カテゴリー「音楽」の43件の記事

2017年5月20日 (土)

プリアタン(バリ)の舞娘たち

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 かれこれ来年の5月14日で丁度20年になるという1998年5月14日にインドネシアの首都ジャカルタで発生し、インドネシア中を席巻した“ジャカルタ暴動”。
 主にそのターゲットに中国系の人々および商店・企業を狙い撃ちし、千人以上の死者まで出し、それも普通余り例を見ない小さな少女や老婆までレイプし殺害した暴動だったけど、悪名高いスハルト軍政権力とその眷属輩が背後で糸を引いていたってことのようだ。( 後、インドネシア全土に拡がるにつれて、宗教戦争の様相を呈しはじめた。)
 

 そんな禍々しい事件の余韻も醒めやらぬ7月、バンコク・ドンムアン国際空港から、40分遅れのガルーダ航空B747-400に乗り、両側にコバルト・ブルーに映えた海が拡がるングラ・ライ(デンパサール)国際空港に降り立った。
 インドネシア=イスラムと相違して、唯一例外的に殆どがヒンドゥー教徒の島・バリ故にか、そんな痕跡も燻(くすぶ)りも見えなかった。只、バンコクのパッカーたちに定番の如く聞かされた“若い日本人娘”で溢れかえっているはずの、クタはまだしも、芸能村ウブドの通りという通りは、閑散として静かにプリメリアと椰子の葉が風にそよいでいるばかり。店の前に屯している、本来は日本や欧米の若い娘だと先を争って駆け寄ってくるバリ・ジャン(?)たちも、こっちが冴えない風体のいわゆるバック・パッカー(=貧乏旅行者)野郎だと一瞥を呉れるだけで微動だにすることもなく、所在なさげに物憂い眼差しのまま雑談に余念がなかった。

 インドネシア・ルピアーの暴落で、それまで月10万ルピアーもあれば貯金すら出来ていたのが30万ルピアーは必要になってしまい、暴動の余波で観光客が激減し、閉める店やホテルが増えてしまって、必然的に失業の若者も増えてしまった。バリとは無関係のジャワはじめイスラム・エリアでの暴動・事件でしかないのにもかかわらずえらいとばっちり。尤も、バリでもスハルトおよびその眷属輩の評判は余り良くはなかった。( その辻褄を合わせるように、後になって、ヒンドゥーの島国バリにも、イスラム勢力がやってきてテロを起こし始めた。)
  インフレでどんどん物価が上昇し続け、ウブドで最初に観たバリ・ダンス、セマラ・ラティの“スピリッツ・オブ・バリ”が、最初チケット屋の青年から1万ルピアでチケットを買って、そのままそのチケット屋のバイクの背に乗って会場に到着すると、もう1万5千ルピアに値上がっていた。(当時APAでのレート : 1$=14450ルピア/現在 : 1$=13335ルピア)
 最初安いと思っていた郵便料金なんて、例えば葉書(エアメール)の送料が1000ルピアだったのが、ほんの一ヶ月の間に、6800ルピアに跳ね上がってしまった。こりゃ地元住民たちもたまったものじゃないだろう。

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 ( グンタ・ブアナ・サリは踊手もガムラン器楽奏者も皆若かった。チョンドンの衣裳を纏い微笑んでいる娘こそまだ幼い頃のユリアティ )
 

 これは今でも変わらないようだけど、木曜はセマラ・ラティ、金曜はティルタ・サリ、土曜はグヌン・サリそして月曜はウブド・パレスのサダ・ブダヤがバリ・ダンスを上演。
 当方の本命は、グヌン・サリ。
 土曜7時半開演。
 次から次へと畳みかけてくるように息もつかせぬ演奏と舞に惹き込まれ、終わった頃にはぐったりと神経が疲れてしまった。
 何よりも、レゴンクラトン(ラッサム)のチョンドン(侍女と鳥の二役)のユリアティ Gusti Ayu Sri Yuliathi が白眉。
 当時まだ14歳で、2歳違いの妹ビダニーもティルタ・サリで同じくチョンドンを演っていた。
 二人は舞台で化粧した顔は判別し難いくらい似てるけど、ユリアティが丸顔、ビダニーが瓜実顔なのでそれで判断できる。
 当時、制服姿の下校中の二人と間近で遭遇した時、素ッピンの二人の相貌は、正にその定形通りだった。小麦粉色の、エキゾチックな魅力的な顔立ちだけど、やっぱし、も一人一緒に並んで居た同級生と変わらぬ普通の中学生でもあった。この二人、当時日本人観光客の間でかなり人気があったようで、APA(ウブドの観光情報センター)じゃ彼女たちのプロマイドを売っていたぐらい。


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 当時、チケットは大体1万5千ルピア=約1ドル。
 現在はゼロが一つ増えて10万~7万5千ルピア、約7ドルぐらいってことは、当時と較べて7倍近く値上がったということか。昨今のバリの景気は必ずしも悪いわけじゃないようで、大手ホテルが次々と進出しているらしい。けど、それらがそのまま一般庶民にまで還元されるかといえば、日本(とくに地方)すら中々にそうはなってはいないのと同様ほど遠いのだろう。
 二ヶ月近くウブドに滞在した後半頃、ユリアティはチョンドンを卒業し、以前ウブド・パレスの公開練習で見かけた一人だけクソ真面目に稽古に余念のなかった十歳にも満たないのじゃないかと思われる小さな少女がその跡釜に坐った。
 グンタ・ブアナ・サリという少女・少年たち(日本語のチラシによると、10~17歳)のガムラン演奏と舞のグループの公演でも、ペンディット( 歓迎の舞 )にユリアティが出演し一人存在感を顕わにしてたり、妹のビダニーがチョンドンを舞っていたりしていた。尤も、このグンタ・ブアナ・サリ、現在じゃ、当時の若いメンバーも年を喰っていい歳になり演奏に円熟味も出てきてるらしい。


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 (クリック拡大)

 
 あれは忘れもしない8月1日。
 角にあるダラム・プリ寺院で、殆ど燃え尽きよう(=村落的祭祀)としている大きな張子の黒牛や他の牛の姿を横目に歩いていると、ふと見覚えのあるバケツを手にしたミドル・ティーンの美形の娘と出喰わせ娘の方からニッコリと笑い話しかけてきた。
 いつもプリアタンの公演会場でバケツに入れたドリンク類を売っている顔なじみの娘で、何しろ美人なので一応買うつもりで打診するのだけど、いっかな法外な言値を崩すことないので大抵一緒にいる小さな暴ることをまだ知らない小娘から買うことになったのだけど、祭があると公演は行われないことがあるらしいので、「 今夜グヌン・サリの公演はあるのか」、彼女に尋ねてみると、「ある!」と答えた。公演会場でいつも彼女と連れ立っている別の娘がユリアティの同級生だった。

 その夜、グヌン・サリの公演を観た。
 が、噂には聞いていたユリアティがチョンドンから卒業するかも知れないって事態が本当に起こってしまった。レゴン・クラトンの長い前奏の後、前門から姿を現したのは、見も知らぬチョンドン役の女・・・
 一瞬、両の眼が点になってしまった。
 ・・・・・ おばさん?!
 それも、絵に描いたような中年体形の・・・・
 それがバタバタと、ユリアティやビダニーの如く可憐な蝶が舞うように華麗に舞うのじゃなく、正にバタバタと。
 悪い夢でも見せられている様だった。
 と、暫くして、その背後から、シナリオ通り、緑の衣装に細っそりした身を包んだラッサムとランケサリ役の二人の娘が現れた。
 あっ!、当方、思わず声を洩らした。
 ・・・ ユリアティ。
 衣装の色こそ違え、正にあのユリアティだった。
 救われた思いだったものの、やはり、チョンドンにおばさんは・・・
 そして、その前夜、妹のビダニーがティルタ・サリでチョンドンを舞い、以降定位置となった。

 
 この数年、ユリアティは銀行に勤めながら、グヌン・サリだけじゃなくティルタ・サリでも、レゴン・クラトンを舞っているという話をネットで見たけど、一方のビダニーは、何年か前、ユリアティと同様結婚してしまい、小児科医として医業に専念することとなって舞台からは遠ざかっているという。

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2017年4月24日 (月)

《 青い衣の女 》 バチカン的面目 : コンキスタドール=CIA・MI6

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  「 深い霧に入った途端、気がついたら何百キロも離れた場所に着いていた・・・」


 作者ハビエル・シエラの分身と目されるスペインの神秘主義・超常現象専門雑誌《 ミステリオス 》の記者・カルロスと相棒のカメラマン・チェマが、以前追っていた不可思議な事件――いわゆるテレポーテーション(瞬間移動)。以前観たリチャード・ギア主演の《 プロフェシー 》(2002年)での同じ光景を想い出した。気づいたら、物理的に不可能な長距離を短時間で移動していたのだ。その着いた先が、ウエストバージニア州ポイント・プレザントだった。モスマンと地元で呼ばれる不吉な異生物が絡んできて、数十人の死者を出す橋梁崩壊事件にまで話が及んだ実話を元にしたミステリアスな佳作的小品ホラー映画のプロローグだったか。
 テレポーテーションを題材にした映画って結構ある。
 だけど、現代ばかりじゃなく、随分と昔からこの手の超常現象って人口に膾炙していたようだ。
 

 前回紹介したシエラの《 失われた天使 》(2011年)は、天使の末裔が故郷たる宇宙の果へ戻ってゆく帰還譚だったけど、今回の1998年(2008年改訂版)作品《 青い衣の女 》もやはり天使の末裔が登場する。シエラ、天使と異端審問官がよほど好きなようだ。彼にとって、キリスト教・カトリック世界の正に象徴的存在なのだろう。
 今回も、彼の十八番たるいわゆる“超常現象世界”的面目躍如ってところで、テレポーテーション(瞬間移動)=バイロケーション(同時複数的併存)を媒介にして、近世のバチカン・コンキスタドール(スペイン)、現代のバチカン・CIA(米国権力)の陰謀術数世界を紡ぎ出してゆく。
 

 「 昔の人々は和声を理解し、それを厳密に音楽に応用していただけでなく、それが意識の状態をも変化させ、聖職者や古の奥義を授けられた者たちを現実世界よりも高い領域に触れさせる術も知っていた。・・・・・・古代の賢人たちは、精神の波長を適切なレベルに合わせて“あの世”からのメッセージを受け取っていた。その状態なら、魔術師や神秘家たちはいかなる過去の瞬間をもよみがえらせることができる。言い換えれば、音楽によって脳波の振動数を調整することで、知覚の中枢部分を刺激し、時間を旅することが可能になる。」


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 教会音楽などの“先多声音楽”(プレ・ポリュフォニー)に始原を持ち、バチカンで極秘裏に開発されてきた“クオンタム・アクセス”技術、その結晶としての《 クロノバイザー 》。
 ネットじゃ、《 クロノバイザー 》=“タイム・マシーン”なんて派手なキャッチ・コピーが冠されているけど、実際はどうなんだろう。本当にCIAや英国のMI6やなんかと絡んでいたとなると、随分と焦臭くなってくる。
 そもそもCIAやMI6の連中が、それに不可欠と思われる矜持なんて持ち合わせているだろうか。
 素人でもすぐ既存の様々な陰謀・事件なんかが思い浮かぶはず。
 過去や未来のあるいは進行形の、そもそも彼等の関与が疑われていた事件や都合の悪い事件を、文章を校正し修正するように、自分たちの都合の良いように、修正・改変し、歴史の歪曲=偽造が、場合によっては実に簡単にできたりもするのだから。
 もし、この種の、例えばいわゆる“マインド・コントロール兵器=電磁波兵器”(ひょっとしてまさか同じもの?)なんかを含めて、実際に存在し使われていたとすると、もうとっくに歴史の改変・偽造は為されてきていたってことになりかねない。時代はとっくに、絵に描いたように《1984》世界の真っ直中って訳だ。

 
 そんな科学の粋、その実何とも胡散臭いバチカンの影の結晶=《 クロノバイザー 》的現代と、“先多声音楽”(プレ・ポリュフォニー)から発展したその源基形態=バイロケーション(=テレポーテーション)が頻用(?)されていた遙か近世のコンキスタドール世界(=メキシコ)を、同時進行的に物語は展開してゆく。複数の登場人物・事件の同時進行も含めての、小説・映画における流行の手法であり、シエラの得意の方法でもある。( まさか、シエラ、《 クロノバイザー 》=バイロケーションという主題に合わせて、この手法を採ったのじゃあるまい。) 
 
 コンキスタドールに滅ぼされた後のアステカ(メキシコ)では、当然にキリスト教ローマ・カトリックが権勢を揮うことになり、その宗教的版図を全土に及ばさんと精力的展開していたのだけど、驚いたことに、コンキスタドール的悪辣と暴虐によるのではない、むしろ自発的改宗によってキリスト教化された地域が存在したという。
 恐らくは歴史的事実ではあるのだろうが、それを《 青い衣の聖女 》、生涯スペインから出たこともないマリア・ヘスス・デ・アグレダ( 後に、彼女以外にも何人も存在していたという展開になる )の神秘的霊力(バイロケーション)的布教によるものとして仮構したのは、歴史の間隙を縫うというよりも、如何にも風に当を得たものかも知れない。
 集団帰依=改宗っ訳だけど、実際には、バチカン認定のアステカにおけるキリスト教宣教開始年代以前に、ひょっとしてコロンブス以前のもっと旧い時代にキリスト宣教やそれに類する活動・影響が存在していた可能性も、この物語の中でもちょっと触れられているけど、例えば日本における仏教伝播などと同様十分にあり得たろう。
 そして、現在じゃ、メキシコの9割以上の人々がキリスト教徒となっている押しも押されぬキリスト教(徒)国家となってしまって、これは、この物語のシナリオ的解釈からすると、霊能力修道女たちまでも駆使したバチカン=ローマ・カトリックの周到さの勝利と謂うべきなのだろうか。

 
  《 青い衣の女 》 ハビエル・シエラ 訳=八重樫克彦・由貴子(ナチュラル・スピリット)

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2016年12月31日 (土)

藍凧、青天に襤褸のごとく 『 青い凧 』(1993年)

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 甍と白煙、土埃舞う胡同の路上に子供達が遊び、驢馬車がポクポクと荷を引いてゆく。と、ある民家の門の中に、大八車で運んできた簡素な家具類を運び込む男達。新婚の樹娟と少竜の二人の新居に収めるためだ。その時、何処かから、ラジオのソ連の最高権力者スターリンの死を報じる声が流れてくる。1953年3月5日午後9時50分死亡・・・


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 1953年といえば、“第一次5カ年計画”の発布された新生(人民)中国発展の基礎となった年であり、日本では、京都・舞鶴港に、ようやく中国大陸からの引揚者一行を満載した帰国第一便が到着した年でもある。まだまだ戦争の残煙が色濃く烟(けぶ)っていた時代。
 親族や仲間、近所の親しい住民が集ってのいたって簡素な結婚式で、壁に掲げられた毛沢東の肖像に二人が一礼をし革命歌を唄うシーンって、四年前に中華人民共和国として独立し、ようやく建設の端緒についたという、まだまだ新生中国に夢と希望を抱いた溌剌の象徴なのだろう。
 小学校教師の樹娟(シューチュアン)と図書館司書の少竜(シャオロン)、そしてやがて生まれる鉄頭(大雨)の3人家族の、乾井という胡同を中心に物語が始まる。
 少竜はじめ、3人も伴侶が替わった女主人公、田壮壮監督の母親・于藍(ユイ・ラン)を模したといわれる樹娟の、揺れ動き続ける新中国=人民中国の時代の波に呑まれ、惨澹の憂き目憂き目が、その伴侶の変転の次第を語ってゆく。
 当然に文化大革命の大波にも呑まれ、3番目の党幹部の夫も紅衛兵らによる糾弾の最中凄惨に死を余儀なくされてしまう。因みに、最初の夫・少竜は、“百花斉放・百家争鳴”で有名な整風運動の波に足下を掬われ、強制労働キャンプ送りになってそこで事故死し、2番目の夫・李は、彼等の友人でもあったのが少竜を右派として密告した張本人で、良心の呵責に苛まれ、彼等に誠心誠意尽くし続けたあげく病死してしまう。第5世代監督たちの自家薬籠中的定番手法でもある。


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 以前紹介した《 盗馬賊 》(1985年)も結構面白かったけど、この《 青い凧 》(原題 : 藍風箏)も悪くはない。中国じゃ上映禁止のままという。今更言ってみてもはじまらないけど、社会主義的リアリズムって、社会主義国なら常道だったはずが、いずこのマルクス主義国家(権力)も目の敵にしてあれこれと弾圧に走ってしまう。狭隘なこと限りない。“革命”とは真逆。タイの諺で謂う“(一度)虎の背に乗ると(もう)降りられない”って奴なのだろうか。権力(主義)の慣性と論理だ。
 それでも、ブログ見ると、田壮壮、それなりに作品発表し続けているようだ。
 章子怡(チャン・ツィイー)が3世代・3役演じた《 ジャスミンの花開く 》原題:茉莉花開(2004年)に、彼も制作総指揮ってポジションで関わっていたとは知らなかった。
 この《 青い凧 》、基本、胡同を舞台に描いていて、土の路、土塀、黒瓦屋根、朦々と壁から烟る白煙、群れなし戯れる子供たちの姿や、土の路からアスファルトの道路への時代の変遷も情緒たっぷり。


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 田壮壮の両親は共に映画(俳優・制作)に携わってきた生粋の映画一家らしい。
 ところが驚いたことに、ここでもあの江青の影が禍々しくとぐろを巻いていた。
 母親の于藍が有名俳優・趙丹と共演した《 不屈の人々 》原題 ; 烈火中永生(1965年)に、自分も原作が気に入って撮りたかったのを横取りされたと怨んで、わざわざ撮影所までやってきて難癖をつけたという。2年後、文革の嵐が吹き荒れ始めると、早速、于藍と夫の田方ともどもに“反革命分子”のレッテルを貼られ追及され投獄されてしまう。詳細はつまびらかじゃないけど、そもそも江青の目の上のタンコブ=趙丹と共演したとばっちりもあったかも知れない。田方は獄死したが于藍は生き延びた。が、獄中の身体的トラブルで女優の路を断念し、制作の方に専念することになった。
 その時の体験がこの映画にも反映しているらしい。
 3番目の党幹部の義理の父親の邸まで押しかけてきた紅衛兵の一団に、義理の父親が指弾され持病の心臓病を発症してもそのまま追及集会場か何処かへ連れ去られようとするのを、見かねて止めに入った母親も紅衛兵たちに暴力を揮われ一緒に連れて行かれてしまう。まだ少年の鉄頭も何とか母親を取り返そうとするも多勢に無勢、思い余ってレンガを手に紅衛兵の一人に殴りかかりはするものの直ぐに袋叩きにされ、地面に臥(よこた)わったまま、ふと空を見上げると、木の枝に引っかかった藍い凧が風に小さくなびいていた。原題の《 藍風箏 》の藍って、母親・于藍の藍でもあるのだろう。
 しかし、遺憾なことに、江青の名も、名付けた者が、“青出於藍更勝於藍”から取ったらしい(別の説もある)。彼女の上海女優時代に使っていた“ 藍蘋(あおりんご) ”から発想したのだろうが・・・


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監督 田壮壮
編劇 肖矛
音楽 大友良英
樹娟 呂麗萍
少竜 濮存昕
李  李雪健
制作 北京電影製片廠(1993年)

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2016年12月23日 (金)

インド=ボリウッド 旅先のポストカード

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 旅先の見知らぬ街や路地裏で、ふと見つけた絵葉書(ポストカード)って、それが安っぽく通俗的なものであればあるほど、ポップでキッチュな味わいってものが醸し出されてて、つい手にしてまう。
 その典型がインドの神様絵葉書や映画俳優絵葉書だろう。
 かつてイラストレーター横尾忠則が彼の土俗的サイケデリック世界のモーメントとして好んで駆使してた世界でもある。
 部屋の戸棚の奥のぶ厚い封筒の中に20年近くの歳月( 一瞬ドキッとさせられてしまう言葉だ )を経た、まだまだ残っている何枚かを取り出してみた。


 ギータ・バリ

 1930年生まれの1965年死亡(天然痘が死因)故って訳でもないんだろうけど白黒写真に着色した何ともレトロな仕様で、発行所がボンベイ(デリーの住所も)ってのが、如何にも時代を感じさせてくれる。
 大部以前、グル・ダットと共演した《 バーズ 》(1953年)を紹介したことがあった。男まさりに剣を振りまわす愛らしいお嬢様役を好演してて、表情豊かなこの時代を代表する女優の一人らしい。でも、35歳で病死とは早すぎる。
 グル・ダット監督作品にはこの《 バーズ 》も併せて3回出演してて、この作品だけダット本人と共演。他の2作は、売れっ子男優デヴ・アナンダとの共演。
 まだパキスタンがインドから分離独立する前のパンジャブで生まれ、その後アムリトサルに長く住んでいたようだ。アムリトサルといえば、ヒンドゥーとイスラムの中間的な宗教らしいシーク教の本拠地で、彼女の父親もシーク教の宗教音楽歌手でもあり哲学者でもあったという。
もし長生きしていれば、1984年のアムリトサルにあるシーク教本山にたてこもったシーク教徒過激派をインド軍が襲撃し多くの犠牲者を出した“黄金寺院事件”を経験することになったろう。


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 ラタ・マンゲシュカル

 インド映画の女性プレイバック・シンガーとして有名過ぎるぐらい。
 唄った曲が何万曲というギネス記録すら持っているらしい。
 1927年生まれで、現在も元気で活躍しているようだ。
 彼女の存在を初めて知ったのは、イラン→パキスタンで一緒になったカメラマン氏に教わった時で、イランから西パキスタンの要衝クエッタに入ると早速レコード屋に走り彼女のミュージック・テープを買い求めていた。
 若い頃の彼女を知る訳もない当方だけど、聴かしてもらって、当時60歳代の彼女の歌声って、インド独特の文化的産物だなと感心してしまった。大御所然として悪くはないのだけれど、やっぱしも少し若いアルカ・ヤグニクの方が声が艶やか。
 
 1960年代、彼女は男性歌手マダン・モハンとコンビを組んでヒットを飛ばしていたらしい。マダン・モハンは中東イラク・クルディスタンのエルビル生まれのインド人で、7歳ぐらいの時家族と一緒にパンジャブに戻ってきたという。ガザール(宗教音楽)歌手であり、作曲家、音楽監督でもあって、シャールーク・カーン&プリティー・ジンタ主演の《 ベール・ザーラ 》(2004年)でも、ラータ&マダンと同世代の監督・プロデューサーのヤシュ・チョプラの思い入れだったのか、30年前に亡くなったマダン・モハンの曲をラタ・マンゲシュカルと他の男性歌手とのコンビで唄わせていて、中々雰囲気があって良かった。その音楽だけのメイキング映像が別途一枚、映画のDVDに封入されている入れ込みよう。
因みに、モハン、クルド育ちといってもイスラムじゃなく、ヒンドゥーらしい。


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 シュリ・デヴィ
 
 本物のボンベイの路上生活少年少女たちを主人公にしたミーラー・ナイール《 サラーム・ボンベイ 》(1988年)の映画館の場面で、少年たちが画面に映し出された人気女優のダンス・シーンに合わせて客席で踊り出すシーンがあった。その銀幕上でインド中を席巻した彼女の代名詞ともなっていたらしい“ハワ、ハワイー”を踊っていた女優こそが、シュリ・デヴィだった。彼女の名と姿を日本国内でマイナー・ヒットしていたその映画で初めて知った。
 劇中での歌や踊りって、何もインド映画だけのものじゃなく、邦画界も嘗ては東映の時代劇なんかもやっていたのはレンタル屋で確認できるだろう。そういえば、相当昔、どこぞの名画座で、高倉健・三国連太郎・北大路欣也・小林稔侍なんかが、埃っぽいスラム街で、ハリウッド映画を標榜したらしい歌と踊りのシーンがはじまり、マジすか!と暗い客席で両の眼が点になったのを記憶している。深作欣二監督の《 狼と豚と人間 》(1964年)だった。 
 
 1963年、南インド・タルミナドゥー州生れ。
 小さな頃から映画界に入り、ローテイーンの頃にはタミルや他の南インド諸州の映画に出演し、ブロックバスター・ヒットした有名男優ジータンドラと共演した《 ヒマトワラー 》(1983年)で、本格的なボリウッド(ヒンディー映画)・デビューを果たしたってことらしい。
 彼女の名を不動のものにしたのは、やっぱり1989年の《 チャンドニィー 》のようだ。
 ヒット・メーカーのヤシュ・チョプラが監督し、得意のダンスも人気を博した、80年代を代表する映画の一つともいわれているらしい。
 パキスタンはペシャワールの、もうなくなったが90年代初頭まだ営業していた《カイバル・ホテル》に泊まっていた日本人娘が、シュリ・デヴィの大ファンで、わざわざレンタル屋でその《 チャンドニィー 》のビデオ(当時はカセット式)を借りて、旧市のバルーチだったかパシュトンだったか忘れてしまったがその部族専用宿に泊まっていた長期滞在の日本人の部屋でみんなで観たことがあった。“チャンドニィー、オ・メレ・チャンドニィー”と唄いながら画面のシュリ・デヴィと一緒に踊り出してのを覚えている。

 2012年に、《English Vinglish》(邦題 マダム・イン・ニューヨーク)で、15年ぶりにカンバック。


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2016年8月27日 (土)

あらかじめ出口なしの凋落物語 《 都市風光 》1935年 (二)

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 この《 都市風光 》が撮られたのは1935年の中期頃だろうが、阮玲玉・主演の《 新女性 》が上映されたのが同年の2月(旧正月)、阮玲玉が自殺したのが3月なので、余りに時間的に近すぎてオマージュというより、自殺の当事者を女性から男性に変更し、その形を借りての些か概念的だけど一層の直截な時代・体制批判ってところだろうか。

 ともかく、その当事者の男優・唐納自身も、この映画の発表の後、阮玲玉とは若干ニュアンスは異なるものの、やはり自殺(未遂に了った)を試みている。正に自殺ラッシュ。
 《 新女性 》の因となった新進明星・才女として彗星の如く現れた22歳の女優・艾霞(アイ・シィア)の自殺から始まる自殺の連鎖。


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 ( 病院のベッドの上で・・・。阮玲玉の映画「新女性」と実際の彼女の自殺、この映画での唐納の自殺未遂と実際の唐納の自殺未遂が、渾然一体となった酔生夢死的な展開が妙味 。冒頭の酒瓶にしなだれた唐納の図が、この映画の本来の意図とは別に、中々に味わい深い) 
 
 
 唐納の懸想する女を財力と手練手管で手中にする金持の王の商売が茶商で、映画上ではなく、女優・阮玲玉を実質上の嫁として同居生活(彼女の母親と養女と一緒)していた《 聯華影業公司 》の株主・唐季珊も東南アジアを股にかけたこっちは本物の茶商だった。明らかに、それを意識した設定。( 映画会社は《 電通影業公司 》と《 聯華影業公司 》と別だけど、一部のスタッフ同士はそこら辺の裏事情を共有していたろう。 )
 
 
 劇中、唐納がアパートの自室で質屋の娘に罵倒され睡眠薬を飲んで自殺しようとする。女と入れ替わるように家主一家や住民達が何ごとかと入り込んでくる。
 
 「 死にたくて、睡眠薬を呑んだんだ!」

 そのシーン、場面が《 新女性 》でベッドの上坐った阮玲玉が、
 
 「生きたい!」
 
と叫んだシーンと相似。
 すると、早速大家の娘が父親に吐き捨てる。

 「 それ見なさいよ。だから、学生なんかに部屋貸しちゃ駄目だって言ったでしょ。」


 ベッドの上の唐納を前にして、大家一家が、彼を病院に連れて行かなけりゃとか、部屋代すらまともに払えない店子のその病院代まで誰が払うのよとか喧々ゴウゴウ。おまけに、画面で見る限り、睡眠薬を幾粒も唐納は口に入れてなくて、かなり彼の自殺を笑いの対象にしている。確かに、これじゃ、女の方に自殺させる訳にはいくまい。《 新女性 》や阮玲玉、艾霞を愚弄したことになってしまう。
 結局、大騒ぎの大家・住民たちに辟易して、質屋の娘に見栄を張るつもりの自動車を買うために貯めていた貯金箱を手に自ら歩いて病院に赴くことに。大通りをふらふら歩いているうち、バタリと力尽きて倒れてしまう。貯金箱も割れ硬貨が路面に飛び散る。当時は、現在と違って自動車って庶民には到底手の届かない高値の華。貧乏インテリ・唐納の現実感覚の欠如というより、完全な戯画化だろう。 

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 ( 上の唐納のと合わせてのベッド&ソファー・シーンのオン・パレード。唐納だけが、一人だけ淋しく哀しい病院のベッド )


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 ( 若き江青の桃色遊技シーン。やはり年増メイクなのだろうが、実際には、この頃既に何人かの芸能界・芸術界の男たちと浮き名を流していたもて女だった )


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 ( 王社長の秘書と質屋の娘の侍女。王社長が破産するや、残された金目のもの全部車に積んで二人でドロン。侍女役の白璐、一人颯爽として、江青・張新珠のお株を奪うくらい印象的。 )

 
 案の定、唐納は死ぬこともなく、病院のベッドの上で、看護婦にミルクを手渡されながら、自分の写真の載ったゴシップ新聞に暗澹として見入る。
 
 “ 自殺未遂之恋愛作家李夢華 ”

と、派手な見出しをつけられ、その横に彼女の結婚写真も並べられていた。
 《 新女性 》でも、ゴシップ新聞に、

 “ 女作家 偉明自殺 ” 

 と派手な見出しで報じられてしまったのと相似。
 阮玲玉自身の自殺の時は、ゴシップ新聞どころか、中国中の新聞が報じたのだろうが。


 自殺は出来なかったものの、恋愛作家・唐納、治療代も払わず病院をトンずらし、部屋はとっくに貸し出され、もはや帰るところとてなく、流離(さすら)う外なし。
 どんどんと零落・凋落してゆく様を、足下だけの描写で実に簡明に示してくれるのだけど、最後は仏壇(道教のだろうが)祀られてしまうってのは、もうおちょくりの類だろう。
 確かに、せっかく、それなりの期待と夢を抱いての上海行だったのが、如何転んでも、そんな悲惨・陰惨な結末しかあり得ないような物語を観せられた日にゃ、つい勇んでいた足並も動揺し、ためらい、混乱してしまうもんだろう。それが、最後の列車に乗れず右往左往してしまうシーンなのか。

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 ( いかにも怪しげな西洋鏡の唄い手を自ら演じた監督・袁牧之。半月刊映画雑誌「電通」の表紙。) 
 

 この映画、後に唐納と浮き名を流すかの江青が、チョイ役だけど出ている。
 映画監督・史東山の紹介で、江青、この1935年の3月に《 電通影業公司 》に入り、藍蘋(ランピン: 青リンゴ)という芸名を使うようになったらしい。6月には《 《上海業余劇人協会 》の話劇(舞台)《娜拉 ノラ(邦題「人形の家」)》に人気俳優・趙丹と共演し、魯迅も観に来たくらいにヒットしたのが、それ以降は、それが本来の姿なのだろう劇団の花形スター王瑩(ワン・イン)の独壇場。人一倍プライド高く、成り上がり志向の強い江青、恨みを呑んだに違いない。
 この頃、江青、《 電通影業公司 》と《 聯華影業公司 》で続けざまに映画にあれこれ何れも端役で出ているけど、唯一、蔡楚生・監督のコミカル映画《 王老五 》 で準・主役級の役を得て、劇中歌まで披露している。只、それなりにはヒットしたようだけど、後に繋がるようなものではなかったようだ。

 この《 都市風光 》では、若き江青、しかし、茶商・王のリッチな装いの愛人役のようなのだが、画面上の彼女、どうにも年寄り臭い。4、50代の女にしか見えない。まさかそんな設定なのか。王社長が懸想した質屋の娘はまだ若く、彼女の侍女役の白璐(バイ・ルー)なんて役柄も面白く、溌剌としていて印象的。何処かで見た覚えがあると記憶を手繰ってみたら、蔡楚生・監督の《 孤島天堂 》(1939年)で本土からヒモ男と一緒にやってきた騙され令嬢役で出ていた。淑女然とした役回りと、泥棒ネコ風のコミカルな娘役とじゃ当然に現れ様も違ってくるのだろうが。
 この映画で、江青、王社長といちゃつく場面がありキス・シーンまであるのだけど、文化大革命の頃、資本主義的・旧弊的害毒一掃キャンペーンを暴虐の極みにまで展開していった四人組の頭目としては、正にダモクレスの剣として、甚だ厄介な代物であったろう。当然、康生の諜報部の総力をあげて隠滅したに違いないにしても、《 孤島天堂 》の如く、オリジナル版が杳として行方知れずってことになってなくて良かった。

唐納  (李夢華)
張新珠 (張小雲)
白璐 〔王+路〕 (侍女)
顧夢鶴 (王俊生)
藍蘋=江青 (王の愛人)
蔡若虹 (陳秘書)

監督・脚本 袁牧之
制作   電通影片公司

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 ( 若き江青と唐納。この映画の頃知り合い、唐納がのぼせ上がる。野性味が新鮮だったのだろう。しかし、その後一緒になってからが修羅場の始まり。唐納、数度自殺未遂事件を起こすことになり、ゴシップ新聞を賑わす )


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 ( 行方をくらました江青の親の居る斉南まで追いかけていって自殺を計った唐納の記事 )


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2016年8月14日 (日)

あらかじめ出口なしの凋落物語 《 都市風光 》1935年 (一)

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暦の上の〈立秋〉が過ぎたせいか、夜明け前、東の低い山影のちょっと上方に、星光は小さいけどくっきりとオリオン座が浮かんでいて、本当に久し振りで暫し立ち止まり眺め入ってしまった。ベテルギウスはまだ健在だった。
 
 
 以前は中国のサイトをかなり探しても掠りもしなかった“まぼろし”の1930年代モダーン中国映画《 都市風光 》(監督・袁牧之)が、いつの間にか、YOU TUBEに普通に他の同年代の中国映画と並んでて、思わず眼が点になってしまった。
 早速中国サイトにアクセスして確かめてみると、様々な無料サイトで《 都市風光 》が犇(ひし)めいていた。
 著作権の期限が切れたのだろうか?
 この分だと、唐納は出てないけど、江青が彼女と因縁深い舞台女優・王瑩と共演した《自由神》の方も時間の問題だろうか。だったら、いっそ《孤島天堂》のオリジナル版なんかも公開して欲しいけど、ちょっと難題に過ぎるだろうか。


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 ( 西洋鏡、日本では覗きカラクリ。生き馬の眼を抜く魔都・上海を舞台の、現在風に言えばバーチャル・リアリティー凋落物語。)


Q1

 ( 当時の時代の寵児・唐納。軟弱な貧乏インテリ役がよく似合う。)


この《 都市風光 》に興味を持ったのは、毛沢東の嫁として〈文化大革命時代〉に苛政を極めた元凶の一人として中国近代史に凶々と輝き続ける赤色超巨星・江青のまだ若かった女優時代に、彼女と短い間であったが夫婦となった当時の映画界の寵児・唐納と共演した作品だったからだ。

 先ず、銘打たれていた“音楽喜劇片”の意味が、この映画を観てやっと了解できた。
 「ワラ、ワラ、ワラ、ワラ、ワ!」
 という調子の良い掛け声をあげながらの衣料の安売り光景なんかも披瀝しながらの上海=大都会の繁栄と喧噪を音楽で端的に表していて、二年後の同じ袁牧之監督作品《馬路天使》では、更に端的に、主人公たちを町(上海)の楽隊屋や娘歌手って設定になった。暗く重い世相で四苦八苦しながらも、あくまで新時代を信じて生きようとする路地裏界隈のラッパ吹きの趙丹をリーダーにした若者達のコミカルな青春群像劇だった。


Q5

 ( 手にした服を裏表見せながら、ワラ、ワラ、ワラ、ワラ、ワ!!と掛け声をあげるのだけど、作者の創作なのか、当時の実際の流行なのかは定かでない。)


Q2


 ( 上の衣料店の上階のベランダに陣取った楽隊。ワラ、ワラ・・・に合わせて奏で続ける。)


 上海近郊のある田舎駅で、四人連れの男女(一家)が、あこがれの大都市・上海行の列車を待つ間、ちょっと当時流行っていた大きな西洋鏡(=覗きからくり)を覗いてみようとするところから物語は始まる。
 覗きレンズから中を窺っている内、いつの間にか、中に設えられた上海の町に取り込まれてしまう。めいめい上海のモダンボーイやモダンガール、そのモガの両親へと変身しするが、悪夢の如く、のっけから彼等の財布の中身を象徴するように、経済的破綻寸前の境遇から始まる。
 早い話、西洋鏡の中の大都市=上海物語なのだけど、貧乏インテリ・唐納が、自身の経済性もかえりみず惚れた傾きかけた質屋(=〈押〉 : 中国の質屋。総じて規模が小さい。〈当〉の方が一般的に知られていて規模も大きい。)の娘・張新珠に貢ついだあげく、恋敵の資産家茶商に奪われ、娘に唾棄され、服毒自殺をはかり、病院へ。
 質屋の亭主は、自分の娘の相手が茶商経営者と知って渡りに船とばかり喜んで嫁がせる。が、一緒になって幾らもしないうちに、茶商経営者の秘書にけしかけられたのか、お決まりの株に手を出し破産。秘書は質屋の娘の奉公娘・白璐(王+路)と一緒に茶商や娘の金目の物をネコババしてドロン。茶商も隠していた宝石類をポケットに上海を去るべく、寝てる娘をそのままに駅へと急行。慌ててやってきた父親が娘を起こし、金目の物すべてがカラッポになつていて、事態を悟って、必死で茶商の後を追いかけてゆくが、既に列車は出た後・・・


Q3

 ( 父親の営っている質屋「押=小さな質屋」の玄関から出ようとして、待っていた車夫たちにぐるり囲まれる娘。最初、真上から見下ろす角度で撮り、車夫たちの差し伸べた手がぐるり円形を形作っているという凝った撮り方をしていて、正にモダーン 。)


Q4

 ( 如何にもモダーンな大都会って風の大きな「当」の文字が粋な大規模店の質屋。)


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 ( 娘の実家で麺の軽食を御馳走になる茶商の経営者と秘書。娘の隣は奉公娘。中々溌剌として、江青よりも印象的。)


 要は、“旧中国大都市社会生活的種種畸形醜態”(中国サイト)、つまり“魔都”と戦前呼ばれていた頃の国際都市上海の資本主義的様態ってところ。それに、“マンガ式的手法”
ってラベルも貼られていて、これは発表された当時から既にあったものなのだろうか。
 確かに、この映画の当時のポスターやなんかにもマンガが使われてたし、映画の中にもアニメ映画を観るシーンもあり、それ以上にコミカルな戯画化って手法がそう発想させたのかも知れない。そういえば、同時代の映画《自由神》の宣伝にもマンガが使われてもいた。

 最初想定したいたものと随分と相違した作りになっていて、それなりに面白くはあったのだけど、観ている途中で、ふとこれって睡眠薬自殺した女優・阮玲玉や彼女の主演した映画《新女性》へのオマージュなのかって驚いてしまった。と言うのは、この映画と《新女性》って同じ1935年公開だからだし、彼女の死もその間に起きた事件だからだ。

                            (以下、続く)


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2016年7月 8日 (金)

長く熱い夜のリロイ・ジョーンズ的反芻

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 中国農歴日めくりカレンダーの、7月7日は 《小暑》となっていた。
 ネット検索してみたら、夏至の15日後、梅雨のそろそろ終わり頃で、徐々に本格的に暑くなってゆく季節という。小暑(あるいは大暑)から暑中ってことで、 《暑中見舞い》を出す時節でもあるらしい。確かに、我が南西辺境州は、このところ日中路上は35℃前後だった。(翌金曜からは雨天。)

 
 もう15年以上前から年々気温が高くなってきていて、
 
 「来年こそは、きっと40℃世界に突入するに違いない」

 と勝手に確信し始めてもう5年ぐらい過ってしまって、単純曲線って訳でもないらしいのが分かってきた。
 それでも、じわじわとやはり最高気温は上昇してて、極地の氷山が溶けつづけたり地球温暖化の進行、同時にもっと大きなスパンでの氷河期への深化という矛盾的並行って訳だけど、人類的犯罪としての地球温暖化がその氷河期をも突き破ってしまう地球破壊=人類自滅って、昨今のハリウッド映画の好餌となって久しい。


 約50年ほど前、1967年7月12日、スパイク・リーの《 ドゥー・ザ・ライトシング 》宜しく長く熱い夜だったのか、ニューヨークの対岸ニューアークで黒人運転手に対する警官の暴力から、数十人が死に千人以上が負傷する一大黒人暴動が発生した。
 大統領が黒人になってからも、この手の、警官による黒人達に対する、警官達の執拗な暴力(往々にして、KKKの全盛の頃と寸分も変わることのない白昼堂々の虐殺事件の形をとることも少なくない)って枚挙に暇がない。(つい最近も同様の事件が起こったらしい。)
 確かに、構造的なものなのだろう。

 この年、全米で黒人暴動が頻発することとなってしまうのだけど、このニューアーク暴動に、黒人解放論者・詩人・音楽評論家のリロイ・ジョーンズ(後、アミリ・バラカに改名)も関わっていて、逮捕されたあげく撲殺されかかったという。この5日後の7月17日、ジャズ・サキソフォーン奏者・ジョン・コルトレーン(当時、一部のミュージシャンや青年たちにとっては、“神”的な存在だったようだ。)が逝ったり、この1967年の7月って、米国黒人ムーブメントにおいて、象徴的な年月(ねんげつ)。


 リロイ・ジヨーンズのこの奴隷の勲章論とでもいうべきフレーズ、如何にも彼らしく気に入っている。
 そんな彼もすでに帰らぬ人となってしまったが、肝心の米国の黒人達って、"良きサーバント"として大統領の勲章まで白人旦那達が気前よく呉れる御時世になつても、基本、半世紀前と変わることのない劣悪な境遇に貶められつづけている。

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2016年7月 1日 (金)

2016・時代閉塞的集団ヒステリー 10 クローバーフィールド・レーン

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封切りの翌日曜の2回目で鑑賞。
 客は疎ら。
 前作《 クローバーフィールド 》(2008年)の悪夢的世界は結構気に入っていた。
 その後、“2”もやがて出来るような情報も見かけて期待してたのがさっぱり。忘れた頃、8年も過ってようやくくリリースされたのがこの《 10 クローバーフィールド・レーン 》。
 随分と前作とは別様な、というより、前作=オリジナルの世界像を持てあぐね、物語の導入でしかないはずの部分をめいっぱい引っ張って、最後にほんのちょっと形ばかりのそれらしき体裁を取り繕ったって尻切れトンボ的代物。
 いわゆる続編、“2”を前提としてしか了解性を有てない仕上げになってるのだ。
 え、えっ・・・・確か、この作品って、前作の続編じゃなかったっけ?
 前作《 クローバーフィールド 》もそんな作りだったはず。昨今“ 続編につづく ”的な尻切れタイプが流行ってはいるが。勿論、これも現実って必ずしも予定調和的に物事が解決・完結するわけじやない、否、むしろそのまま曖昧模糊のまま迷宮入りって方が少なくないのだからそっちの方がリアルといえばリアル。

 
 ブログ見ると、制作のJ・J・エイブラムス自身は、現在的に、《 クローバーフィールド 》当時と相違して巨大怪獣を登場させメインに据える理由・状況がないと考えているらしく、今回のこの作品も外からの持ち込み企画だったらしい。
 突如夜のニューヨークに降って湧いた形姿曖昧に黒々と聳えた巨大な怪魔(スタッフたちはクローバーと呼んでいたらしい)、宇宙からの侵略者と断定する者は居ても定かではなく、正体不明なまま怪魔はニユーヨーク10クローバーフィールド・レーン破壊しまくってゆくのだけど、時代は正に、《 9・11 》の記憶いまだ醒めやらぬ逢魔ヶ刻、国際貿易センター・ビルの黒煙の象徴の如く巨大化した夢魔(=クローバー)と無数の殺戮球体の跳梁跋扈するおどろおどろしい一抹の悪夢ってところが中々の妙味だったのだけど、今度の作品は、前作との差異を特化しようと密室ソリッド・シチュエーション・ホラー、猟奇誘拐殺人等あらゆるジャンルの演出をまぜこぜにし、怪魔クローバーは何時現れるのを今か、今かと期待して待っている観客の先入観を弄ぶように何時果てることもなく長々と引き延ばしつづけ、やっと最後にクローバーとは別個の、怪魔というよりエイリアン風の巨怪が出現するって次第。
 これって、トム・クルーズの主演した《宇宙戦争》(2005年)と相似過ぎ。
 トム・クルーズと娘のダコタ・フェニングが招かれた隠家(シェルター)の持主の男との猜疑に満ちた共棲関係ドラマが延々と展開されつづけてるような代物で、これまでの経緯からしてどうにも疑わしい更なる続編“2”を、さももっともらしく匂わせ正当化を計っている。


前作の集団劇と違って、冒頭、同居していた男に愛想を尽かして一人家を逃げるように出てゆくメアリー・エリザベス・ウィンステッド扮するミシェルを主軸に物語は展開してゆく。
 昨今流行の“ アクティブな女 ”の範疇なんだろうけど、そこから一歩も二歩も踏み越え逸脱したヒステリックで短絡的な、何とも“危ない”女で、傍にいるとどんな惨劇に引きづり込まれるか分かったもんじゃない。冒頭の別れた男って、このキャラだとむしろまともな男だったのかも知れないって疑念すら浮かんでくる。これって、2010年代末期資本主義米国の鬱屈し苛(いら)ついた若い女たちを象徴するキャラなのかも知れない。
 事故った彼女を助け出した、と自ら称するシェルターの主(ジョン・グッドマン)を、彼女は、やがて猟奇誘拐殺人犯と決めつけ(映画のあっちこっちでそういう流れにもっていこうと符号合わせ的伏線を施してはいるのだけど)、終いにはシェルターもろとも潰えさせてしまう。怖い、怖い・・・一体どっちが危険人物なのか分かったもんじゃない。
 そしてやっと真打ちの筈の宇宙怪獣の登場となり、終幕。

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2016年6月 5日 (日)

平成のアプサラたちの供宴  ( AKB48総選挙 速報 )

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 ネット・ニュースに《 AKB48 総選挙速報 》の報が入っていたので、you tubeを覗いてみると、早々と映像が流れていた。
 AKB本店よりも、指原の居る博多のHKTの方がよりAKBそのものがよく視えるってこともあって、現在は新潟のNGTにとって変わられたが当時一番若いグループだったので、you tube等で観たりしていた。勿論、いわゆるオタクじゃなくて、劇場に足を運んだりすることもないライトなファンに過ぎない。

 
 AKB本店秋葉原の劇場でのコンサートが了(おわ)ってからの、出演メンバーもそのままの恰好でステージに並んで投票初日の結果発表を観るって訳なんだけど、それを名古屋、大阪、博多、新潟の各劇場でも同様に出演メンバーが並び同じ開票結果発表の映像を観ながらの同時中継って演出。

 この日のアキバ本店は、その夜の演目そのままに皆パジャマ姿で現れた。
 中でもAKBきってのトップ・アイドルたる渡辺麻友(まゆゆ)は見ていると面白いキャラクターで、昨年か一昨年かだったかの速報の折も出ていて、最初は余裕で80位からの発表に他のメンバーと賑やかに応じていたのが、上位の発表になってくるに従って落着きがなくなり、3位くらいになってくると、もう不安と緊張に堪えられなくなってか、些かなりともテン張った緊張を解きほぐそうと彼女の身体からの自然な反応なのだろう、上半身をグルグル廻しはじめた。アイドル女王然としていながらもこんな生理的反応を示すのかと驚いてしまったけど、同時にまだ二十歳そこそこって若さもあってか愛らしさを覚えさせた。

 それが、今回は、3位発表の頃に、尻餅をつくようにその場にしゃがみ込んでしまった。
 もはやグルグル上半身を廻す余力すらなくし、萎えてしまったのだ。
 あくまで、投票初日の、総選挙のためのパフォーマンス・イベントでしかないにもかかわらず、あたかも本選結果のように。何だかんだ云っても、メンバーにとって、例え初日の結果でしかないはずのものであっても、実にナイーブでシリアスなもののようだ。

 
 この夜も博多のHKTの劇場での中継の映像も別途観ることができた。
 こっちは、指原の在籍しているチームHの公演があってて、指原は出ていなかったようだけど、ステージの上にセンターの児玉遥等がずらり勢ぞろいしていた。
 しかし、この夜の速報は、ずらり居並んだメンバーたちの大半が名前を呼ばれランクインするという結成4年目にして、やっと日の目を見れたメンバーも少なくなく、常時、観客ともども歓声の途切れることがなかった。

 就中、指原を慕ってわざわざ東京から応募してきてメンバーとなった、当時小6現在中2の矢吹奈子、元々小柄なので余計に子供っぽく見えるのだけど、見てると、殆ど最初から、一人だけ、もう緊張というより不安と恐怖に押し潰されんばかりに表情を曇らせ涙ぐんですらいた。
 メンバーの名が呼ばれる毎に、他のメンバーと一緒に歓声をあげようとするのだけどそれ以上に、自分の名が呼ばれないという不安に押し潰され、次々と他のメンバーの名がランクインしてゆきはじめると、AKB運営に推(お)されているという自覚=ひけ目から、その都度追い込まれていっているのが傍目にも手に取るように分かってしまう。
 これが、確かに、一切合切の映像化=商品化の所謂AKB商法と云ってしまえばそれまでだけど、最終的に、当の矢吹奈子も52位で名前を呼ばれ、ようやく強ばりと涙の長い苦役から解放された。

 AKB総選挙って、要は、オタクたちの意地の張り合いってところだろうけど、メンバー達の人気のバロメーターにもなるってところから、メンバー達もなかなかに超然としている訳にはいかないようだ

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2016年1月24日 (日)

藤原新也=指原莉乃  《 SWITCH 》 2月号

 


 藤原新也・原作の映画《 渋谷 》(2009年)にAKB48の大島優子が出演(脇役)していたのは知っていたけど、今月発売の《 SWITCH 》の表紙に、新也の撮った同じAKBグループのHKT48の指原莉乃の写真が掲げられていた。

 彼の代表作《 東京漂流 》の新たなバージョンともいうべき《 新東京漂流 》の一環らしい。所謂、眼力(めじから)のあるリアルな指原の表情ではあるが、
 
 『 窓のカーテンを開けるといつも見ていた街が無くなっていて、荒れ果てた風景が遠くまで続いてた』
 
 ・・・つまり、《 9・11 》~《 3・11 》によって脳裏に刻印された“ 世界の崩壊の瞬間 ”のゆらぎ的蒼貌ってことのようだ。

 
 《 藤原新也 新東京漂流─若者のすべて 》と銘打ったフォト・ストーリーの中の巻頭の一枚で、指原当人もツィッターで本来は本文のページ写真の一枚に過ぎなかったのが撮影後急遽表紙を飾ることになった旨報告してたように、新也自身が気に入ったのだろう。
 その巻頭写真の一頁前の《 プロローグ 5分後の世界 》で、その指原の理由をこう述べている。


 「 今は個人ではなく群が顔となる時代だと思う・・・やはり尽きるところ時代を開拓したAKB48でしょ。そのセンターである指原莉乃を撮るということです。」

 「 ぼくはAKB48はその群成する人々の時代の危機回避のシェルターだと思ってる。二〇〇一年の9・11から・・・・・・世界は五分後にはとつぜん何が起こるかわからない時代になったし、それと同時進行的に若者の生活環境もむちゃくちゃ苛酷になっている。避難場所が必要なんだね。」

 
 そして、ガンコ親爺・新也すらも、ご多分に漏れず、指原のところを、
 “ きれいに撮ってあげたいという親心を誘う子ですね。”
 と正直に吐露している。
 むむっ、指原の思う壺ではないか。
 AKBのある種の人気娘は握手会なんかで手練手管を弄するらしいけど、指原の場合、トラウマを内に抱えた傷ついた乙女的オーラを漂わせるだけでむしろファン・オタクたちの方から歩み寄ってくる仕儀のようで、指原自身彼女の在籍しているHKT48の人気今イチなメンバーたちに“ 手を差しのばしたくなるような ”オーラの得策を説いてもいるようだ。
 アキバのAKB劇場での10周年記念のコンサートの終わった後の、前田敦子と大島優子の元センターの二人が並んだショットもある。こっちは普通に微笑ポーズ。


 「 リビングの窓の外に広がる
  荒れ果てた風景から
  君たちの時代ははじまった。」
 
 から始まる写真群の後に綴られた《 ドキュメント 荒野の窓 》だけど、確かに、開け放たれた窓の向こうにくすみ朽ち果てた廃墟が連なってたりする昨今の国内地方の定番光景ではあるが、それ以上に《 9・11 》から特に米国・ハリウッド映画で顕著に見られるようになった風景でもある。
 ニユーヨーク・ツインタワー崩壊ってそれまでの米国支配的秩序の象徴の崩落ってイメージを世界に刷りこませたかも知れないけど、そもそもベトナム戦争の頃から、何時そんな事態が派生したとしても不思議ではなかった、むしろ半世紀近く殆ど何も起こらなかったのが奇蹟に近かった。ベトナム人たちの心のおおらかさを証すばかり。
 あれでもし、ペンタゴンの将軍たちが企んだように(ベトナムに)核兵器でも使用していたら、もっと早く《 9・11 》的事態が招来されていたのかも知れなかった。そんな十分に考えられる論理的帰結=惨禍であっても、ペンタゴンにとっては、米国市民二千万人ぐらいの死は想定内の予め組み込み済みの一連の悪辣らしい、と何処かで読んだか観たかの記憶がある。
 つまり、蛙の面にションベン、何のこっちゃいって寸法らしい。
 その上での、昨今の国際テロ騒ぎって訳だ。
 
 終わりの方に、指原が監督したHKT48の映画の番宣もどきのミニ・インタビューがあって、ロジヤー・ムーア張りの指原の四方山話まで掲載されている。

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