原のコンビで撮った《 蛇性の婬 》の主演を、今度は何と葉子が演じた。ところが、ロケ地でも誰憚ることなく、岡田は葉子の部屋に頻繁に通い続けた。
 因みに、大正十年当時、読売新聞の人気映画俳優投票・女優部門で、葉子は九位に入っていたという。浅草オペラの女優なんかに映画出演の話をもってゆくと、憤然として断られたという、まだまだいわゆる河原乞食的な扱いだった映画草創期という限定された状況の故もあったのだろう。以降は殆んど脇役専門。

 

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 ( 《 アマチュア倶楽部 》のロケ現場。左端の着物女性・紅沢葉子、一人置いた帽子の髭の男・トーマス栗原、右隣の白スーツが谷崎潤一郎、水着の葉山三千子、岡田時彦。)

 

 

 まだ14歳だった葉山三千子の小悪魔的な魅力の文字通りの虜になり、溺れてしまった谷崎、困惑し傷心する谷崎の妻・千代に、彼等と親しかった佐藤春夫がすっかり同情し、やがてそれが一線を越え恋情に発展し、それを知った谷崎は、渡りに船とばかり、佐藤に自分の妻・千代と一緒になるように勧めるという四角関係が当時、小田原事件として巷でも話題になっていたという。広末 涼子の不倫事件なんて可愛いもの。
 《 アマチュア倶楽部 》撮影の際も、スタッフや俳優達もその関係を知っていて、自分より四歳下の小娘・三千子の奔放な態度に、葉子は、不快の念を抱いていた。

 

 

 三千子と谷崎の関係は、相互的というより、もっぱら谷崎の一方的なもので、それ以上に三千子は性的に奔放なのか、岡田に惚れ、葉子と岡田を巡っての三角関係に発展するが、同時に、むしろ谷崎の唆かしというべきか、それ以外にも、作家・今東光やドイツ人ハーフの俳優・監督である江川宇礼雄とも関係をもったという。岡田の時なんて、三千子の方から積極的に岡田の部屋に忍んで行ったらしい。
 ところが、谷崎が、若い三千子に結婚を拒絶されたからなのか、妻・千代を佐藤に渡すのが惜しくなったのか、妻・千代との離婚を放棄して、三千子と岡田の結婚を画策し、岡田を養子として迎えるって算段に落ち着いたのが、一晩同衾した際に、三千子のあからさまな性的貪欲・淫蕩さ加減にすっかり嫌悪感を覚え、婚約を解消。
 谷崎は小悪魔・三千子が様々な男達と関係をもつのを、むしろ唆かし、恐らくその逐一を三千子本人からあれこれ赤裸々に聴き出していたのかも。
 数年後、谷崎邸の書生となった後の探偵小説家・和田六郎が、まだ佐藤の下に赴く前の谷崎の妻・千代と関係をもった際にも、谷崎は情事の詳細を逐一千代本人から聴き出していたというのだから、充分にあり得るし、ある種のコキュ達の固着的嗜好とも謂うべき自虐的な煩悶にうち震えていたのだろう。
 否、それ以上に、小説家としての貪欲な真実の探求と謂うべきか。当時新聞の連載小説《 蓼食ふ蟲 》として、リアルタイム的に活字化していったのだから。
 正に、多情炎環。
 それぞれの、真摯に自らの欲念・情念の赴くところ一心。

 

 

 肝心の卓二と葉子の方はというと、小娘・三千子と破談した岡田は葉子との結婚に踏み込もうとしたものの、葉子が幾ら離婚を求めても、頑として卓二は拒絶しつづけた。元々恋愛関係の上での結婚じやなく、一方的な卓二の義侠心に発したものなので、些かにプライドを傷つけられた反撥心からなのだろう。それでも、葉子が失踪するに及び、渋々認めてしまう。 
 卓二の葉子に対する念は、やがて芽生えた恋情も含め錯綜混沌としたもののようだけど、葉子の卓二に対するそれは、この本=葉子の戦後認められた日記では、なんともけんもほろろに悪夫。早い話、当時の時代的偶像・岡田時彦との関係の赤裸々な告白日記とも云うべきとは、彼女の孫である著者の感想だ。

 

 

 著者も先ず触れていた、大正中期の、日影茶屋で神近市子に大杉が刺された事件に端を発した多情炎環、大杉栄=伊藤野枝=辻潤、堀保子=大杉栄=神近市子の相関図。
 尺八一管を携え列島中を放浪して廻った辻潤は、伊藤野枝の呉れたラブ・レターを常に風呂敷に包んで肌身離さず帯同していたのは、もはや神話の領域。正に、コキュの極み。彼の舞台活動への入れ込み様も、鬱屈したコキュ的悲嘆の発露って一面もあるのだろう。
 因みに、堀保子は、あくまで内妻で、大杉は、同志・深尾韶とつきあっていた保子を、半ば強引に掻っさらうようにして一緒になったのだった。つまり横恋慕。やがて野枝に対した如く、大杉は保子にぞっこんだったのだ。

 

 

 殆んど同時期、月刊《 中央公論 》の創作欄を巡って、大泉黒石・村松梢風等大衆小説作家等の説苑欄からの越境に対して、純文学小説作家の芥川龍之介・佐藤春夫等が一方的にクレームをつけていた頃、純文学の代表格ともいえる芥川龍之介は、妻・文( ふみ )以外の女性との係わりも結構あったようで、就中、歌人・秀しげ子との関係は人口に膾炙し過ぎているぐらい。秀しげ子には、夫も子供もいた人妻であった。
 しげ子は、しかし、次第に大胆になり、しまいには龍之介邸にまで押しかけてくるようになって、大正十年、龍之介は逃げるように海外視察員として中国行の途に就いた。
 龍之介の作品にも、彼女に触れた箇所がある。

 

 『 利己主義と動物的本能は実に甚だしい 』
 
 『僕の生存に不利を生じた 』

 

 何とも生々しい記述で、後、小説論を戦わせることになる谷崎潤一郎が魅了させられ虜になってしまった小悪魔・三千子に、その奔放さでは敵わないものの、同様に貪欲なしげ子の性衝動に、肺病持ちの芥川は死の恐怖をすら覚えてしまったらしい。

 

 

 同じコキュ的心性であっても人によって随分とその様相を異にし、ちょっと時代が下るが、金子光晴=森三千代=土方定一の余りにも有名な三角関係相関図にあって、も少し時代が下った戦後、三千代の中国人の愛人・鈕先銘との関係を描いた《 新宿に雨降る 》を、病で手を使えなくなった三千代の代わりに、光晴が口述筆記した際も、コキュ的被虐性全開って趣きだったのだろう。
 尤も、光晴が幾ら被虐的であったとしても、敢えて妻・愛人に他の男達等と関係を持たせるって谷崎的嗜好・志向は有していなかった。
 谷崎のは病的と断じていいのか、それとも芸術至上主義的産物に過ぎないのか。
 こうして観てみると、卓二と葉子って、とりわけ卓二って、いわゆる良いカッコ師なんだけど、その足元が何とも危うく、そこが日記中葉子に、さんざ毒づかれつづけてしまった所以に違いない。

 

 

 《 夢を喰らう 》キネマの怪人・古海卓二  著・三山喬 ( 筑摩書房 )

 

 

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上海の弁護士・公認会計士・税理士